表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/21

alternative

このお話しは 『〜永遠の追憶〜3』 (第三部ではありません) の第一話として書いた物ですが、今回refrainの最終話として投稿します。


〜永遠の追憶〜本編第一部は、

http://www.digbook.jp/product_info.php/products_id/7351?osCsid=ff3d8bd5d83f041e11a60f121f483d8a

第二部は、

http://www.digbook.jp/product_info.php/products_id/7448?osCsid=ff3d8bd5d83f041e11a60f121f483d8a

にて販売致しております。

公開時の物に加筆・修正を施し、一枚だけですが挿絵を入れてあります。

 ……春。

 この季節になると、毎年必ず桜が咲く。

 それはもう当たり前だって思ってて、当たり前にも感じなくなってるけど、考えてみたら凄い事なんだって思う。

 だって毎年必ずだよ? 絶対に忘れないんだよ?

 それに、同じ花弁や枝に見えても、それは確実に去年とは違う物なんだもん。

 匂いだってそう。 同じ匂いだって感じても、それは去年その場で嗅いだのとは違う物なんだよね。

 もし、わたしが桜だったら、毎年同じように咲けるかな?

 毎年毎年、同じように見えても違う花を咲かせる事が出来るかな?


 そう考えると、凄いなって思うんだ……。


 あ、言い忘れてました!

 わたし、宇佐奈雛菊、十五歳です!



----------------------------------------------------------------------------------


 〜永遠の追憶〜 alternative

   Term0 春の風に乗って


----------------------------------------------------------------------------------




