59 幸福
様々なことがあったが国に平穏が訪れ、それぞれが日常にもどり当たり前の生活を送り、公爵夫人のことや王家の新しい体制についてさして気にも留めなくなったころ。
レナーテは久方ぶりにヴィクトアの元へと向かった。彼は約束通りに公爵の爵位を賜り、王族というくくりから抜けて今は、契約魔法を持つ人を集めて指導を行っている。
しかし、レナーテは正直一から教えて正しい契約魔法が使えるようにしたいとヴィクトアが言っていたので子供の教育をするものだと思っていたがそうではない。
彼の執務室へと向かうと、そこは大きな教室になっており、ヴィクトアよりも年上の男性も女性もたくさんいて、面倒な契約の条項に頭を悩ませていた。
「これが魔力の譲渡についての条件になるからして……だから、この条件を付け足すことは……」
「あれ、どうして魔法がいきわたらないの……間違ってなんて…………えっと」
いつ来ても彼らは、必死であるし、まるで試験前の教室の様だった。
しかしレナーテが入ってくると彼らは顔をあげて、「あ、レナーテ様ですわ」と誰かが声をあげる。
すると煮詰まった顔をしていた他の生徒たちも反応して相好を崩す。
「じゃあ、休憩ですね」
「はぁー、少し考えを切り替えに外に出てきます」
「それいいですね」
彼らはレナーテのことを見ただけでそう判断して息をつく。
「今日は平日ですが、どうされたんですか」
「試験が終わって学園は休日ですのよ」
「そうですか、いやぁ、ずっと書類に向き合っているのでレナーテ様がいらっしゃると後光が見えます」
「あら、おかしなことを言うのね」
彼らはそうしてレナーテにも好意的だ。その理由はもちろん、この仕事を覚えるのが大変で苦戦してばかりだからだろう。
教える側のヴィクトアがレナーテに構う間はリフレッシュできるそう刷り込まれて後光がさして見えるようになったらしい。
……一応、人に教えるからにはそれなりに休憩を取って、時間もきちんと決めているようですけれど……。
そう考えつつもレナーテはヴィクトアの方を見た。彼は一人の生徒に付き添って何やら書き物をしていて最後まで教えている。
ようやく終わったのかぱっと顔をあげて、ヴィクトアはすぐにレナーテの元へと駆け寄ってきた。
「レナーテ、いつぶりかな。ごめんねまたギリギリまで仕事をしていて、皆も言ってあった通り、各々休憩してね」
まだ残っている生徒たちに声をかけて、ヴィクトアは改めてレナーテに視線を戻す。
休憩に行く人もいれば丁度いいところまで進める人もいるようで、レナーテたちはいつものように執務室から出る。
「いいえ、今日は突然来ることになったのだから、休日にするわけにもいかないでしょう。当たり前のことですわ」
「そう言ってくれると助かるけれど……実のところこの仕事になってからもこうして合間に会うことが多いかなって……」
ヴィクトアはそうして廊下を歩きながら、レナーテを窺うように言った。
たしかに劇的に休日が増えて遊び放題でずっとそばにいるというわけではないし、基本的に執務室に籠っているという状況は変わっていない。
効率が落ちないように時間配分をしていてもヴィクトアはもともとそういう作業が苦ではない人で、常日頃から努力が出来る人だ。
まぁ、その彼についていく生徒は大変そうだけれど、関係は悪くないのをレナーテは知っていた。
ヴィクトアの私室に入ると、前回来た時よりも物が増えていて、散らかっているというよりも雑多なものが増えたのだ。
キャビネットの上のアンティークとか、あまり統一性のない花瓶とか適当に配置されているそれらは方向性が色々で、彼の個性というにはまだ少し粗削りだろう。
「またにぎやかになりましたわね」
「散らかっていて、悪いねもう少し片付けたいんだけれど……彼らから色々いいお店とかいい商会を教えてもらっているうちに、いつの間にかこんな感じで」
「構わないのではなくて? 色々あるけれど素敵なものばかりだわ。少し眺めてもいいかしら」
レナーテはキャビネットに手をついて、ヴィクトアに問いかけた。彼は笑みを浮かべて「もちろん!」と元気よく了承したが、その後すぐにレナーテのそばに目をやって声をあげる。
「あ、ちょっと、まって」
言いつつぱっと手を伸ばしてヴィクトアは何かを手の中に隠す。
彼はしまったという顔をしていて、レナーテはそうされると流石に気になってヴィクトアのことを見上げた。
数歩そばによって何を隠したのかと目で訴えると彼は困り切った様子だ。
隠したものを後ろ手で持って、視線をあっちにやったりこっちにやったりする。その様子を見つめているとレナーテはなんとなく手を後ろから出せないヴィクトアの状況がおもしろくなってヴィクトアの胸板にそっと頬を預ける。
「……」
