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家族の肖像

 夕暮れの公園の砂場の近くで、小さな女の子が座り込んで泣いている。

 どうやら転んでしまったらしく、膝を擦りむいてしまったようだ。

「泣くなっ! 泣いたって痛いのは治んないんだから!」

「だって、痛いんだもん……」

「こんなもん、ツバでもつけときゃすぐ治るよ」

 男の子が自分の指を舐め、女の子の膝へつけようとすると、

「汚いよぉっ! そんな事したら、余計に痛くなっちゃうもん!」

 女の子は必死に身体を捩り、涙を一杯溜めた瞳のまま、男の子に精一杯の抗議をした。

「何だよ、人をバイキンみたいに言いやがって……もう知らねえからな! いつまでもそこで一人で泣いてろっ!」

 そう言うと、ボサボサ頭の男の子は女の子に背を向けて、さっさと公園の出口に向かって歩き始めた。

 男の子にしてみれば好意でした事なのに、それを思い切り拒絶された事で腹が立ったのだろう。

 だが、女の子にしてみれば、やはり傷を触られるのは痛くて嫌だし、男のこの手が汚れていた事もあって拒否してしまったのだろう。

 決して男の子の事を嫌いで拒絶した訳では無いのだが、それはまだ経験不足な小さな子供には感じ取る術が無いのである。

「あ! たもちゃん、待ってよぉ! 置いて行かないででよぉ〜……あっ!」

 女の子はベソをかきながらも立ち上がり、痛む足を必死に動かして男の子の後を追った。

 だが、誰かが掘ったのだろう、地面のくぼみに足を取られて、女の子は派手に転んでしまった。

 先程擦りむいた膝小僧を強かに地面に打ちつけた女の子は……。

「う……う……うわあぁぁぁ〜ん!」

「ったく……何やってんだよ、お前は。 ドンくさいな」

「わあぁぁーん! たもちゃんがイジメたあぁぁーっ!」

「あーうるせえっ! お前が勝手にコケたんだろうがっ!」

 女の子に文句を言いつつも、男の子は女の子の傍に歩み寄って手を引いて立たせると、服の汚れをパタパタと叩いてあげた。

 何だかんだ言っていても、やはり泣いている幼馴染を放っておく事など出来ないのだ。

「いちいちビャービャー泣くんじゃねえよ。 うるせえな」

「だってぇぇぇ〜……ホントに痛いんだもぉん……」

 しゃくり上げながら言うと、女の子は男の子の顔をジっと見つめた。

「な……何だよ、オンブはしねえからなっ!」

「恭ちゃんだったら、オンブしてくれるのに……」

「……だったら恭一と遊べよ!」

 男の子はプイと背中を向けると、今度は振り向かずに公園を出て行ってしまった。


 それきり、男の子は女の子と遊ばなくなった。

 何度女の子が誘いをかけても、他の男の子の友達と一緒に、女の子が追い付けない速さで走って行ってしまう。

 それ以来、女の子は独り寂しく公園のブランコに揺られている事が多くなった。



「俺は可哀相だと思うんだけどなぁ……保は、そう思わないのか?」

 サラサラした髪をかき上げる仕草をして、少年が言った。

 いや、単に少年と言うより、美少年という形容がピッタリだろう。

 色白で、どこか色気すら感じさせるその少年は、テーブルを挟んで座っているボサボサ頭の少年をジっと見据えている。

「だったら恭一が遊んでやればいいだろ? 環も恭一の方がお気に入りみたいだしさ」

 面白く無さそうに言う保の顔を見て、恭一はクスクスと小さく笑った。

「俺はクラスの女の子と遊ぶので忙しいんだ。 ……ところで、この家は客に飲み物も出さないのか?」

「……今出すよ」

 保は冷蔵庫を開けてペットボトルのジュースを取り出すと、恭一の前に 『ドン!』 と置いた。

 どうせそう言うだろうと思って居間には通さず、ダイニングで話しを始めて正解だった。

「コップは?」

「俺の家は喫茶店じゃねえっ! そのまま飲めっ!」

 自分もジュースをラッパ飲みながら、保は不貞腐れたように言った。

 恭一に言われるまでもなく、ちょっと環が可哀想かな? と思ってはいたのだ。

 だが、それを素直に認めるには、小学二年の保は幼過ぎた。

「環は保と遊びたいんだってさ」

