17 業務
「ですからな、ヴィクトア王子殿下このあちらのこの契約不履行は莫大な不利益をもたらす。つまりわたくしどもが契約を守らないのもまた必然! これは正当なる権利なのです!」
ヴィクトアの机の前で椅子に座り、熱心に力説する貴族。彼の眼はらんらんと輝き、どうにかヴィクトアに要望を通そうと企んでいることが理解できる。
ちらりと視線をあげて確認しつつも、ヴィクトアはいつものように手を動かしながら答えた。
「それは、この契約書を見る限りは間違いではないと判断できることだね」
肯定すると彼はさらに前のめりになって鼻息を荒くした。
「ええ! そうでしょうとも、ではわたくしどもの契約不履行について記載されているペナルティーは━━━━」
「ただ、それはこの契約書が真に正しい契約内容だった場合に限るということはご理解いただける思う」
結論つけようとする貴族の言葉をさえぎってヴィクトアは冷たい声で返した。
その言葉に、貴族は怪訝そうな顔をする。
書類を一枚書き上げて、それからヴィクトアは彼の持ってきたどこの誰が契約魔法の執行主かもわからない書類を見つめた。
たしかに契約魔法がかかっているのは見受けられるが、内容が稚拙ではっきりとした記載がない部分も存在する。
王族の血筋を混ぜた貴族ならば誰しもその力が宿る可能があると言っても、それらすべての人物が国へと申告して正式な契約を結ぶ技術を持っているわけではない。
そういう人間を使った契約のことについてあらを探しこうしてヴィクトアの元へと持ってこられるとやりづらい上に、面倒くさい。
執行者の記載もするべきだし、意図的にペナルティーの設定がなかったり、とんでもない契約内容だったりして対応に困るのだ。
それらの人々のすべてを取り締まって監視するということが難しい以上は仕方のないことであるし、申告してきちんと技術を持っている人間でもとんでもない契約を結ぶ人間もいる。
だからそう簡単に判断して言葉をうのみにしないこと。
目の前にある事実だけを確認して正当に判断すること、それらを忘れると誰かが著しい損を被って、自分のせいで不幸になる人物が生まれる。
それはひどいプレッシャーであり、長年の実務で慣れることはあっても、いい気分のすることではなかった。
……でも、これに関してはわかりやすいかな。検討するまでもなく、この契約書の効力はない。
「……これ、契約魔法が結ばれた後に修正し、承認を得てないでしょう。魔力が宿っていない文章がいくらか見受けられる」
「っ、は、はぁ、そんなはずはないのですが」
「そんなはずがないのであれば、自分以外の誰かがこういうことをしたのだろう。残念ですが、お受けすることが出来ない」
「や、いやいや! そんな不幸がありますか! この契約が実行されればわたくしどもはどうなるか、考えてください王子殿下! どうかどうか! 後慈悲をくださいませんか!」
情に訴えかけるように言う貴族に、ヴィクトアはもう心が動かされることはない。
彼が誰かに騙されたのか、将又、ヴィクトアをだまそうとしているのか、そんなことなど到底判断がつくはずがなく、心を動かされて力を貸した途端に利用されたと気が付いたことは今まで数えきれない。
……ああでも、今回の判断は後者だろう。なんせこの契約の追記はどう見ても……。
「それにしても加筆されている部分はどう考えても、君の利益になることが多いな。こういった契約書類に関する偽造は……たしか公になった場合に罪に問われる可能性が……あー、失敬関係ないことだったね」
わざわざ口に出して、思いだしたことのように言うと彼は目を見開いて、あからさまに目を泳がせた。
……わかりやすいな。
そう思って笑みを浮かべると、彼は言い訳じみた言葉を吐く。
最近異様に仕事が多いのはきっとフォルステル公爵夫人の地位が弱まったことが起因している。
彼女は王妃の妹で、ヴィクトアやベルンハルトにとって叔母に当たる人間なのだが、ベルンハルトの元婚約者であったフロレンツィアの母親でもあるのだ。
フロレンツィアが将来の王妃の座から遠のいたことにより、フォルステル公爵夫人の力が弱まった。彼女は様々な貴族と契約を結び、多くの貴族たちの商いについて制限を課してきた。
彼女の派閥の貴族は彼女の使う魔法によって得をして、それ以外の貴族はがんじがらめにされた契約の内容を知るまでもなく損をしている。
しかし、力が弱まったことにより一部貴族が商機を見出し、既存の契約を打ち破って派閥外の貴族とも商いをしようと画策している。
実際兄の結婚相手が変わったということだけが事実だが、その裏にはたくさんの事柄が絡んでいて、様々な余波を生む。
これからのことを考えると気が重いが、目の前にいる貴族が、苦笑いを浮かべていきながら帰っていくところを見て、ヴィクトアはいつものように頭を切り替えた。
そしてまた仕事の合間に新しい貴族がやってきて、次から次に夜が更けるまで毎日そんな作業の繰り返しだ。
ヴィクトアの人生にはプライベートという時間が眠る前の数時間程度以外には存在していなかった。




