5.大袈裟な知らせ
おはようございます!
こんにちは!
こんばんは!
カリーナが、先ほども入場する際に使用した、玉座に近い扉から広間へ戻り、関係者への挨拶に精を出していると、いつの間にか席を外してたらしいオルテガ王国の特使が、儀礼も何もない様子で広間に駆け込んできた。
彼らがちょうどカリーナが立っている辺りを通って行くことが予想出来ると、カリーナは避ける用意をしていたが、その前に、見事なエスコートぶりで、エヴァンがカリーナの腰を抱いて腕の中に抱き込んだので、彼女は当然無事だった。
しかし不運にも、何も気づかずに歓談していた幾人かが突き飛ばされ、倒れ込む者まで出て、淑女の悲鳴が上がった。
特使は王妃のもとに駆け寄り、母国語で何やら騒ぎ立てている。
王妃の顔は、常に貼り付けている微笑から、驚きへと変わっていく。
めずらしいこともあるものだ。
カリーナはオルテガの言葉が理解出来るため、当然それを聞いた。
王妃の生誕祭の夜会という一大行事の真っ只中に、人を突き飛ばして場を混乱させてまで急いで知らせなければないほどの大事ならば、もちろん聞くに決まっている。
特使の言葉に耳を傾けると、その話にはやたらと余計な回り道が多いものの、次の二点が読み取れた。
王妃の母国オルテガからの急使がやってきたらしいこと。
国境を侵したディレイガ帝国のマルス将軍が、オルテガ王国内の砦の一つを奪取し、そこに居座っているということ。
「……居座っているだけか……」
カリーナがそうつぶやくと、彼女を抱き込んだまま、耳元でエヴァンが聞いてくる。
「何があった?」
「そこまで急ぐ内容とも思わんが」
整った眉をわずかに寄せながら首を傾げるエヴァンに、今彼らから聞いた内容を整理して教えてやった。
その内容にエヴァンの眉が動く。
「マルス将軍は聞いた名だな。しかし、交戦しているわけではなかろう。小規模であったとしても、戦があれば物流の乱れが起こる。そのような情報はどこからも届いていない」
エヴァンの言うことは、まったくその通りなので、ごくごく小さな揉め事か何かだろうとカリーナも思う。
ところが、いやに取り乱した王妃が訳のわからないことを言い出した。
国王は、玉座で側近に囲まれながら、もちろんオルテガ王国の特使らを不審げに見やりながら、宰相と何やら話をしていた。
そこに王妃が駆け寄って、声を振るわせながら言ったのだ。
「陛下! 私の母国が、帝国の侵略を受けております! どうか、お助けくださいませ!」
「王妃様、どうぞこちらに。静かな場所でお話をいたしましょう」
彼女を落ち着かせようとする宰相がいつになく優しい声で言ったが、王妃はそこから動こうとしない。困りきった顔の王の側近らと、額を抑えている国王が見える。
「わざと醜態を晒しているようにしか見えないな。オルテガから急使が来たのなら、それを一番初めに聞くべきは国王陛下であろうに。もちろん別室でな」
「宰相の表情を見る限り、ナシオ王国には正式な書面は届いていないようだが」
エヴァンに頷き返しながら、カリーナは、王妃やオルテガの特使の行動に首を捻る。
王妃は少なくとも表では醜態を晒したりはしないように思う。カリーナの知る限りは、取り巻き達をうまく使って、自分の口や手は汚さない。
今の王妃も、見る人によっては、母国の危機を救おうと尽力する聖女のようにでも見えるかもしれない。
だが、カリーナは、今の王妃は明らかに何かを企んでいると思った。
カリーナは周辺国と帝国内の協力者からの報告書を再度確認しておくか、と考えた。
王都に帰還したその日に各報告をまとめた概要は聞いたが、いかんせん一ヶ月半も、移動したり、交戦したり、移動したりしていたのだ。内容を自分では精査していない。
カリーナの屋敷には、国内はもちろん諸外国から送られてくる情報が集まる、情報分析専門の部屋があり、レイモンドという五カ国を操る情報分析官を置いている。
国にもそういった機関はあるし、それが得た情報が軍にも流れてくるが、いかんせん内容に乏しい。
そして、国は、各軍が個別で諜報機関を持つことを禁じている。
そのため、カリーナは個人的に、もともと前の第三騎士団長が構築していた情報網を、自費を投じ、何年もかけて強化した。
分析官のレイモンドは、以前は王宮に仕える文官だった。しかし、平民出なのにあまりにも優秀すぎたため、周りの嫉妬を買い、冷遇されていたところをカリーナに見つかってしまった。そしてそのまま強引に引っ張って来られた。
だが、いくら優秀とはいえ、彼は文官である。
