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第13話「王都議会、乾いた法と濡れた真実」

◇灰色の回廊


 王都の中心へ向かう石畳は、朝露の代わりに粉塵を吸って白く曇っていた。

 道すがら見える運河は水位が低く、底の苔が乾いて褐色に変わっている。桟橋の水売りは青い札束を掲げ、量り壺に水を落とすたび、周囲の視線が釘付けになった。――水は、もう生活の“買う品目”に落とされている。


「議会は“水の価格安定”が主題のはずだ」セレナが歩を緩めず言う。「等流の実績をぶつける。数字と現場、そして“札の裏打ち”のない偽装を暴く」


「裏打ち?」アリアが首をかしげる。


「水券には通常、貯水槽容量と導水路許容量の“ベース”が付く。それを超えて売れば偽札だ。導水ギルドは――売ってる。私の写し取った台帳が証拠になる」


 ミラが俺の手の包帯を確認しながら小声で囁く。「レオン、祠は大丈夫?」


「うん。札の残滓、まだ熱いけど、置き場はある」


 正門を抜け、白い円柱が連なる“公会堂の回廊”に出る。噴水は止まり、盆の底に硬貨だけが鈍く光っていた。水が消えた王都は、飾りの豪奢さだけが痛々しい。


◇開会


 議場は円形。扇状の席に議員と貴族が並び、中央の円に証人席が据えられている。

 書記官が開会の鐘を鳴らし、司会座の老議員が低い声で口火を切った。


「議題――王都水利の安定化と価格調整に関わる“導水ギルド委託法”案。及び、地方に発生した“等流師”なる新職能の扱い」


 ざわつき。銀の角を刺繍した礼服――ハーツ侯派の議員の列は余裕の笑みを崩さない。

 一角、黒外套の市民代表席に、不穏な影。導水ギルドだ。肩章の銀瓶が場違いに光る。


「証人、魔導院外勤調整官セレナ」

 名が呼ばれ、彼女が中央に進む。石板を胸に、澄んだ声。


「等流計画の実測値を提出します。地方里“獣人の里”にて三日連続で王都側送水六割、里側水位偏差内。夜間戻し弁により日内変動の吸収成功。――等流は成立しています」


 石板に魔術写しの線が浮かび、議場の壁面に大きく投影される。均整の取れた波形。数値。拍。

 ざわめきが広がる一方、ハーツ派の議員が扇を鳴らす。


「机上の線だ。現場での“偶然”を持ち込まれても困る。王都は市場で動く。故に“水券”による配給が妥当」


「その水券、裏付けは?」セレナは間髪を入れず返す。「貯水槽容量と許容量を上回って販売された記録、ここに」


 ざっ、と空気が冷えた。写された台帳――刻印の重ね押し、数字の改竄。

 議場の上段、銀髪の若い議員が顔色を変え、ハーツ派の重鎮に何事か囁く。

 だが重鎮は笑って片手を上げた。「技術的瑕疵だ。改善する。――問題は“水が足りない”ことだよ、調整官」


 司会の老議員が杖で床を叩く。「次。等流師と名乗る者を」


◇証人台


 俺は円の中央に立った。議場の視線が一斉に刺す。

 胸の奥で拍を刻む。泉と湿原で刻んだ“往き還り”。

 女神の声は静かに沈黙している。――今は、人の場だ。


「等流師、レオン。俺は“巡らせる”。奪わない。――その実演をここでやる」


 ハーツ派が失笑を漏らす。導水ギルドは肩を震わせた。「ここは石の箱だ。水は出ない」


「石の箱にも、呼吸はある」


 証人席の足元、装飾の継ぎ目に掌を当てる。薄い砂目、石灰の目地。遠い地下に王都の“喉”――枯れかけの旧導水路の痕跡が残っている。

 俺は祠を思い、怒りの置き場の隣に“枯渇の置き場”を作る。渇きの痛みを否定しない。祀って、まっすぐ見つめる。


「――往け。半拍」


 指先から細い呼気を送り、地下の糸へ拍を渡す。