 朝が来た……それはしっかりと理解出来ている。

 何故なら、部屋の空気が仄かに暖かいし、先程から目覚ましが鳴っているからだ。

 空気が暖かいという事は日が昇ったという事だし、目覚ましが鳴っているという事は、起きる時間になったに違い無いのである。

 だが、頭の片隅で理解出来ていても、それを行動に移すまでには若干のラグがある。

「う〜ん……煩い」

 一度だけ小さく唸って目覚ましを止めると、ニ、三度呼吸をして再び眠りの世界へ……。

「こらっ! いつまで寝てるの!」

 旅立つ間も無く叩き起こされた。

「まったく……少しは大人になったかと思ったら、ち〜っとも変わってないわね、この子は。 ほら雛菊、目覚ましが鳴ったんだからさっさと起きる!」

「ん〜……もうちょっと寝かせてよ、お祖母ちゃ……」

 そこまで言って、雛菊は一気に目が覚めた。 何故なら、そのまま寝ていたらとっても危険だからだ。

「はっ!」

 雛菊が、サッと飛び退いた直後、今まで寝ていたベッドに拳がめり込んだ。 丁度、雛菊の鳩尾の辺りだ。

 あと一瞬、決断が遅かったらまともに喰らっていただろう。

「い、いきなり鉄拳はやめてよ! 危ないでしょ!」

 肩の辺りで綺麗に切り揃えたショートカットの髪に、少し小柄だがバネのありそうな肢体。

 見た目通りに運動神経も反射神経も良いようだ。

「雛菊ちゃぁ〜ん……今、何て言おうとしたのかなぁ……?」

「え? え〜っとぉ…… 『ママ』 って……」

「そうは聞こえなかったわねぇ? おばあ……とか何とか聞こえたけどぉ?」

「き、気のせいじゃないかなぁ?」

 雛菊は引き攣った笑顔を浮かべつつ言ったのだが、さすがに何の効果も無いようだ。

「まあ、確かにわたしは立場上 『お祖母ちゃん』 と呼ばれても仕方ないんだけどぉ、まだ若いつもりなんだけどなぁ〜……心も身体も」

 女性はそう言うと、腰まである長い髪をかき上げ、モデルのようなポーズをして見せた。

 確かに、お祖母ちゃんと呼ぶには少々若い感じだ。

 その女性こそ誰あろう、かつて驍名をはせた宇佐奈環その人である。

 今でも名場保、美浜恭一の二名を抑え、伝説の女王として人々の記憶にその名は刻まれている。

 ……と言っても、それは一般市民とは少し違った生活をしている人達だが。

「うんうん、もっちろんだよ! 環ママは最高に綺麗だし、今でも二十代で通用しちゃうよ、うん! わたしが男だったら絶対に結婚申し込むな〜!」

「あら、そう? そこまで言われると、全然嬉しくない上に嘘臭いわね〜。 ……怒っちゃおうかな?」

「朝から苛めないでよぉ〜……ごめんなさい、反省してますぅ……」

 雛菊はベッドから降りると、ピョコンと頭を下げた。 どうやら本気で詫びているようだ。

 それだけ目の前の相手が怖いという事なのだろう。

「冗談よ。 この程度の事で、可愛い孫に本気で怒る訳無いでしょ?」

 ベッドの下にずり落ちた毛布をたたみながら、環はニッコリと微笑んだ。

 だが、環の拳がめり込んだ形がしっかり残っているベッドを見ると、その微笑を真実と受け取るにはちょっと抵抗がある。

「恵利は?」

「もうとっくに起きて支度してるわよ。 目覚ましが鳴る前に起きてたもん」

「相変わらず早いなぁ、あの子は……じゃあ、わたしも手伝って来るね!」

 先程まで寝ぼけていたとは思えない素早さで部屋を出て行く雛菊を見て、

「……さすがに十五歳。 やっぱ本物の若さには勝てんわ」

 一言呟くと窓を開け放ち、環は外の空気を部屋へ招き入れた。

「祝福の風よ吹け! ……なんてね」

 優しい風に乗って部屋いっぱいに広がるのは、近所の公園に咲く桜の香り。

 環は大きく深呼吸して、今年も春が来たのだと実感した。



「恵利、おっはよ〜!」

 階下へ駆け下りるとすぐ、雛菊はダイニングへと飛び込んで、そこに立つ女の子の背中に抱き付いた。

「あ、危ないよ雛菊ちゃん! 今、包丁持ってるんだから!」

「大丈夫大丈夫! 要は、恵利が手を放さなきゃいいんだからさ」

「放しちゃう可能性があるから危ないって言ってるの!」

 恵利は慌てて包丁を置くと、自分を抱いている雛菊の手を掴んだ。

 雛菊がパジャマ姿なのに対し、恵利の方は既に制服に着替えている。

 濃紺のブレザーに真っ白なエプロンという格好は、その細身の身体には少しバランスが悪いような印象だ。

 黄色いリボンでポニーテールにまとめた髪は、それでも腰の辺りまである。

 手入れを怠っていないのだろう、黒々とした髪はコシがあってしなやかだ。

「邪魔しないでよ。 朝の一分は午後の一時間に相当するんだからね」

「はあ? 何言ってんのよ、一分は所詮一分でしかないでしょ?」

「気分的な事も含めて、それくらいの価値がある時間だって言ってるの」

「じゃあ、わたしが恵利に抱き付く時間も、午後に換算したらそれくらいの価値があるって事だね」

「ち〜が〜う! 無為に過ごす時間と一緒にしないで! それと、耳に息を吹きかけるのもやめて!」

 恵利は雛菊の手を無理矢理引き剥がすと、再びまな板に向き直った。

「あははは。 ムキになっちゃって、可愛いんだ」

「あのね……どうでもいいけど、お尻触るのやめて」

「いちいち煩い嫁だな」

「わたしは雛菊ちゃんのお嫁さんになった憶えはありません!」

 何とも騒々しいやり取りを二人がしていると、

「何よ、まだ支度出来てないの?」

 洗濯物を抱えた環が、呆れ顔でダイニングを覗き込んだ。

「恵利、その程度の事に時間かけてちゃ駄目よ? もっと手際良くやりなさい」

「だって! 雛菊ちゃんが邪魔するんだもん!」

「邪魔なんてしてないよぉ。 単なるスキンシップじゃない」

「それが邪魔なの!」

「はいはい、朝からモメない。 恵利、例え邪魔が入ろうとも、台所の仕事を見事にこなしてこそ宇佐奈家の娘よ? もっと精進なさい」

「……」

 環に言われ、恵利は少々不機嫌そうな顔になった。

 自分としては一生懸命やっていただけなのに、それを邪魔された挙句、どうして意見されなければならないのだろう?

