55 大切な人
気球馬車は何とか、王城のロータリーへと乱暴ながらも着地した。
幸い、馬車の車輪がクッションとなり、ゴロゴロと転がって勢いが次第に落ちていく。
それでも座面にしがみついていたからなんとか無事だったという程度だが、王城へと到着することが出来た。
こうして勢いを車輪で相殺できるということは特に考えていなかったが馬車という形にしたことがここにきて正解だったと実証される。
作戦の成功を祈って待っていてくれた、国王陛下たちや、ベルンハルト、ヘレーネ、ヴィクトアからは少し離れた位置に着地してしまったことをレナーテは顔をあげて確認した。
「っ、あっ、よよ、よかった! 怖かったですわ、ありがとう伯爵令嬢! ありがとうっ」
急降下する中でもきつくレナーテの手を握りしめていたフロレンツィアも顔をあげて、レナーテにお礼を言う。
けれどその顔はレナーテの方を向いていなくて、まだほのかについている気球の火の玉に照らされて、彼女の瞳には涙が輝いていた。
それほどこの作戦が恐ろしかったのか、それともそれほど嬉しいのか、どちらかわからずレナーテは彼女に聞こうと考えた。
「っ、たくさんお礼をしたいわ! 本当に、ありがとう!」
けれどもフロレンツィアは最後に強くレナーテの手を握って、馬車の扉を開けて、ふんわりしたドレスを掴み、ステップも踏まずに飛び降りる。
「!」
レナーテもトランクを持ってその後ろを追いかける。
待っていた人たちは急いでレナーテたちの方へと向かってきている。
しかしそこまでの道のりは暗闇でとてもじゃないがヒールで駆け寄るのは無理だ。
けれども、フロレンツィアは何度も転びそうになりながらも暗闇の中だと思えないぐらいのスピードで彼らの元に一直線に向かっていく。転ばない程度の駆け足で、レナーテは後ろからついていく。
なにをそんなに急いでいるのかわからないし、もうここにいれば安全だ、それとも久方ぶりに会ったベルンハルトに一言、言うためか。
そんなことを考えていると、やっと彼女は合流する。彼女を素通りしてヴィクトアは急いでレナーテの方にやってきた。
フロレンツィアはそのまま駆けていくレナーテの想像は外れて、勢いそのままに手を伸ばして衝突するみたいにヘレーネを抱きしめた。
そしてヘレーネもしっかりと決して離さないようにきつく抱きしめ返す。
レナーテはてっきり彼女たちの間の関係というのはベルンハルトを中心とした魔法を交換された被害者同士で、しかし同時に一人の男を取り合う間柄なのだと勝手に想像していた。
仲良くはないだろうと勝手に思っていたが、嗚咽と泣き声が聞こえてきて思わずレナーテは視線を奪われた。
「ヘレーネ! ヘレーネッ!! ずっと心細かったわ、ずっと会いたかったわ!」
「……ええ、わたくしもですよ。フロレンツィア様」
「ずっと、ずっとこうしたかった、ずっとこうして、あなたに大切なものを返したかった!! あなたのだもの、優しいあなたのっ、素晴らしい力だもの!!」
言葉を失ってその様子を見つめる。
ベルンハルトすら蚊帳の外だ。
「なのに、なのにずっと私だけが、守られて、尊重されて!! やっとこれで返せる、やっと、っああ、よかった。ヘレーネ……私の一番大事な人……」
縋りついて涙をこぼすフロレンツィアの頭をヘレーネはゆっくりと撫でて「もう大丈夫よ」ととても優しい声で言う。
それを見てレナーテはやっとヘレーネが誰の為に行動を起こしたのか、わかった。彼女が言っていた尊厳を踏みにじられて、利用されて搾取されている人がいて我慢ならなかったという言葉は自分のことではなかったのだろう。
ベルンハルトの婚約者として定められ、人の魔法を使ってフロレンツィアはその有能さをアピールするように振る舞っていて、だからこそ誰しも彼女が有能だと思っていた。
しかし、違ったのではないだろうか。
他人の魔法の操作性はあまりよくない。
そんな状態でまだ若い彼女が活躍をすることを強制されてきたとするならば、それに耐えかねて、フロレンツィアのことを思ったヘレーネが行動するのは何らおかしくない。
実際に、婚約者を下ろされてからのフロレンツィアは魔法どころではなくしばらくは母とともに社交に参加して過ごしていたはずだ。
その負担はいくらか軽減されたと言っていいだろう。
お互いの安全を確認し合う二人をベルンハルトはそばによって二人の手を取って声をかけている。彼もまた二人のお互いを思う気持ちを大切にしているようだった。
それにしても、ヘレーネが主の為に必死になって安定を捨ててまで大切にすることも、魔法を返したいと望んで行動に起こせるフロレンツィアも彼女たちはとても素晴らしく、それは尊いものだと思った。
「……よかったわ」
「そうだね」
感動してしまってレナーテが小さくつぶやくと、そばにいたヴィクトアも同意する。
そして無事にフロレンツィアが盗み出してきた白魔法交換の契約書によって、契約は破棄されて、いくらかの証拠を手に入れることが出来たのだった。