 セレナが術式を薄く重ねる。アリアが席の端から視線で周囲を牽制し、ミラが小瓶の水を石へ一滴垂らす。

 静寂の底で、ぽつ、と音。

 装飾の継ぎ目がかすかに湿り、石肌が色を変える。

 議場の誰かが小さく息を呑む。

 次の半拍で、湿りは線になり、円形の床の内側を一周する細い輪になった。


「水は、札に従わない。拍と“置き場”に従う」


 言い切った瞬間――閃光。

 上段の欄干から黒外套が飛び、輪の内側へ符を投げ込む。

 爆ぜる札。稲妻。

 だが俺はすでに祠を開き、札の毒を“預かる”。熱が掌を走り、胸の奥の置き場でじりじり鳴った。

 セレナが杖でバリアを立て、アリアの矢が黒外套の手首を打ち、ミラの香がくゆって煙が符の残滓を沈める。


 ざわめきが悲鳴に変わる前、司会の老議員が杖で床を叩いた。「静粛に!」


 ハーツ派の重鎮が口角を引きつらせた。「治安維持を! ギルドの者かは不明――」


「不明ではない」セレナの声は刃のように冷たい。「刻印は導水ギルドの“裏印章”。石板に写し済み」


 黒外套が逃げようとする。が、王都兵が動いた。

 さすがに議場での破壊工作は擁護できない。

 導水ギルドの代表が立ち上がり、わざとらしい怒声を上げた。「不届き者め! 我らは無関係だ!」


「無関係なら、ここで“水券の真印章”を全公開して」セレナが間髪を入れず迫る。「できないなら、黙りなさい」


 議場の空気が変わった。

 重鎮の扇が止まり、司会の老議員がゆっくりと俺の足元を見た。

 石の輪を満たす薄い水。

 誰かが、喉を鳴らした。


◇等流の提案


「提案する」俺は正面を向く。「“等流帯”を王都法に登録する。柱は三つ。

 一、地方の泉・湿原など“生の水源”を特別帯に指定し、徴発を不可とする。

 二、送水は“往き還り”の拍で運用。日内・季節・渇水時の自動弁を制度化し、監査は魔導院と地方代表の共同。

 三、水券の発行は“実在流量連動”。基礎容量と許容量を超える販売を禁じ、違反は即時停止と罰金、及び水利権の一時凍結」


 ハーツ派の席がざわつく。

 老議員が目を細めた。「たからも人も、動かねば生きぬ。……“等流帯”は、王都の食を支えるか?」


「支える。初日の実績。湿原の再生。里の水位。――数字はここに」

 セレナが石板を掲げる。

「さらに、等流帯の運用は“市場”を殺さない。水券は“生活最低水量”を無料帯で配り、超過は市場で調整。札は“巡り”の中でのみ効力を持つ」


 前列の商人議員が身を乗り出した。「無料帯だと? 財源は?」


「“滞り税”」俺は答えた。「滞りを生む貯水槽――使われない貯め込みに一時課税し、等流帯へ回す。溢れるのに使われない水ほど、巡りを腐らせるものはない」


 商人議員が目を丸くし、やがて吹き出した。「理屈は嫌いじゃない。……が、誰がそれを“見える化”する?」


「等流師と調整官の共同監査。拍の線は嘘をつかない」


 老議員が杖の頭に額を押し当て、ゆっくりと頷いた。

「採決に入る前に、最後の証人を。――導水ギルド代表、前へ」


◇水商人の本音


 銀瓶の肩章をつけた男が中央に出る。脂ぎった笑みを貼り付けたまま、声は飴のようにねっとりしている。


「市場は秩序です。札がなければ分配はできない。貴族も民も、公平に“金で”並ぶのが平等。――水は商品であるべきです」


「“並べない者”は?」ミラが客席から問う。稀有な割込みに場がざわつく。


 男は微笑んだ。「施しがある」


 俺は一歩前へ出る。「あなたはさっき、僕の前で“札は水より強い”と見せた。――だがそれは、符で水路を塞いだからだ。巡りを殺し、札の力を見せた。“秩序”じゃない。“支配”だ」


