40 言い訳
あの時は勇気を出してレナーテの言葉に答えるために行動を起こしてくれた。
ならばレナーテはそれが嬉しいし、ここまで来て、ヴィクトアからそういうふうにされて不快だとはほんの少しも思っていない。
けれども、今日会って少し気まずそうにしていたのは彼がそれを気にしていたからだろう。
「あの後ちゃんと考えたよ、難しいし、俺に合わせて欲しいだとかそういうのはおこがましいと思うけれどでも同時に、意思を尊重してくれて、そうしたいと君が言うからには俺もレナーテの望むような関係性でありたい」
バルコニーの柵に同じように手をついてレナーテの方を見る彼は、言いなりなだけではなく自分からもと口にしてくれる。
「それに、俺は君とキスが出来て、関係が進展してやっぱり嬉しかった。ちょっと体が冷えているようだったから悪いなって思う気持ちもあって、でもその分、君が女の子で俺よりは小さくて、ついてきてくれるなら手を引いて歩きたいなとか」
「……」
「もっと会って、もっとそばによって、一番の家族にしてくれるって言った君に本当にそうだって間違いなくそうだなって自信を持って言ってもらえるようになりたいなとか思っていて……あーっと、いろいろ考えていて」
言っているうちに彼は、自分の言葉でどうやら照れているようだったが、黙ることなくしゃべり続ける。
「だって、あんなことをしたのは初めてででもドキドキして君の唇が俺の名前を呼んで君はまっすぐ俺を見ていて、有頂天で、自分でもおかしいぐらいで、触ったら悪い気がするけれど、君に全部を任せなくてよかったって今更思うから、後悔はしてないんだし」
……キスしたことを詳細に語るわね……。
あんまり、ヴィクトアがあれこれと語るものだからレナーテもその時のことを思い出してしまう。
「でも逆に、嫌じゃなかったかなとか。俺は自分でしておいてびっくりするぐらい良かったって思って嬉しかったけど、何なら勇気が出るならいつだってそうしたいぐらいで」
「…………」
「恋とかはこういうことを言うのかなとか、でもあまり気負いすぎると逆に何も動けなくなってしまいそうなまであって、ともかく好きとかそういう事でいいんだろうとは思うし、それらを全部任せて君主導にさせようとしていたことが今更、恥ずかしくて」
ヴィクトアは喋れば喋るほどドツボにはまっていって、自分の言葉でさらに羞恥して、そして顔を赤くして責められているみたいに困り果てていく。
「知らないことばかりで、好きってこういうことなんだとか言っているのにも今も呆れられて当然だとか、しょうもないなんて思われてしまわないかって思いもするしそれから━━━━」
「ヴィクトア」
「っ、うん」
「少し落ち着いてくださいませ。……ゆっくりで、いいのよ。時間はありますわ」
「……うん」
やっとレナーテは彼の言葉をさえぎって、たくさんの彼の言葉たちを否定するでも肯定するでもなく、ことさらはっきりとゆっくりと言い聞かせるように言った。
いろいろ考えたということは、痛いほどに伝わってきた。それから関係が進展して嬉しく思っていることも。
だからなにも焦る必要もなければ、言い訳をする必要もない。
レナーテは自分の顔を手で押さえて熱を逃がそうとしているヴィクトアから目をそらして、遠くの方を見る。
しばらくしてそれでも彼はこらえきれないように言った。
「ともかく……キスができて嬉しかった。それにこれからも、俺も君と向き合っていきたい」
「そうね。わたくしも、同じ。だからあなたのことを正しく知りたいわ」
結局彼が出した結論は、これからのことと同じぐらい、ああして唇を触れ合わせたことが嬉しかったということらしい。
それをそんなに思ってくれるならレナーテも嬉しい限りなのだが、そのあとの言葉に触れてレナーテは思っていたことを聞いてみた。
「……ねぇ、ヴィクトア、あなたあまり鮮明に景色が見えていないでしょう」
「……鮮明には見えないね」
「なら、星空だって見えないわね」
「昔はそこそこ見えていたんだけど、今はちょっと目の調子がよくなくて、仕事ばっかりしているからかな。歳をとると目が悪くなるっていうしきっとそのせいだよ」
ヴィクトアは半分ぐらい投げやりにそういう。しかし歳をとって見づらくなるのは近くのはずだ。
こんなに若くして遠くが見えないというのは病気か、近くばかり見ているせいだと言わざるを得ない。
「仕事が忙しい人だとは思っていたけれど、忙しすぎるぐらいではないのかしら。私室で何もしないぐらい、ずっと仕事場にいて、遠くが見づらいなんて過労だわ」
「そうかな。俺は第二王子だし、こんなものだよ。こういうふうに生きるために生まれてきた」
……そのために生まれてきた、ね。
それなりに決意をして指摘した過労だという言葉の返答は第二王子でそのために生まれてきたから。
それをレナーテは少し苦しくなる。
レナーテがこうして交流したのは、彼の人生のうちのほんの少しの時間だろうし彼を一番詳しく知ることが出来ているわけではない。
けれども正しくないと思う。
人を統べる一族で力を持って生まれてきたからそれが当たり前なのだろうか。彼はたくさんの人に自分の多くを犠牲にしてまで尽くしている。公平に純粋に。
彼の本質は出会ってからずっと素直で、影響されやすく純粋だ。
そんな人が信じている生き方がそれだなんて……何と思ったらいいのか、胸が痛いなのか、憤ったらいいのか、悲しんだらいいのか。
分からない。
「ヴィクトア、手を出して」
「はい」
レナーテが隣に手を差し出すと彼はポンとレナーテの手の上に手を置いた。
その素直さにレナーテは苦笑して、彼の手の人差し指と親指の間のポイントを挟み込むように押した。
たしか父が目の疲れに利くんだと言い張ってマッサージしていた場所で、少しはましになるだろうという配慮だった。
ぐっと挟み込むように力を籠めると、ヴィクトアはびくりと肩を揺らして、ぎゅっと目を閉じる。
「い゛っつ~!!」
「あら、痛いと目が疲れている証拠らしいわよ」
「っ、え、ぎゅうってしているからじゃなくて?!」
「優しく押しているわ。そんなに痛いのかしら?」
「痛いよっ」
「じゃあ、はい」
そうして彼の手をはなし、レナーテは手を差し出した。ヴィクトアは意を決して同じ場所を親指を押し付けるが、たいして痛いというほどでもない。
「…………」
「嘘だっ! え、結構ちゃんと押しているのに」
「もっと強く押してみたらどう?」
彼は男性なのだ、ぐっと強くすればレナーテも痛いかもしれないとアドバイスをしてみた。しかし彼はなるほどその通りだとなるわけでもなく、渋い顔をしてレナーテの指の間を揉みこみながら返す。
「そんなことをしたらレナーテが可哀想だよ。痛かったら君は泣いてしまうかもしれないし」
舐めているのだろうかと、まずは思って、それから思いやられているのかもと、思い直した。
兄たちであれば、煽るところだったが、彼は違うし純粋に優しくされているだけなのだろう。
……可愛い人ね。……本当にいい人。
優しい気持ちになって、けれども素直にそう言うのもなんとなく憚られたので代りにレナーテは、痛がらなくなるまでヴィクトアの指の間をぐいぐいと押した。
これで少しは夜空の綺麗な星が見えるといいなとレナーテは思ったのだった。
けれど見えないようならばその時はどうしようかと考える。するとまた新しい魔法の構想が浮かんできて、とても素敵な案だと思ったのだった。




