夏
あの日からずっとママンは死んだままだ。
「悲しい? 」
「悲しいと言われれば悲しくなるし、悲しくないと言われたら悲しくない。本当にどっちでもいいんだ」
「……本当に? 」
「……ああ、灰色の海を眺めているとそんな気分になる」
「なら良かった。実はちょっと疑ってたんだ。ママンは死んでなんかいないんじゃないかって。ひょっとしたら何処かからかぱったり現れるんじゃないかって。そんな妄想が頭から離れないんだ。だから、何と言うか、それを聞いて安心したよ。ママンは本当に死んじゃったんだってね」
「……本当に? 」
「ふふふっ。意趣返しのつもりかい? 本当だよ。ママンは死んだ。それはもう間違いない」
「そうか……」
「……何か言いたそうだね」
「いや、大したことじゃないんだが……」
「なんだよ、勿体ぶるなよ」
「私は『ママンは死んだままだ』と言ったが、『ママンが死んだ』とは言っていない。」
「……? それが何か? どちらも同じことじゃないか? 」
「ほとんど、ね。ほとんど一緒だ。まあどっちでもいいんだけどね。些細なことだ」
「でもそれが大事。そう言いたいんだろう? 」
「まあ、間違っちゃいない。けど気にするべきところは別にある。ママンはいつまで死んだままなんだ? 一体いつ死んだんだ? 」
「これからずっと死んだままだよ。永遠に。残念ながら蘇ることはない。それと、ちょうど4日前だよ。もう忘れちまったのか? 」
「……そうだよな。それは本当に大事なことなんだろうな。君が生きてある間は」
「どういうことだ? ママンは蘇るとでも? 死んでいないとでも? 」
「いやいや、そうじゃない。そういうことじゃないんだ」
「じゃあ何だ? ママンが死んだと言う事実に変わりはないだろう? 」
「……そうだ。そうだとも。正しいよ。君は。美しいぐらいに『正しい』よ。これに関してはやっぱり私は何も言えない」
「皮肉か? 」
「皮肉じゃないよ。少なくとも今は」
「そうか。それより何だよ、その何とも言えない顔は。土砂降りに振られたみたいな冴えない顔だな。さっきまであんなにのほほんとしてたのに」
「……こんなの何でもないさ。よくあることだよ。なあ、そんなことよりクレープ食べに行かないか? 浜辺の近くにあるクレープ屋。美味しいんだよね」
「良いよ、行こう。しかし、クレープはどうでも良くないんだな。不思議なことに」
「うん。そうだよ? 当たり前じゃないか」
「当たり前か……」
「そんなに不思議なことか? 暑い夏に冷たいアイスが添えられたクレープを頬張る。それに勝るものはない」
「今は秋の終わりだぞ? 」
「ん? 」
「ん? 」
「まあ、夏でも秋でもどっちでも良いでしょ。クレープは変わらず美味しいんだから」
「はぁ……そんなことないと思うけどな。季節がズレるなんて……そんなこと……」
「あり得ない? 」
「……! そう、あり得ない。あり得ないんだよ」
「そうだよね。本当にそうだ。これはあり得ないことだ。普通なら」
「普通じゃないってこと? 」
「……そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「どっち? 」
「どっちかと言われたら、そのどちらでもない。二十五年前のあの夏の日からずっとそうだった」
クレープのなめらかな舌触り。遠くから聞こえる波のさざめき。燦々と降り注ぐ光。風で軽くしなるやしの木。亀裂の入ったクッキー。まん丸な石。回る風車。ずれたリズム。幾重にも重なった円弧。バラバラになった歯車。遅々として進まない砂時計。