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激突 (Virtual Wars 2)

「会長!」

 いかにも 『仕事が出来そう』 な感じの若い男性 (三十代前半くらいだろう) が息せき切って部屋に飛び込むと、それを見て少々苛立ったように、会長と呼ばれた男が大きな机の向こうから、その若い男性を一瞥した。

 見た感じは五十代前半といったところだろうか?

 撫で付けた髪は白い物が混じり始めてはいるが、キッチリと後ろへ流され、スリムな体型で、英国製のスーツをそつなく着こなしている。

 『紳士』 といった形容がピッタリ来る感じだ。

「水無月君、もう少し静かに入って来られないのかね? 物事は須く上品に、そしてスムーズに行う物だと教えてあった筈だが?」

 座り心地の良さそうな黒い革張りの椅子に身体を預けたまま、その性格を表すように整えられている口ヒゲを摩り、男はその年齢に見合わない、鋭い視線を水無月に向けた。

「も、申し訳ありません。 ですが、緊急事態なのです!」

「ほう? 君がそこまで慌てるとは珍しいな。 それで、その緊急事態というのは?」

「登内による、我が社への買収工作です!」

「そうか……また始めおったか、登内大蔵 (とのうちたいぞう) め!」

「如何致しましょう、会長」

「無論、即刻反撃開始だ! この一之瀬棗 (いちのせ なつめ) を甘く見たらどうなるか、骨の髄まで思い知らせてくれるっ!」

 棗はすぐさま受話器を持ち上げると、あちらこちらへと電話をかけ始めた。

 しかしながら、その様子は一之瀬コーポレーションの総帥としては、些か品位に欠けていたかもしれない……。

 

