49.出産と不可思議な恐怖
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その頃になると、カリーナは日に日に大きくなる腹を持て余しながら大人しくして居るしか無かった。
心臓の音が二箇所から聞こえると告げられると同時に、侍医らの語気が急に強くなった。双子である可能性が高いため、出産の危険が増すと言うのだ。
それまでも、もう少し安静にと言われていたが、その話を聞いたロイが周囲に命じたことで、自由に部屋から出ることさえままならなくなった。
出来ることをすればいいと本を持って来させるが、腹が邪魔で読みにくい。
結局は、ナシオ王国から帰ってきたアイリスに毎日のように話し相手になってもらっていた。それが一番楽しかったのだ。
それに、出産の経験者であるアイリスの言葉には重みがあり、侍医連中やロイに言われるよりも大人しくしていようという気にもなれた。
出産が間近に迫る頃、ロイは帝都を離れなければならなくなった。
彼がそれを自ら伝えに来た時、カリーナはちょうどアイリスと、その息子のケイン皇子と共にお茶を飲んでいる所だった。
普通に座っているのも腹が邪魔で大変なため、彼女はカウチにもたれ掛かり、半分横たわっていた。
そこに、すまなそうな顔をしたロイがやってきたのだ。
「揉め事が起こってしまった。それぞれが力を持った領主たちの間を取り持てる者もいない。
ここから一週間はかかる。帰るまでには子らは産まれていような……」
彼は人目も憚らずカリーナの前に膝をつき、彼女の手を握っている。
カリーナは、さすがにケイン皇子の前ではやめて欲しいと思った。
だが、毎日寝る前に腹に向かって話しかけるほど子どもが産まれて来るのを心待ちにしているロイだ。
少しでも心を軽くして、揉め事を解決しに行って欲しいと思ったカリーナは言った。
「ロイ、貴方が一緒におられても、出来る事は特にないかと。アイリスも侍女たちも居てくれますから大丈夫ですよ。私は」
「……そなた、それで私を慰めているつもりか……?」
ロイの眉間に皺が寄ったのを見たカリーナは助けを求めるようにアイリスを見たが、彼女は困ったように微笑みながら息子を連れて部屋を出て行ってしまった。ついでに控えていた侍女たちも。
「あの、ロイ……」
「そなたは分かっていない。私がどれほどそなたを想っているのかを」
立ち上がりながらそう言った夫に強引に唇を奪われる。
なるほど。アイリスの判断は的確だ。
しばらくして、ようやく唇を離したロイに優しく抱きしめられる。
「何も出来なくとも、側にいたいのだ」
「……では、とっとと決着をつけて帰ってきてください」
カリーナはそう言うと自ら彼の首を引き寄せて口づける。
ロイは名残惜しそうにカリーナの髪に口づけ、腹を二度撫でると何度も振り返りながら、扉の前で待っていたクリストフにカリーナと子どもたちの警護を任せ、出発して行った。
カリーナが産気づいたのは、その二日後の事だった。
皇帝が、皇后が二人の皇女を出産し、本人も無事であるとの知らせを受けたのは、目的地へ着く直前の事だった。
この帝国では、皇帝に子が産まれてからもすぐにそれを公表する慣習が無いため、それを知ったのは皇帝本人とチルトらの側近だけだった。
その側近らは、揉めている領主らに迎えられた時も、彼らの話を聞いている時も、彼らが交渉と言う名の罵り合いを始めた時も、皇帝がただ黙ってそれを見ているのを戦々恐々としながら見守った。
皇帝の性格と皇后への寵愛を知る彼らは、最悪の場合、皇帝が彼らを手打ちにして決着をつけかねないと思っていた。
しかし、領主たちも皇帝の尋常ならざる雰囲気を察したのか、数日のうちに妥協点を見出して皇帝に報告した。
「解決した、と言うことで間違いないな?」
