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恋の予感

第一部第一章の直前のお話です。

 二月。

 卒業を間近に控えたこの時期、誰もが新しい生活に不安と期待を抱いている頃……。

 だがここに、そんな事を全く感じていない男がいた。

「う〜ん……今日はハズレかなぁ」

 真一郎は今日何度目かの空振りを食らうと、また新たなターゲットを求めて街をうろつき始めた。

 やがて広い交差点に差し掛かると、赤信号を待ちながら腕組みをして考え始めた。

「誰でもいいって訳じゃないんだよ。 そう! こう……何て言うか、俺のソウルを熱くさせてくれるような、そんな出会いが欲しいんだよな〜……」

 一人ブツブツ呟く真一郎を、周囲の人間は怪訝な顔をして遠巻きに見ている。

 その一団の中に、真一郎とは別の意味で他人の目を引く少女がいた。

 スラリとした長身に見劣りしない程の、輝くような長い黒髪。

 その身を包んでいる服も、その辺で売っているような物とは全然違うと見た目で判るくらいだ。

(……何ですの? あの男は)

 少しキツい目をした少女は、少し離れた場所から真一郎を観察するようにして見ていた。

 何人もの女性に声をかけ、その都度項垂れているその姿は、何やら変な動物を少女に連想させた。

(ナンパしているにしては、少々押しが弱いようですし……)

 不思議な男だと思った。

 しつこく食い下がるでもなく、ただ一言二言、言葉を投げかけ、相手が断りの様子を見せると笑って手を振り、離れてしまう。

(アンケート調査……という訳でも無さそうですわね)

