5-1-彼等の過去
駆け足で過ぎ去っていったゴールデンウィーク。
「皐樹、髪切ったよね?」
桐矢に制裁された安藤達は鳴りを潜め、比較的穏やかな連休明け。刀志朗の何気ない問いかけに皐樹は動揺する。
「前より軽くなってスッキリしたみたい」
休み時間、机の前にしゃがみ込んだ彼に前髪の先をツンツンと引っ張られ、ぎこちなく頷いた。
「今日は外出日和だな、皐樹」
ゴールデンウィークの前半、突然、桐矢が自宅マンションへやってきて皐樹は度肝を抜かれたものだった。
「まず、お参りさせてもらえるか」
住所は前にカオルに聞いたと言い、訪問早々、彼は仏壇に線香をあげた。以前、父親が担任をしていたらしく、その家族の訃報を知っていてもおかしくはないが……。
「今から出かけるぞ。梅雨になる前にその頭を軽くしろ」
カオルは学校に行っていて不在、突然の訪問にあたふたしていた皐樹は、部屋着のまま快晴の外へ連れ出された。
「友達もいない、どうせやることもない、それなら引きこもっているかと思って来てみたら予想通りだった」
「友達もいない、やることもない、引きこもっていて悪かったな」
正午前だった。連休中で普段よりも人通りのある往来を三十分以上歩かされて、ろくな説明もなしに連れて行かれた先は、隣慈学園から近い閑静な住宅街だった。
「ここだ」
三階建てのデザイナーズビル。二階の美容室に桐矢は皐樹を案内した。ガラス扉を開けば大きな開口部にたっぷりの自然光、ホワイトウッドを用いた内装が明るい空間に出迎えられた。
「いらっしゃいませ」
マンツーマンで接客中の美容師に声をかけられる。音楽の流れるゆったりとした店内に他に誰も見当たらない。
(桐矢が利用してるお店だろうか)
入り口付近のソファに桐矢と並んで座り、待つこと五分、客が去って目の前に美容師がやってきた。
「どうもこんにちは、皐樹さん、息子がお世話になっています」
「いづみさんに皐樹も切ってもらったの?」
桐矢の母親はオメガ性の男性だった。
名前はいづみと言い、オーナーである自分が一人で営んでいる店の名前も「Izumi」と名付けられていた。
色白で細身、瓜実顔に涼しげな一重の目が印象深く、たおやかな立ち振る舞いは中性的な雰囲気を引き立たせていた。
「舜君が連れていったんだよね? その後はどうしたの?」
いづみの美容室でカットを終えた後は桐矢と二人でランチに行った。隠れ家的なカフェのテラス席で、魚料理がメインのコースをご馳走してもらった。
『魚食性一匹狼ちゃんには打ってつけのメニューだろ』
いつものモッズコートじゃない、ブルゾンを羽織った姿はいつも以上に大人っぽくて、やはり数多の視線を掻っ攫っていた。
「もしかして舜君の家にも行った?」
行かなかった。誘われたが、凛は習い事に出かけていて誰もいないというから断った。桐矢はそれ以上しつこく誘ってくることもせず、その日は別れた。
二人きりになるのには抵抗があった。また捕まってしまうのではないかと、皐樹は不安になった。
『じゃあな、皐樹』
それなのに、もう少し一緒にいたいと真逆のことを思ったりもした。
「……家には行ってない。桐矢には聞きそびれたんだが、凛さんは何の習い事をしているんだろう?」
「他の日は? 連休中、舜君と会わなかったの?」
自分の質問を無視して問い質してくる刀志朗に皐樹は苦笑した。
「桐矢とはその日しか会ってない。刀志朗、もう先生が来た。次は美術で移動なんだろう、急がないと」
次の授業担当の教師が教室に現れ、刀志朗は、ずっと触れていた皐樹の髪から名残惜しそうに手を離した。
「その髪型、似合ってるよ」
それだけ言って教室を出ていく。彼の訪問にクラスメートはすっかり慣れて、懐かれている皐樹を羨ましがるベータ性の生徒もちらほらいた。