軍事の専門家が総合的に見れば、同じ情報からでも何か新たな発見があるかもしれない。
「エヴァン。レイモンドのもとへ行って、我らが王都を離れていた間の情報を精査してくれ。何か取りこぼしがあるかもしれない。うちの馬車を使ってくれ。私は誰かに乗せてもらうから」
「分かった。特に気になることは?」
「帝国内の情報がやや乏しかったかも知れないが……」
「了解した」と言うと、カリーナを腕の中から解放したエヴァンは、集まってきていた部下たちにカリーナの護衛を任せると、足早に立ち去って行った。
カリーナは、周囲を見渡して、オルテガ王国の言葉がわかる人物を探した。これからしようとする事に、少しでも客観性を加えたかった。
オルテガの言葉に通じ、かつ、王妃らの会話が聞こえたであろう範囲に、外交部に所属する文官一人の姿を発見し、カリーナは扇で隠した口の端を引き上げた。
確か、どこぞの子爵家出身のその文官は、蒼白になりながら震えているだけで行動を起こす様子はない。
もちろん無理矢理引き込ませてもらおう、と彼女は決めた。
カリーナは国王の前に進み出て、淑女の礼をとって大きく頭を下げて待った。
彼女に気づいた王妃は、彼女を連れて行くように、国王陛下とお話をしているのだから、と周囲で困惑する近侍らに、先ほどよりもよほど落ち着いた声で言った。
カリーナを爵位で呼ばなかったのは、彼女が名前を呼ばれない限り、王妃の前で、さらには国王の前で発言することが出来ないからである。たぶん、いつもの嫌がらせだろう。
「よい。フォイラー伯爵は軍事の専門家だ。何かあるのなら申してみよ」
君主らしく鷹揚に言った国王に、カリーナはさらに深く頭を下げてから、節目がちに国王の顔を見上げた。
「おそれながら……」
カリーナは一瞬横目で、王妃の眉根の寄った、しかし口元だけは引き上がっている、なんとも言えない微笑みを見てから続けた。
「先ほどの特使殿の発言の中には、侵略といった、物騒な言葉はなかったと存じます」
王妃に睨まれている気もするが、バカみたいな翻訳間違いで、母国を無謀な戦いに巻き込みたくはない。
先ほどの、特使の言葉を理解していたであろう文官の男に、咄嗟に名前が出て来なかったので、「文官殿」と微笑みかける。
彼も、「確かに、そこまで物々しい言葉は使われておりませんでしたな」と、同意してくれた。
「そうか、わかった。こちらでもきちんと特使殿から話を聞いてみることにしよう。王妃の憂いを晴らさなくてはな」
国王は立ち上がると、予定より早めだが、会を終わりにすると宣言し、王妃の手を引いて玉座の後ろに下がっていった。
当然その間は誰しもが、頭を低く垂れていた。
国王らの姿が完全に見えなくなると、辺りがざわざわと騒がしくなる。当然だ。こんな事はカリーナも初めて経験した。
使用人らが動き回り、序列順に人々を出口へと誘う。急な事なのに、まったく動揺が見られないのは流石だった。
「団長。副団長はお屋敷に向かったのですよね。我らがお送りいたしましょう」
じっと玉座の後ろを見つめていたカリーナに、部下たちから声がかかる。
カリーナはそれに頷くと、彼らを従えて、また長い馬車の列に辟易しながら、王宮を辞したのだった。
カリーナは自邸に帰り着くと、「お召替えを」と言うメイドたちを制し、引き連れてきた部下たちと共に、情報分析官のもとへ急ぐ。
敷地内に家族共々暮らせる家を与えられているレイモンドは、呼び出しにすぐに応えてくれたようだった。もしくは、まだ残って仕事をしていたか。
レイモンドと共に書類の山の中に佇んでいたエヴァンが、カリーナらに気づくと、「隣の部屋へ行こう」と言って、隣室に続く扉に向かう。
確かにこの部屋は、特に裾の長いドレスを身に纏ったカリーナが身動きすると、床に置かれた(おそらく分類された)書類を薙ぎ倒してしまいそうな散らかりようだ。
人員を増やそうか、と思いながら隣室へ向かい、エヴァンが腰掛けているソファの左隣に腰掛けた。エヴァンの向かいにはレイモンドが腰掛け、その周囲を立ったままこちらの様子を伺う部下たちが取り囲んでいる。
皆、勝手知ったるフォイラー伯爵邸である。
「何か見つかったか?」
カリーナはソファの肘掛けに乗り上げるようにして、エヴァンの方に身を寄せた。
エヴァンは、何束かの書類を持っている。
目の前のレイモンドも同じく、分厚い紙の束を持ち、それと同じくらいの量の書類をテーブルの上に置いている。
そのレイモンドが言った。
「帝国内では近々、十年ぶりの帝国議会議員選挙が行われるところですね」
「それは知っているが、今回の件と何か関係が?」