 一方、登内グループの本社でも、幹部クラスの社員達が、何やらあたふたと駆け回っているところだった。

「はっはっは! 一之瀬めが、今頃慌てても既に手遅れだ!」

 こちらも、やはり五十代前半であろうと思われる男が、大きな椅子に身体を預け、肩を揺らしながら心底楽しそうに笑っている。

「ですが会長、我が社の損失も楽観出来ない物になる可能性があります。 今回の件は、やはり手を引かれた方がよろしいかと……」

「控えんか、神部! 差し出口を挟むでないわっ!」

「申し訳ありません……」

 大蔵に一喝され、神部と呼ばれた秘書らしき女性 (二十代後半くらいだろう) は、二、三歩下がり、頭を下げた。

 ウェーブのかかった栗色の長い髪が、頭を下げた時にフワリと揺れた。

 その声の大きさと同様に、大蔵の身体は同年代の男性と比べたら、かなり大きな部類に入るだろう。

 と言っても、大蔵は決して肥大漢ではない。

 その大きさは、鍛えた結果による物だ。

 羽織袴のその姿からは、短く刈り込んだ髪型や厳しい表情も相まって、 『軍人』 を連想させる。

「ふふふ……今回は私の勝ちだな、棗!」



「やった〜! 今日はアタシの勝ちですよ、美奈さん」

 雅のPCのモニタ画面には、悔しそうに地面を叩くキャラが映っていた。

 どうやら雅は、美奈とオンライン格闘ゲームをやっていたらしい。

 チャット画面には、美奈からの再戦を求めるメッセージが表示されている。

「へっへ〜。 今日のアタシは絶好調ですからね、何度やっても負けませんよ」

 早速それを受ける旨のメッセージを打ち込み、雅は再び画面に向かって集中し始めた。

 一方、美奈はと言うと、

「う〜ん……今日の雅さんはお強いですわね。 このままでは、また負けてしまいますわ」

 と、PCの前で腕組みをして、難しい顔で次の対戦のシミュレートを始めた。

「この間、特訓しましたからね。 俺の教えたコンボを早速使ってるし」

「あら……貴方は私の味方をして下さらないのね」

 後ろから覗き込む真一郎に対して、美奈は少し拗ねたような声を出した。

 そう、今、美奈は真一郎の部屋にいるのだ。

「まさか! 俺はいつだって美奈さんの味方ですよ」

「では、何か対処法を伝授して下さらない?」

「う〜ん……このままだと、今度は俺が美奈さんに太刀打ち出来なくなるなぁ……」

 そうは言いつつも、真一郎が美奈の頼みを断れる筈も無く、奥の手とも呼べる操作法を教えようとした時、

「ちょっと失礼」

 美奈の携帯電話が鳴った。

 とりあえず、電話が終るまで雅には待ってもらわなければならない。

 美奈は、PCの前で電話を受けつつ、雅に対して少し待つようにとメッセージを送った。

 すぐに雅からの了解がチャット画面に出たのだが……。

「……何ですって!? それで、お父様は……それでは駄目ですわ! そんな対応の仕方では足元をすくわれます! 水無月さん、私が到着するまで持ちこたえて下さい」

 美奈は電話を切ると、少し慌てた様子で立ち上がった。

「どうかしたんですか? 美奈さん」

「ごめんなさい、真君。 今日は、これで失礼させて頂きますわ」

「何かあったんですか!?」

「……登内グループからの攻勢がかかっていますの。  このままでは、一之瀬コーポレーションの存亡に関わります」

「登内から? そうか、対立企業ですもんね……」

 このところ、美奈と雅はネットを通じて仲良くなってはいるが、それはあくまでも 『個人』 としてだ。

 企業体としての登内と一之瀬は、相変わらず対立の図式を描いている。

「俺が送ります。 車よりも、バイクの方が早く着けますよ」

「……そうですわね、お願いしてもよろしいかしら?」

「喜んで! ……っとその前に、雅ちゃんに言っとかないと」

 真一郎は 『今日は都合が悪くなったので、これでおしまい』 とメッセージを送り、美奈にヘルメットを手渡すと、アパートから飛び出した。

 そして階段下の駐輪場からバイクを引っ張り出し、跨ると同時にエンジンをかけ、美奈を後ろに乗せると即座に走り出した。

 その後を、美奈を乗せて来た運転手が慌てて車で追い始める。

『貴方のヘルメットは?』

「生憎、うちには一個しか置いてないんですよ」

『でも、それでは貴方が危険でなくて?』

「大丈夫! 美奈さんが一緒にいる限り、俺は不死身ですから! それより、しっかり掴まってて下さいね!」

『……はい』

 美奈は真一郎の腰に腕を回し、その広い背中に身体を預けた。


「どうしたのかな? 美奈さん。 急に都合が悪くなったなんて……」

 PCのモニタの前で、雅は考え込んでいた。

 普段の美奈なら、こんな風に慌てて中断するような真似はしない。

 いつもは忙しくても、それなりのメッセージを残してくれるのに、今日はかなりぞんざいなメッセージだった。

「何かあったのかな……?」

『雅、いますか?』

 ドアを軽くノックしながら、美耶子が声をかけて来た。

「何? 開いてるから入って来ていいわよ」

 雅がそう言うと、例の如く静かにドアが開き、美耶子が顔を出した。

「どうしたの? 入ればいいのに」

「あまりゆっくりもしていられないのです。 わたしはこれから本社の方へ行って参ります」

「本社?」

 本社と言えば、当然、登内グループの本拠地である。

 普段、美耶子も雅も滅多にそこへ足を運ぶ事など無い。

 高校生である二人には、縁遠い場所なのだから当然である。

「先程、神部さんからお電話がありまして。 何でも、お父様がまた無茶な事をなさっておいでとか」

「……って事は、お父さん日本に帰って来てるんだ。 今度は何したの?」

 雅は軽く溜息を吐くと、またかと言う顔をした。

 実際、大蔵は登内グループをここまでの大きさにする為に、かなり危ない橋も渡って来ている。

 本人は楽しんでやっている節もあるが、雅には何が楽しいのだか、サッパリ見当もつかない。

「またどこかの会社の買収を画策しておいでのようですよ?」

「呆れた……一体どこまで大きくしようと思ってるんだろ」

「ですが、今回の相手は一筋縄では行かないらしく、お父様がムキになっておいでのようです。 取り返しがつかなくなってしまう前に、わたしが行ってお父様を諌めて参ります」

