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鬼の浄土  作者: 天狗の鬼嫁


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10. 紺碧の空

燈泰四十八年  5月 7日 

 ひんやりとした朝の風が肌をなでる。

 まぶたに青い光を感じて身じろぎすると、鼻先に柔らかい腿が触れた。


「起きたの? お寝坊さん。」


 小福の細い指が絡んだ癖毛をすくと、秋穂は唸りながら座っている小福の腰に腕を回して顔を埋める。


「秋穂さんのからだって、白くて細くて女の子みたいにすべすべね。妬いちゃいそう。」

「……ん。ねぇ、それ嫌味?」


 半分寝ぼけたまま身を起こした秋穂が体重を預けてきて、小福は押し返すように抱き止めた。

 小福は首筋に唇を寄せてくる秋穂の柔らかい癖毛を、仔犬にするように無遠慮に撫でた。


「いやんそうじゃないわ、秋穂さん魅力的って意味よ。でもそうね、六ノ辻の橋はとおらないほうがいいかも。」



 ーー水晶山にも花街はある。


 いくら北天に仕えているといっても、下級官吏には信心からではなく、家を支えるために働きにきている者もいたし、それらに仕える下男下女には、貧しさから家を出されたような者も多い。

 水晶宮のある内陣から城壁に隔てられた外陣には城を支える兵士や職工たち、商人や宿屋が暮らすが、北天を仰いでも夜になれば箍を外すのを咎められたりはしない。


 そうした者たちに、浮世のうさを晴らす場所は必要とされる。

 初めは水晶宮から身を隠すように、閑地の谷川沿いにひっそりと開かれた色里は、次第次第に大きくなり、一筋の川を中心に、貝の年輪のように街を形作っている。


 小さくはない街の中で、川下にある六ノ辻は、一ノ辻二ノ辻から見れば掘立て小屋のような宿が軒を連ねる。

 世間知らずの学生が、うっかりその辻を歩くと、衆道を好む客に路地に連れ込まれる、と寮では密かに噂になっている。



「うーん。そうだね、ボク、あんまり好き嫌いないけど、男に買われるのは好みじゃないから。」


 目を覚ましたらしい秋穂が身体を離すと、小福はすぐに微笑みを浮かべた。


「あらあら、それは失礼いたしました。」

「年寄りどもに買われるより、買う方がまだ興味がある。ジロジロ物色されるなんて真っ平だ。」

 

 言ってしまってから、秋穂は少し自嘲して、小福の頬に指の背で触れた。


「どうせ買うなら優しい女の人の方がずっといい。」

「まあ、嬉しい。ーー次も来てくれるかしら?」

「心待ちにしているのは弥生屋のおはぎの方だろ?」


 大きく伸びをしていた秋穂は、あくびを噛み殺しながら、夜具の向こうから単を拾って袖を通した。

 小福は立ち上がり、湯を沸かしていつもの濃いめの茶を淹れる。

 湯呑みを持って窓枠に腰掛けた秋穂は、憎々しげに朝日を睨みながら熱いお茶を一口啜った。



「お勉強は大変?」

「そうでもないよ。適当にサボってるし。」

「その割には怖い顔。嫌なことでもあった?」


 驚いて見下ろせば、床に座る小福が微笑む。

 朝日が眩しいだけだよ、と返すと小福はそれ以上は言わずに、羽織を持ってきて秋穂の肩に掛けた。


「なら、早くお城に戻らないと、こんなところに来ているのがバレたら、北天様に顔向けできないわ。」

「いいんだよ。天狗の次男坊は、放蕩者の腑抜けだと思われているくらいで、ちょうどいい。」

「まぁ悪い子ね。」

「気楽な身分だろ?」



 肩に置かれていた小福の指が離れる。

 背後でてきぱきと秋穂を追い返しにかかる小福が、たばこや酒瓶を片付ける音を、秋穂はぼんやり聞きながら茶を啜った。


 この街で生きる者も遊ぶ者も、仏門から見れば戒律を破った罪人に映るのだろうか。

 


「……卑賤なんてあるもんかい。」

 そう呟いてから、秋穂は湯呑みの縁に残った熱を、親指でなぞった。


 階下から柏手の音が聞こえて見下ろすと、道々や高欄の影で朝日に向かって手を合わせている者がちらほら見えた。


 その景色を、秋穂はぼんやり眺めていた。


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