彼らに冷たい目を向ける皇帝に、領主たちは何度も頷く。やや顔色が悪い。
「次にこの程度の事で私を呼びつけるときは、よくよく考えることだ。本当に自分たちで解決する事が出来ないのかをな」
皇帝はそれだけ言うと、晩餐を断って早々に出発した。
領主らも肝が冷えただろうが、側近たちも同じだった。
皇帝は自ら先頭に立って馬を駆り、皇后の出産から十日後には皇宮に帰り着いた。
彼らが馬を何度となく替えたのは言うまでもない。側近らが、皇帝本人もだが、食事も睡眠も満足に取る事が出来なかったのも言うまでもない。
皇帝を出迎えたのは、オーリエ公爵夫人アイリスとその息子のケイン皇子だった。
彼はその二人の顔を見て違和感を覚えた。
カリーナが出迎えられないのは当然だろうが、二人の表情はどこか暗い。
「……カリーナは無事だと知らせを受けた。どこにいる?」
彼はアイリスが答える間もなく、出産後子どもたちとカリーナがゆっくりと過ごせるようにと整えさせた部屋に向かう。
階段を駆け上がり、その扉の前に立つクリストフが驚くのをよそにその扉を開けた。
そこには小さなベッドが二つ並べられ、小さな小さな赤子がそれぞれ眠っていた。
ロイはその子たちに近づきかけて、自分の格好を思い出した。塵やほこりにまみれているであろうマントを脱ぎ、赤子を傷つけてしまいそうな装飾がついた軍服を脱いだ。
そうしている間にアイリスも追いついてきて、彼に娘たちを抱いてはどうかと言われた。
もちろんそのつもりだった。そのためにシャツ一枚の姿になったのだから。
「どちらが先に生まれたのか」
「第一皇女殿下は左手におられます」
「なるほど。では第二皇女から抱こう。どうすればよい?」
彼が第二皇女からと言ったのは、生まれた順に母親であるカリーナに抱かれたと思ったからだった。
皇帝は乳母らに支えられながら、順番に娘たちを抱き上げた。
あまりにも小さくて、軽い。
双子だったため、やや小さく産まれたようだが、健康であると侍医団は言っているとアイリスが言うのに、夢見心地のまま彼は頷いた。
まだ人間になったばかりというその姿に、だが、母親に似て賢く美しく育つだろうと思う。
愛おしくて、守ってやりたくて、離れ難い。
しかし、彼には確認しなければならない事があった。
「カリーナはどこにいる?」
その部屋には、カリーナが子どもたちの様子を眺めながらも身体を休められるようにと、ベッドやカウチが置かれていた。だが彼女の姿はどこにもない。
「皇后陛下は、ご自分のお部屋でお休みでございます」
「産後の肥立ちが悪いのではあるまいな?」
そうであればクリストフが知らせてきたはずだ。
「お身体に問題はないようです。ですが……」
アイリスが悲しげに言った。
「皇女様方の側にいてはいけないと。ご自分が何か子どもたちに悪い影響を与えるはずだとおっしゃって……。まだお二人に一度も触れておられません」
「……?」
「いえ、私たちもその様な事はないと何度もお話をしたのですが……。陛下が直接お会いになられた方がよろしいかと……」
「……そうしよう」
ロイはクリストフを連れて自室に戻り、着替えを済ませると内扉をいくつか通り抜けて、カリーナの寝室の扉を叩いた。
こちらの扉を叩くのは彼だけだ。が、返事はない。ロイは心配になって、ゆっくりとその扉を開けた。
「カリーナ。遅くなって済まない」
彼はそう言いながら、ベッドに腰掛け、その中に隠れている妻の体をゆっくりと撫でた。そこにいるのは確かだった。長く波打った髪がそこから漏れ出ていたから。薄暗い部屋の中でも、彼女の髪を見間違えはしない。
「カリーナ。顔を見せてくれ。どうした? 具合が悪いのか?」
彼女の体が揺れた。しかし、相変わらず返事がないので、ゆっくりと彼女が被っている布団をめくる。