「ご苦労様。 まあ、お父さんは姉さんには弱いから、すぐに収まるでしょ」

「雅も一緒に行きませんか? 久しくお父様ともお話ししていないでしょう?」

「あ、じゃあ佐伯さんも誘っていい? 帰りにみんなでどこか寄ろうよ」

「そうですねぇ……それも良いですね。 では、ご連絡を差し上げてください。 わたしは車を回しておきますから」

「は〜い」

 幸い、雛子も自宅で暇を持て余していたようで、雅からの誘いの電話に快く応じた。

 話しの流れで涼も誘おうと雅は言ったのだが、生憎、涼はアルバイトに行っていて不在であった。

 しかし、それは涼にとって、ある意味幸運だったかもしれない……。



「お嬢様! お待ちしておりました!」

 本社社屋の入り口付近で待っていた水無月が、美奈を見つけて駆け寄って来た。

 その様子からも、のっぴきならない状況である事が見て取れる。

「状況は?」

 脱いだヘルメットを真一郎に手渡しながら、美奈は水無月に問い掛けた。

 ここに来るまで、かなりの時間、排気ガスに晒されていたにも拘らず、美奈の長い髪はそのしなやかさを失ってはいない。

「芳しくありません。 会長も意固地になっておられるご様子で……」

「水無月さんの進言にも耳を貸さないという事ね?」

「はい……。 あとはお嬢様にお願いするしかございません。 プライベートのお時間を割かせてしまうのは申し訳無いのですが……」

「構いませんわ。 ここが無くなってしまったら、プライベートどころではありませんもの」

 美奈は二、三歩進んだ所で足を止めると、急に何かを思い付いたように、バイクの向きを変えようとしている真一郎に声をかけた。

「はい、何ですか?」

「貴方のお知恵をお借りしたいの。 よろしいかしら?」

「俺の知恵……ですか?」

「お嬢様! お言葉ですが、素人にそのような真似が出来る筈が……」

 水無月は慌てて言ったが、

「彼は有能です。 何しろ、この私が認めた唯一の殿方ですから」

 美奈は涼しげな表情のまま、真一郎の腕を取りながら薄笑みを浮かべている。

「こ……こちらの方が……ですか!?」

 水無月が驚くのも無理は無い。

 体格は良いが、どう頑張ってみても、目の前の男は成人しているようにも見えない。

 美奈の知り合いだというのなら大学生くらいだろうか……? と水無月は思った。

 と同時に、今まで男など近付けようとしなかった美奈が、唯一認めた男というのにも興味が湧いた。

「いかがかしら、真君。 それとも自信が無い?」

「どうですかね? まあ、面白そうではありますけど」

「結構です。 では、行きましょう」



「美耶子お嬢様! 雅お嬢様も……ご足労をおかけして、申し訳ありません」

 さすがに登内グループ会長の秘書をしているだけあって、神部には美耶子と雅が一目で見分けられるようだ。

 もっとも、最近の二人は着る物の好みが変わって来ているのか同じ服を着る事が少ないし、雅は髪を短くしているので、二人を初めて見る人間にも見分ける事は可能だろう。

「おっきな会社だね〜……ビックリしちゃった」

 登内グループ本社社屋を見上げて、雛子は目を丸くしている。

 通常、関係者以外は敷地内に入る事すら出来ないのだが、敷地の外から見てもその大きさには驚かされるだろう。

「まあ、本社だからね。 それに、屋上にヘリポートなんて作ったもんだから、それなりの大きさが無いと困るんでしょ?」

「よろしければ後程ご案内して差し上げますよ? 多分二、三機は空いていると思いますから、空のお散歩でも致しましょう」

「に、二、三機って……」

 一体、普段は何機のヘリが常駐しているのだろう?

