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6.無茶な要求

おはようございます!

こんにちは!

こんばんは!



 その日は朝から、雲が太陽をほとんど覆い隠していた。


 メイドや下働き達が、今日の洗濯物の心配をしている頃、フォイラー伯爵邸の門番は、近づいて来る馬車に目を見開いていた。


 王家が保有するものとしては、一番小さくて簡素な馬車だったが、その装飾に使われる金の煌めきと、目立つ場所に堂々と鎮座する王家の紋章は見間違えようがない。

 彼らは瞬時に平静を取り戻すと、急ぎ屋敷に一人を走らせ、皆に急を告げた。



 「ご主人様! 起きてくださいまし!」


 ああ、もう昼近いのか。昨日は普段しない堅苦しい格好をしたものだから、思っていた以上に身体に負担がかかっていたらしい。まったく疲れが取れていない。

 もう少しだけ寝かせてくれないだろうか。でもこの声は、ラミラ夫人だから、多分無理だ。


 そんな事を寝ぼけながら考えていたカリーナは、ラミラ夫人が他のメイド達に、強い口調で多くの指示を飛ばしているのに気づいた。

 こんな事は滅多にない。裏ではともかく、主人の寝室ですることではない。


 「なにごとだ……?」


 モゾモゾと掛け布から頭を出したカリーナは、いつになく怖い顔のラミラ夫人の目が、自分を凝視しているのに気づいて身を固くした。


 「おきた……起きたから」


 そんなに怒らないで欲しい。知らない間に何度も何度も呼ばせてしまったのだろうか。


 カリーナが、とりあえず謝ろうと体を起こすと、ラミラ夫人や、他のメイド達が近づいて来て、「すぐにお召し替えを」と口ぐちに言う。


 「はい。もうしわけご」


 「王宮からの呼び出しにございます!」


 カリーナは文字通り飛び起きた。



 彼女の体に添うように、特注で作らせた騎士服に身を包み、差し出されたグラスの水を飲み干しながら、手早く髪を結われる。もちろん、化粧などはしない。

 横に着いた執事が、王宮からの使いが持って来た文書を読み上げる。飾り立てられた修飾語がうるさいが、内容は「早く来い」と、ただそれだけだ。用件も何もない。


 「エヴァンはこちらに?」

 「はい。じきにお着きになるでしょう」

 「馬車に同乗させる。彼の馬をもてなしてやってくれ」

 「かしこまりました」


 執事は今日に限っては、カリーナのおかしな表現を正したりしない。

 王宮から馬車を寄越され、それに乗ってすぐに登城しろという書簡が届くと言うのは、それだけ家門にとって切羽詰まった事態だった。

 ただし、今回は第三騎士団長宛てではあったが。


 カリーナが玄関で外套を受け取っていると、エヴァンが到着した。いつものように隙のない格好だが、息は乱れている。


 「団長。いったい……」

 「続きは馬車の中だ。王家の使者をこれ以上待たせるわけにはいかない」


 エヴァンは、一つ頷くと、カリーナに従って王家の馬車に乗り込んだ。


 時間は早朝。昨夜眠りについてから、数時間しか経っていなかった。



 「カリーナ・ウェイリン・フォイラー。お召しにより参上いたしました」

 騎士の礼を取り、深く頭を下げる彼女に、国王が手を振って着席するように言った。


 ここは昨晩のような広間ではなく、数ある謁見室の一つだった。

 広い円卓を挟んで、カリーナは国王と向かい合って座った。

 エヴァンはカリーナの後ろに直立したまま控えている。


 国王と、その横に座った宰相の顔色が優れない。カリーナよりも睡眠時間が短かかったか、もしくは寝ていないかだろう。


 おもむろに宰相が話を始めた。

 まともな挨拶すら交わしていないが、宰相の秘書官を含め、それを気にする余裕がある者はここにはいないようだった。


 宰相の疲れきった声による説明によると、どうやら昨晩の特使の醜態は、オルテガ王国からナシオ王国に宛てられた正式な書面を、彼が勝手に見て、酔いのままに騒ぎ立てたということらしい。