 まだ処世術を身に付けていない十五歳の身には、それは納得のいかない事なのである。

「お返事は?」

「……はい」

 しかし、結局のところ環に逆らうような真似は出来ず、素直に返事をするしかないのも事実である。

 怖いとかいう事でなく、弟子が師匠に逆らえないのと同じなのだ。

 師匠以上の腕が無ければ、逆らう事など許される筈も無い。

「こら、雛菊! あんた、恵利の手伝いするって言ってたんじゃなかったの? 偉そうに新聞なんて広げてないで、早く手伝いなさい!」

「は〜い」

 どうやらこの家では環がルールブックのようで、その号令一つで全てが動くらしい。

 可愛い二人の孫がキッチンでの作業を再開したのを見届けてから、

「しかしまあ、二人とも見事に母親に似たわね。 良かった良かった、父親に似なくて」

 幸せそうな微笑を浮かべ、環は再び洗濯物を抱えて洗面所へと歩き出した。



「行って来ま〜っす!」

「行って来ます!」

 朝食を摂り、片付けを終えて身支度を整えた恵利と雛菊は、揃って元気良く宇佐奈家の玄関を出た。

 暖かな春の陽射しと柔らかな風。 それに、優しく鼻腔をくすぐる桜の香りが心地良い。

 新生活のスタートとして満点の日である。

「ん〜……気持ちいいね、雛菊ちゃん」

「そうね〜。 こんな日には、何かすっごくいい事がありそうな気がしない?」

「うん、そうだね」

 こんな日には自然と笑顔になってしまう。

 それは大人も子供も一緒のようで、バス停までの道すがら、擦れ違う近所の人達もみんな良い顔をしている。

 二人が朝の挨拶をすると、誰もが笑顔で答えてくれる。

 この辺りの事は、近所付き合いをキチンとしている環や、二人の母のお蔭でもあるだろう。

「あ、そう言えばさ」

「何? 雛菊ちゃん」

「お父さん、今日帰って来るんだよね? 入学式、来てくれるのかな?」

「本人はそのつもりみたいだけど、どうかな? 紀行文を書くのって、そう予定通りにいくとは限らないんじゃない? それに……」

「道に迷って余計な時間食うかもしれないし……か。 いい加減、あの方向音痴は治らないもんかなぁ?」

 年齢よりも若く見えるし、スタイルも良くて、見た目は申し分無し。

 時々怖いと思う事もあるが、基本的に性格も優しい父の事は、二人とも大好きである。

 ただ、肝心な所で鈍いのと、酷い方向音痴が欠点なのだ。

「ま、お母さん達が来てくれるし、それだけでもいいけどね」

「でも……また色々言われたりしないかな?」

 先程までの明るさが急に無くなったかと思うと、恵利は足を止めて小さく溜息を吐いた。

「恵利は気にし過ぎだよ。 わたし達は何も悪い事なんてしてないんだから、堂々としてればいいの」

「でも……」

「言いたい奴には言わせておけばいいのよ。 お母さん達を見てごらんよ。 何も恥じる事無く、堂々としてるじゃん」

「うん。 それはそうだけど……」

 ちょっと顔を伏せてしまった恵利の肩をグっと引き寄せると、

「恵利の事は、わたしが護ってあげる。 誰にも、何も言わせたりしない。 だから安心して」

 雛菊は自信たっぷりの顔をして言った。

 少し自分と似た部分のあるその顔を見ると、恵利も不思議と元気になれるような気がした。

「……ありがとう、雛菊ちゃん。 わたしも頑張るよ」

「うん、それでこそ恵利だよ。 さ、行こう」

 二人同時に笑顔を浮かべた時、バスが停留所へとやって来た。



「春だなぁ……なあ、この薄桃色の小さな花弁を見てると、何となく、しみじみしねえか?」

「別に……」

 私立黎明高等学校の校門前で、二人の男子生徒が立っている。 制服が新しいところを見ると、どうやら新入生のようだ。

 舞い落ちる桜の花弁を感慨深げに見ている方は長身、その隣に立つ方は、どちらかと言えば小柄な部類に入るだろう。

 そんな二人が並んでいると、見事なでこぼこコンビである。

「情緒のねえ野郎だね、お前は。 親父さんとは大違いだぜ」

「当たり前だろう? お父さんと僕は違う人間だ」

「屁理屈言うところも全然違うな。 ……お前さ、何でそんなに親父さんを嫌うんだ? 真面目でカッコ良くて、いい親父さんじゃねえかよ」

「英 (えい) には関係無い。 以降その質問はするな」

「へいへい、解りましたよ」

 両腕を頭の後ろで組むと、長身の英雄 (『ひでお』 と読んでしまいそうだが、彼の名はそのまま 『えいゆう』 と読む) は、門柱に凭れかかるようにして、正門をくぐって行く生徒達を目で追った。

