29 子供
ヴィクトアに会いに行くと、今日は散歩をしようと提案されていつかのように庭園へと出た。
彼は以前会った時よりも、しゃっきりと背筋が伸びて、小さな段差で躓くようなことはないし、なんだかくたびれた印象もなく年齢に逆行しているみたいな印象を受けた。
以前より快活になったその姿は素晴らしいが様子はどこかおかしなままで「レナーテが言うんならそうだろう」とか「俺は君のことを信じているから」と言う言葉が端々に登場し、彼がどういう感情をレナーテに抱いているのか分かりつつあった。
それはきっと尊敬みたいなもので、もちろん好意ではあるのだろうが少々行き過ぎている。
あれだけ警戒して距離を取っていたのにあっさり全幅の信頼を寄せてくるなんて変わり身が早いどころではない。
「そういえば、手紙で言っていたハイデンベルク侯爵のことは一応調べてあるから執務室に戻ったら書類を渡すよ。それにしてもやっぱり冬は冷えるね」
「そうですわね」
「寒くなったらすぐに言ってね、部屋に戻って温かいものでも飲もう」
「……でも、王子殿下、あなたはこの時間を楽しみにしていたのではないの?」
レナーテのことを気遣ってゆっくりと隣を歩く彼に、そうと言いかけた。
雪こそ降っていないけれど、とても寒くて指先が少し痺れるぐらいだ。けれどこの冴える様な寒さや新鮮な空気もレナーテは嫌いじゃない。
だからいつまでだってこうしていられる。
ただそうではなかった場合も、レナーテは彼がそう望むのならば付き合うことが出来る。
「……それはそうだけれど、レナーテが嫌だと思うなら俺はそれに従うし、その方が君も無駄なことしなくていいから嬉しいかと思って」
「……」
「ごめん、何か間違っていた?」
「いいえ」
「そう?」
やっぱりレナーテを優先しようとするヴィクトアの言葉に、信頼というよりも、もっと崇拝的なものに近しいような気がした。
そしてそれは必ずしも悪いことではないのかもしれない。
レナーテの言うことならなんでも聞こうと彼が思って、一報入れると忙しい中でも必要な情報を集めてくれて、レナーテの周りのこともレナーテを基準に判断してついてくる。
そういう夫婦の形もあるのだろう。
根っからそういう人もいるかもしれない。では彼がそうだったのだろうか。
ついつい考え込んでしまって、レナーテは庭園を彩ってる冬の花ではなくヴィクトアのことを見る。
「……雪が降ったら歩きにくくなるからこうして散歩をするのは最後になるかな、君のヒールが汚れてしまうしね」
ヴィクトアは惜しそうにそう口にする。
その様子がなんだか、寂しいというか悲しくて、レナーテは気が付いた。
多分彼は兄たちよりも幼いのだ。
兄たちは少年の心を残して大人になってもいつまでもロマンを追い続ける大人だが、ヴィクトアは人と距離を置いて大人らしく振る舞うことが出来るけれど本当は、中身の伴ってない子供のような人なのかもしれない。
彼が利用されることに常に強い警戒心を抱いて人を寄せ付けないというのは、同時に人に弱みを見せられないということだ。
昔からそうであって大人のように見えるだけで、本当の彼はずっと止まっているのかも。
だって人間はコミュニケーションを取って人と関わっていかなければ大人になるための経験値みたいなものはたまらなくて、丁度いいがわからないのだ。
きっとヴィクトアには今までレナーテのような距離に人がいたことがなかったのではないだろうか。だから彼は極端なのだろう。
でもそれは彼自身が悪いのではない。
本当に子供だった彼に、警戒することだけを学ばせた大人が悪いだろう。それにきっといつからだって、人と丁度良くかかわっていく方法はある。
「……わたくしは、靴が汚れても、あなたが雪の中でも散歩したいのだと言えば散歩に付き合うわ。その代わり、温かい部屋で体を温める時間を共に過ごしてもらうけれど」
「?」
「それに、寒くて風邪を引いてもいい。一日でも忙しいあなたが見舞ってくれるなら無理もするわ」
「え……っと、レナーテ?」
「これから、男女として進展をするならわたくしは、あなたから望んで手を出してほしい。初めの一回だけでもいいから、そうされたいんですの。そうしたらわたくしも安心してあなたのそばにいることができるもの」
彼を見て、レナーテは唐突にそう言った。
いつもの挑発的な笑みではなく、少し優しい気持ちで微笑んで、教えるみたいな気持ちになって庭園の小道の真ん中で吐息を白くさせながら彼を見つめる。