「やだよ……。 俺、いっつも環がくっつ付いて来るから、野球もサッカーも全然出来なかったんだぞ? クラスの奴にも、たくさんからかわれたしさ……」

 まあ、からかって来た相手は全員殴り飛ばした訳だが……。

「女の友達だっているんだから、そいつらと遊べばいいんだよ。 男と女じゃ遊び方も違うんだし」

「でもさ、アイツだって、お前にくっ付いてばっかりだったから、あんまり友達いないみたいだぞ?」

「そ、そんなの……」

「そりゃ環の勝手だけどさ。 一人って、つまんないだろうな〜……なんて思わないか?」

「で、でも、アイツすぐ泣くんだぞ!? お前だって困ってたじゃねえかよ!」

 保は同意を求めたが、恭一はヤレヤレといった感じで肩を竦めるだけで、保の意見に賛同する様子は無かった。

「じゃあ、どうすりゃ、お前は環と遊んでやるんだ?」

「どうすりゃって……ま、まあ、俺と同じくらい野球とかサッカーが出来て、すぐに泣かなきゃ……」

「無茶言うなあ、保は。 環は女の子だぜ?」

「……」

 言われるまでもなく、環が女の子だという事は、保にだって充分解っている。

 保が全力で走れば環は絶対に追い付けないし、水切りだって保の方が上手い。

 逆上がりも保の方が先に出来るようになったし、水泳だって保の方が早いし、たくさん泳げるのだ。

 それを同じようにやれと言っても、今の環には絶対に無理だろう。

「……じゃあ、俺は帰るよ」

「え? もう帰るのか?」

「女の子達と遊ぶ約束があるんだ」

「あ、そ……」

 恭一は残っているジュースを一息に飲み干すと、椅子からピョンと飛び降り、玄関へと駆けて行った。

「俺が悪いのかな……?」

 保は自分のジュースを見ながら暫く考え込んでいた。


 一方、外へ出た恭一は、電柱の陰に隠れるように立っている女の子に声をかけた。

「あ、恭ちゃん……たもちゃん、何て言ってた?」

「一緒に野球とかサッカーが出来るようになれ。 すぐに泣かない、強い子になれ。 ……だってさ」

「……そしたら、たもちゃん、遊んでくれるの?」

「多分ね」

「よ〜っし、わたし頑張るっ! 恭ちゃん、色々教えてね!」

「いいけど……俺は女の子らしいのがいいんだけどなぁ……」

 しかし恭一は、せっかく頑張ろうとしている環の決意に、それ以上の事は言えなかった。


 そして……。


「恭一……お前、環に余計な事言ったろ?」

「俺は、お前の気持ちをそのまま伝えただけだ」

「何だよ、俺の気持ちって!?」

「そこっ! 男二人でコソコソ話さないっ!」

 中学に入ってから、保と環の立場は完全に逆転してしまった。

 環は保よりも運動が出来るようになり、保がどんなに必死に逃げても、あっと言う間に追い付いて、その首根っこを捕まえてしまう。

 そして捕まえたあとは、必ず放課後に付き合う事を約束させるのだ。

「どうせまたスケベな話しでもしてたんでしょ」

「そら恭一だけだ」

「おいおい……いくら俺でも、スケベな独り言は言わんぜ?」

「そんなのどうでもいいから、今日はどこ行く?」

 環はニコニコしながら保に訊いた。

 今日も結局、逃げ切れずに捕まった保は、今まさに約束をさせられそうになっているのだ。

「そんなに毎日お前にばっか付き合ってられるかよ。 今日はクラスのヤツらと約束が……」

 その為に、終業のチャイムが鳴ると同時に疾風の如く教室を抜け出したのだが、校門を出た所で環に追い付かれてしまったのだ。

 後からのんびり出て来た恭一は、偶然その場に遭遇したという訳である。

「わたしさあ……小さい時に、すっごく寂しい思いをさせられたんだよね。 あれって誰が意地悪したんだっけかなぁ〜?」

「ガ、ガキの頃の話しを持ち出すなよな! もういいだろ? 今まで散々付き合ったじゃねえかよ……」

「ま、諦めるんだな。 そんな事言っても、結局お前が折れるんだからさ」

 疲れたように言う保を見ながら、恭一は楽しそうに笑っている。

「そうだ! たまには恭一と行けよ、な?」

「あ〜ダメダメ、俺は淑女達との交遊で忙しいのだ。 じゃ、そういう事で〜!」

「あ、恭一! てめえ、逃げんのかよっ!」

 保が手を伸ばして捕まえようとしたが一瞬遅く、既に恭一は保の射程距離外へとダッシュしていた。