 みんな自分達と同い年……その中には見知った顔もいたりして、英雄は手を振って挨拶を交わしていた。

「優磨 (ゆうま) も挨拶くらいしろよ。 あいつ、同じ翔峡中学の奴じゃんか」

「僕は彼と面識が無い。 知らない人間に挨拶されても困惑するだけだろう」

「やれやれ、無愛想な奴だな……。 過去に面識が無くたって、これから同じ学校の生徒になるんだろうが」

「僕はお前と違って、他のクラスの人間との交流が無い。 剣道部での係わりが無い人間に挨拶する必要も感じん」

「あ、そ。 何ともクールだねぇ……」

 英雄は苦笑すると、再び生徒達の波に目をやった。

「ところで英、いつまでここに立っているつもりだ?」

「ん? ああ、恵利ちゃん達、待ってようかと思ってさ。 新生活第一歩、やっぱ一緒にスタートしてえじゃん」

「別に待っている必要など無かろう? 今、お前が言ったように、ここに入学する事は決定しているのだから、顔を会わせる機会などいくらでも……」

「そういう事じゃねえんだって。 何つーか、こう……一緒にスタートを切るってのは、気分的にいい感じじゃねえか」

「お前、小学校の時も中学校の時も、同じ事を言っていなかったか?」

「あ〜、いちいち煩せえよ! たまには黙って俺の行動に合わせろ!」

「優磨、英、おはよ」

 二人が声のした方を向くと、そこには一人の女の子が立っていた。

 春の陽射しを弾き返しているように感じる程、キラキラと光る長い黒髪。

 手足も長く、モデルと見紛うばかりのスタイルの良さを持ち合わせており、それに引けを取る事の無い整った顔立ち。

 そして、その背後には黒塗りの超高級大型リムジンと、お付きであろう黒服の男性がいる。

 そのどれを取ってみても、女の子が只者ではない事が判る。

「おはよ、春日 (はるひ) ちゃん」

「二人とも、こんな所で何やってんの?」

「恵利ちゃん達を待ってるんだよ。 ほら、初日だしさ、一緒に行こうかと思って」

「あれ? あの子達まだ来てないの?」

 春日は左右に顔を動かしながら言った。 当然、その視界の内にお目当ての人間の姿は無い。

「だから待っているんだろう。 つまらん事を訊くな」

「何よ優磨、朝っぱらから随分突っ掛かってくれるじゃない?」

 腰に手を当てて、けれど余裕のある表情を浮かべて春日は言った。

 それに対し、優磨は変わらず不機嫌そうな表情のまま、春日とは目を合わせようともしない。

「お〜お〜、不貞腐れた顔しちゃってまあ……。 乱丸、こいつムカつくからやっつけていいわよ」

 春日から声がかかると、乱丸と呼ばれたお付きの黒服は一瞬だけ表情を変えた。

 本気で優磨にかかって行く事はしないだろうが、習性で春日の命令に反応しているらしい。

「まあまあ春日ちゃん、大目に見てやってよ。 きっとホルモンバランスが崩れてんだよ、こいつ」

「残念ながら、僕は健康体だ」

「ま、いいけどね。 ……あ、来た来た。 こら、恵利! 雛菊! 遅いぞ!」

 両手をメガホンのようにして、春日は二人に声をかけた。 まるで自分が一番長く待っていたようだ。

「自分だって今来たばっかのくせに……」

「英……何か言った?」

「いえ、何も……。 よう、おはよう! 二人とも随分ゆっくりだったね」

「おっはよ〜! いや〜、朝の情事が長引いちゃって。 恵利ったら甘えん坊だからさ」

「やめてよ雛菊ちゃん! 知らない人が聞いたら誤解するでしょっ!」

「何よ恵利ったら、アタシには全然サービスしてくれないくせに、雛菊にはそんな事してるの? ……ちょっと悔しいかも」

「春日ちゃんまで一緒になってぇ!」

 どうやら恵利をからかうのが楽しいらしく、恵利がムキになればなる程、雛菊も春日も調子に乗るようだ。

 だが、女の子三人が加わって、より一層騒がしくなった場の空気に耐えかねたように、

「二人が来たんだから、もういいだろう? ……僕は先に行く」

 眉を顰めてそう言い残すと、優磨は一人で門をくぐり、さっさと歩いて行ってしまった。

「あ、優磨君……行っちゃった。 わたし、まだ朝の挨拶もしてないのに……」

 優磨の背中を見ながら、恵利はションボリしている。

「な〜によ、あいつ。 ねえ英、アタシが来るまでに何かあったの? 優磨の奴、いつも以上に不機嫌だったみたいだけど」

「ん〜……ちっと会話のチョイスをミスった。 親父さんの話、出しちゃってさ」

「はあ? あいつ、まだ言ってるの? 仕方ないって言葉が脳にインプットされてないのかしらね? 従妹として恥ずかしいわ」

 春日は少し怒ったような顔付きになると、腕組みをして優磨が歩いて行った方向を見た。

 既に優磨の姿は無いが、それでもそこに優磨がいるような感じで、キツイ目をしている。

「春日、優磨君の前でそれ言っちゃ駄目だよ?」

「何でよ、雛菊」

「あんたの立場で言うべき言葉じゃないでしょ? 登内家を継ぐのは優磨君じゃなくて、あんたなんだからさ」

「別にアタシは登内を継ぐつもりなんて無いわよ? アタシには他に夢があるんだもん。 優磨が欲しいって言うなら、今すぐにでもくれてやるわ」

「あんたのお祖父ちゃんは、そう思ってないでしょうに。 それに、あんたの一存でどうにかなるような物でもないでしょ?」

「お祖父ちゃんも頑固だからねぇ……。 あ、乱丸、もう行っていいわ。 帰りはみんな一緒に帰るから、駐車場で待機してなさい」

「かしこまりました、春日様」

 細い身体を折りたたむようにして一礼すると、乱丸と呼ばれた黒服の男性は駐車場へ向けて車を走らせた。

 まだ二十代だろうと思われるが、その行動には一分の隙も無いような感じで、熟練した何かを感じさせた。

「自然にそういう態度がとれちゃうんだから、あんたはやっぱり登内のお嬢様なのよ。 解った?」

「しょうがないでしょ? 小さい頃からそういう風にして来たんだから……。 ほら、行くわよ雛菊」

「優磨君、大丈夫かな……」

「恵利も! 優磨の事なんて、いつまでも気にしなくていいから。 あいつの事は英に任せればいいの。 ね、英?」

「ま、昔からの付き合いだし、帰る頃までには何とかしましょ。 恵利ちゃん、心配要らないよ」

「うん……」

 軽く笑う英雄を先頭に、三人もその後に続いて歩き出した。

 女三人寄れば姦しいと言うのは本当のようで、一瞬沈んだ空気も何のその、弾けるような話し声は周囲を圧倒するかのようだった。

 だが……。

「お? ……よう、見てみろよ。 翔峡の有名人ご一行様だぜ、あれ」

「あの先頭歩いてるデカい奴、あれって一之瀬の会長の孫だっけ? 確か、掃部関とか言ったよな」

「その後ろにいるの、登内の会長の孫だろ? スゲ〜可愛いじゃん、お近付きになりてえ〜!」

「やめとけやめとけ。 一緒にいる宇佐奈って女、少林寺拳法の有段だってよ。 ナンパ野郎には、口より先に手が出るって話だぜ」

「あ、そうそう。 その宇佐奈について、ちょっと面白い話しがあるの知ってるか? 実はよ……」

 様々な話し声に混じって、何やら自分達を噂する声が聞こえる。

 さすがに人数が多くて誰が話しているのかは判別出来ないが、それが良い噂でない事は雰囲気で何となく判った。

 何故なら、雛菊も恵利も、昔から同じような事を何度も経験しているからだ。

「……ブっ飛ばして来ようか?」

「いいよ英君、いちいち気にしてたら身がもたないって。 ね、恵利」

「う、うん……」

「アタシもムカついてるんだけど……」

「放っときなさいよ、春日。 下らない連中なんか、相手するだけ損だよ」

「やっぱり、わたしだけでも別の学校に進学した方が良かったんじゃ……」

 クラス分けの貼り出された掲示板の前で、恵利はうつむき加減で言った。

 それを聞いた春日は、

「また言ってる……恵利、いい加減にしなよ? あんた一人いないからって、何がどう変わるってのよ。 噂する奴は、その本人がいようがいまいが、どこでだってするんだから。 だいいち、あんた一人の所で何か言われたらどうすんのよ」

