ファイター
「白! 明光道場、高梨利恵さん!」
「はいっ!」
天井から強い照明の光が、立ち上がった利恵を照らす。
試合場へ上がった利恵が開始線へと歩を進めると、観客席からは大きな歓声が上がった。
「す……すげえな、高梨への声援」
声を出そうとした真一郎だったが、会場全体を包むあまりの熱気に、声援を送るタイミングを逃してしまった。
「そりゃあそうだろ、ここまで全部ストレート勝ちだからな。 注目浴びねえ方がどうかしてるぜ」
「利恵ちゃんて、凄く強いんだね〜……」
雛子は目を丸くして、戦いの舞台に上がる利恵を見ていた。
涼や真一郎が利恵を怖がる理由が、これで何となく解ったような気がする。
まあ、それだけが理由でもないのだろうけど……。
「赤! 蓬莱道場、笙内洋子 (しょうないようこ) さん!」
「はいっ!」
対戦相手の選手にも、利恵に勝るとも劣らない声援が飛んだ。
と同時に、
「行けーっ! 洋子! いてもたれーっ!」
「洋子! 負けたら晩御飯抜きねっ!」
関西弁と、もう一人は中国系の訛りが混じった女の子が、利恵の対戦相手に声援を送った。
拡声器を使っているのか、その声は会場の大声援にも全然負けていない。
ただ、その拡声器らしき物は、利恵が今までに見た事の無い形をしていた。
「面白い応援団ね、笙内さん」
「はは……悪い子達じゃないんだけど、ちょ〜っと煩いのが玉に瑕なのよ。 あんまり気にしないでね」
「まあ、わたしの友達も似たようなもんだから」
「そうなの? お互い苦労するわね」
「コホン!」
何やら世間話のような会話が交わされる中、主審の咳払いで、二人は開始線に立っている事を思い出した。
何とも呑気な二人である。
「二人とも、私語は慎みなさい。 ……始めっ!」
主審の合図とともに、利恵と洋子は一旦相手との距離をとった。
身長は双方ほぼ同じくらい、リーチやコンパスも同様だろう。
お互いの実力は、今までの戦いを見て大体の予測はつけた。
だが……。
(笙内さん、あんまり大技は出さないみたいだけど、何か隠し球があるかも……。 用心した方がいいかな?)
(高梨さんか……ここまでオールストレート勝ちしてるんだから、相当な腕前って事よね。 ここは様子を見て……)
互いに構えを取りつつ、相手の出方を窺っている。 どんな技があるのか判らない内は、不用意に飛び込むのは危険だ。
だが……。
(お見合いしてても仕方ないか。 そういうのは、わたしの性に合わないもんね……よし、行けっ!)
相手が様子を見ようとしているのを感じ取った利恵は、先制攻撃を仕掛けた。
「せいやぁっ!」
利恵の右回し蹴りが、洋子の側頭部めがけて飛んで行く。
「くっ! 何の……でやぁっ!」
利恵のスピードの乗った蹴りを寸でのところでブロックすると、洋子も負けじと右の蹴りを返した。
その蹴りを、利恵はスウェーバックで間一髪かわす。 最初の一撃は双方互角だ。
(くうぅ〜……! ブロックした腕がジンジンしてる……まともに食らったらアウトだわ!)
いくら防具を着けているとは言え、ここまでの蹴りを食らえば確実に一本取られるどころか、下手をすれば病院送りだ。
洋子はガードを固め、利恵の動きを目で追い始めた。
(速い! あの蹴りは曲者ね、崩れた体勢からでも確実に当てて来る……油断したら負ける!)