 ただでさえ足の速い恭一は、こういう時、普段以上の速さを発揮するのである。

「ちくしょ〜……!」

「さ、もう観念して、わたしに付き合いなさいよ」

「でも、今日は……」

 大好きなバンドのライヴがあるのだ。

 苦労してやっと手に入れたチケットに書かれた日程は、今日が最終日となっている。

 別に今日行かなければ二度と見られないという訳でもないが、今日しか聴けない曲もあるだろう。

 それを考えると、今日ばかりはどうしてもすぐには頷けないのだ。

「お願いだからぁ〜……。 わたし、あれから一度も泣かないで頑張ったんだよ? ご褒美くれても、バチは当たらないでしょ?」

「ご褒美って……今まで何回お前に付き合ってやったと思ってんだ!」

「回数の問題じゃないのっ! いつまでもゴチャゴチャ言ってると……怒るぞ?」

「わ、解ったよっ! 解ったから大人しくしてろっ! ……あ〜あ」

 一度言い出したら聞かないのが環である。

 これは保が首を縦に振らない限り、いつまでも言い続けるだろうし、本当に怒らせてしまっては大変なのだ。

(ったく! 恭一の野郎、環に喧嘩の仕方なんて教えやがって〜……!)

 保と遊びたい一心からだったのだろう、 『強い子になる』 の部分で環は必死に頑張った。

 その結果、今では保や恭一よりも 『強い子』 になってしまったのだ。

「人間、意外な素質とか才能ってのがあるんだな……」

「ん? 何か言った?」

「何でもねえよ。 ……で? 今日はどこに行くんだ? 金のかからねえ所にしろよな?」

 チケットを買ったお蔭で、今月はもう余裕が無いのだ。

 そのチケットも、もう紙くずになる事が決定してしまった……。

「相変わらず貧乏ねえ」

「デッケエお世話だっ! ……そう言えばハラ減ったな、何か作れよ環。 お前、料理だけは上手いだろ」

「あんたねぇ……あんた、わたしを何だと思ってんのよっ! それに、料理だけとは何だ、料理だけとは!」

「他に何かあったっけか?」

「うふ……知りたい? 教えてあげようか?」

「……背筋に悪寒が走ったから遠慮する」

 環の蹴りが保の尻を捉え、辺りに保の絶叫が木霊した……。



 環は小さな日記帳を閉じると、表紙に付いている鍵をかけ、大事そうに箱に収めて押入れの奥にしまった。

「たま〜に整理すると懐かしい物が出て来るわね」

 最後の片付けを終え、お茶でも飲んで一服しようと、環はキッチンへ入った。

 留守にする事が多いキッチンも、日頃の整理整頓と、雛子のお蔭でいつでも綺麗だ。

「ここはわたしの聖域だもんね。 雛子ちゃんに感謝しなきゃ」

 毎日ここで保の為に料理を作る……そんなささやかな夢が叶い、子供も出来、お隣には仲の良い人もいる。

 二人目を身篭った時、雛子のような女の子がいいなと思っていた。

 涼と二人で環のお腹を摩りながら、早く出ておいでなどと言って笑っていた。

 毎日が幸せの連続だった……あの夏の日が来るまでは。

「ごめんね……弱いお母さんで……」

 そっと自分のお腹を摩って、環がポツリと呟くと……。

「あ、母さん何か無い? 俺、腹減っちゃってさ」

 無粋な息子の一言が、感傷に浸る環を現実世界に引き戻した。

「何よあんたは。 勝手に何でも食べたらいいでしょ?」

「だって面倒臭いんだもん……頼むよ」

「まったく……!」

 環は涼の側まで歩いて行くと、無言のまま、いきなり頭を叩いた。

 普段、悪戯でやっているのとは違い、それにはかなりの勢いと強さがあった。

「イテッ! 何すんだよ、いきなり!」

「あんた、段々お父さんに似て来るわね〜……」

「親子なんだから、当たり前だろ?」

「普通、男の子は母親に似るって言うじゃない? なのに、あんたと来たら、わたしにはちっとも似ないじゃないよっ! 憎ったらしい所まで、お父さんに似なくてもいいのっ!」

「いてててっ! 何だよ、俺が何したってんだよぉっ!?」

「うるさいっ! あんたは黙ってわたしに叩かれてればいいのっ!」

「何でだーっ!?」


 そして……。


 その日の夕方、迎え火を手にした涼と環は、保を迎えに外へ出た。

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