 と、呆れたような顔をして言った。

「だって、春日ちゃん達にまで嫌な思いさせちゃうかと思うと、わたし……」

「あのね、そんなの気にするくらいなら、ハナから黎明なんて受験してないわよ。 アタシ、咲姫の推薦もあったんだよ?」

「でも……」

「アタシは、あんた達といた方が楽しいからこっちに来たの。 それに、ママ達の母校だしね」

 春日はそう言うと、眩しそうに校舎を見遣った。

 本年度に合わせて校舎を改装したそうで、その真っ白な壁には少しの汚れも無い。

 それに伴って、制服も以前の詰襟とセーラーからブレザーに変更された。

「アタシさ、ママ達の話を聞く度に、黎明に入ろうって気持ちが大きくなったんだ。 ここで一生分の経験したみたいだって、よく言ってるもんね」

「わたしと恵利も一緒だよね。 他の学校なんて眼中に無かったもん」

「それはそうなんだけど……」

「ま、人の噂も七十五日ってね。 いつまでも同じネタ使ってるってのは、かなり寂しい奴なんじゃないの〜? ひょっとして、構って君か?」

 英雄は、わざと大きな声で言った。

 そのせいなのかどうかは不明だが、噂をしていた声も聞こえなくなったようだった。

「ふむ……どうやら話題が無いどころか、根性も無いみたいだな」

「ほらね? この程度のもんなんだって。 さ、クラスの確認しようよ」

 そう言うと、雛菊は英雄の肩に手をかけ、ヒョイとその背中に伸び上がった。

 雛菊の身長はそれ程高くないので、こうしないと掲示板がよく見えないのだ。

 五十音順に並べられた名前を順に追って行くと、自分の名前はすぐに見つけられた。

「宇佐奈雛菊、A組であります。 恵利はB組か……。 ま、隣りなら、ちょくちょく会えるね」

 英雄の背中から飛び降りると、雛菊は恵利の肩を抱きながら言った。

 飛び降りた時にスカートの裾が跳ねて、一部の男子生徒の視線を集めたのだが、当人はそういう事に無頓着らしく、気にする様子も無かった。

「恵利、お昼は一緒に食べようね。 お弁当はよろしく頼んだぞ」

「あは。 じゃあ、家にいる時と同じだね」

「え〜っと、掃部関、掃部関……っと、俺はC組だ」

「アタシはD組か……ゲ! 浦崎って……。 参ったなぁ、優磨と一緒かぁ……」

「何で? いいじゃん。 優磨君、成績優秀だし、いざって時に頼りになるでしょ?」

 頭をポリポリと掻きつつ、困ったような顔をしている春日に、雛菊はキョトンとした顔で言った。

「雛菊さぁ……さっきの事、もう忘れちゃったの?」

「さっきの事? 何だっけ?」

 雛菊は本当に解らないのか、口元に指を当てて首を傾げている。

「はぁ……もういい。 さ、教室行こう。 一旦、教室に集合してから、クラス単位で体育館に移動するんだから」

「あれ? そうだっけ?」

「あんたね……ちゃんと入学案内に書いてあったでしょ? 書類にはキチンと目を通さないと、詐欺に遭うわよ?」

「そういった類の事は、全部うちの嫁に任せてるもんで。 ね、恵利?」

「知りません。 ところで雛菊ちゃん、優美ちゃんは何組だった……?」

「A組、わたしと同じよ。 ……昨夜、急にだってね」

「このところ調子いいって聞いてたから、今日は一緒に来られると思ってたんだけどな……」

 恵利が言うと、他の者も少し沈んだような表情になった。

 優磨の双子の妹である優美は生まれ付き身体が弱く、小、中学校とも休みがちであった。

 どうも心臓に欠陥があるらしいのだが、詳しい事は何も聞かされていなかった。

 それでも優美は、みんなと同じ高校へ進学したいと必死に努力していたのだ。

 その甲斐あって、見事入試をパスしたのだが……。

「まあ、念の為、大事を取ってって事らしいから、そんなに心配する事は無いわよ。 大丈夫大丈夫、登内総合病院を信じなさい」

「軽いなぁ、春日は。 でもまあ、春日の言う事も尤もだね。 わたし達がヘコんでたんじゃ、優美を元気付けるどころじゃないもん」

「そういう事。 今日は終ったら病院に直行して、この雰囲気を優美に届けてあげなきゃ」

「あ、成る程……優磨の奴、それでか」

 女性陣が明るく頷き合っていると、英雄は何かを納得したように、一人でうんうんと頷いた。

「何よ英、男のくせに独り言なんて……気持ち悪いからやめなさい」

「気持ち悪いって何だよ、失礼な。 いやさ、優磨の奴、機嫌悪かったろ? てっきり俺のせいかと思ってたんだけど、あいつ優美ちゃんの事考えてたんじゃねえかな? それで……」