「あの……そちらのお嬢さんは?」

「ああ、佐伯さんはいいのよ。アタシ達の友達だから。 帰りにどこかへ遊びに行こうと思って連れて来たの」

「あ、佐伯雛子です。 初めまして」

 雛子がペコリとお辞儀をすると、

「そうですか、お嬢様の……。 私は神部と申します。 以後、お見知りおきを」

 神部もそれに合わせて会釈をし、にっこりと微笑んだ。

 業務用の笑顔とは違う、優しげな微笑だった。

「じゃあ、さっさとお父さんを懲らしめて遊びに行こう」

「そうですね。 では、参りましょうか」

 かくして、登内大蔵討伐隊は意気揚々と、会長室への直通エレベーターに乗り込むのであった。



「どうです?」

「う〜ん……こりゃあ、かなり形勢が不利ですね……」

「こらあ! 美奈、これは一体何の真似だっ!」

 真一郎によって椅子に括り付けられてしまった棗は身体を激しく揺さぶり、コンピュータの前に陣取る美奈と真一郎を、交互に睨みつけながら文句を言った。

 さすがに大企業の会長ともなると、その視線には凄い迫力がある。

「貴様! この私にこんな真似をして、タダで済むとは思っていまいなっ!」

 棗は、その視線を真一郎にだけ向けている。

「そ、そう言われても、俺も美奈さんの命令には逆らえませんし……」

「お父様……例えお父様と言えど、この方に何かしたら」

 美奈は、ツカツカと縛られたままの棗に近付き、

「私、容赦はしませんことよ……?」

 ゾっとするような冷たい視線と共に、棗の耳元で囁いた。

(こ、こういう所だけは、母親に似おって〜……!)

 棗が何も言い返さないのを了解したと受け取って、美奈は再び真一郎と共にモニタ画面に目をやった。

「ふむふむ……類似した事業を行う企業だけを対象にしてるみたいですね。 けど、単に利益率増加だけを考えた物じゃ無さそうです」

「目的は何かしら?」

「それは判りませんけど、少なくとも一之瀬コーポレーションにそれなりのダメージを与えるのが目的のように思えますね。 いくら登内グループが潤沢な資金を保有してるとは言え、買収にあたって一切の借り入れをしていません。 だから、本気で潰しにかかっているとは思えないんですよ」

 真一郎の分析を聞き、棗は 『おや?』 といった表情になった。

(ほう? この男……なかなかどうして、鋭い目を持っておるわ……)

 少し様子をみようと考えを変えた棗は、真一郎をじっと見始めた。

 果たしてこのあと、どんな行動をとるだろうか……?