カリーナの質問に、エヴァンが一同を見廻しながらゆっくりと口を開く。
「現在、帝国貴族は大きく、内政派、領土拡大派、中立派の三つに分かれている。そして、帝国はすでにその版図を、全体への影響力を維持し切れるかどうかの瀬戸際まで拡大している」
皆がエヴァンの言葉に頷く。これは、他国の動向に目を光らせている者ならば、誰しも知ることだ。
「細かい数までは把握できないが、多くの反乱が起きていることは確か。そして、その反乱の鎮圧を成功させたとして、度々名が上がるのが、マルス将軍だ。ここ何年かは特に」
「マルスか。戦いの神だ。本当の名ではないな」
つぶやいたカリーナに、皆の視線が集まる。
しまった、とカリーナは思った。「マルス」という将軍の名を初めて聞いた時、「ああ、ギリシャ神話の」と思い、次の瞬間に、そんな神話は聞いたことがなかったとことを思い出した。少なくとも、今世では。
たまに現れる、前世の記憶はなかなかに鬱陶しい。
「何でもない。気にしないでくれ。大昔の話だった、と思う」
カリーナが大陸中の言語に通じており、その読書量が並大抵のものではないことを知っている一同は納得したようで、それを聞き流してくれた。
「そういった反乱鎮圧で名が上がる将軍は他にも何人かいるが、マルス将軍は頻度が高い。他の将軍らと比べても」
エヴァンはそう言いながら、手元ですごい速さで紙をめくっている。そして、手を止めると、その一箇所を指差した。
「そのマルス将軍が、オルテガ王国に向かったと思われる頃、他の帝国貴族達にも動きがあった。特に内政派の貴族と考えられる者達が領地へ戻っているようだ」
レイモンドが、エヴァンの後を引き取った。眉尻を下げて俯きがちに続ける。
「申し訳ありません。帝国貴族達の動向は、劣勢にある内政派が、何らかの理由をつけられて、帝国議会議員の選挙から排除されているものと判断し、それのみを報告しておりました。十年前もそうした動きがあったと記録にあったものですから」
「確かに、帝国内の体勢は、ずっと領土拡大派が握って来たはずだ。しかし、内政に支障をきたし始めて、最近は侵略戦争を仕掛けることもない。最後は、ロンガルティア王国を吸収した時だな。もう八年前になるか」
カリーナは顎に手を当てて、サラサラとした手袋の感触を味わいながら言った。
「帝国内の権力争いが、直ちに我が国の安全を脅かすこともなかろうと、私も思っていた。詫びることはない」
「しかし、時を同じくして、隣国であるオルテガ王国に、ディレイガ帝国の高名な将軍が侵入したとなると話は別だな」
「偶然か、はたまた……」
カリーナとエヴァンが互いに視線を交わしていると、横から声が上がった。
「団長。我らは近くにはおりませんでしたので、お教えいただきたいのですが、オルテガ王国の急使は、いつ頃オルテガの王宮を発ったのでしょうか。何日前の情報なのかが気になります」
「順当に馬を乗り換えて進めば、四日とかからんだらうが」
「その、マルス将軍が奪取したという砦から王都への距離も考えねばならん」
口ぐちに話し出した部下達を、カリーナは手を挙げて、それをヒラヒラと振って黙らせた。
手袋の刺繍が美しい。タコだらけのカリーナの手すら貴婦人のものらしく見せてくれる。
「それについては私にも聞き取れなかった。おそらく、特使殿も王妃様もご存じないかも知れないな。
エヴァン、明日でいいから、一応探らせてくれ。クラバーが、歩兵部隊の連中は遠征にも置いていかれ、暇を持て余していたと言っていたから、使ってやるといい」
クラバーというのは、第三軍の歩兵部隊の隊長だ。壮年の男だが、まだまだ現役と、よく体力自慢をしている。
彼はカリーナが騎士見習いの頃から歩兵部隊の隊長職にあり、カリーナのことも何かと気にかけてくれた。自分の娘のような年齢だからだろう。ある意味で頭の上がらない人物の一人だった。
「分かった。使いを出す。とりあえず我が軍には直接関わりはないだろうから、もう皆休むとしよう。そなたのコルセットも心配だ」
エヴァンが、カリーナを見て口元を緩めると、部下達も声を出して笑った。レイモンドだけは下を向いて、肩を振るわせているだけだったが。
どうせならお前も笑ってくれ。
カリーナは肩をすくめると、「では、解散するとしよう。明日の午後に詰め所で」と言って、彼らを送り出した。
しかし、その自分で出した指示に、カリーナ自身が応じられなかった。
翌日、朝早く、王宮から使いがやって来たからだった。
つづく……
ここまでお読みくださり、ありがとうございます!