「じゃあ、やっぱり英のせいじゃない」

「何でだよ?」

「伯母さん、登内の力は一切使えないんだよ? そのせいだって、優磨は思ってるんじゃないの? それで伯父さんの話が出ればさ……」

「そっか……。 普段は思慮深くて、いい奴なんだけどなぁ……」

 いつも物静かで、他人を思い遣る事も出来る優磨だが、父親の事となると人が変わったようになってしまう。

 本人からは何も聞いていないが、その理由は、みんな何となく察している。

「あ、ほら! いつまでも話し込んでたら遅れちゃうよ! 早く教室に行こう」

 ちょっと新生活のスタートに不向きな物になってしまった話の流れを断ち切るように、雛菊は笑顔で言った。

 それが良いきっかけになったようで、それ以降、話題はこれからの学校生活についてがメインになった。



 窓の外には真っ青な空が広がり、ぷかぷかと浮かぶ白い雲に届きそうなくらい、高く鳥が舞っているのが見えた。

 ついこの間までは冷たく感じられた空気も、今日は優しく抱きしめてくれているような暖かさだ。

「いい天気……」

 ベッドで上半身を起こし、肩にかけたカーディガンのズレを直しながら優美は言った。

 真ん中から左右に振り分けた長い髪は緩く編まれており、先の方を赤いリボンで留めてある。

 少し線が細く、身体付きも小さいのは、幾度もの入院生活のせいだろう。

 だが、鼻筋が通って整った顔立ちは清楚で可憐な印象で、ちょっとタレ目がちな目は愛嬌があり、その表情を柔らかい物にしている。

「今日は最高の一日だね、お母さん」

「そうですね。 きっと、良い思い出の日になるでしょう」

 清潔感よりも、むしろ無機質な印象を強く受ける部屋の中には、優美と母親の二人しかいない。

 先程までは看護師がいたが、点滴が終ると片付けをして出て行った。

 もうどれくらい、この状態が続いているだろう……点滴の痕を見ながら優美は思った。

 一年? 二年? ……いや、物心付いた時には、既にこの状態だったような気がする。

「せっかく制服、間に合ったのにな……」

 真っ白な壁には、真新しいブレザーが掛けられている。

 着られないまでも、せめて身近に置いておきたいと、我侭を言って持って来てもらったのだ。

「すぐに着られるようになりますよ、優美。 果報は寝て待てと言いますからね、焦りは禁物です」

 春の陽だまりのような暖かい微笑を浮かべ、母は言った。

 昔から、この柔らかい笑顔を見ると、不思議と落ち着ける。

「お母さん、中学校の時も同じ事言ったよ?」

「そうでしたか? でも、その通りだったでしょう? ちゃんと次の日から着られましたし」

 ニコニコと笑う母の顔を見て、優美も笑った。 本当に、何度この笑顔に救われただろうか……。

 家の空気がいつでも明るく穏やかなのは、きっと母の笑顔のお蔭だろうと優美は思った。

「でも、出だしから躓いちゃったなぁ……。 何だか、わたし一人だけ置いて行かれちゃうような気がする……」

「あらあら、それは貴女の考え過ぎですよ? 皆さんは貴女を置いて行ったりはしません。 修学旅行の時だって、電車を一本遅らせて待っていてくれたではありませんか」

「お母さん、わたしの言ってるのは、そういう意味じゃなくてね……」

「あら、何か間違っていましたか? あ、一本ではなくて、二本でしたか?」

「あはは……」

 母との会話が噛み合わないのは珍しい事ではない。

 と言っても腹が立つような物ではなくて、どちらかと言えば微笑ましく、思わずこちらの方が親になってしまったような、そんな錯覚まで覚える。

 無邪気という言葉がピッタリ来る、そんな母なのだ。

 と、ドアをノックする音に気付いて、優美が声を出した。

「誰だろう? まだ面会時間じゃないのに……はい、どうぞ」

 首を傾げつつ返事をした優美の目に飛び込んで来たのは、

「やほ〜、優美! 小母さん、こんにちは〜!」

「雛菊ちゃん、あんまり大きな声出したら駄目だよ」

「どうして恵利は、いつもつまんない事気にするかな? 個室なんだから大丈夫だって。 優美、いい子にしてた?」

「春日ちゃんまで……」

 全身から元気が溢れているような雛菊を先頭に、どやどやと病室内に入って来たみんなだった。

「ど、どうしたの? みんな揃って……」

「優美の顔を見に来たに決まってるじゃん。 な、雛菊」

「な、春日」

 注意する恵利の言葉には耳を貸さず、春日は雛菊と肩を組みながら言った。

 どうもこの二人は性格が似ているらしい。

「優美ちゃん、具合どう?」

「うん、そんなに大した事無いから、もう起きても大丈夫だよ。 ごめんね恵利ちゃん、心配かけちゃって」

「よしよし。 お? おあつらえ向きに制服持って来てるじゃない。 じゃあ、さっさと着替えて」

「え? 春日ちゃん、着替えって……?」

「制服に着替えるの。 ほら、さっさとする。 廊下で英達が待ってるんだから」

「達って……ひょっとして、お兄ちゃんも来てるの? どうして?」

「あ〜もう、ごちゃごちゃ煩い! 雛菊、こいつ剥いちゃえ!」

「OK!」

「え? ちょ、ちょっとぉ! きゃあ!」

 何が何だか解らない内に、雛菊と春日の手によって、優美は病院指定の寝巻きから、黎明高校の制服姿へと変身させられてしまった。

「あらあら……皆さん、お元気ですねえ」

 しかし、それを見ても慌てるどころか、優美の母は相変わらずのニコニコ顔である。

「おお、可愛いじゃん。 アタシ達の中で一番似合ってるかもね。 英、もう入ってもいいわよ」

「ったく、お前ら騒ぎ過ぎだぜ……廊下まで聞こえたぞ? あんまし他の患者さんの迷惑になるような真似はすんなよ」

「え、英君……!」

 病室に入って来た英雄を見た途端、優美は脱がされた寝巻きを抱え、慌てて布団の中へ押し込んだ。

 お年頃の女の子としては、脱ぎ散らかした物を見られるのは恥ずかしいらしい。

「な〜に真面目ぶってんのよ、英」

 春日がケラケラ笑いながら言った。

「俺は真面目なの! つーか、それ以前に、病院で静かにするってのは基本だろうが」

「相変わらずね〜。 少しは砕けなさいよ、木っ端微塵に」

「何で砕け散らなきゃならんのだ!」

 静かになるどころか、英雄と春日が揃った事で、部屋の中は益々煩くなってしまった。

 雛菊とは違った意味で、英雄は春日の良い相方のようだ。

「と、ところで、みんな入学式は? まだ終る時間じゃないでしょ?」

「ああ、その事? 退屈だったから途中でフけて来ちゃった。 校長の話が長過ぎんのよね〜」