「では、貴方ならどう対処します?」

「そうですね……俺なら、こうします」



「美耶子! 雅! これは一体何の真似だっ!」

 先程よりも一層大きな声で怒鳴る大蔵を押さえつけているのは、右近と左近の両名だ。

 当然、その命令を下したのは美耶子である。

「右近! その手を放さんかっ!」

「申し訳ありませんが、そのご命令に従う訳には参りません」

「左近! 貴様、私が拾ってやった恩を仇で返す気かっ!」

「いいえ。 お館様に受けた恩義……この左近、死んでも忘れは致しません」

「ならば私の命令に従わんかっ!」

 大きな身体を左右に揺らし、大蔵は必死に逃れようとするものの、そこはさすがにSP部隊の要の二人。

 そうそう簡単に逃げられはしない。

「恐れながら……我らは美耶子様と雅様直属のSP。 お二方以外の方の命令には従えません」

「そう条件付けされたのは、お館様であったと記憶しておりますが?」

「ゆ……融通の利かん奴らめぇぇ〜……!」

「我ら二人、身命を賭してお嬢様方を御護りするのが使命」

「例え世界を敵に回しても、お嬢様方の命には叛けませぬ」

 右近、左近共に大蔵が引き取り、子供の頃から育てた、いわば息子のような者達である。

 登内家SP部隊には、そういった境遇の者達が多い。

 故に、大蔵に対する忠義心は、ビジネスとしてSPになっている者達とは一線を画す物がある。

 しかしながら、それは大蔵の懐の深さを示す物でもあるだろう。

「さて、状況は……うわ〜、何よこれ! 滅茶苦茶じゃない!」

 コンピュータのモニタを見た瞬間、雅が絶望的な声を上げた。

 どのデータを見ても、明らかに登内の側が圧倒的不利の状況に追い込まれている。

「おかしいですね……神部さんのお話しでは、こちらが幾分有利な展開だという事でしたのに」

「誰か向こうにキレ者がいるみたいね……どんどん押し返されてるわ。 何とかしなきゃ……でも、ここから挽回するのは難しいなぁ……」

「う〜ん……あ、ねえ」

 雅の後ろからモニタを覗き込んでいた雛子が、何かを思いついたように雅の肩を叩いた。

 美耶子は……目の前で数字が変わることは判っても、それが何を意味しているのか解らず、ただ黙って見ているだけだ。

「雅ちゃん、ここの収支を調整してみたらどうかなぁ? それと、こっちの効率が悪いから、こっちのお店と合併させて……」

「成る程……佐伯さん、いつの間にそんな事が解るようになったの?」

「この間、真君が経営シミュレーションのゲームを貸してくれたの。 意外と面白くて、徹夜しちゃった」

 短距離走の時の再現だ……と、雅は思った。

 とにかく雛子は飲み込みが早い。

 おまけに、一度自分のモノにした事に更に磨きをかけ、一流の域にまで昇華させる技量を持っている。

「じゃあ佐伯さん、アタシに指示を出して。 アタシは打ち込みに専念するから」

「うん、わかった」

「姉さん、そっちに結果をプリントアウトするから、どんどん計算しちゃって!」

「はい、解りました」

 右近と左近に押さえ付けられながら、大蔵はその様子を感心して見ていた。

 小さい頃、雅は大蔵に反発してばかりいた。

 それは構ってもらえない寂しさから来る物だろうとは解っていたが、解っていながらも、大蔵には娘を構ってやるだけの時間は取れなかった。

 美耶子は、そんな雅を大事にしていた……父親の分まで。

 その娘達が、こうして自分の職場に来て、父親にも勝るような仕事をしている。

「右近、左近」

「はい」

「何でしょう、お館様」

「娘と友達に茶を出してやってくれ」

「……かしこまりました」

「最高級の物をお持ち致しましょう」



 ごくごく普通の町並みにはそぐわない、リムジン仕様の高級車が二台、女性と共に何人かの黒服の男を降ろすと、何処かへ走り去った。

「美晴 (みはる) さん、お待たせしてごめんなさい」

 一目見ただけで、その辺の主婦とは違う世界で生きているだろうと判る、そんな雰囲気を醸し出している女性が、待ち合わせの相手の女性に微笑みながら歩み寄った。

「あらあら、馨 (かおる) さん。 それほどでもありませんよ」

 見た目では判断出来ないが、二人とも年齢は四十代に手が届くかどうかといったところだろう。

「相も変わらず無粋な車しかなくて……ちょっとしたお出かけに使うには、少々気が引けますわ」

「ウチも似たようなものです。 もう少し可愛らしい車があると良いのですけどねぇ」

