【閑話2】王妃様は策略家
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ナシオ王国の王宮の中で、最も美しいと言われる温室は、王妃の温室である。
多くの庭師が丹精込めて育てる花々には、国外から贈られたものや、わざわざ取り寄せたものもある。
時折り植え替えが行われ、花壇の色合いが変わり、その変化も、王妃のお茶会に招かれた客人を喜ばせる。
一年中花の香りに満たされているそこは、楽園のように見えた。
この日の王妃は、故郷から一緒にやってきたメイドを二人伴って、温室の中を静かに、優雅に歩いていた。
やがて、目当ての花の前で立ち止まった。
王妃の立ち姿は、咲き誇る花を圧倒するほど美しいと言われる。
「あの女」
この美しい場所にそぐわない声が聞こえたが、メイドたちはすぐ後ろで、表情一つ変えず、静かに控えている。
王妃が目の前の花をむしり取っても、罵詈雑言を吐いても、それを咎めるものは誰もいなかった。
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オルテガ王国という、痩せた土地の多い小国に、身分の低い宮女から生まれた王女がいた。
彼女は、姉らと比べて、容色が劣り、または、賢さの点で劣った。
皆彼女を尊重しなかった。そんな事をしても、なんの得にもならなかったからだ。
しかし、そのおかげで彼女は、悪知恵を働かせる術を学んだ。
誰かに容色で劣るのならば、自分も肌を磨き化粧の練習でもしながら、相手の髪や皮膚を損なうような仕掛けを考えれば良い。
賢さで劣るのならば、女に賢さなどいらないと公言する者に気に入られればいい。
まだ大人になりきらない、子供の頃から、彼女はいつか大国に嫁ぐ事を夢に見て、他人を陥れることも厭わなかった。
ところが、周りは彼女を変わらず低く評価し続け、大国とは程遠い、中堅国家の隣国ナシオ王国へと彼女を嫁がせる事を決めてしまった。
もちろん、彼女に拒否権はなかったが、だからと言って彼らの思い通りになるつもりはなかった。
その結婚を破談にするため、いくつかの仕掛けを用意して、婚約者として隣国に滞在する時に備えていた。
事前に学ぶべき、ナシオ王国についての講義は、きちんと理解していても、それが出来ていないふりを続けた。
また、彼女に付けられる、三人の身分の低い、彼女には相応しくない若いメイドの他に、王宮内で無駄に時間だけを使ってきたと言われる、評判の悪いメイドを二人連れて行けることになった。
その二人を引き取ると申し出ると、心の底から感謝されたのだから、笑いそうになってしまった。
その者たちはどこにいても、必ず問題を起こす。
あとは、婚約を破談にするほどの軋轢を生むように、彼女がメイド二人を誘導してやればいい。
婚約が破談になり国に帰れば、厄介者とされ、とっとと別の場所に嫁がされるだろう。
ケチがつけば正妻になるのは無理になるだろうが、その方が都合が良い。身動きが取りやすいからだ。
帝国の貴族、出来たら高位貴族の後妻や妾となれば、あとはそこからのし上がるだけである。
だから、ナシオ王国の王宮で、ある夜中、下働きの薄汚い子どもが粗相をした時には、その時が来たと、ついに念願が叶うと思った。
ところが……。
それまでにも散々偉そうに出しゃばってきていた、女だてらに騎士見習いだという小娘が早々にやってきて、事態が悪化する事を防いでしまった。
彼女にまで批判が及ぶはずが、メイドを切り捨てれば、このままこの国に留まることが出来ると、宰相だという貧相な男に恩きせがましく告げられた時には、その男を殴ってやりたいと思った。
もちろん、彼女は微笑みを崩したりはしなかった。
そして、予定通りの婚姻が成った。
だから、ずっと、彼女はその女が大嫌いだった。
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王妃はメイドから手拭きを受け取り、洗ったばかりの手を守るように優しく水を拭った。手入れの行き届いたその手は、きめが細かく美しい。
それにしても今回の事は上手くいった、と王妃は満足に思っていた。
最近、大醜聞を王妃に嗅ぎつけられ、すっかり彼女に頭が上がらなくなった国王を動かすのは簡単だった。
温室は、その主人の思惑とは裏腹に、ただ美しい姿だけを見せ続ける。多大な労力と、人々の献身をもって。
「帝国のマルス将軍とは、かなり粗暴な男だとか。フォイラー伯爵夫人がご無事で戻られると良いけれど」
王妃の声は慈愛に満ちていた。しかし、それを聞いたメイドたちの表情は相変わらず堅かった。
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この国の王は、女にとにかく目がなく、王妃が子を妊娠し、産み育てている間にも、幾人もの愛妾を作っては、飽きれば捨てた。たとえその女に、自分の子どもがいたとしても。
後宮で屋敷の主人が入れ替わるのは日常茶飯事であり、その時も、いつも通り、国王の新しい愛妾だという少女が挨拶にやってきた。
それがしきたりだったから、受けたくもない挨拶を受けていたのだが、王妃はその少女に大きな違和感を覚えた。
たまに小声で返事をするだけで、ろくに王妃の顔を見ようともしない。恥ずかしがっているというよりも、何かを隠しているようだった。
忠実なる王妃のメイドたちは、すぐにその少女についての情報を仕入れてきた。
着替えも風呂も、全て自分でこなし、決してメイドにも素肌を見せないその少女は、現在の国王の大のお気に入りだった。
情事の後始末も国王自らがするというのだから驚きだ。
だが、そこまで行くと、だいたいの想像はついてくる。
王妃のメイドは、こっそりと愛妾の着替えを盗み見ると、その結果を王妃に伝えた。
週に一度、国王が王妃と食事を共にする日、その日は配膳が終わると、すぐに人払いがされた。
明らかに様子がおかしいのにようやく気づいた国王は、王妃を見て怪訝な顔をした。
そんな国王に、王妃は憂い顔で、少女の秘密を知っていると告げた。まだ噂になるのには時間がかかるかもしれないが、もし少しでも外にそのことが漏れれば、国王の評判は地に落ちてしまうと王妃は嘆いてみせた。
なんのことかととぼける国王に、「男の愛妾は禁止されてはおりませんのに」と告げた時の国王の顔は見ものだった。
ナシオ王国では、同性間の恋愛を禁じる法は無い。
だが、その少年に、女の格好をさせて楽しんでいるという、まさにその倒錯的な愛の形は、基本的に支持はされない。
国王は何やら、言い訳めいた事を言い募ったが、王妃はいつもの微笑みを崩すことはなく、「ただ、敬愛されるべき陛下のことが心配なのです」とだけ繰り返した。
やがてその少年扮する若い愛妾は与えられていた屋敷から消えた。
そして、王妃は手に入れた。国王を動かすための駒と、魔法の言葉を。
「あの者が陛下に会いたがっておりますよ。会えるように手配いたしましょうか」と。
それは、誘惑であり、脅しの言葉となった。
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王妃の温室には、複数の大小の噴水や、美しい風景が望めるベンチや、お茶会を開くのにうってつけの、大小のテーブルセットが、見事な計算のもと、各所に配置されていた。
そのうちの一つ、王妃の最もお気に入りの四人掛けのテーブルには、王妃のために用意された、色とりどりの小さな菓子が美しく盛り付けられて置かれていた。
「さあ、お茶を淹れてちょうだい。茶葉は、そう、それでいいわ。先日届いたばかりのものね。楽しみだわ」
王妃はメイドたちがゆっくりと目の前に置いた陶磁のカップを持ち上げて、その香りにうっとりと微笑んだ。
おしまい。
悪巧みする美女もなかなか捨て難い……。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。