3 契約
「……」
「……」
バルトルトの瞳を見て、静かに告げると彼は黙ってそれから同じように目を見開いた。
しかし少しの沈黙の後、バルトルトはとても可笑しなことでもあったかのように吹き出した。
「……っ、ブハッ、ぐ、ふふ。アハハッ!! は、はぁ? なに言ってんだよ、なぁ、レナーテ、婚約をしてやった代わりに、契約した、そうだよな?」
「……え、ええ」
「それで、もう十分いい思いをさせてやっただろ? 将来の心配をせずにいられて俺が認められて、誇らしかっただろ?」
「……」
「それに誰が、有能な俺の力をお前に移すなんてことしたいと思う? 所詮は女のお前が持ったって宝の持ち腐れもいい所だ。金はくれてやるって言ってるだろ? だからもう現実を見ろ、俺の力だ」
勝ち誇ったように彼は言った。
その様子にレナーテは唖然としてしまって、しばらく思考が停止した。
しかしたしかによく考えてみると、周りからそのようにすでにみられていて、契約を結んだのもレナーテが幼いころだ。
たとえ、貸与の契約だったとしても事実上、大衆がそう認め、彼が操っているはるか昔の契約だ。その事実が認められるかもしれないなんてことはありえない話ではない。
むしろ、それを着実に狙っていたとしたら……?
……ここまで、彼の力として周りにも認められて、わたくしが劣っていると周知されている状況で、誰もが女に力を戻すなんて意味のないことを望まないだろうと読んでいたのなら……。
それならば、年々彼が座学の成績を落としていったことにも納得がいく。
自分には力があると陶酔し、何をする必要もなく、自分の物だと思っていたからやる気を出す必要がなかったのだ。
「……それでも、返してもらうと言ったら?」
納得しつつも問いかける、すると彼は馬鹿にしたような笑みを浮かべて、レナーテに言った。
「そんなことをすれば、お前が疑われる。学園側には契約のことなど知るよしもない、そこで俺たちの魔法が入れ替われば……わかるよな」
レナーテが奪ったことになる。傍から見ればそうなって、彼と婚約を破棄してそんな状況になればレナーテは、新しい貰い手もないだろうしむしろ、元婚約者から何かしらかの方法で無理やり魔法を奪った極悪人とみなされかねない。
将来は絶望的かもしれない。
「あきらめろ。端からお前に扱いきれる力じゃない、俺のような男が持ってしかるべきだろう。慰謝料だけはくれてやる、それで新しい相手でも探せ、どうせお前は頭がいいんだ。男に媚びることなんて簡単だろ」
あざ笑うように言いながら彼はレナーテの両頬を片手でつかむようにして無理やり視線を合わせた。
……あなたはあなたで算段があってそうしているのですわね。でもわたくしの魔法は何も、売り払ったわけじゃない、あくまで対等に魔法を貸して、将来の結婚を約束してもらっただけ、ですのに。
どうやら、ただの間抜けということではなくこのタイミングで婚約破棄をするのにも意味はあったらしい。
そしてたしかにレナーテは爵位継承者でもないし、力を持っていても仕方がない女、なのかもしれない。
それでもその手を振り払って「そうですか」と適当に言って立ち上がる。
バルトルトの心境はおおむね理解できた。そして彼はそれを当たり前だと思っている。
将来の心配があったシュターデン伯爵家の令嬢から都合よく力を得て、好きに扱うのも自由で、権利だと思っている。
慰謝料をきちんと払えば、両親が何も言えなくなることを見越していて、周りはもちろん彼の力だと信じている以上は何も問題がない。
レナーテはむしろ、生まれ持った力を失いつつも慰謝料という形で家に貢献できて、しばらくの間誇らしい婚約者とのことをもてはやされた。それで報われているという。
そんな様子に、レナーテは彼が魔法を使っているのを見て何と思おうかと考えたことが頭に浮かんだ。
……うらやましいでも、誇らしいでも、ないわね。力はわたくしの力だわ。だから、憎らしいでいいのよね。
持って生まれただけの幸運、それを振りかざすつもりもない、使えるときに使って正解はわからないけれども正しく使えたらと思っていた。
だから渡したままでもよかった。けれども違う。
……その力は他人が我が物顔で使うためにあるわけじゃない、あくまでわたくしのものだもの。それの自由も、責任もわたくしにあるものだわ。
そう決意して一時的に学園を去ることにした。幸い試験は終えているし進級もできるだろう。
王太子の件でごたごたとしていてこういうことが多く、教師に難色を示されないことだけが救いだと思ったのだった。
王族やその分家に当たる人々は少々特殊な魔法を持っており、そのうちの誰かに依頼をして契約の魔法を利用することがこの国での一般的な契約魔法の使い方だ。
婚約破棄の話やバルトルトの言い分を父や母に話すと思いのほかすんなりと謝罪をされた。
契約の破棄について履行をきちんと頼めるようにとたくさんの伝手をつかって王子ヴィクトアに取り次いでもらうことが出来た。
レナーテは正直なところ、両親は慰謝料の話をしても協力はしてくれないかもしれないと思っていた。
しかし幼いころから魔法が奪われても自分の力で学園に入り、良い成績を上げていることによって、両親はレナーテから取り上げてしまった物について重く受け止めてくれている様子だった。
そこに今まではあまり感じたことのない両親の情らしきものを感じて少し気恥ずかしかった。




