30 変化
「どういう意味か……わからないんだけれど」
不安そうに、意図をくみ取ろうとする彼に、レナーテは少しそばによって手を取った。
指先は冷えておらず、温かく血が巡っている。
「わからない? あなたはわたくしを敬ったり崇拝しているみたいな全幅の信頼を寄せてきているけれどわたくしは、それを受け取るだけの人生は望んでないわ」
「……」
「あなたが、手を引いて庭園の中を楽しそうに歩くのならわたくしはそれが嬉しい、わたくしを尊重してくれるのは嬉しいけれどわたくしのやることがすべて正しいわけではない、時には間違う」
「……そうかな」
「ええ、そうした時にあなたがわたくしを怒っていいのよ。あなたが間違っていたらわたくしも怒るし……ねぇ、ヴィクトア、人との関係って難しいものよね」
レナーテは彼の頬に手を添えて顔を見上げる。
ヴィクトアは不安そうな目をして、一度唇を引き結びそれから呟くみたいな声で言った。
「俺は、間違ってた? ……君はすごくてかっこいいなって思ったから、信じて進めば間違いないんだと思ったんだけれど、おかしかった?」
「間違いじゃないわ。でもわたくしの望んだ形じゃない。わたくしは向かい合って愛し合いたい。あなたの望むこととわたくしが望むことがぶつかって変わって形を変えて、その分理解して補い合いたい」
「レナーテは難しいことを言うよね。……それって大変でできているかの判断もできないし難しい関係性じゃないか……それに相手が考えていることなんて究極的にはわからないよね。なのに向き合って意味ってあるのかな」
彼は理論的にレナーテの言葉に返す。
その反論にレナーテは満足して深く頷く、その方が嬉しい。
「わからないから、実感出来たら嬉しいのよ。わからないとあきらめるより、どんな答えでも得たいと思うのよ。そういうふうに生きた方が後々得るものが多いはずですもの」
「……」
「将来への投資みたいなものだと思いましょう。片方だけの考えに偏らないほうがリスク分散ができて建設的でしょう」
「投資って。……もっとロマンチックな話だと思ったのに」
「ロマンチックが良かったの? 子供っぽいわね」
「そうかもしれない。レナーテ、ごめんね。俺……立場と力ばっかりはそれなりなのに、中身が伴ってなくて呆れたよね……本当は老けているんじゃなくて進歩してないだけなのかも」
「そう思うなら、これからやっていったらいいのよ。新しいことをなんでも知って変わっていったら、きっとあなたらしい関わり方や姿勢が見つかるわ。ヴィクトア」
話をしているうちにいつの間にかいつもの彼に戻っていて、少々卑屈な言葉を吐く。
それもいつか変わるのだろうか、変わらないのだろうか。わからないけれど進まないよりずっといい。
レナーテの言葉に、ヴィクトアは落ち込んだ様子でしばらく見つめてそれから目をそらして少し拗ねたような声で言った。
「……名前。……呼んでくれてうれしい。君の話を真面目に聞いていて、考えているのに、気が散ってしまうぐらい嬉しい」
「あなたはよくわたくしの名前を呼んでくれるものね。わたくしもいつも嬉しいわ」
「本当? 君は俺が何をしようと言おうと関係なく、なんでもできてどうとも思っていないのかと思ったんだけれど」
「そんなことないのよ。わたくしだって自分は折れないたちで、普通よりは頑丈な気がするけれどそれでも、頼りたくなることもありますわ。あなたの意見を聞きたいと思う時もある」
そう言ってアンネマリーのことを思い出して、レナーテは、彼の胸元に顔をうずめる。
ぎゅっと抱きしめると前回よりも、しっかりとした質感を覚えて、温かいような気がする。
「……そっか。そういう時に俺が君をずっと持ち上げて尊敬していたら、困るよね。あー、なんか今更考え無しで君のことを傷つけていたかもしれないと思うと恥ずかしいし、年下の君にこんなに丁寧に指摘されて情けないやらなにやら……」
ペラペラと自己嫌悪を口にするヴィクトアだが、レナーテの頭を抱いて最終的にはごめんと謝罪をした。
……悪いことじゃないって言ってますのに。結局そうなるのね。
その結論に苦笑して、レナーテは顔をあげるとヴィクトアと目が合う。彼越しに冬の晴れた澄んだ空が見えて、ふと冷えた唇に、熱く柔らかいものが触れる。
ほんの一瞬のことで目があったまま少しぽかんとしてしまう。
そして再度抱きしめられた。
…………子供っぽいと思った直後にこれは……びっくりするわ。
彼の行動に目を丸くしていると離れて、ヴィクトアは照れもせずに笑みを浮かべる、これからも彼はいろいろな方向に変わっていくだろうと思う。
でもそれはヴィクトア自身がレナーテのことを本気で思っていて、悩んでくれているからだ。だからこそきっと、いい方向に変わって進んでいくと思える。
そして次に会いに来た時にはとりあえず雪が降っていても、ブーツを履いて話をしながら彼とずんずん庭園を歩くのがいいだろうと思ったのだった。