 男の笑みがわずかに固くなる。「支配が悪いなら、王はなぜいる?」


「王の冠は“巡るため”にある。止めるためじゃない」


 議場の後列で、年若い議員が思わず手を打ち、それを年長の議員に肘で止められる。小さな波紋が広がった。


 セレナが静かに畳みかける。「導水ギルド。王都内で“水券”の先物を始めているわね。――未来の渇きを札に換えている。渇きほど、良い利ザヤはない」


 男の目が細くなり、笑みが消える。「証拠は?」


「ここに」

 石板が、影写しの台帳を投影する。裏印章、数字、日時、場所。

 老議員が低く唸り、司会席の書記が慌てて筆を走らせる。


「……採決だな」老議員が立ち上がる。「等流帯登録、拍運用の制度化、滞り税、及び導水ギルドの監査強化について――」


 その瞬間、議場の天井が低く唸った。

 遠雷。いや、違う。地の下だ。

 俺は反射的に床へ掌を押し当てる。

 ――王都の貯水槽“第二層”に、圧がかかっている。


「誰かが“溜め”を開けた」セレナが顔色を変える。「満水のまま、逃がし道なしで!」


 導水ギルド代表がふっと笑みを戻した。「等流? 拍? 議場で踊っている間に、市中は“溢れ”だ。……混乱こそ、我らの市場」


◇奔る


「止める!」

 俺は叫び、円の外へ駆けだした。アリア、ミラ、セレナが並ぶ。

 老議員が声を張る。「衛兵! 証人を通せ!」

 王都兵が道を開き、廊下を一直線に突き抜ける。

 外は白光。乾いていた水路が、不穏な速度で水を集め始めていた。

 溢れは破壊だけでなく、拍を壊す。等流が“秩序”になる前に、混乱で塗りつぶされる。


「第二層へ入る“鳩の穴”がある」セレナが地図を繰り、路地へ身を投じる。「古いメンテナンス口。人一人分」


 狭い石穴へ素早く滑り込み、膝と肘を擦りながら地下へ降りる。

 湿った空気。石の汗。

 耳の奥で、巨大な胃袋が逆流を我慢して唸る音。


「レオン、拍は?」アリアが短く問う。

「俺が“押し返す”。セレナ、弁の術式を。ミラ、呼吸を合わせる香を。アリア、上で人を退かせて」


「了解!」


 分岐でアリアが地上へ駆け戻り、ミラが香を焚き、セレナは古い符の層を剥がす。

 目の前に古式の“溜め弁”。鎖と滑車、刻印。――誰かが上から“固める符”を押している。

 俺は祠を開き、札の毒を受け止める置き場をさらにひとつ増やした。胸が焼ける。だが、置け。祀れ。巡らせ。


「――今、戻し!」


 掌を弁の輪郭に沿わせ、拍を入れる。

 セレナが呪を織り、ミラの香が息を整え、俺の拍と弁が重なる。

 ゴン、と低い音。

 閉じたはずの弁が、半拍だけ“息をした”。

 そこへ流れを滑り込ませ、渦で“息継ぎ”を作る。

 圧が抜け、第二層の腹が少しだけ和らぐ。


「もう一度!」

 繰り返す。拍、半拍、戻し、渦。

 三度目、符の層がぱき、と亀裂を生み、弁が一挙に“開いた”。

 堰を切った水が怒号のように走る。トンネルの奥でいくつもの吐水口が鳴き、王都の運河へ“正しい速さ”で吐き出していく。


 俺は壁に手をついた。足が震える。胸が焦げる匂い。

 ミラが肩を支え、セレナが素早く弁に封印の“拍”を書き直す。


「……生きた」セレナが息を吐いた。「これで“溢れ”は制御できる。運河は満ちるが、壊れない」


 地上からアリアの叫び。「人は退いた! 拍、届いてる!」


 俺は目を閉じ、遠くの水の鼓動を聞いた。

 ――等流の線が、乱されかけて、また戻る。

 議場の輪。泉。湿原。王都。拍は一本で繋がっている。


◇戻る場所


 議場へ戻ると、空気は一変していた。

 窓の外の水路には、薄い水鏡。市民が身を乗り出して見つめ、歓声とも溜息ともつかない声が重なっている。

 老議員は椅子から立ち上がり、杖で床を三度強く叩いた。


「採決する。“等流帯登録”及び“拍運用の制度化”“滞り税”並びに“導水ギルド監査の即時発動”。賛成の者、挙手」


 白い手、枯れた手、煤けた手が次々と上がった。

 反対の手も少なくない。だが――重みは、賛に傾いた。


「……可決」


 その言葉が落ちると同時に、議場の天井近くで、ひとすじの光が揺れた。

 女神の声ではない。ただ、水の音。

 王都の箱が、少しだけ“水を許した”音だ。


 導水ギルド代表は席で歯ぎしりをし、ハーツ派の重鎮は無表情のまま扇を畳んだ。

 彼らは消えない。次の“結び目”として、必ず現れる。

 だが、今日――巡りは一歩、進んだ。


 セレナが小さく笑った。「等流師。あなたの拍は、法を動かした」


「皆の拍だよ。里も湿原も、王都も。……そして、置き場」


 アリアが肩で息をしている。走り回ったのだ。尾が高く、誇らしげに揺れる。

 ミラは俺の胸に耳を当て、鼓動を数えた。「拍、乱れてない。……良かった」


 老議員が近づき、手を差し出した。「若い“等流師”。王都は君を“職能者”として登録する。――君の拍を、しばし王都に貸してくれ」


 俺は頷き、その手を握った。

 掌越しに伝わるのは、乾いた石の温度ではなく、小さな水の温もりだった。


◇夜、石壁の影で


 可決の報せは市中を駆け、夜には止まっていた噴水が細く息を吹き返した。

 子らが歓声を上げ、女たちは壺を洗い、男たちは桶を肩に担いで拍を真似る。

 誇張された二拍子の足音に、思わず笑ってしまう。


 だが石壁の影には、別の気配があった。

 黒外套の一団が、誰にも見えない路地で肩を寄せ合う。

 ひときわ背の高い影が、冷ややかに言った。


「法で抑えたつもりか。――なら、法ごと“渇かせばいい”」


 ハーツ侯の印章が一瞬、闇に鈍く浮かび、消えた。

 導水ギルドの銀瓶が低く鳴り、路地の奥の地下へ、薄い符が滑っていく。


 俺は遠くの気配に、遅れて眉をひそめた。

 等流は始まったばかり。巡りの道は、まだ細い。

 ――次の結び目が、もう一つ、王都の底で固まりかけている。


 胸の祠に小さな灯を足し、俺は深く息を吸う。

 拍は乱さない。往き、還り。

 それが、世界を耕す唯一の手だ。


(つづく)

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