 ありえない。私ならば国外追放をしていると思ったカリーナだったが、誰も特使を責める者はいない。

 それどころか、それ以上誰も話し出そうとしない。

 カリーナはそれほど気が長くない。早くに呼び出したならば、早く話せと言ってしまいそうだ。


 目線で互いに何やら押し付け合っていた国王と宰相だったが、ついに諦めたように、宰相が話し出した。


 「そなたの第三軍には、オルテガ王国特使殿の帰りの警護を頼みたい」


 「……発言をお許しいただけますでしょうか」


 カリーナに頷いたのは国王である。何も言わないくせに、と宰相が国王を見つめる目が言っている。


 「では、ご命令の確認をさせていただきたく、申し上げます。特使殿におかれましては、もとよりオルテガ王国の国軍が護衛として付き添っておいでのはず。我らはいかほどの人数をお付けすればよろしいのでしょうか」


 「全軍だ」


 「……は……?」

 カリーナは言葉を失ったし、後ろに控えるエヴァンは、小さく足を踏み替えた。


 「……全軍でございますか? 歩兵部隊も含めてでしょうか」

 カリーナは表情はなんとか取り繕えたが、動揺は隠せなかった。


 「王妃様のご心痛は深く、是非とも、各言語に通じ、交渉ごとがお得意のフォイラー伯爵自らに、オルテガ王国の危機を救って頂かなければ、心休まらぬと仰せだ」


 なぜか、特使の護衛の話が、オルテガ王国に代わって、カリーナが事態を収束させる話にすり替わったようだ。

 彼女は心の中で頭を抱えた。エヴァンも多分同じだろう。


 「お言葉ながら、我が軍は先の遠征より戻って間もなく、事後処理すらまともに終わってはおりません」


 カリーナは不敬を承知で、国王と宰相を交互に見やった。二人は視線を逸らした。


 「我が国には、他にも優秀な部隊があり、オルテガ王国近くの北部各領にも、勇猛果敢な私兵を持つ領主が幾人もおられます」


 カリーナが主張した内容は当然の事だったが、宰相はもごもごと、「第二軍の大半が海の防衛のために南にいるのだから、送り込むとしたら第三軍しかない」だとか、「私兵を集めても、所詮烏合の衆だ」とか、「やはりフォイラー伯爵が」とか、はっきりしない事この上なかった。


 「そ、それに、先の戦は騎士団のみの動員だったはず。歩兵部隊は体力を温存していよう。なあ、そうであろう、ヘクター副団長」


 なぜか矛先がエヴァンに向かったが、カリーナよりも口が上手い男に話を振ってどうする。

 それとも、そんなにカリーナは怖い顔をしているのだろうか。


 「確かに宰相閣下のおっしゃる通り、歩兵部隊は首都に留まっておりましたので、体力の温存はなされたでしょう」


 エヴァンは淀みなく言った。後ろを振り返れないので、カリーナには彼の表情は見えなかったが、いつもの無表情であるに違いない。


 「しかしながら、オルテガ王国におかれましては、大変お急ぎのご様子。我が軍が歩兵部隊を連れ、彼の地まで赴くのでは、時間がかかりすぎるでしょう。

 オルテガ王国がナシオ王国へ援軍の要請をしておられるのならば、フォイラー団長の仰った通り、北部から兵を動員するのが現実的であると愚考いたします。必要な物資を送ることは当然として、でございますが」


 「いや……しかし……。い、今から北部に近隣の私兵を集めろと言ったところで時間がかかるのではないかな。それに物資を集めるには時期が悪かろう。そういう意味では、第三騎士団はだいぶ物資を持ち帰ったというし……」


 「先の遠征が想定よりも早く終結したため、備蓄の物資には余裕があると言えます。ですが、全軍を、しかも長い距離を動かすとなると、全く話が違って参ります」


 カリーナはエヴァンが話し終わると、小さく咳をして、この話を引き取った。

 エヴァンは彼に出来る限り一番はっきりとした言葉で「無理を言うな」と言っていたが、前に座る二人が気持ちを変える様子が、これっぽっちもなかったからだ。


 第三軍の動員を、こいつらは既に決めている。であれば、こちらの被害が最小限で済むように、いくつか言質をとらねばならない。

 きちんと仕事をしろよ、そこの、部屋の隅でペンを走らせている書記官。


 「して、結局のところ、我らに求められるもの、そして、その終着点をお教え願いたい。

 初めは特使殿を無事にお送りするというご命令を頂戴いたしましたが、今では、私が全ての責任を負って、帝国とオルテガ王国との間の問題を解決せねばならないかのようなお話に変化しております。

