8 家族
「一緒に住まない、交流をしない、話し合いも最低限、姓だけを共にして個人について口出しを禁じる。おもに王子殿下のわたくしに対する。そういう契約に見えるのですけれど」
「間違っていないと思う」
「それって他人ですわよね」
「いいや、婚姻契約を結んだらきちんと対等な夫婦だ」
常識のように彼は言って、少し笑みを浮かべた。顔が青白いのでやけにその笑顔が儚く見えた。
…………。
そしてレナーテはまったく言いたいことが伝わっていない、そう感じる彼の言葉に、腹が立ちそうになった。
けれども相手はこういう話が出ている状況でも高貴なる血筋を持った人物である。
それに力を持つ者として、早々怒ったりするべきではない。
そうして然るべき時以外は、レナーテは温厚でいたい。
実際に自分は温厚な方だとも思っている。それなのにカチンと来てレナーテの周りをふわっと魔法の炎が舞い散った。
「立ってください」
「え……っとはい」
魔法の炎はキラリとした光りをはらんでいて、すぐに立ち消える。
レナーテの突然の言葉に、ヴィクトアは少し逡巡したけれど苛立っている様子が見て取れたのか、スクッと立ち上がって少し困惑している。
レナーテはそんな彼の様子も気にせず自身も立ち上がって、テーブルを周りこんで一歩二歩と、近づいていく。
「……っ」
「……」
しかし、合わせるようにヴィクトアが後ずさり、距離は変わらないままだ。
それでは意味がないのでレナーテは手を伸ばして、ヴィクトアの手首を捕まえた。それからダンスを踊るような触れ合う直前みたいな位置でレナーテは彼を見上げた。
色素の薄いグレーの瞳に、レナーテの真っ赤な髪色が反射していて彼が何を考えているかはよくわからない。
けれども、その瞳の奥の感情を知りたいと願って、どう思ったらいいのか悩んだり、考えたりすること、それが出来るだけの距離になること。
「このぐらいが家族の距離ですわ」
「ちょ、は、離れて」
「何故ですの。わたくしを欲しいと望んだのは王子殿下よ」
「それはそうだけれど、こんなこと、こんな中年の男とレナーテみたいに若い子が結婚するなんてさぞご両親だって心配だろうし、夫として悪くない条件は出したとしても不快に思うだろう。別にこんなことをしなくたって」
のぞき込まれてヴィクトアは自分のことを中年などと言い、距離を置きたいと口にする。
たしかに彼に貸しを返すという条件で、結んだだけの関係であって当たり前にいつも一緒にいる様な恋愛結婚ではない。
けれども、共にいることを、家族らしく接することをわざわざ阻害する必要がどこにあるだろう。
そんなふうに生きていたら孤独になってしまう。別に特別毎日家族愛を伝えろとは言っていない。
ただ、当たり前に一緒に生きていくぐらいはするべきだ。
特別なことなどなくても、ただそうしている事こそが日々家族が与えてくれる温かさなのだとレナーテは最近気が付いた。
「それにレナーテにとって俺と距離を置いて生活ができるというのは、利益のある条件であってこんなふうに苦言を呈するような悪い条件じゃないはずだ」
「いいえ、悪い条件ですわ。わたくしはあなたに貰われてあなたを一番の家族にするのよ。それなのに一番の家族と一切交流をもてない孤独な女性にするつもり?」
「…………」
「それとも……本当は、わたくしの力だけが欲しくて、わたくしとは深い仲になりたくないのかしら? 策士ね、王子殿下」
レナーテは苛立ちのままに口にして笑みを浮かべる。
彼は黙って必死に言葉を探している様子だったが、とても渋い顔をして視線を逸らしてそれから最後には「ご、ごめん、そんなつもりはないよ」と呟くように言う。
それからそっと腰に手を回した。
「ならいいのよ。生活に関する条項は無しでお願いしますわ。それにもう一つだけ、この際だから言ってもいいかしら」
「どうぞ」
そして今更ながら、言う。
「……中年と自分のことを表現なさるけれど、王子殿下、あなたはまだ、二十歳になられたばかりよ」
「あ、あー……それは、老けて見えるとよく言われるし。俺自身もなんだかそんな気がしてきているというか、もちろん外見には気をつかうけれどなんだか若者らしくないし、実際に三つも違えば俺はおじさんも同然だよ。当然のことだ」
「そんなことはありまあせん。十歳差の兄がいますけれど、おじさんだと思ったことはありません」
「…………それを否定したら、君のお兄さんを否定することになるから何とも言いづらい」
「実際、普通にわたくしたちは年齢的な面で見ても釣り合っているもの。否定できないのは当然ですわ」
「そうかな」
「ええ、親愛の抱擁ぐらいはして当り前ですのよ」
ヴィクトアが折れるとレナーテは、少し息をついて体を寄せる。ヒールを履いていても身長差があり、必然的にヴィクトアに包まれるような形になる。
すると、なんだか少しだけインクみたいな香りがして、観念したヴィクトアに抱きしめられると勢いのいい兄たちとは違った抱き心地だった。
ガツンと頬に胸板が直撃するような抱擁ではなくて、壊れものでも扱っているみたいな探り探りの体を寄せるだけのそれは少しむず痒い。
「…………」
「ごめん、罪悪感が押し寄せてくるというか。君のご両親に申し訳ないことをしているような気になるし、こんなことをしたのはいつぶりだろう。下手だったかもしれない」
困り顔で離れて言う彼は、やっぱりよくしゃべる。
しかし、心配事ばかりを口にしているだけで、レナーテに対して嫌な気持ちを抱いているわけではないのは確かで、変わった人ではあるけれど、まぁ、悪い人ではないなと、結論付けて「下手も上手いもありませんわ」と言ったのだった。