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四  噂の鬼-4

燈泰四十八年  4月30日 

 大気を切ってうなりを上げる武器の音に、慌てて下げた頭上を重い風圧が通り過ぎ、追いかけるように、 ヴン と風が唸る。


 重量のある鉄と木がぶつかる音と共に、空気が熱で一気に膨張したかのように、突風が吹きつけ、咄嗟に目を閉じた清が顔を上げると、目の前では体格差が三倍以上ありそうな二人が、野太刀と短槍で打ち合う光景が繰り広げられていた。


 苦々しい顔をした秋穂が、清の側まできて身を伏せる。


「……うそ、どうしちゃったの?」

「見ての通りだよ。ったく、応念大将が焚きつけるから。」

「そうじゃなくて、あれ、本当に渚か?」

 確認しなくても、応念に向けて鋭い風切り音を立てて槍を振るう子供の顔を見れば、二人が『渚』と呼ぶ娘に間違いないのだが、普段の大人しく控えめな娘からかけ離れた姿に、温和な清も動揺を隠せない。






 二月の末、蓮台の外れで捉えられた〈脱獄の鬼〉の噂は、清も耳にしている。

 脱獄ーー地獄から逃れた大罪人。


 死して彼岸(ひがん)へ渡った人の魂が、正しい輪廻(りんね)を経ずに現世に戻り、肉体を持つと鬼となる。

 鬼は夜叉(やしゃ)羅刹(らせつ)と似た性質をもつ天部(てんぶ)の一に数えられるが、現世で生まれ死ぬ二者と異なり、鬼として生まれ直した死霊の(よみがえ)りに近い。その大半は記憶も知恵も欠落しており、妖魔と同様、言葉を持たず意思の疎通も困難なことが多い。悪行を働けば神仙天部の一存で処罰される存在だ。


 そんな鬼の中で、〈脱獄の鬼〉と呼ばれる者たちは、冥府(めいふ)の裁きにより地獄へ堕ちるべきところを逃れた大罪人として真っ先に処罰される。滅多に出ない鬼ではあるが、それだけなら一時の話題になるだけで、いつまでも尾をひく噂にはならない。


 件の二月に捕らえられたという〈脱獄の鬼〉は、八大大将最強と謳われる無比力(むひりき)夜叉大将(やしゃたいしょう)に勝負を挑み『勝った』と、まことしやかに噂されているのだ。ーーそして、それが三月の中頃、宝賢(ほうけん)大将によって北院に連れてこられた、みすぼらしい鬼の子なのではないか、というのだ。









「ちょ、あれ止めなくてもいいのか?」

「無理だろ。下手に手を出したら、俺たちの腕が飛んでくぞ。」


 秋穂の言う通り、応念と渚の戦いは互いに鞘を払っていないというのに、周りを圧倒する気迫がある。

 応念の圧倒的な上背と、野太刀の間合いに、小さな渚は不利に思えたが、桃園という環境では長大な野太刀の利点はほぼ失われ、身軽な渚の短槍が、激しい打ち合いの合間に、応念の急所を狙って鋭く繰り出されている。


 驚くべきことに、地の利があるとはいえ応念相手に五分の戦いをしている渚に、清は舌を巻いた。

 応念大将は元々無頼のごろつきだったと言われている。型も流派もない、我流の剣術。こうして見ていても、勢いと気迫以外、隙が多い動きをしている。だが、それを補って余りある妖気にも似た強大な神通力が、応念の数十倍の圧力で目の前の渚に覆いかぶさっていた。


 あれだけの密度の神通力を当てられれば、並の妖や霊魂なら押し潰されてしまうだろう。

 秋穂も清も、距離をとっているにもかかわらず、気の強さに圧迫されて呼吸が浅くなっている。

 先代応念大将に勝った要因は、その並外れた神気の強さのせいだと、二人の身体は理解した。



 応念が振り下ろした野太刀を受け流しざま、渚は一息に間合いを詰め、手の中を滑らせた石突で応念の顎を突き上げる。間一髪で顔を逸らした応念は、石突がかすめて切れた傷口から流れた己の血を見て、不敵な笑みを浮かべた。

 渚の目がわずかに揺らいだ次の瞬間には、応念の胸元まで迫った渚の鳩尾に膝蹴りが入っていた。

 動きが止まった一瞬の隙に、野太刀の柄が打ち下ろされた。



 乾いた音を立てて、渚の腕の骨が折れた。小さく漏れた悲鳴に、たまらず二人は立ち上がった。

「そ、そこまでに!」

 うわずった声を上げた少年たちに、止めを刺す格好で動きを止めていた応念が興奮冷めやらぬ目を向けた。怯んで立ち止まりそうになった己を叱咤し、秋穂と清は折れた右腕を投げ出し地面に這いつくばる渚に駆け寄った。



 応念大将は駆けつけた師範たちに引き離された後も、渚から目を離さず、秋穂たちが医務室へ連れて行く姿が見えなくなるまで、じっと目で追っていた。

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