 しかし、私はオルテガ王国からの救援要請文も拝見しておりません。我が国とオルテガ王国との間でどのような話し合いがなされたかも知らぬまま、無闇に軍を動かす事は、国益を損なう事に繋がりましょう。

 今一度、問題の根幹と、理想的な終着点、オルテガ王国内での物資の確保状況、その他必要な情報をいただきたい」


 カリーナは喉が渇いてしまったが、表情だけは崩さなかった。


 「陛下……」

 宰相が縋り付かんばかりの表情で国王を呼んだ。結局はこの人が出てこなければ説明は不可能なのだろう。つまりは、王妃絡みということだ。


 「あれが、珍しく泣きつくものだからな、その、フォイラー伯爵は救援に駆けつけてくれるだろうと言ってしまったのだ」


 カリーナもエヴァンも、自分たちが伝えるべき事は全て言った。

 だが肝心な答えは返って来ない。


 貴様が王妃に何を言ったかは聞いていない。


 「……交戦も辞さない、という事でよろしいでしょうか」


 カリーナは、目の前の二人を交互に見やって言った。

 すでに彼女の顎は上がり、腕を組んでいた。自分よりも遥かに身分が上の、仕えるべき相手を、睥睨するように見下ろしている。

 前の二人は下やら横やらを向くのに忙しそうだった。


 早く。肝心な一言を言え。


 「……団長」

 エヴァンが、カリーナの肩に軽く手を触れた。カリーナは首を横に振った。


 止めるな。はっきり言わせてやる。


 「交戦をお望みか否か、陛下のお口からお聞かせいただきたい。もちろん、オルテガ王国がそれを了承しているのかも。

 当然のこととお分かりのはず。

 対応次第では、オルテガ王国のみならず、このナシオ王国すらも帝国への宣戦布告をしたと取られてもおかしくない真似を、この私にしろと仰っておいでなのですから」


 「そ、それは困る! 余は、余はそんな事は望んでおらぬ!」


 「では、交戦はせず、交渉事のお手伝いをするという理解でよろしいのでしょうか。であれば、第三軍全軍は必要有りません。私が騎士団から一個小隊を連れて参れば事足ります」


 宰相は、それで良いと言いたげだが、陛下はいささか不満そうだ。

 なんだこいつ。王妃に何か弱みでも握られているのか。隠し子のこと以外で。


 「いや、交戦はしない方がいいが、我らが帝国に屈しないという姿勢だけは見せねばならんだろう。王妃もすでにオルテガに大部隊を救援に送ると伝えてしまった」


 ……は……?