彼女は顔を隠したまま、しかし肩を揺らしながら泣いていた。
「カリーナ……。子どもたちに会った。何も泣くことはない」
ロイは彼女が泣いている理由を一つしか思いつかなかった。男児を産めなかった事を嘆いているのではないかと思ったのだ。
だが、まだカリーナが産むこともあるだろうし、そうでなくてもケイン皇子がいるのだから後継に困ることはない。そう言おうとした矢先。
急にカリーナが飛び起きて、ロイにしがみついてきた。その体を彼は強く抱きしめる。何も憂う事はないのだと言おうとした瞬間、彼女が口を開いた。
「怖いのです。ロイ。私はあの子たちに害を与えてしまうかもしれない」
そういえばオーリエ公爵夫人もそのような事を言ってたと思い出す。
「害……? どのような?」
「私が側にいたら……、あの子たちは死んでしまうかもしれない!」
彼の肩を濡らすカリーナの髪を撫で続けながら、ロイは、さてどうした事かと思った。
確かに彼らにとって死は身近な存在だ。二人とも軍人なのだから当然だ。
戦場で数多の敵を屠ってきたのは彼も同じである。その死の臭いが染みついた人間が側にいてはいけないと言う意味だろうか。
だが子供たちは敵ではない。
カリーナは戦において、子殺しをせざるを得ない状況に置かれたことでもあったのだろうか。
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カリーナは出産後、元気に泣き続ける赤子たちの声に安堵した。
だが、産湯につけられ、布に包まれた二人の皇女が側に連れて来られ、その顔を見た瞬間、全身から血の気が引くような思いに囚われた。
その子達を抱こうとしないカリーナに皆怪訝な顔を向けたが、疲れたのだと言うとその子達を連れて下がって行った。
子供たちを産むのは、声を上げる事は辛うじて耐えたが、今まで負ったどのような怪我よりも痛かった。疲れていたのは事実だった。
しかし、それは彼女らを抱かなかった理由ではない。
あの時見た、歪な街の片隅で起こった悲劇の残像が頭をよぎっていたのだ。男に裏切られ、横で知らぬ間に生き絶えていたらしい子どもに気づかず、自ら宙に身を投げた女と自分が重なる。
汗が噴き出て、呼吸すら苦しくなってくる。
違う。あれは今の自分とは違う生を生きた人間だ。その記憶のはずだ。
だが、今それをナシオラが見せる理由は? 己のこととして恐怖心が芽生えるのは何故なのか自問自答する。
だが答えなど分かるはずはない。
カリーナはそれらの異変を悟られないよう、懸命に呼吸を整えた。
少ししてから労いにやってきたアイリスにも微笑み返せたはずだ。
とりあえず一晩は疲れを理由に人を遠ざけておけた。彼女はうなされながらも眠った。朝起きれば、腹は減っていたし、体も大丈夫だと思った。
あの恐怖心も鳴りを顰めていた。
だが、赤子たちの元に行くとダメだった。またあの残像が頭をよぎり、近くに寄ることが出来なかった。
そして自室に逃げ込んだのだ。赤子たちに何かあってはいけないから。
そして、今カリーナは夫の腕の中にいた。
彼の声を聞いた途端、涙が溢れた。
「カリーナ。話したくないのなら構わない。だが、そなたを苦しめているものがあるのならば、私にもそれを分かち合って欲しい。そなたの全てを私に寄越せと言ったはずだ。苦しみも差し出せ」
ロイは彼女の髪を撫でながらそう言った。
だがカリーナは自分がおかしいのだと知っていた。誰も前世の話をしたりしないし、それに囚われて泣いたりもしない。
いや、それともカリーナが知らないだけで、同じような人間がどこかに存在するのだろうか。
カリーナは迷った末、ロイに前世のことを打ち明けた。あの恐ろしい結末と、言いしれぬ恐怖を。
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ナシオラの信仰に前世という概念がある事をロイも知っていた。