「お兄ちゃんまで?」

 あっけらかんと笑う雛菊に呆れつつ、優美は言った。

「みんなに無理矢理引っ張られて来たんだ……。 まったく、節目の行事だというのに、最初からこれでは先が思い遣られる」

「結局付いて来てるくせに偉そうな事言うなっつーの。 んじゃ……その壁際にしようか、みんな並んでくれ」

 一眼レフの高そうなカメラを三脚に備え付けながら、英雄は言った。

「並ぶって……?」

「記念撮影。 ほら、優美は真ん中ね。 雛菊と恵利はその両隣で、アタシは優美の後ろ。 優磨と英はアタシを挟んで両隣ね」

「どうして春日が決めるんだよ……」

「何よ優磨、不満なの? じゃあ、あんたが配置決めていいわよ。 御自由にどうぞ?」

 と言われても、どう考えても春日の言ったポジションがベストなので、優磨はそれ以上何も言わず、黙って春日の右隣に立った。

「さすがに立ち位置決めるのは春日ちゃんが一番上手いわな」

 ファインダーを覗き込みながら英雄が言った。

 その言葉通り、フレームに収まるバランスは完璧だ。

「ふふ〜ん。 だてに俳優の娘やってないって」

「よ〜っし! みんな、行くよ!」

 英雄はセルフタイマーをセットすると、すぐに春日の左隣へとダッシュした。

 優美の母に撮ってもらっても良さそうなものだが、そうすると人物は写らずに、地面や空だけが写ってしまうのだ。

 それ以外にも、一緒にカラオケへ行けばリモコンもロクに使えないという有様で、徹底的に機械類に弱い事が証明されている。

 そんな人が一眼レフのカメラなど扱える筈も無い。

「三……ニ……はい、一足す一は?」

「にっ!」

 カシャッ! と音がして、永遠の一瞬が記録された。

 旅立ちの春……全員揃ってのスタートが切れたのだ。

「ほら、わたしの言った通りでしょう? 皆さんは待っていて下さいましたし、制服もちゃんと着られました。 それに、良い思い出の日にもなりますね」

 優美の母は優しげな微笑を浮かべ、はしゃぐ子供達の様子をじっと見守っていた。



「まったく……あのカメラには大事なフィルムが入ったままだってのに。 雛菊の奴、勝手に持って行きやがって……」

「お前が遅れたのが悪いんだろう。 雛菊さんのご機嫌を取る為には仕方あるまい。 一体、どこで何をしていたんだ?」

「大方、道に迷ってたんだろ? 未だに方向音痴が治っとらんのか、このボケ男は」

 黎明高校近くにある喫茶店 『ソレイユ』 店内で、三人の男性が話し込んでいる。

 その内の大柄な男性と小柄な男性はスーツ姿だが、ボサボサの髪を掻き毟るようにしている男性は、革ジャンにジーンズのラフな格好だ。

「大体、娘達の晴れ舞台の日だっつーのに、その格好は何だよ」

「しょうがねえだろ? 取材が終って、そのままこっちに直行して来たんだから。 お蔭で、まだ出版社に顔も出してねえんだぜ?」

「だから、道に迷わなきゃ充分間に合っただろって話だよ。 いい加減、移動にバイク使うのやめろっての」

「単車の方が何かと便利なんだよ。 自分の勝手でルートも変えられるしな」

「それで迷ってりゃ世話ねえぞ……」

 大柄な男性は呆れたように言うと、コーヒーをブラックのまま一口飲んだ。

「お前もそろそろパソコンの一つも使えるようになれよ。 それなら出先からデータ送れるし、いちいち出版社に顔出す手間も省けるだろ」

「俺の性に合わねえ」

 それを聞いて、二人の男性は顔を見合わせて笑った。

 未だに携帯電話も持たずにいるなど、目の前の男性が昔とちっとも変わっていない事に安心感を覚えながら。

「いや〜、参った参った……」

 男性達の席の傍に、髪の長い女性がやって来た。

 何故か少々疲れているようで、大柄な男性を脇に押し退けると、その隣りにどっかと腰を下ろして溜息などを吐いている。

「どうしたの? 随分時間食ったじゃん」

「何だか理事長やらPTAの会長やらが、アタシとお近付きになりたいらしくてさ、もう煩い煩い。 おべんちゃらなんて聞きたくないっつーの……」

「それは大変だったね、お疲れ様」

 小柄な男性は、少し笑みを浮かべながら言った。

 勿論、本心から大変だったろうと思ってはいるのだが、どうしても笑いがこぼれてしまうのだ。

「何を他人事みたいに言ってるのよ。 本来なら、この役目は姉さんと二人でやってもらう筈だったんだからね」

「それは遠慮したいな。 俺にはそういう仕事は向いていないよ」

「まったく……もう一人はさっさと逃げちゃうしさぁ〜……」

 女性は、大柄な男性を恨めしそうに睨みながら言った。

「なはははは。 けど、俺は単なる支社長だもん。 本物のお偉いさんは、あちら」

「何言ってんのよ。 事実上、仕切ってるのは自分じゃない。 この間、電話で言ってたよ?  『もう私が口を挟む余地はありませんわ』 って」

「それは逆に怖いなぁ……お手並み拝見って事なんだろうからね」

 苦笑しつつ、それでも自信があるのだろう。 大柄な男性は、大して慌てる様子を見せなかった。

「で? 優美、どうなの?」

 コーヒーを注文すると、女性はテーブルに乗り出すようにして、小柄な男性に言った。

「さっき電話があった。 みんなと一緒に病室で騒いでいるようだよ」

「そっか、良かった。 姉さんの説明だと、いまいち要領を得ないのよね〜……」

「お前、病院へは行かなくていいのかよ?」

 ホっとした表情を浮かべた女性の横で、妙に真剣な顔で大柄な男性が言った。

「俺が行くと優磨が顔を出さんからな。 それでは優美が寂しがる。 俺は優磨とは時間帯をずらして顔を出すよ」

「いっぺん徹底的に話し合った方がいいのと違うか? 変になあなあにしちまうと、ずっと引き摺っちまうぜ?」

「話すべき事は全て話した。 あとは優磨の気持ち次第だ」

「これだよ……。 ま、何かあったらいつでも言ってくれ。 出来るだけの事はさせてもらうからよ」

「こいつで足りなきゃ俺に言ってくれよ。 こいつよりは時間が自由になるからな」

「済まんな、二人とも。 ……頼りにさせてもらう」

 小柄な男性は、そう言うと一口お茶を啜った。

 お茶と言っても極上品であり、一般家庭で気軽に飲むような品ではない。

 元々はメニューに無かった物なのだが、とある筋よりメニューに加えるようにとのお達しがあったらしい。

「ねえ、あの二人はどうしたのよ? こっちに来てたんじゃないの?」

 キョロキョロしながら女性が言った。