 「カリーナ・ウェイリン・フォイラー第三騎士団長に命じる。直ちに第三軍全軍を率い、オルテガ王国へ向かえ!」

 もうやけになったらしい国王が言った。最後の方は叫んでいた。


 だが、はっきりとそう言われてしまえば、カリーナにも誰にも、国王に逆らう事は出来ない。


 カリーナはスッと立ち上がり、礼をしつつ言った。

 「ご命令、謹んでお受けいたします」



 フォイラー伯爵邸のサロンでは、その高価な調度に似つかわしくない男たちが出入りしていた。数日後に控えた、再びの出征に向けた準備に皆が奔走している。

 本来は、第三騎士団の詰め所で行うべき事だったが、諸事情により、こちらの方が都合が良かった。


 カリーナは、サロンの片隅に追いやられた応接セットの、一人がけのソファに腰掛けていた。その姿勢はだらしなく、とても貴婦人のものではない。

 目の前に座るのは、第三歩兵部隊のクラバー隊長だった。部下を連れ、昨日エヴァンを通じて頼んでいた調べ物について、土産を持ってやってきていた。

 その土産を開く前に、第三軍全軍がオルテガ王国に向かうと聞いてクラバーは目を見開いたが、すぐに気を取り直し、「こちらの事はお任せを」と言って頼もしく笑ってくれた。

 カリーナは涙が出るかと思った。


 彼らには、オルテガ王国からの急使が、宴の最中とはいえ、国王や宰相ではなく、なぜ自国の特使に書簡を渡すに至ったのか、出来る限り調べて欲しいと頼んでいた。

 急使の到着が、なぜこのような劇的なタイミングになったのかも。


 彼らは急使の足取りを逆に辿って行ったという。

 まず王都に入る一つ前の街を調べた。確実に立ち寄るはずの場所だからだ。

 急ぎとはいえ、国家間を繋ぐ使者には、それ相応の見た目を整える必要があるからだった。


 急使などという下級官吏は、支給された宿代をちょろまかしがちだという見立てのもと、最下級ではないが、食堂の上の階を旅人に貸しているような、簡素な宿屋を当たった。

 そして、明日王宮へ上がるのだと、酒に酔った外国人が息巻いていたという話に行き当たる。

 その外国人は、翌日、確かに高級そうな外国風の服を着込み、馬車まで手配して王都に向かったという。


 急使という割に、全然急いでないじゃないか。とカリーナは思った。やはり、オルテガ王国にとっても、急を要する事態ではない。


 「人相書きは用意できたか?」


 「いえ、それが、急使はどこかに雲隠れしているようで、姿を見る事かないませんでした」


 ただし、オルテガ王国の正装である服装や帽子の形、言葉の訛りなどを照らし合わせ、宿屋の主人に確認が取れたため、まず間違いない、とクラバーは自信ありげだ。

 宿屋、飲み屋でもある、の主人などといった人種は、よく客を見ているらしい。宿代や飲み代を踏み倒す輩にいち早く気づくために。


 「で、ここからが妙な話です」


 「続きがあるのか?」


 「その男、その晩また戻って来て、前の夜よりも上等な酒を頼んだそうです。そしてそのまま三日も宿泊を延長すると、また同じ格好で、今度は昼過ぎに宿屋を出発したと言います。今度は騎馬で」


 カリーナは、小さく舌打ちした。

 「……やはり三文芝居だったか」


 王妃のしたり顔が目に浮かび、その不快な顔を打ち消すように目の前を手で祓った。


 「急使の一番初めの登城の際に、なぜ国王や宰相ではなく、特使に取り次がれたのか、何か分かったか?」


 「そちらも調べましたが、確かに急使の初登城の際、国王陛下も宰相閣下も外に出ておいででした。

我が第三騎士団が、あなた方が凱旋なさったからです」


 なるほど、そんな事もあったな。やつらが迎えに出て来て、民衆のご機嫌取りをしたせいで、屋敷に帰るのが遅くなったのだった。


 「おそらく近衛は買収済みでしょう。何も出て来ませんでした」

クラバーは残念そうに言った。だがそれは仕方のない事だ。

 カリーナが彼らの働きに労いを伝えると、クラバーは出征の準備のため、部下を連れて第三騎士団の詰め所、もちろん第三歩兵部隊の詰め所も場所は同じである、に戻って行った。


 お茶を頼む間もなく、エヴァンが戻ってきて、他の部下たちと共に、膝を抱えて座っているカリーナの前に資料を広げた。

 それは、現在第三軍全体が保有する物資と、数日中に調達できる見込みの物資の量、そして、それが空になる前にナシオ王国に帰り着くことができる、例の交渉事に割ける日数の計算結果だった。

 エヴァンは王宮からの帰り道の馬車の中で、愚痴を言うカリーナを一顧だにせず、ずっと紙にペンを走らせていた。

 この計算をしていたのだろう。カリーナとは違い、エヴァンは記憶力も計算処理能力もかなりのものだ。


 二人は王宮を辞する前、国王が謁見室を出ていくのに紛れて姿を消そうとした宰相を捕まえて、オルテガ王国からの書簡の内容を吐かせていた。

 オルテガからは、王都に滞在中の援軍の面倒はみると言われているらしい。遠回しに、帰り道に必要な物資提供を拒んでいるということだ。


 その点の改善をオルテガ側に求めるか、もしくは帰りまでに、ナシオ王国から物資を用意するようにとカリーナは当然の要求をした。

 しかし、宰相は時期が悪い季節が悪いと繰り返すばかりだった。ついには、オルテガで物資を調達すればいいと言いだした。


 オルテガは乾燥地帯が多く、それほど実りの多い土地ではない。日々の生活に手一杯だという町がほとんどだろう。

 そこから調達せよとは、その無知、もしくは無責任さに呆れ返った。


 しかしそれ以上話し合いをしても無駄だと判断したカリーナは宰相を解放した。

 せいぜい今夜はよく眠るがいい。


 こうなったら、どう足掻いても命令自体は覆らないだろう。

 王妃に嵌められたらしいのは気に食わないが、カリーナは、粛々と出征の準備をするしかなかった。


つづく……


ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

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