そして目を伏せて、こうして体を寄せるのは心地よくいつヴィクトアが折れるかわからないが、そのまましばらく膠着状態が続いた。
すると彼はやっと観念して、手に持ったものをレナーテの前に差し出す。
それは、とても精巧な作りのカメオブローチで髪をまとめた鋭い目つきの女性が掘られている。クッションをしいて飾られていたらしく塵一つもついてないほど大切にされているようだった。
「わたくしに似ていない?」
「……作ってもらったからね、似ているというか君の肖像」
力なく言う彼のことをレナーテは見上げる、彼はレナーテに見上げられていい訳のように続けた。
「こういう物をつけたり贈ったりして愛情を確認し合うのが大人の恋愛の真骨頂だって聞いたんだよ。彼らは俺よりもたくさんの経験をしているし何より話を聞いたときいいなと思って」
「……」
「ただ実際に作ってみたらそれを君に贈るというのもなにか、執着心みたいなのを感じて気持ち悪いかなとも思ったし、自分が勝手につけるというのも君がびっくりしてしまうかもしれないし」
喋り出すと彼は次第に赤くなっていく。
「でもとてもいい出来だから自室に飾って眺めたらいいんじゃないかと━━━━」
しかしレナーテは彼の持つカメオに手を置いてそれから少し背伸びをする。
ペラペラと動く口にキスをして体を近づけた。
「んっ」
舌を滑り込ませて深く口づけると彼は流石に黙って目をつむってレナーテの腰を支えた。
そうしてお互いの感触を確かめ合ってゆっくりと離れていく、しかしヴィクトアはそのままペラペラとしゃべり続けた状態と変わらないほどに真っ赤になっていた。
……口をふさいでもそうなるのね。不思議ですわ。
「っ、きゅ、急だよ、びっくりした」
「あら、たまにそうして話過ぎて一人で真っ赤になるものだから、口をふさげば冷静に戻る可能性を見出したのよ」
「い、いや、そんなところに冷静に可能性を見出さないでよ、俺はもう君にこれを見つかった時点で頭が破裂しそうなんだから」
抗議するように彼は言うが、レナーテはまったく気にしていない。というか彼が疎いだけで実際割と普通のことだ。
生徒たちがヴィクトアに教えたのも何ら不思議ではない。
騎士や魔法使いなどの職業の人間は、危険な場に出なければならないこともあり、安全を願ったり、離れた場所でも思いだせるようと想いを込めて作成するのだ。
だからそんなふうになる必要はなくてむしろうれしいぐらいだ。
「どうして、普通のことよ。自室に置いてわたくしを思い出してくれていたのでしょう」
「……」
「逆にあなたはわたくしがあなたの肖像画を部屋に飾っていたらどう?」
「……たくさん会いに来たいなって思うよ」
「なら、わたくしもそう思うわ。恋しく思ってくれたのね」
そう言って、レナーテは出会ったばかりの時の彼を思いだした。距離があって警戒心が強くて、けれども公平な人だと思った。
だから彼の誘いに応じた。あの時彼が、貸してくれた分、もしくはそれ以上にレナーテはヴィクトアに良いものを与えられているだろうか。
手を貸してくれた恩を返せているだろうか。
近づいて、手を取って、距離を詰めて、いろいろなことがあって、ヴィクトアは変わっただろう。それはレナーテにとっては良い変化だったと思うが、彼にとってはどうだろう。
「思ってるよ。いつも会いたくて、レナーテに触れたくて君の面影を探してる」
「熱烈ですわね」
「うん。ごめんね、酷く重い男になってしまって」
それを本当の意味で理解することはできないけれど、家族の距離にはなることができただろう。
「ふふっ、まだまだ重くなんてありませんわ。それにわたくしには魔法がありますもの、あなたがどれだけ重い人になろうともふわりと浮かせて見せるのよ」
「……君は本当に魅力的で、才能にあふれた素敵な人だね」
レナーテがおどけて言うと彼はレナーテを包み込むようにやんわりと抱きしめて言った。
「とても素敵な力を持った俺の大切な人、君に貸しを作れたからこうして俺は君に助けてもらってこうしているけど貸しを返してもらってもあまりある恩恵を受けている気がする……」
「そう思うなら、返してくれればいいのよ。あなたのそういう想いくれたらわたくしは嬉しいもの」
「そんなものならいくらでも、大好きだよ、レナーテ」
「わたくしも、あなたが好きだわ」
「…………でも君も同じようにしたら、俺の借りはいつまでたっても返せないような……」
付き合いたての恋人のように、お互いに頬にキスをして愛をささやく、すると彼は、欠陥に気が付いて疑問の声をあげた。
「ならいつまでも返すために一緒いることができるわね」
ヴィクトアの言葉にレナーテはそう機嫌よく返した。
返し終わる日など特に来なくてもいいのだ。
終わらないほど、与えあって向き合っていきたいそう思える相手がいる、それが幸福なのだとレナーテは思ったのだった。




