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2-3

「薬は?」


 皐樹の代わりに水無瀬の背中を支え、桐矢は尋ねる。


「鞄の中だ」


 水無瀬の回答を聞き、皐樹は長椅子の上にあった革製のスクールバッグを掴んで桐矢に差し出した。


「助かる」


 ほんの一瞬、皐樹と視線を交わし、どうして一緒にいるのか問うこともせず、桐矢はスクールバッグから薬局の紙袋を取り出した。


 薬剤包装シートから錠剤を一粒、掌に押し出す。


 水無瀬は節くれ立つ指伝いに餌付けされるように錠剤を飲み込んだ。


「賞味期限は大丈夫だったのか」

「春休み中の定期健診で新しいのをもらった……使用期限に問題はない」


 まだ腹部を押さえていた彼は、そのまま桐矢の胸にもたれかかった。


 二人の遣り取りからは、やはり友達以上の親密さが伝わってきて皐樹は少しばかり気後れする。


「皐樹、廻の荷物を頼む」


 モッズコートを脱ぎ、水無瀬を包み込んでフードまで被せると、桐矢は彼を抱き上げた。


「携帯、それと自分の荷物、忘れるなよ」


 水無瀬の容体を案じた皐樹は指示に従う。身長が百七十七センチある彼を軽々と抱き抱え、大股で歩き出した桐矢の後を追いかけた。


「このまま保健室に運ぶ」


 保健室は特別教室棟の一階にある。


 直行する際、廊下や階段で複数の生徒と擦れ違った。


「何か甘い匂いしなかったか?」


 数人、こちらを過剰に気にする者がいた。ただでさえ目立つ桐矢が、モッズコートに包んだ水無瀬をお姫様抱っこして突進しているのだから、目を引くのはわかる。黄色い声を張り上げる生徒だっていた。


 だが、彼等の反応はそれとは違っていて、焦り、動揺、時には嫌悪も見て取れた。


(どうして俺が睨まれなきゃならないんだ?)


 見ず知らずの上級生に明らかにジロリと睨まれて皐樹は大いに戸惑うのだった。




 高等部棟四階から特別教室棟一階まで移動するのに五分もかからなかった。


「ベッド貸りるぞ」


 フロアの奥に位置する保健室に到着するなり、桐矢は砕けた口調で養護教諭に声をかけた。


「……、もらえるか」


 壁際に並ぶベッドの一台に案内されると、彼は中年女性の養護教諭に何かを頼んだ。彼女が棚から持ってきたソレに視線が引っ掛かり、抱えていた荷物をソファに下ろそうとした皐樹は一時停止に陥る。


「刀志朗にも連絡しておく。しばらく休め」


 水無瀬からブレザーを脱がせ、ネクタイも緩めて白い寝具に横たえると、桐矢は個々のベッドを仕切るカーテンを外側から完全に閉め切った。


「あのね、桐矢君。これから職員会議で行かなくちゃならなくて」

「行ってこいよ。廻には痛み止めも飲ませたし、休めば楽になるだろ。俺が留守番してやる。怪我人が来たら追い返しておくから安心しろ」


 ベータ性の養護教諭は苦笑した。本来なら鍵をかけていくところを、生徒の桐矢に本当に留守を任せて保健室を出ていった。


 全開にされた窓辺のカーテン。夕方五時前の外はまだ明るかった。


「図書委員の仕事を中一の新人に押しつけてきた。後でベテラン司書の方からお咎め食らうかもな」


 整理整頓された室内を横切って、テーブルを囲うソファの一つに桐矢は踏ん反り返った。強張った顔のまま突っ立っている皐樹を見、彼は事も無げに言う。


「廻はクイーン・オメガだ。今さっき生理になった。苦しんでいたのは月経痛のせいだ」


 養護教諭が棚から持ってきたのは生理用品だった。


「稀で、しかも不順で、いつ来るかわからない。皐樹はどうもしなかったか」

「え……?」

「廻に興奮しなかったか?」


(オメガの俺が水無瀬さんに興奮する?)


「す、するわけない、ただ……」

「ただ、何だ」

「違和感はあったけど……いや、ちょっと待て……クイーン……? 水無瀬さんが?」

「違和感程度か。月経で増加する性フェロモンを食らって興奮する奴が結構いる。アルファならラットを引き起こす可能性だってある」

「水無瀬さんはアルファじゃないのか?」


 桐矢は首を左右に振って、もう一度言った。


「廻はクイーンだ」


 アルファだと思っていた水無瀬が、類稀なクイーン・オメガだと知らされて皐樹は唖然とした。動揺を隠せないでいると、桐矢にソファに座るよう促されて素直に従った。


「信じられない」


 皐樹はポツリと呟いた。


「そうか。でも事実だ」

「てっきり、アルファなのかと」

「アルファのフリをしてる」

「フリ? どうして……」

「自衛のためだ」


 膝に乗せたスクールバッグを握り締め、皐樹は、隣に座って逐一迷わず回答する桐矢を見た。


「こんなに重要なこと……俺なんかに話していいのか? 本人の了承もなしに……」


 礼拝堂で不意打ちの深淵に呑まれそうになっていた皐樹は俯く。


(怖かった)


 怖気をふるう程に凄艶だった瞳に恐怖を感じた。


(あれはクイーンゆえの気迫……?)


「お前には話していい。俺がそう判断した」


 皐樹は桐矢に視線を戻した。背もたれに踏ん反り返った彼は、これまでと変わらない不敵な笑みを浮かべていた。


「だから皐樹がいちいち悩む必要はない」


 いつも通りの桐矢を隣にして、胸がざわついていた皐樹は平静さをいくらか取り戻す。


 二人が会話している間、ベッドで紡がれていた衣擦れの音はやみ、仕切りの向こうは静かになっていた。



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