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三  噂の鬼-3

燈泰四十八年  4月30日 

 男は異様に大きな目に、被さるような太い眉をぐっと寄せ、道場一同を見渡した。


 随分と大きな男だった。見かけの頃は三十前後。高く通る鼻梁に、なめし革のような褐色の肌。

 身の丈七尺に迫ろうかという堂々たる巨躯だが、太い手足も厚い胸板も無駄な肉がなく、巨漢というよりは縦に引き締まった仁王像という印象が近い。


 現八大夜叉(はちだいやしゃ)大将(たいしょう)の中で唯一、北院の教育も家門の後押しもなく、前任の大将を斬ってその地位を手に入れた、応念夜叉(おうねんやしゃ)は道場内を見渡していた大きな目をカッと見開くと、ずんずんと中に上がり込んだ。



「おい。お前だな、(じじい)どもに楯突いたっていう天狗の倅は?」

 足を引きそうになるのを堪え顎を上げた秋穂に、応念は探るような目を向ける。

「鬼の小童(こわっぱ)とつるんでると聞いたが、どこだ?」



 秋穂の眉がぴくりと引き攣る。

 つっ込みたいところは山々だったが、視界の端で師匠たちが動いているのが見えていた。


「応念大将、ただいま稽古の最中。僭越ではありますが、あと半刻ほどお待ちいただけませぬか。」


 行儀作法に厳しい師匠連中は、神聖な道場の畳も板の間も犯してくれるな、とでも言いたげな険しい視線で応念を見上げる。

 しかし応念の目は師匠連に見向きもせず、学生の間にある、わずかな身じろぎを見逃さなかった。


「そこにいたな。」


 その一言で、秋穂から離れて壁際にいた(きよ)が固まる。

 引き止める師匠たちに構わず、清の前に進んだ応念は、清の後ろに隠れていた子供の襟を掴んで放り投げた。

 一同が吃驚したのも束の間、空中で体を捻って受け身を取ろうとした子供の腹を、鈍い音を立てて応念が蹴り上げた。


 *


 宙に飛ばされた子供は、道場のある岩棚を越え、一段下にある桃園に落ちると、鞠のように転がり、築地塀の手前でようやく止まった。

 その頭上に、大きな影が着地する。


「鬼にしては小さいな。お前、どこの山の者だ?」

 迫り上がってくる酸を飲み下した渚は、咳き込みながら、自分の上に影を落とした男を目で見上げた。

「俺は足柄山の山姥(やまうば)の里で生まれて、後に大江山に移った。お前はどこだ?」

「……知らない。」


 腰の太刀を鞘ぐるみで引き抜いた応念は、品定めするように子供を見下ろした。

 随分と覇気が薄い童だ。他の天神が言うような、神気や霊力など応念には区別もつかないが、それでも目の前の子供からは草木ほどの精気しか感じない。ーーしかも、だ。


 そもそも、四天王でも武勇に優れた多聞天の大将たちと喧嘩をするほど血気盛んな、大胆な奴と期待したから、ちょっかいをかけているというのに、涙を浮かべて見上げてくるとはどういうことか。

 当てが外れた応念は大きく舌打ちした。


「おい! 二月(ふたつき)前に引っ立てられたっていう脱獄はお前だよな。蓮台の外じゃ、何十頭も鬼を喰らっていたって聞いたぞ。それがなんで、こんな子供の姿(なり)してんだ?

 ーーおら、立て。俺はお前と勝負がしたくて来てんだ。」


 そこに、風が吹き下ろしてきて、太刀を肩に担いだ応念は煩わしそうに髪をかき上げた。


「邪魔だてするな天狗小僧。俺は無比の婆さんをやったっていうその餓鬼に用があるんだ。」

「邪魔、って。今、こいつはボクが世話してるんです。深山が預かっている者に、目の前で乱暴されちゃあ困ります。」

「お前が世話してるってことは、やっぱりこいつが、脱獄の鬼か。ーー得物は?」

「……?」

左司命(さしみょう)が持って来ただろ。抜け。」


 言っている間に、応念の背後に清や師範たちが降りてくる気配がある。

 苛立った応念の肩の周りの大気が揺らいだ。やおら太刀が振り上げられる。

 鞘のまま、隙のある大上段。ただの威嚇だと分かっていたが、駆け寄る清も秋穂も表情を失った。


「ーー抜け。」


 振り返った秋穂が渚の肩に腕を回すのと同時に、渚の手が帯に挟んだ短刀に触れた。

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