心臓と消毒液
4|心臓
「……最近さ、なんか変なの。気のせいかもしれないんだけど」
大学の帰りに、高校からの親友ユリとカフェでお茶していたとき、
私は我慢できずに話し始めた。
「誰かに見られてる気がするっていうか……家にいるときとか、外歩いてるときとか」
「ストーカー?」
「……かも」
ユリはしばらく黙ってから、言った。
「それって……元カレとかじゃないの?」
「え?」
「いたじゃん、高校のとき付き合ってたダメ男」
「あー、そうだっけ?」
と返したけど一瞬、名前が浮かばなかった。
思い出すまで数秒かかったくらい、彼の存在は自分の中で風化していた。
その夜、スマホで昔のLINEを開いてみたが、
彼のアカウントは消えていた。
メッセージも履歴も、何も残っていなかった。
あれは、当時のわたしにとって消したい過去だった。
数日後、ユリの方から電話がかかってきた。
「ちょっと言いにくいんだけど……」
声が固い。
「あのダメ男、先月亡くなってた」
心臓が、ひゅっと縮む。
「精神的に不安定になって、って。でさ……彼も最後、誰かにつけられてるとか言ってたらしいんだよね」
「……誰に?」
「わかんない。でも、雨の日とかに多かったって……」
スマホを持つ手が汗ばんでいることに気づいた。
息をするのが、少し苦しくなっていた。
(モノローグ)
おとこは きえてしまった
さきに いってしまった
5|消毒液
「あいつと共通の知り合いとか、いた?」
ユリの言葉に、わたしは即答した。
「いないよ。付き合ってたこと誰にも言ってないし……」
その言葉を口にして、自分で引っかかった。
確かに他には言ってない。
……でも、知ってる存在はいた。
数秒後、その記憶が脳に差し込んできた。
冷たい、白い天井。
消毒液の匂い。
カーテンの隙間から見えた曇り空。
思い出すことをやめていたあの場所が、一気に蘇った。
病院の個室。
私は、処置台の上にいた。
脚を固定されたまま、静かに“何か”が取り出される感覚だけを、ぼんやりと感じていた。
あのとき、お腹に彼との子供がいた。
まだ心音も、性別もわからなかった。
だけど、確かに存在していた。
思い出したとたん背筋が凍った。
呼吸が浅くなる。
私が感じていたその気配……
雨の日。
風呂場。
キッチン。
湿った床。
思考が、点と点を結ぶように形になっていく。
その子が、最後にいた場所も……
わたしの身体の水の中だった。
(モノローグ)
きみは わすれたかった
それが ゆるせなかった