曲がりなりにもナシオラの神殿で婚姻の儀を行ったのだから、その時に一通り話を聞いた。忙しいカリーナに放置されている間に書物も読んだし、元々ナシオラ信仰のあった地域の出身であるチルトが祖母に聞かされたと言う話も聞き流してはいたが聞いていた。
だが、少なからず驚きはした。カリーナのように前世の話をする者には出会ったことがなかったから。
だが彼女の言うことが嘘だとは思えなかった。もともと彼女は常識にとらわれない行動をする人間だから、あまり違和感も無かった。
だが、前世で彼女は裏切りに合い、動けなくて、子供を放置して、そしてその子を死なせてしまったらしいと聞いて眉を寄せた。
「カリーナ。そなたを責めるつもりはない。そなたが恐れを抱いている事も分かった。だが、今そなたは、その前世で犯した過ちとやらと同じ事をしているのではないか?」
彼がそう言うと、彼の肩から顔を上げた、驚いた顔のカリーナと目が合った。ようやく愛しい妻の顔を見れた嬉しさに心が満たされる。
「子らの面倒は乳母たちがみる。子は育つ。無理をする必要はない。そなたが近づけないのならば、私がいくらでも子らの相手をしよう。
だが、そなたが自らの恐怖に囚われて子を顧みないのだとしたら、また前の生と同じことを繰り返していることになるのではないか? それは信仰に反するのでは?」
カリーナの頬を涙が伝った。
その通りだ、と彼女は小さな声で言った。
カリーナは愕然とした思いで彼を見つめていた。確かに彼の言う通りだった。
自分は何をしていたのだろうか。
前世のように、もし乳母がいない状況で子と共にいなければならなかったとしたら、カリーナはあの女と同じ運命を辿っていたかもしれない。
子ども達に会いに行かなければと思い、立ちあがろうとするのをロイに阻止される。
「そなたは今は休むべきだと思う」
「しかし、早く会いに行かなくては」
「そなたに会うために馬を跳ばしてきたのだ。私は疲れている。そなたも疲れているはずだ。明日でも変わらん。今は休もう」
その日、ロイは彼女を抱きしめながら眠った。
カリーナは寝付けなかったが、ロイの腕の中にいる事に安心する。
面倒なことに、抱きしめられながら寝ざるを得なかった事は何度もあった。寝苦しいと思っていた。
しかし、その日はこれまでと違い、その温かさを心地よいと感じた。
そして思った。これまでロイの前で、このように心の奥底に渦巻く不安を吐露した事はなかったかもしれない。いや、今まで誰にもしたことはなかった。
幼い頃はともかく、前世のおぼろげな記憶に気づいてからは、家族にさえ完全に心を開く事が出来なかった。彼女は前世というものを隠して生きてきたから。そしておそらく、それに囚われていたから。
カリーナは夫の腕の中で、久しぶりにうなされる事なくゆっくりと眠ったのだった。
翌日、皇后にしては簡素だろうが、カリーナはきちんと身支度を整えて、ロイと共に子供たちに会いに行った。
乳母たちは安堵の表情を浮かべている。カリーナは彼女らに心配をかけていたことをすまなく思った。
そして初めて娘たちを抱いた。ロイと代わる代わる、取っ替え引っ替え抱いたため、ついには赤子たちを泣かせてしまった。
カリーナはその声さえも愛しいと思い、ロイと共に笑い合った。
「名を決めてやらねばならんな」
娘たちが眠るのを見守りながらロイが耳元で言った。彼がカリーナを後ろから抱きしめているからだ。
彼女はその力強い腕を撫でながら、彼女たちに相応しい名はなんだろうかと考えを巡らせたのだった。
つづく……けど、次話で終わりです。
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