「しかも、出かける時には必ずお供がついて回りますし……。 この状況は何とかしたいと、常々思っているのですけれど……」

「これも皆さんのお仕事ですから、仕方ありませんよ。 ところで、今日は棗さんは何をしておいでなのです?」

「さあ? 私、棗のする事には興味ありませんの。 それより大蔵さんは、相変わらずお忙しいのかしら?」

「今日こちらへ戻ったと思ったら、すぐに何か始めていましたねぇ」

「まったく……二人が日本にいると、必ず始まりますわね」

 馨はこめかみに手を当てると、やれやれといったように軽く首を左右に振った。

 もうお判りだろうが、馨は一之瀬棗の妻であり、美晴は登内大蔵の妻である。

「いっその事、国外永久追放にしてしまいましょうか?」

 美晴は胸の前で 『ポン』 と手を打つと、ニコニコしながら言った。

「そうですわね……その方が静かで平和かもしれませんわね、検討しておきましょう。 では、そろそろ行きましょうか」

「はい、参りましょう」

 二人が歩き出すと、それに従うように黒服の男達も移動を始めた。

 今日は二人とも楽しみにしていた芝居が上演される。

 大学時代の先輩が旗揚げした劇団の公演初日の舞台だ。

 演目は、当時二人も在籍していた演劇部で演じた事もある物に、新たに書き起こしたストーリーを加えた物であると言う事で、二人の期待は弥が上にも高まるのである。

「どのようなお芝居になるのか、楽しみで昨夜は眠れませんでしたわ」

 馨は、少し眠たそうな目をして言った。

「わたしもです」

 それは美晴も同様のようで、おっとりした口調が更に緩い物になっている。

「けれど……殿方というのは、幾つになっても子供じみた所がありますのね」

「そうですねぇ。 でも、そこが良い部分なのかもしれませんよ? そういった物の無い方には、失礼ながらあまり魅力を感じませんし」

「あり過ぎるのも良し悪しですわ……」

 そう言う自分達とて、気分はすっかり大学時代に戻っていると言うのに、それはどうやら除外されるらしい。

「まあ、棗にとっては、会社もオモチャのような物なのでしょうね」

「度量が大きいのですねぇ、棗さんは」

「あら、大蔵さんも同じようなものでしょう?」

「どうなのでしょう? でも、娘に甘い所は棗さんと同じかもしれませんね」

「そう言えば、美耶子さんは咲姫にいらっしゃるかと思って楽しみにしてましたのに、黎明に進学されたのよね? どうして?」

 馨が言うと、

「雅が黎明を選んだと知ったら、急に進路を変えてしまったんですよ。 あの子は妹と一緒がいいと、小さい頃から言う子でしたからね」

 美晴はクスクスと笑いながら答えた。

「小さい頃に一度お会いしたきりですから、私の事は憶えていないでしょうね。 ……そうだわ、今度は娘達も一緒に連れて来ましょうか?」

「それは素敵ですねぇ。 是非、そう致しましょう」

 二人の前方に、目的地である小さな劇場が見えて来た。



「ふむ……」

「会長? 如何なさいました?」

 難しい顔をしてモニタを見つめている棗に、水無月は恐る恐る声をかけた。

 話しかけるタイミングを誤ると棗の気分を害してしまうので、この辺は特に気を遣う部分なのだ。

「先刻の男……名前は何と言ったかな?」

「掃部関真一郎様とお伺いしましたが」

「全て調べ上げろ。 ……あの男に関する事柄、委細構わず何もかも全てだ!」

「は、はい!」

 棗に言われた事を即座に行動に移す為、水無月は会長室を後にした。

 それは単に会長の命令だからだけではない。

 水無月自身も、真一郎の事を知りたいという欲求に駆られたからだ。

 あの美奈にあそこまで信用される男が何者なのか……それは美奈を知る者であれば、誰もが思う事であろう。

「美奈も、いよいよそういう年齢になったか……いざそうなると寂しいものだな」

 そう呟くと、棗は秘匿回線の電話を手にした。



 大蔵は椅子に深く腰掛け、夕暮れに染まる窓の外を眺めていた。

 その目には一切の厳しさが無くなり、穏やかに年輪を重ねた父親の表情が漂っていた。

「神部……お前がここに来て、何年になるかな」

 振り向く事も無く、大蔵は窓の外を見つめたまま言った。

「はい。 お嬢様方が小学校に上がられた年ですから、十年です」

「十年か……その間、私は父親らしい事を一つでもしたかな……」

「どうでしょう? 今度お嬢様方に、お訊ねになってみては如何です?」

 神部は、そう言いながらクスリと楽しそうに笑った。