(少し短くして量を減らしたくらいで、髪型、前とあまり変わってないと思うんだが)
刀志朗がやたら構っていた前髪を皐樹は自分でも軽く引っ張ってみるのだった。
五月中に行われた中間テストはまずまずの結果に終わった。
六月に入ると文理選択の調査があり、皐樹は文系を選んだ。将来についてまだ明確なビジョンはないが、カオルを見ていて、自分も教師を目指そうかと漠然と考えることはあった……。
「見て、皐樹、とても綺麗だね」
煌びやかな会場にボリュームの増した音楽が流れ、落とされた照明、扉が開かれて入場した新郎新婦を盛大な拍手が包み込む。
雨の週末、皐樹はカオルと共に親戚の結婚式に出席していた。
市街地のホテルで挙げられたジューンブライド。新婦である父方の従姉妹は十歳年上で、控室で純白のウェディングドレスを着た彼女に「皐樹ちゃん、大きくなったね」と言われた際には柄にもなく照れてしまった。
(結婚なんて、まだ想像もつかない)
祝福される新郎新婦を眺めていた皐樹の脳裏に、ふと、桐矢の姿が浮かび上がった。
彼の隣には水無瀬がいた。幼馴染み同士の二人は運命の番のように寄り添い合っていた。
不敵なアルファとクイーン・オメガ。
狩人ごっこなんて不謹慎な遊びに耽りながらも、桐矢の心は誰もが認める美しい水無瀬に預けられているのかもしれない。
「ここのパティシエさんは有名なコンクールで賞をとったらしいよ」
ホテルの三階で開かれた披露宴が幕を閉じ、階段を下りてロビーへ向かう。自宅でたまに晩酌しているカオルは白ワインを飲んで上機嫌だった。
「ケーキ、買ってきたら。俺はロビーで待ってる」
ロビーに到着し、フロアの一角にあるケーキショップへ向かうカオルと皐樹は一旦別れた。雨天とはいえ、土曜の夕方、ホテルは賑わっていた。複数入っているレストランの利用客も多いようだ。
シャンデリアの光を反射する大理石の床に足をとられないよう、ロビーを横切って、制服のブレザーを着用した皐樹は壁際のソファに座ろうとした。
背後から腕を掴まれた。
「皐樹じゃないか」
やたらと強い力でカオルとは思えず、振り返れば、水無瀬がいた。
「ブレザー姿は初めて見る」
「あ……親戚の結婚式で……」
暴力的ですらあった掴み方に一抹の恐怖心を覚えていた皐樹は、まさかの偶然に驚きつつも、しどろもどろに返事をする。
シンプルなシャツも、ボトムスも、靴も、全て黒一色だった。制服とはまた雰囲気が違う。一見して近づき難いオーラを水無瀬は放っていた。
「俺は彼と食事をしていた」
水無瀬には連れがいた。年上だとわかる、見たことのない男だった。
「隣慈の卒業生の二見さんだ」
百七十七センチの水無瀬よりも若干高い背丈。緩やかにうねる黒髪、無精ではなく適度に整えられた髭が似合う、はっきりした目鼻立ち。垢抜けたルックスでスマートカジュアルをさらりと着こなす男は皐樹に笑いかけてきた。
「二見さん。この子が先程話していた外部生です」
初対面の相手に気を取られていた皐樹は、水無瀬の台詞に一瞬思考が止まった。
「そう。君が吉野皐樹君」
彼に名刺を手渡される。何らかの店の名前と思しき「PURITY」と「二見広大」という文字が記され、裏にはソーシャルメディアのアカウント情報が載っていた。
「ピュアリティ……?」
「クラブのオーナーをしてます。夜に遊びにくるのが難しかったら、週末にデイイベントも時々開いてるから。どうぞよろしく」
(この人、アルファだ)
肌身で察した皐樹は、人当たりのいい笑みを浮かべる二見に曖昧に返事をした。
(まさか恋人なのか……?)
彼と共に去っていった水無瀬の後ろ姿を他の客越しに見送った。自分の話をしていたらしいが、一体、どうして。掴まれた腕が鈍く痛んで皐樹はひっそりと嘆息した。