 店内に誰かの姿を探しているようだが、お目当ての人物はいないようだ。

「さっきお袋から電話があってさ、何か頼まれてたみたいだ」

「環さん、相変わらずなんだろうね。 今、可愛がられてるのは……雛菊かな?」

「ああ、そうだな。 恵利は昔から手がかからないから、随分助かったよ」

「二人とも見事なまでに母親似だもんねぇ……。 雛菊、かなり苦労したでしょ?」

「今もだよ……お袋の影響も受けてるからなぁ、あいつは」

「それじゃ尚更大変だ」

 女性の一言で、その場にいる全員が笑った。

 何故か一瞬、その場には学生服に身を包んだ若者達がいるように見えた。



「ただいま〜!」

「あれ? お父さん達、まだ帰ってないみたいだね」

 宇佐奈家に戻った雛菊と恵利は、自分達以外に誰もいない家の中をキョロキョロと見回した。

「英君のお父さん達も来てたし、きっと同窓会みたいな事してるんだよ」

「環ママもいない……ったく、無用心だなぁ、鍵もかけないで。 あ、もしかして恵利の家にいるのかな?」

「そうかもしれないね。 隣に行くくらいなら、わざわざ鍵をかけたりしないかも」

「それにしたって無用心には変わり無いけどね」

 言いながら、雛菊はキッチンへ入ると、即座に冷蔵庫を開けて牛乳をパックのまま飲み始めた。

 それを見た恵利の顔色が即座に変わる。

「ああー! またそんな飲み方してぇっ! ちゃんとコップ使ってって、いつも言ってるのに! それじゃすぐに雑菌が繁殖して駄目になっちゃうでしょ!」

「煩いなぁ……これは、わたしが買って来た、わたし専用の牛乳なんだからいいでしょ? もう飲み終わっちゃったし、ほら」

「それに! まだうがいもしてないし、手も洗ってないっ! 外から帰ったら必ずしなきゃいけないのに!」

「子供か、恵利は……」

「言われなきゃやらない雛菊ちゃんの方が子供ですぅ〜っ!」

「はいはい、さようでございますか〜っと」

 紙パックをバラしつつ、ついでに手を洗ってうがいも済ませる雛菊を見て、恵利の表情は一層硬くなった。

「洗面所でやりなさい!」

「どこでやっても同じでしょ? もう……ホントに煩いんだから……」

「そういうズボラな所、お父さんそっくり……お母さんの苦労がよく解るわ」

 疲れたように首を振りながら言う恵利の言い方にカチンと来たのか、雛菊も若干ムっとした顔になった。

「わたしは方向音痴じゃないし、髪だって毎日ちゃんとお手入れしてるぞ……」

「それでも生活態度の端々に、お父さんの片鱗が見え隠れしてるもん……」

「あんな朴念仁と一緒にしないでくれる?」

「朴念仁とは何よ、お父さんに向かって……大体、雛菊ちゃんはねえ」

 絡み合う二人の視線が火花を散らすと、

「こら、お前達は何をモメてるんだ」

 ちょっと笑いの混じった声が背後から聞こえた。

 その声に振り返ると、そこには二人の女性が大荷物を抱えて立っていた。

 ポニーテールの女性は小さな身体に見合わず、なかなか力があるようで、ショートカットの女性よりも大きな荷物を持っているのに涼しい顔をしている。

 一方、ショートカットの女性はと言うと、こちらはテーブルに荷物を置きつつ、雛菊を軽く睨んでいる。

「雛菊、また何か悪さでもしたのか?」

「ち、違うわよ! 人聞きの悪い事言わないでよ、お母さん。 わたし、今まで悪さなんてした事無いじゃない」

「そうだったっけ〜? 色々しでかしたような気がするんだけどなぁ〜……?」

「う……」

 ショートカットの女性に言われ、雛菊は言葉に詰まってしまった。 きっと、過去に何かやらかした事があるのだろう。

 そのやり取りを見て、ポニーテールの女性はクスクスと笑いながら、

「恵利、まだ荷物があるから運んでくれる? すぐに下ごしらえをしなきゃならないから、後でそっちもお願いね」

 と、優しげな顔で言った。

「それよりお母さん、聞いてよ! 雛菊ちゃんったらね、お父さんの事を……」

「あー! 告げ口なんて卑怯だぞ、恵利!」

「告げ口じゃないもん。 報告だもん」

「あ〜、煩い!」

 ショートカットの女性は、バン! とテーブルを叩くと、二人を一喝した。

「恵利! あんたは、今、お母さんに頼まれた事をすぐにやりなさい! 話しはその後!」

「は、はい!」

「雛菊! あんたも手伝う! 外に美浜さんの車が停まってるから、恵利と一緒にトランクから荷物を出して来て。 たくさんあるんだから」

「えぇ〜……重労働はやだなぁ……」

「じゃあ、恵利のお母さんのお手伝いする? そっちの方が重労働だと思うけど?」

「え、恵利の……?」

 恵利の母親は、普段はとても優しくて大人しい。

 だが、一度キッチンに入って作業を始めたら、その性格は地獄の鬼も裸足で逃げ出すような物に変わる。

 聞いた話によると、それは恵利達と同じ年頃の頃から少しも変わっておらず、優磨、春日、雛菊それぞれの母親も学生時代にそれを体験したそうだが、最後まで耐え抜いた者は一人もいないとか……。

「が、頑張って運んで来ま〜す! 恵利、行くよ!」

「う、うん!」

 ドタドタと廊下を駆け出す二人を見送ると、ショートカットの女性は小さく溜息を吐いた。

「まったくもう……あの二人は仲がいいんだか悪いんだか……」

「二人は仲良しだよ。 昔のわたし達みたいにね」

「あら、仲が良かったのは昔だけ?」

 ショートカットの女性が言うと、

「訂正します。 ……今も、だね」

 と、ポニーテールの女性は楽しそうに笑った。

「うむ、よろしい。 さ、わたし達も準備しちゃおう。 今夜は宴会だからね、また騒がしくなるよ、きっと」

「究極宴会芸……今夜も出るかな?」

「覚悟だけはしとこうか? ホント、そんな物にばっかり磨きをかけてるんだもんねぇ……」

「優美ちゃんの前でだけは、やらせないようにしないとね」

「その時は、わたしとお母様で食い止めて見せるわ!」

「あはは。 頼りにしてるよ、利恵ちゃん」

「任されて、ヒナちゃん」


 時間は、ただ進むだけで、決して過去に戻りはしない。

 けれど、時に時間は、信じられない程の鮮やかさで昔を映し出しもする。


 そして、思いは時間に左右される事無く、いつまでも色褪せない輝きを見せ続ける。


 春の風に乗って……。



 〜永遠の追憶〜 alternative

    『春の風に乗って』

       Fin

ご愛読ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