「怖い事を言うな……」

 大蔵が苦笑すると同時に、秘匿回線での着信を示す小さなランプが音も無く、大きな机の片隅に点った。

 神部はそれを見ると軽く会釈をし、大蔵が何も言わない内に、無言のまま会長室を出て行った。

 こういった部分は、さすがと言うべきだろう。

「……私だ」

『いちいち偉そうに出るな! このタヌキめ!』

「いきなり何だ?」

『今日の一件、いつもの貴様の手口では無かった。 ……誰か雇ったのか?』

「それは私の台詞だ。 貴様では、あそこまでの対応は出来まい。 一体どこから引き抜いて来た?」

『フン! 誰が貴様になど教えるものか! ふふふ……あと何年後かには、登内グループなど跡形も無く消え失せるぞ』

「ふん! その台詞、そっくりそのまま貴様に返してやるわ! 数年後、貴様の泣きっ面が見られると思うと、今から楽しみで寝不足になりそうだわい!」

 子供のように一頻り言い合いをしたあと、大蔵の方から電話を切った。

 どうやら女性陣とは対照的に、男性陣の仲はあまり良くはないようだ。

「美耶子と雅……どちらが跡を継いでくれるやら。 いや、連れて来る男にもよるか……私の眼鏡にかなう男を連れて来れば良いが……」

 大蔵は少し寂しそうな表情を浮かべ、再び視線を窓の外へと向けた。



 夕日が照らす町並みを、小高い丘の上から眺めている男女がいる。

 その傍らにはタンクに流星のイラストが描かれ、それ以外の部分に漆黒の塗装を施されたバイクが停まっている。

「今日はごめんなさいね、私の都合で一日潰させてしまって……」

「気にする事ありませんよ。 俺は美奈さんのお役に立てて嬉しいんですから」

「……ありがとう」

 美奈は少しだけ真一郎との距離を縮め、その肩に頭を寄せた。

 優しく吹いた風が、美奈の髪の香りと共に真一郎の鼻腔をくすぐった。

「貴方は将来、何かやりたい事っておありですの?」

「そうですね、たくさんありますよ。 夢はテンコ盛りです」

「……その中には、私に関係する事も入ってまして?」

「勿論入ってます。 ……一番上に」

 一瞬の沈黙の後、夕日が映し出す二つの影は、やがて一つに重なった……。



「雅様、無茶を仰らないで下さい!」

「何でよ! あんなに広いんだから降りられるでしょ!」

 美耶子の申し出を受け、雛子は空の散歩へと連れて来られたのだが、ヘリの中は、ある種パニックに近い状況に陥っていた……。

「どこでも着陸出来るという訳では無いのです。 ちゃんと許可を得ませんと……」

「雅ちゃん! タクシーじゃないんだから、気軽に止められないんだよぉ!」

「アタシはここで降りたいの! 左近! あんた、アタシの命令には従うって言ってたでしょ! 命令よ、着陸しなさい!」

「時と場合によります!」

「むぅ〜……いいわよ、アタシがやるから操縦替わりなさい!」

「き、危険ですから操縦桿に触らないで下さい! これはフライト・シミュレーターとは違うんですから!」

「世界を敵に回してもってのは嘘だったのか、こら!」

「美耶子さん! 雅ちゃんを止めて〜っ!」

「佐伯様、お静かに願います。 美耶子様は、ただ今お休みになっておいでです」

 右近の言葉に美耶子の顔を良く見ると……完全に熟睡している。

 実に穏やかで平和そうな寝顔だが、今この瞬間にはそれが腹立たしくも感じられてしまう。

「な、何でこの状況でスヤスヤ眠れるの……?」

「左近、アタシにやらせなさいってば!」

「いけません!」


 一方その頃……。


「あれ? ヒナのやつ、いないのか? 変だなぁ……今日は晩飯作ってくれるって言ってたのに」

 鍵のかかった佐伯家の玄関の前で、涼は立ち尽くしていた。

「参ったな……今日はお袋も出かけてていないし、食いに行くって言っても給料日前だから金が無いし……」

 宇佐奈家の恒例として、日曜、祭日には一切の食料は備蓄されていない。

 真一郎に奢ってもらおうと電話をしても、携帯電話の電源が切られているらしく、何度かけ直しても繋がらない。

 かと言って、生活費を切り詰めている琢磨にタカる訳にもいかない。

 最後の手段として登内家に電話をしても、美耶子も雅も不在であった。

「腹減った……ヒナ〜、早く帰って来てくれよぉ〜……」


 こうして、何気ない日常は過ぎて行くのであった……。

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