確実に決められない限り、大技は控えなければならない。 フェイントも通じ難そうだ……利恵は、そう判断した。
「空手の大会だあ!?」
いつもの通り、自室で休日をダラダラと過ごしていた涼は、椅子を半回転させると、驚いた顔をして利恵に向かって言った。
中学二年も終わりに近付き、受験に向けての準備を始めた頃、殆ど日課になった宇佐奈家への襲撃をかけた利恵は、涼がビックリする顔を見てもニコニコしている。
まあ、利恵が涼を驚かすなど毎度の事だし、むしろこれを楽しんでいるフシもあるのだ。
「お前がやってんのは少林寺拳法だろ? 空手の大会なんて出られんのか?」
「それが出られるんだな〜。 実は、師範代の友達の道場なんだけど、この間、合宿中に集団食中毒になっちゃって、出場選手が足りないんだって」
「それでお鉢が回って来たってか?」
「うん、その試合の時だけ、そこの道場所属って事にしてね。 わたしも一度、空手の人とやってみたかったしさ、いい機会だからOKしちゃった」
利恵はバッグからチラシのような紙を取り出すと、隣に胡坐をかいて座り直した涼に手渡した。
他人事のように笑いながら言う利恵を、困ったような目で見た後、紙に視線を落とした涼は、
「……おい、ここにフルコンタクト制って書いてあるぞ?」
と、再び利恵を見やった。
フルコンタクトとは、つまり寸止めではなく、直接加撃。 文字通り、相手に打撃を加えるという事である。
「大丈夫大丈夫、ちゃんとグローブと防具は着けるから」
「けどなあ……」
「……心配? 出ちゃ駄目?」
「う〜ん……でも、OKしちまったんだろ? しょうがねえよ」
渋々利恵の出場を認めた涼だが、その顔は不満気だ。 防具を着けたって気絶するくらいの事があるのを、涼も知っている。
いくらルールがあるといっても喧嘩とは違い、相手も稽古を積んだ専門家である。 その攻撃は素人とは雲泥の差があるだろう。
それを考えると、やはり軽く 「頑張れ」 とは言い難いのだ。
そんな涼の後ろに回りこむと、利恵は背後から抱き付き、
「身体に傷が付いたら、嫌いになっちゃう?」
と、耳元で囁いた。
「アホ。 下らねえ事言ってんじゃねえ」
「応援……来てくれる?」
「ああ、行ってやるよ。 ……気が向いたらな」
「えへ。 ありがと、涼」
「せいっ!」
「はあぁっ!」
どちらも有効打の決まらないまま、時間だけが過ぎて行く。
このまま行くと、延長戦に突入する事になるだろう。
(高梨さんの技、空手と違うわ……むしろ、あたしに近い!)
利恵の攻撃を避けながら、洋子は考えていた。
空手の大会だという事で、相手は当然、空手を使う者だとばかり思っていたが、蹴りも突きも、空手のそれとは何かが違う。
(クッ! 予想してない所から攻撃が来る……これ、空手じゃないわ!)
利恵も同様の事を考えていた。
道場での稽古で空手対策を練ったというのに、相手の技はことごとく、その予想に反している。
(少林寺拳法……間違い無い! これは少林寺拳法だわ!)
二人ともに攻めあぐね、互いに牽制するような打突が多くなった。 それだけ、お互いの実力が伯仲しているという事だろう。
主審から指導が入り、双方共にポイントを失うと、客席からは一層大きな声援が飛んだ。
「ん〜? なんかおかしいね」
試合の成り行きを見守っていた中国訛りの女の子は、肉まんをモグモグと食べながら怪訝そうな顔をしている。
隣に座る関西弁の女の子にも勧めているようだが、こちらは手を出そうともしない。
「何がいな、何ぞおかしなトコでもある? 二人とも、ようやってるやん」
「洋子の相手の技、空手と違うね」
「ほなら洋子と同じやん。 何や? 功夫か?」
「多分、少林寺拳法ね。 しかも、色々アレンジを加えてる……面白いね」
中国訛りの女の子の、肉まんを頬張る口の端が微かに上がった。 と同時に、試合場を見つめる目が鋭く光った。
「互角か……相手の子、強いな」
涼は試合場を見つめながら、冷静に言った。
だが、その手は固く握られており、涼も緊張しているのが判る。
「くわぁぁ〜……なんかこう、手に汗握るって感じだな……。 高梨ーっ! 気合入れろーっ!」
「利恵ちゃん、頑張れーっ!」
他の歓声に掻き消され、雛子達の声は利恵に届かなかったが、三人が自分を見ている事を、利恵は感じていた。
お陰で利恵は冷静さを失わずにいられる……焦りは無い。
(ヒナちゃん達に、みっともないところは見せられないわ……これで決めてやるっ!)