 暫くそうして見ていると、突然振り返った真一郎とシッカリ目が合ってしまった。

 真一郎は途端に笑顔になると、少女に向かって足取りも軽く近付いた。

「こんちわ! お一人ですか?」

「私が二人以上に見えるなら眼科へお行きなさい。 ……貴方の場合は脳外科ですかしら?」

「両眼一・五です! 素敵な女性が一名クッキリと見えます! 思考力も判断力も正常であります! 身体にも精神にも問題ありませんです!」

「そう、それは良かったですわね。 ……では、失礼」

 信号が変わり、それを待っていた人の波が動き始めると、少女もそれと共に歩き出す。

 真一郎がその後に続いて歩き出して暫くすると、

「私を尾行するおつもりかしら?」

 少女は真っ直ぐ前を見たまま、真一郎を振り返りもせずに問いかけた。

 そこには怯えや警戒心といった類の感情は無かったが、一切を寄せ付けない凛とした強さがあった。

 だが、当の真一郎はそれを感じないのか、はたまた全然気にしていないのか、

「そんな事しませんよ。 俺も信号が変わるのを待ってたんですから」

 と、いつもの調子で、ごく普通に返した。

「……そう」

 言われてみれば確かにそうだ。

 少女はそれ以上何も言わず、黙って歩き続けた。

 ところが、道路を横断して暫く歩き、右に曲がっても左に折れても、真一郎は依然そのまま後を付いて来る。

 付いてくるなと言ったところで、きっとさっきと同じように、自分もこっちへ行くつもりなのだと答えるだろう。

 そう考えた少女は、

「貴方……どこまで付いて来るおつもり?」

 先程と同じように振り返る事無く、前を見据えたまま歩きながら言った。

「付いて来いと言われるなら、どこまでもお供しますよ」

「言いません」

「残念、言って欲しかったのに……」

「丁度、道が分かれていますわね。 貴方はどちらに進みます?」

 恐らく真一郎が言う道と、別の方へ進むつもりなのだろう。

 少女は真一郎の答えを待った。

「おお……早くも人生の分かれ道に差し掛かってしまった! 生まれて初めての試練だ……」

「随分と楽な生き方をしてらしたのね……。 さあ、どちらにします?」

「右にします」

「では、私は左ですので。 さようなら」

 少女はスタスタと左の道を歩いて行ってしまった。

「あらら〜……。 人生で最初の挫折だ……」

 背後で聞こえた真一郎の声に、少女は小さく笑った。

 少女はそのまま歩を進めたが、それきり真一郎は付いては来なかった。

 どうやら本当に右の道を進んで行ったようだ。

「面白い方ね……」

 少女は立ち止まって振り返り、もう一度クスリと笑った。




「な、泣きが入りそうだ……」

 あれから、もう何度女の子に声をかけたろう……。

 しかし、誰一人として、真一郎の言葉に耳を貸す女の子はいなかった。

「何故だっ!? いつもは、もうとっくにお茶くらい飲んでるのにっ! 今日に限って誰も乗って来てくれないってのは、どういう訳なんだ!?」

 真一郎は疲れ果て、自動販売機で缶コーヒーを買うと、すぐ傍にあった公園に入り、ベンチに腰掛けて一口飲んだ。

 今日は少し冷え込んでいるせいか、広い公園の中には子供が数人遊んでいるだけで、他には人の姿も無かった。

「ハァ〜……虚しい」

 胸ポケットから煙草を取り出し、火を点けて一息吸い込むと、吐き出した煙が青い空に吸い込まれるように消えて行く……。

「空はこんなに青いのに……俺様の心はグレーだぜ……」

 空を見上げながら落ち込む真一郎の足に、ポンとサッカーボールがぶつかった。


「とんだ回り道になってしまいましたわ。 時間に余裕があったから良かったようなものの……」

 本当は、さっきの道を右に行く筈だった。

 しかし、ずっとついて来られても困るし、第一気味が悪い。

 いくら相手が悪人では無さそうでも、昨今、物騒な事件には事欠かないのだから。

 ましてや自分は……。

「気まぐれを起こして車を使わなかったのは失敗でしたわね。 時には歩く事も大事だと言われて、その気になったのが運の尽きでしたわ……」

 変に遠慮せず自分に意見してくれる友人の言葉に従ってはみたものの、やはり慣れない事はするものではないなと少女は思っていた。

「すっげー! お兄ちゃん、サッカーの選手みたいだ!」

「そうか? じゃあ、こんなリフティングはどうだ! アウッアウッ!」

「あははは! それじゃアシカだよ!」

 少女が次の場所へ向かう為、駅に向かって歩いていると、どこからか子供達の楽しそうにはしゃぐ声が聞こえて来た。

「私は、あんな風に騒いだ事がありませんわね。 子供らしい事をした記憶も……」

 何気なく声のする方に目をやると、公園で子供達の中心になって遊んでいる真一郎が目に入った。

「あの方、先程の……」

 小さな子供達の中に入ると、身体の大きな真一郎は更に目立つ。

 けれど、そこには自然な空気だけがあって、何故か暖かい物を感じさせた。

 少女の足は、自然に公園へと向かっていた。

「いいか? 男の子ってのはな、いっつでも正義の味方じゃなくちゃダメなんだぞ?」

「なんでぇ〜?」

「その方がカッコいいからだぁ!」

 真一郎は器用にサッカーボールをリフティングしながら、子供達に自分の理念を教え込んでいる。

「じゃあ、おさらいだ! 困ってる人がいたら?」

「助ける〜!」

「泣いてる人がいたら?」

「笑わせる〜!」

「男の子は?」

