一話 水村旭という後輩①
旭と出会った翌日の昼休み、軍司は腐れ縁の友人である秋葉海斗と学食で昼食を共にしていた。彼の高校の学食の利用率は全生徒の半数に満たない程度であり席はそれほど埋まらない、だから端の方の席を選べばあまり人に聞かれたくない話も出来る。
「水村旭という名の一年生を知っているか?」
昨日の勉強の手伝いの対価であるうどんを啜りながら軍司は海斗へと尋ねる。彼は享楽的な性質で面白そうなことがあれば際限なく首を突っ込む人間だ。その関係で顔も広く情報収集もしているので大抵のことは尋ねれば返って来る。
「んー、水村旭っつーともしかして転生志願少女か?」
「間違いなくそれで合ってる」
あの少女のことを他に表現しようもない。
「しかしその名前が出たってことは知り合いになったのか?」
「ここだけの話にして欲しいが、トラックに飛び出そうとしたのを止めた」
「…………」
流石に海斗も面食らったのかしばし無言になった。
「なるほど、つまり噂は本当だったわけか」
「…………噂になってるのか」
「本人が隠してないみたいだからな」
海斗は肩を竦めてその噂の内容を話し始める…………と、言ってもほとんどその言葉通りで掘り下げられたような話は無かった。
一年生の教室に自分は異世界転生するのだと公言する生徒がいる。
概ねその一言に集約されている。異世界転生についての情報を積極的に集めており、そうでない事にはなんの興味も示さないらしい。
「友人関係は大丈夫なのか?」
「まあ、孤立してるみたいだな」
「…………そりゃあそうだよな」
しないわけがない。
「その、いじめとかは?」
「んー、あるっちゃあるらしいが、聞いた限りじゃそこまで激しいもんじゃないな…………そもそも当人は意にも介してないらしいし」
「じゃあ、それが原因って可能性はないのか?」
「ないな、そもそも順序が逆だ。話を聞いた限りではいじめが始まったから異世界転生を目指しだしたわけじゃなく、それを公言しだして孤立したからいじめが発生したらしいからな」
「…………」
軍司は落胆したように押し黙る。彼からしてみればいじめが原因であってくれた方がわかりやすかった。異世界転生の原因が虐めであればそれを解決するだけで済むのだから。
「しかし聞いた限りじゃ転生を公言しても実行はしなさそうな気配だったが…………よりにもよってお前の前で実行しようとするとは運がいいのか悪いのか」
「?」
軍司は首を傾げる。
「運はいいんじゃないか?」
そうでなきゃ死んでいたのだから。
「でもその娘は死ぬのが目的だったんだろ?」
「まあ、そうだな」
「だったらお前に助けられたのは運が悪いだろ」
苦笑して海斗は軍司の顔を見る。
「お前のことだからどうせ放ってはおけないよな? そうなると死なせては貰えないだろうから異世界転生なんてできるわけもない…………お前に見咎められたのが運の尽きってことだ」
「…………見捨てりゃよかったって言うのか?」
「その娘にとっちゃそうだな」
「海斗」
流石に見過ごせないと軍司の眉間に皺が寄る。
「いやお前よ、何が大切かなんて人それぞれだろ」
そんな友人をよくわかっているのか海斗は諭すような口調で続ける。
「お前にとって一番大事なものが別の奴にとってはゴミのようなものかもしれん…………だから人間の争いは起こるわけだ。それが分かってるからこそお前もその娘の望みをその場で否定はしなかったんだろ?」
「…………よくわかるな」
具体的にどう関わったかを軍司はまだ話していないのに。
「そりゃお前は実直そうに見えて強かだからな、正面から説得して反発されそうだと感じたらまず懐に入りこもうとするに決まってる」
「…………」
最初から敵になってしまっては説得どころか話を聞いてもらうのも難しくなる。だからまずは味方になって信頼を稼ぎ、内側からその暴走を抑えながら説得のための情報を収集する。彼としては堅実な方法を選んだつもりだったが…………海斗の物言いだとなんだか卑怯な手段を選んでしまったように感じる。
「ま、俺からすれば夢見て死ねるんなら好きにすりゃあいいんじゃねって感じだが、生きてりゃ他の幸せだって掴めるんだしお前の意見だって間違っちゃねえんじゃね?」
大切なものは人それぞれだが、それが重ならないというわけでもないのだから。
「お前は結局どっちの味方なんだよ」
「俺が面白いほう」
「…………」
なんでこんなやつと友人をやっているのだろうと、軍司は溜息を吐いた。
「そういやお前あのVRゲームやってるか?」
そんな彼の空気を察したわけではないだろうが海斗が話題を変える。
「ああ、やってるよ」
しかし軍司も聞きたい話は聞けていたので気にせずそれに応じる。
それからしばらくの間、とりとめのない話を二人は続けた。
◇
待ち合わせ場所は放課後の校門だった。放課後というだけで時間は正確に決めていなかったが、少し足早に向かうとすでに旭の姿があった。彼女は門から少し離れたコンクリートの塀に背をもたれ、下校の為に通り過ぎていく生徒たちを何ともなしに眺めている。
「あ、先輩!」
こちらに気づいたらしく嬉しそうに彼を見て旭は手を上げる。
「やあ水村さん。少し遅れたかな?」
「水村さんなんて固いっす。呼び捨てでいいっすよ!」
ニコニコとそんなことを言ってくる。昨日と比べて随分と砕けた口調だが、これは距離が縮まった証拠と見ていいのだろうか…………だとすれば昨日今日で随分とちょろすぎるが。
「ええとじゃあ、水村」
「はいっす!」
嬉しそうに返事するその姿はまるで子犬のようだ。
「とりあえず今日はもう少し水村の話を聞きたいと思うんだが、それで構わないか?」
昨日互いに簡単な自己紹介はしたが、時間が夜だったこともあって軍司は旭をさっさと家に帰した。だから海斗から彼女に関する情報を得ようとしたわけだが、やはり本人から聞くのが一番確実だし誠実ではある。
「もちろん水村も俺に聞きたいことがあれば遠慮なく聞いてくれていい…………お前にしてみれば俺は目的を邪魔した上に協力したいと言い出した得体の知れない先輩だろうしな」
「そ、そんなことないっすよ!」
慌てたように旭が否定する。
「確かに最初は驚きましたし怒りもしましたけど…………自分、少し考えなしのところがあるので先輩みたいな人に見ていてもらえるのはすごく嬉しいです」
そして恥ずかしそうに少し下を向いて、そんなことを口にした。
「そ、そうか。それならよかった」
その仕草に思わず軍司の声がどもる。
「あーっと、それでだ。話すのは喫茶店でいいか? ケーキが美味しくて静かな店を知ってる」
「はい! 先輩のお勧めの店楽しみっす!」
「…………あんまりハードルを上げるなよ」
ふう、と軍司は息を吐き、校門の先へと歩き出す。
「あ、先輩待つっすよ!」
その後ろ姿を、旭は小走りで追いかけた。
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