利恵の足が風を切った。
(……! 左前一字構えからの蹴り!? 天地拳第四系!)
利恵の構えから出される技を一瞬で見切り、洋子はすぐさま防御体勢に入った。
どうやら洋子は、少林寺拳法の型を熟知しているようだ。
「咬龍脚散水撃 (かりゅうきゃくさんすいげき) !」
利恵は、跳躍と共に連続した蹴り技を放った。
「くぅぅっ!」
咄嗟に反応した洋子は、見事に三連続の蹴りをブロックする。
確かに跳躍の分の破壊力はあるが、今度の蹴りは連続で出している分、最初の蹴りよりは一発の威力が低い。
(これなら着地した後に隙が出来る……その時が勝負!)
洋子の目は、利恵の足が下に着く瞬間を計っている。
その時こそ、自分が攻勢に転じる時だ……!
(着地する! 半身の体勢……なら、次は手刀っ!)
バリエーションに多少の違いはあっても、攻撃の段取りは決まっている事が多い。
一撃で決めるつもりが無ければ、蹴りはその殆どがフェイント。 もしくは、次の攻撃に繋げる為の伏線である。
洋子は利恵の連続攻撃を伏線、次の攻撃は手刀による物だと読み、それに合わせた攻撃を繰り出す体勢に移行する。
一撃で勝負をつけようというのだ。
だが……。
「ていっ!」
「えっ!?」
着地する寸前に両手を着いた利恵は、そのまま足を着ける事無く、洋子の予想に反して更に蹴り技を飛ばした。
カウンターを狙っていた洋子は、再び防御の体勢に入る。
(オリジナル!? ここまで連続した蹴り技なんて……しかも両手を着いての蹴りなんて、カポエラじゃあるまいし!)
何とか利恵の四発目の蹴りもブロックした洋子は、すかさず反撃に転じようと、交差させた腕を解いた。
利恵は技を出した直後で構えがとれていない。 決めるならここだ!
(体勢を立て直す暇なんて与えないわ! 次の技を出す前に決めてやるっ!)
一気に間合いを詰めた洋子は、がら空き状態の利恵の顔面めがけて正拳突きを……。
「おっと、甘いぞ! この技にはオマケもあるのだっ!」
「嘘っ!?」
利恵は手を着いた低い体勢のまま、洋子の足めがけて正面からのローキックを放った。
攻撃に転じようとして重心を預けていた洋子の足に、まともに利恵の蹴りが決まった。
(やられた……っ!)
防御する間も無く利恵の蹴りを食らった洋子は、たまらずその場に倒れ込んだ。
すかさず跳ね起きた利恵は、倒れた洋子に向かって、とどめの一撃を叩き込む。
……と言っても、その拳は当たる寸前で止められ、再び利恵の脇に収まった。
「やめっ! 白一本! それまでっ!」
「へへ〜、優勝しちゃったぁ〜。 ねえねえ、ヒナちゃん、わたしって凄い?」
「凄い凄い! 利恵ちゃんすごぉ〜い!」
「さすが高梨……御見それしました!」
「う〜ん、気持ちいい〜。 二人とも、もっと言って」
表彰式を終えて着替えた利恵は、涼達との待ち合わせ場所でトロフィーと賞状を持ち、嬉しそうにしている。
思い切りやれた事への満足感と、三人の前で格好良く決められた事。 そして、何といっても優勝だ。 利恵でなくても浮かれてしまうだろう。
「見てるこっちはヒヤヒヤもんだったけどな」
「あれあれぇ〜? 涼はわたしが負けると思ってたの?」
「そうじゃなくてよ。 その……何て言うかさ……」
「『お前の身が心配だったんだぁ〜っ!』 って言わないのぉ?」
涼の前に回りこむと、利恵はニヤニヤとしながら言った。
「……今ので言いたくなくなった」
「何でよっ!」
「高梨さん、おめでとう」
利恵と涼が乳繰り合っている所へ、対戦相手だった洋子と、先程、観客席で騒いでいた友達であろう二人が近付いて来た。
