第12話「王都の門、導水の影」
◇石壁の威圧
王都は高く、白い石の壁で囲まれていた。
旅の三日目、朝霧を抜けて視界に入ったその姿は、まるで水を拒む堰のように巨大だった。
外堀には干からびた水路が走り、底に砂が積もっている。王都の“喉”は、すでに乾きかけている。
アリアが尾を揺らし、弓に手をかけた。
「……王都なのに、泉の匂いがしない」
ミラは薬袋を抱え、唇を噛む。
「人が多いのに、水が少ない。……病が広がる前触れだ」
セレナは石板を掲げ、壁に刻まれた紋章を確かめる。
「導水ギルドの印。王都はすでに彼らに依存している」
俺は胸の奥で拍を刻む。
――水は巡らなければ淀む。
この壁の中で、どれだけの“結び目”が眠っているのか。
◇門前の試し
王都門の前で、使者の兵が槍を構えた。
「等流師と名乗る者か。通行には“水券”が必要だ」
水券。水を買う権利の札。
導水ギルドがばら撒き、王都で流通させているもの。
「ふざけるな。水は巡り、権利ではない」
俺が言うと、兵は鼻で笑った。
「女神の律など紙に記されぬ。紙にあるのは水券だけだ」
セレナが前に出て、板札を掲げる。
「魔導院外勤調整官の通行権。等流師は私の監督下にある」
兵は一瞬たじろぎ、しかし背後から黒い外套の影が現れた。
導水ギルド。肩章に銀瓶の紋。
「調整官の権限は“現場”に限られる。王都は“市場”だ。――市場を動かすのは我らだ」
アリアが矢を番え、ミラが香袋を握る。
俺は掌を地に押しつけ、息を吐いた。
「なら示す。――ここで」
◇等流の実演
門前の乾いた水路に、掌を押し込む。
湿原でほどいた結び目からの“余剰”を呼び、糸を通す。
セレナが呪式を補助し、アリアが周囲を睨み、ミラが塩水を滴らせて拍を刻む。
土の奥から、ぽつ、ぽつ、と音。
やがて、門前の溝に水が滲み、細い筋が走った。
乾いていた水路が、ひと筋の流れを取り戻す。
人々のざわめき。
門番の兵が目を見開き、導水ギルドの外套がざわめく。
「見ろ。水は札に従わない。拍に従うんだ」
俺の声に、里で見送りをくれた子どもたちの桶が思い出された。
――水は生きている。巡るために。
◇導水ギルドの罠
だが、導水ギルドの男は笑った。
「見事だ。だがそれは“等流師”の力。凡百の民には扱えない」
彼は懐から札束を取り出し、水面に投げ入れる。
符が弾け、さきほど生まれた流れが一瞬で吸い取られ、消えてしまった。
「ほら。結局は札の方が強い」
アリアが矢を引き、ミラが香を投げようとしたが、俺は掌を上げて制した。
「違う。札は“奪う”だけ。巡らせはしない」
俺は祠を思い出す。胸の奥に作った置き場。
怒りを祀り、赦せぬものを鎮めたあの感覚。
同じように――この札の力も祀ってしまえばいい。
掌を水路に沈め、符の残滓を胸の祠へ吸い込む。
熱が走り、血が焼ける。だが次の瞬間、水が再び溝を満たした。
ギルドの男が声を失った。
「な、なぜ……札を呑める……?」
「俺は等流師だ。札も怒りも、祀って巡らせる」
◇王都の門を越えて
兵は槍を下ろした。
「……通せ。これ以上は抑えられん」
門が開き、石畳の道が王都の奥へと伸びていた。
人々がざわめき、子どもが歓声を上げる。
“水が戻った”という喜びは、札よりも確かに響いていた。
セレナが肩をすくめる。
「見事。でも、これでギルドは黙らない。……次は議会だ」
ミラは不安げに俺の手を握った。
「大丈夫? 札を祀ったとき、すごく苦しそうだった」
「大丈夫だ。置き場はまだある。俺の中の祠は、札をも収められる」
アリアが笑みを見せた。
「なら、王都の結び目もほどけるね。……一緒に」
俺はうなずいた。
石壁を越え、王都の空気が肌に触れる。
そこには新たな結び目――水と金、人と法、女神と王の矛盾が待っている。
(つづく)