「強い、正義の味方になる〜!」

「女の子は?」

「あったかくて、優しい人になる〜!」

 子供達は真一郎の問い掛けに、一斉に声を揃えている。

 きっと成長するにつれて忘れてしまうのだろうが、今この瞬間だけは、その言葉に忠実に生きる事だろう。

「じゃあ最後! ご挨拶は?」

「いつでも元気いっぱいにっ!」

「おっけーぃ! ……おっと」

 真一郎がボールを後ろに逸らせてしまった。

 テンテンとボールが転がった先に、あの少女が立っている。

「あ、すんません! ボール、こっちに蹴り返してくれますか?」

「……え?」

 少女は自分の足元まで転がって来たボールに視線を落とし、少し困ったような表情を浮かべた。

「で、でも、私そんな事……」

 やった事が無いので出来ないと言おうとしたが、

「お姉ちゃん! 早く〜!」

「ボール、ボール!」

 子供達は、しきりにボールを蹴ってよこせとせがむ。

 少女は、どうしたものかと考え込んでいたが、やがて意を決したように……。

「そ、それじゃあ、行きますわよ……エイッ!」

 だが、その右足は虚しく空を蹴り、ボールはその場に残ったままだ。

 途端に少女は顔を真っ赤にして、ボールを睨んだ。

「……たかがボールの分際で、この私に恥をかかせるなんて!」

「あのぉ……」

 少女がもう一度ボールを蹴ろうと身構えると、真一郎が申し訳無さそうに声をかけた。

「何ですの? 私、これから……」

 少女が顔を上げて真一郎を見ると、その顔の真ん中に見慣れた靴が張り付いていて……やがてポトリと地面に落ちた。

「あ……」

「ナイスシュートです……」

 子供達の笑い声が辺りに響き、少女の顔が更に赤くなった……。




「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ばいばーい!」

「また、遊ぼうねーっ!」

「おう! 気を付けて帰れよーっ! 道路に飛び出すんじゃねえぞーっ!」

 真一郎と少女は笑顔で手を振り返し、子供達を見送った。

 子供達が帰ってしまうと、公園は嘘のように静かになった。

「……どうして避けなかったんです?」

「え? ああ、さっきの靴の事ですか?」

 真一郎はベンチに腰掛けると、パッパッと埃を払い、少女に隣に座るよう勧めた。

 少女は小さく頷くと、黙ってそこへ腰を降ろした。

「絶対にウケると思いましたからね。 こんな展開は、そうそうありませんし」

「……それだけですの?」

「他に何かありますか?」

「そのせいで怪我をしたとか、恥をかかせたとか言って……」

 その後、少女は言葉を濁したが、まあ早い話し、因縁を付けるという事だろう。

 言ってしまってから、さすがにそれは言い過ぎたかと、少女が少し申し訳なさそうな顔をすると、

「あはははは! そ〜んな下らない事しませんよ、せっかく笑いが取れるチャンスなのに」

 気を悪くした様子も無く、真一郎は大きな声で笑った。

 これが普段のままの真一郎なのだが、それを知らない少女は、やはり不思議な生き物でも見るような目をしている。

「笑いを……取る?」

「人を笑わせられるって事ですよ」

 真一郎はニコニコしながらそう言った。

 無邪気な、とても素直な笑顔だった。

「そう言えば、あれからナンパは成功しまして?」

「いいえ、全然……サッパリです」

 急に真一郎の顔が情けない物に変わると、そのあまりの変わり様に、少女はクスクスと笑い出した。

 何ともおかしな男だ。

 いい加減なのか真面目なのか、軟派なのか硬派なのか……。

 或いは、そのどれにも当て嵌まらないような気もする。

 だが、少なくとも嘘吐きではないようだし、子供達と遊んでいた様子をみても、悪人ではないようだ。

「失礼……本当にガッカリなさってるのね」

「いえ、構いませんよ。 人の笑顔を見るのは好きですから」

「他人に笑われるのがお好きですの?」

「う〜ん……その辺は微妙ですけど。 でも、険悪な雰囲気になるよりは、そっちのほうがマシってところですかね?」

 正直……と言えるのだろうか?

 初対面の人間から言われた事に対して真剣に受け答えしている真一郎を見て、少女は不思議な気持ちを感じた。

「……私でよろしければ、お誘いをお受けしても良くてよ?」

「え?」

 真一郎は一瞬、キョトンとした顔で少女を見つめた。

「あら、私ではご不満かしら?」

「そそそそそそんな! 滅相も無いっ!」

 両手と首をブンブン振りながら慌ててベンチから立ち上がると、真一郎は再び笑顔になった。

 そして、ビシ! っと気を付けの姿勢で真面目な顔になると、

「えっと……これから、お時間ありますか? もしよろしければ、僕と一緒に午後の一時を過ごして頂けませんでしょうか?」

 と言いながら右腕を自分の前に回し、腰を四十五度に折り曲げた。

「そうですわね……三十分程でよろしければ」

「では、美味しいコーヒーのお店にご案内致します」

「良くてよ」

 少女は静かにベンチから立ち上がった。

 その顔には午前中とは違って、優しげな微笑が浮かんでいる。

「あ! 自己紹介がまだでしたね。 俺、掃部関真一郎と言います!」

「一之瀬美奈です」


 翌週の日曜日。

 二人は、初めてのデートをする事になる……。

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