28 来訪
就寝の準備を整えて、レナーテは最後にエリーゼと話をしていた。
彼女はレナーテの今後の展望を聞いて、予定を立ててくれたり方々へと連絡したりとたくさんの仕事をレナーテが小さな頃からこなしているとても優秀な侍女である。
「だから時間のある時に王子殿下の元へ行きたいわね。それに出来ればハイデンベルグ侯爵とのやり取りももう少し詳しく知りたい」
「かしこまりました」
「なんだか、嫌な予感がするのよね。一筋縄ではいかないような……」
「ええ、魔石の加工選別はとても良い仕事だとわたくしも思いますが、一足飛びに進歩したと思うときほど慎重になるべきでしょう」
エリーゼもおおむねレナーテと同じような意見だったらしく取引相手について調べることに同意して、難しい顔をした。
ただ長年の成果が報われただけならば、別にそれはそれでまったくもって構わない。
けれど、父や母は兄たちと違って楽観的でもないし、いつだってぎりぎりで生きているつもりになっていて余裕がない。
だからこそ失敗してほしくないというのがレナーテの本音だ。
彼らは強くない人たちだ。
昔、レナーテの力が発現した時、レナーテは純粋に嬉しかった。なにかやっと満ち足りたような、自分の一部が帰ってきたかのようなそんな感覚ですらあった。
兄たちは、それでレナーテが別の何かになったなんて思わなかった。
彼らに連れられて転んで泣いて、笑っているレナーテになんだか力が宿ったなと特に気にしなかった。
ただ、両親はそうもいかない。
特に、待望の女の子だったレナーテが、血筋からして普通じゃない力を持ったことにひどく動揺した。
『こんなものがあったら……あなたは幸せになれないわ』
と母はレナーテに言った。
規格外の力に怯えて、隠して、無かったことにして、どうにかレナーテを普通に育てて、普通に幸福にしようと必死に悩んだ結果が将来を約束してくれる婚約者との魔法交換の契約だった。
女の子がこんな力を持っていてもそう一番思っていたのは母かもしれない。
守ってもらえるような、可愛くて愛らしくて、淑やかでそうあれるように、レナーテは自分の一部を失って、受け止めることもできないままだった。
でもそれが、その動揺から来た行動が悪意からではないと、愛ゆえだとわかっている。
だからこそこれからも失敗しないでほしいと願って、努力をしていることも報われてほしい。
感情は複雑で、思い出してレナーテはなんとも言えない表情をしていた。
「……ただ、お嬢様。わたくしは外部の事情よりも、内部のほうが少々心配です。ここ最近になってアダルベルト公爵夫人の件もあり独自に情報の整理なども行っていますが、この屋敷にその派閥に実家が属している者がおりますね」
エリーゼはまた違った視点から、レナーテに懸念点を口にする。
アダルベルト公爵夫人のことはいったん置いておくとしても、情報を知っておくことは重要ということで、レナーテはエリーゼと協力して派閥がどういうふうに分布しているのかや、自分たちの立ち位置についてある程度の知識を得ている。
そして派閥は多むね三つぐらいに分かれているといっていいだろう。
アダルベルト公爵夫人の派閥、王族に従順な派閥、そして中立派といった具合で、シュターデンは王族派閥、ハイデンベルク侯爵は多分中立だ。
そして側近や侍女として働いている使用人の中にも、実家があり派閥に属している。
そこから懸念点を洗いだすのは良い視点だ。
「そうね……たしか━━━━」
しかし具体的な話をしようと顎に手を当てて思案すると、小さなノックの音が響き、エリーゼはすぐにレナーテに視線を送る。
「アンネマリーです。夜分に申し訳ありません」
扉の向こうから声が響き、エリーゼに確認してもらって、レナーテは部屋に入れることなく入口へと向かって対応した。
彼女はとても緊張している様子で、レナーテに何度もこんな時間に申し訳ないと口にしたが、レナーテは「いいから、用件は?」と短く問いかけた。
すると彼女は深く頷いて、自分の目元に手を持っていきぐっと押さえた。
「私の目のことです。お嬢様。あなた様は、魔法使い志望のであるとお聞きしました」
「ええ」
「私は、奥様に雇っていただけて、特別な目利きが出来るとお話しました。縁起が悪い目で、気味が悪いですが奥様はとても良くしてくださっていて、私の目利きも素晴らしい力だと」
「…………」
「だからこそ、不安にさせるようなことはあってはならないと思い、昼に同行させていただきましたがお話しする機会がなく、こうしてお願いに参りました」
「そうね、魔獣と同じ目でしょう。そもそも魔獣は動物が転変したもの。魔力をもち他者を襲って魔力をくらう。だから魔力を視界でとらえることが出来る」
「……はい」
「ただ同時に人間もまた、魔獣に近しい。人間の貴族はその衝動を理性で押さえ込んで、人の為に使うことにした。それが今のわたくしたち。ただ稀に先祖返りのようにそういう特徴を持って生まれる子供もいる……という話は聞いたことがあるわ」
「その通りです。この目は不気味なだけではなく魔力が見えます。なので魔石をお預かりするとき、報酬をいただく時の魔石の魔力を判断することで目利きとしています」
彼女の目利きは長年の知識から培われてきたものではなく、単純にそういう能力なのだ。
その目を見た時から、レナーテは分かっていたし、その理由や根源も理解している。
ただ母や父、兄たちはそのことを理解しているのかわからなかった。しかし母が力を認めてくれていると彼女は口にした。
それはその能力への理解は得られているということだろう。
「ですから、私はこれからもシュターデン伯爵家のお役に立ちます。奥様には恩があるのです、決して悪い事は致しません。なのでどうか、魔獣の目だということは言わないでくださいませんか」
「そうですわね」
アンネマリーはそう言って縋るようにレナーテを見つめた。
それが何かを企んでいるゆえの予防線なのか、それとも単純な思いなのかわからない。
魔獣の目には魔力が見える。魔石の目利きだけではなく、別の用途に転用することだってできる目だ。
だから、その可能性を伝えておくことはもし彼女が何かしたときの予防策になる。なのに彼女の言葉を聞いて約束し潰すのは如何なものだろうか。
「話は分かりましたわ。ただ時と場合による、とだけお答えしておきます」
「……そう、ですか。はい、よろしくお願いします。夜分に申し訳ありませんでした」
レナーテが色の良い返事をしなかったことにアンネマリーは少し肩を落とした。答えは合理的に考えて間違った判断はしていない、そのつもりだ。しかしレナーテも少し暗い表情をして考えた。
……今のは意地悪だったかしら。……らしくなかったかしら……。
けれども、もっと詳しく話を聞いて正しく事情を判断することは今のレナーテには難しく思えてしまう。それも事実だった。