「参ったわ。 まさか五連続の蹴り技で来るなんて思わなかった」
洋子が右手を差し出すと、利恵もそれに応え、互いに握手を交わした。
試合の最中だけなのかと利恵は思っていたのだが、どうやら洋子は普段から髪を結い上げているようで、雛子とはちょっと違った形のポニーテールだ。
「あれって、高梨さんのオリジナルでしょ?」
「うん。 わたし、足を使った技の方が得意だから」
「足癖悪いからね〜、こいつ」
言った途端に、真一郎の尻に利恵の蹴りが炸裂した。
「いってえぇーっ! お前! 今、加減しなかったなぁっ!?」
「おほほほほ。 チャンプの蹴りをもらえるなんて嬉しいでしょ?」
「んな訳あるかっ!」
その様子を呆気に取られて見ている洋子に気付くと、利恵は少し慌てたように、
「あ、ごめんね、笙内さん。 これ、わたしのペット。 ちょっと躾が行き届いてなくて……恥ずかしいわ」
「誰がペットだっ! しかも、これって何だ、これって! ……コホン。 どうも、掃部関真一郎です」
「この子はヒナちゃん。 わたしの愛人」
「あ、あのね……佐伯雛子です、どうぞよろしく」
「で、この人はわたしのダ〜リン」
「……宇佐奈涼です、よろしく」
「は、はあ……笙内洋子です。 こちらこそ、よろしく……」
困惑しつつ頭を下げた涼と雛子に、洋子も同じように頭を下げた。
何とも問題の多い紹介ではあったが、少なくともこの四人の仲が良い事は解った。
「次は、わたしが挑戦するね!」
ズイ! と洋子を押しのけて、細身の女の子が利恵の前に出た。
肉まんを頬張っていた、中国訛りの子だ。
もみ上げに当たる部分の髪を三つ編みにして垂らしているのが特徴的だなと利恵は思った。
「楊光 (やん くわん) 。 勁 (けい) を使うね」
「勁? ……中国拳法かな?」
「詳しい事は知らないね。 わたし、お祖父ちゃんに色々習っただけ。 技の名前も自分で付けた」
「……何で?」
「一口に中国拳法言うても、ジャンルは色々なんやて。 詳細の殆どは誰も知らんらしいで?」
洋子の隣で、ちょっと目つきのキツイ女の子が言った。
こちらは利恵と同じくらいのショートカットだが、その身長は三人の中で一番小さい。 雛子と同じくらいだろうか?
だが、利恵が注目したのはそれよりも、彼女が白衣姿だという事だろう。
「えっと……?」
「ウチは門奈加寿美 (もんな かずみ) 。 未来のノーベル化学賞受賞者や、今から崇め奉っとき!」
「はあ……それはどうも」
「ご、ごめんね、高梨さん。 この子、ちょっと妄想癖があって……」
「こら、洋子! 人をアホの子みたいに言うなっ!」
何とも騒々しい人達だな……と利恵は思った。
もっとも、普段の自分達も彼女達と大差無いのだが。
「高梨さん、いつか、またあなたとやってみたいわ」
「そうね、わたしもよ」
「それじゃ、また。 加寿美、光、行くよ」
洋子達三人は、まだ何やら言い合いをしながらその場を去って行った。
いつかまた……けれど、それはそう遠くない内に実現しそうな気がした。
利恵も洋子も、互いに手の内の全てを見せた訳ではない。 今日の試合だけで満足はしていないのだ。
「おい利恵、再戦の約束なんかしちまっていいのか? お前と彼女じゃ、同じ大会に出るチャンスなんて無いだろ」
「大丈夫よ。 彼女、空手使いじゃないから」
「へ? じゃあ何だ?」
「多分、わたしと同じよ」
「……成る程」
道理で、利恵の技の殆どを捌ける訳だと涼は思った。
しかし、それにしたって、相当な強さである事に間違い無い。
「笙内洋子さんか……楽しみだわ」
その後、利恵と洋子は親しくなるのだが、それはまた別のストーリーでの事である。