46.皇帝ロイトラートの戴冠
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戴冠式を控えたある日、カリーナはアイリスに会いに行った。
彼女たちは投獄されていた場所から早々に解放され、すでに元々自分達が暮らしていた皇宮に戻っていた。
カリーナは、あの図書室のような書斎のような不思議な彼女のサロンに通され、アイリスと久しぶりの再会を果たした。彼女は以前と変わらない笑顔でカリーナを迎えてくれる。
新皇帝の即位と共に第一皇子妃というこれまでの肩書きを失うアイリスは、身分が宙に浮いた状態であっても、今までと変わらず穏やかに暮らしているという報告は受けていた。
「カリーナ様。ご無事なお姿を直接確認できて安心致しました」
彼女はそう言って、カリーナとの再会を喜んでくれた。
だが、カリーナはアイリスの笑顔に曖昧に微笑み返すと、まず何よりも先に、彼女らを屈辱的な目に合わせてしまった事を詫びた。
事が動き出した時に彼女らが投獄されたのは、カリーナがロイに頼んでいた事だった。
殺戮に発展する可能性すらある状況の中、彼女らの安全を確保する方策であったのだが、そうなる時にはカリーナ自身がアイリスにその旨を説明するつもりだった。
自分が負傷して意識を失っているうちに始まってしまうとは思ってもいなかった。
そして、長い間会いにこられなかった事も申し訳なく思っていた。
カリーナはきちんと報告出来る状況が整うまで、直接会うのを躊躇っていたのだ。彼女を傷つけてしまったのではないかと、なぜかとても心配だったから。
だが、アイリスはそれらのカリーナの言葉を聞くと、慰めるように、自分のものよりも高い位置にあるカリーナの肩を撫でた。
「危害は加えられておりませんし、何かご事情がおありだと分かっておりましたから。どうかお気になさらずに」
カリーナは彼女に勧められるままに椅子に腰掛けた。そして本題に入った。
彼女は、アイリスが今後は臣下に下り公爵家の当主となる事が内定している事を告げる。
「アイリス・オーリエ公爵夫人。それが今後のあなたの名前となります。ケイン皇子には皇室に残っていただき、ロイの元で研鑽を積んでいただく事になります。現時点でロイの後継者となれるのはケイン皇子お一人ですので」
アイリスは目を瞬いて、しばらく声を出さなかった。驚いた時によく見られる、口元を両手で覆う仕草をしている。やがて、全てを飲み込んだ彼女が確認するように聞く。
「私が、公爵家の当主になると。息子の成人までの繋ぎではなく、私自身が」
カリーナは頷くと、皇族に近い確かな地位を持つ外交官としての活躍を期待している事も伝える。
手始めに、カリーナの故国に赴き、カリーナのかつての部下に力を貸してやって欲しいと頼むと彼女はまた驚いた顔をした。
「そのような大任が私に務まるでしょうか……」
カリーナが微笑みながら頷くと、アイリスも心を決めたように頷き返し、カリーナと互いの手を取り、力強くそれを握り合ったのだった。
カリーナはその日、もう一つの報告をしなければならなかった。彼女の夫である次期皇帝のロイは多忙を極めていたが、この日ようやく夕食を共に出来ることになっていたからだ。
最近は寝室も分けている状態だった。ロイは仮眠を取るのがせいぜいで、完全に傷が癒えた訳ではない妻には十分な休息を取らせたがったからだった。
夕食中は互いに分担して進めている戴冠式の準備に関する報告に時間を取られた。人を介して、または文章での報告は欠かしていないが、細かい点は直接話をした方が早かった。
食後隣室に移り、並んでソファに腰掛ける。先に口を開いたのはロイだった。
即位するまで、名目上皇太子となっている彼は、皇帝に代々受け継がれてきた冠は被らないと決めたと言う。
「幼い頃見るあの男はだいたいそれを被っていた。あんな重たいだけで実用性の無いものに囚われるつもりはない」
代わりに、金で土台だけで作らせた冠を二人分作らせ、それに花を飾らせる事にしたと言う。
豪華だが、すぐに枯れる。
この帝国と同じだ。手入れを欠かさず、制度を、政策を、他国との関係を、新たにし続けなければ、彼は枯れた冠を被り続ける愚鈍な皇帝となるだろう。
カリーナは彼女に比べてはるかにロマンチストなロイの決定に賛同すると、首が凝らなくていいと喜び微笑んだ。そして、おもむろに夫の手を取る。
「……珍しいな、そなたから人前で……」
ロイが驚くのも無理はなかった。
部屋の中は二人きりとはいえ、離宮から呼び寄せた侍女のソフィや執事らは当然控えているからだ。
しかし、カリーナはこの事を伝えるのに、二人の間に距離を置くのもおかしな気がして、ロイに習ったのだ。
彼女は彼の手を腹に当てた。
「子が出来たようです、ロイ。私たちの……」
カリーナがそう告げると、ロイは目を見開いて彼女の顔と腹を交互に見やった。
カリーナは結婚してからは当然の事として、月のものの有無は確認されている。
先日それが遅れている事から侍医の診察を受け、妊娠を告げられたのだが、ロイには言わないようにと、侍医らにも、一緒に聞いており喜びに色めきたっていたソフィらにも口止めをしていた。自分の口で夫に伝えるべきだと思ったからだ。
とはいえ、長く口止めするのは不可能なので、この日夫に伝える事にした。侍医らにも報告書の作成という義務がある。
ロイは彼女のまだ出っ張りのない腹を優しくなぞると、満面の笑みでカリーナを抱きしめた。
そして、ロイは、カリーナが彼の即位と共に立后され皇后になると告げた。これは妊娠に関わらず決めていた事だと言う。
カリーナはそれに一瞬不満気に眉を顰めた。
ロイもカリーナが単純に喜びはしないだろうと思っていた。彼女は枷になるものを厭うだろうから。
だがカリーナが懸念していたのは違うことだった。
「……殿下の、皇帝の婚姻という選択肢はこれからも持ち続けるべきだと思います。私が無事子を産めるかも分かりませんし……」
「そなたは私を他の女と共有したくないのではなかったか」
「もちろん……。ですが……」
「ケイン皇子は皇帝の甥として皇室に残る。第三皇子であるユスタフも継承権こそなくなるものの、大公として近くに置く。外交のカードとしての婚姻はやつらに引き受けさせよう」
ロイは随分と勝手なことを言う、とカリーナは思わず笑った。
その第三皇子はもっと下の身分にしてくれとロイに食ってかかっていたが軽くいなされた。
第三皇子がいつしか力を取り戻すかもしれない反新皇帝派に利用されないよう、見張るためであるのは明白だ。
カリーナは先日、その第三皇子と話した時の事を思い出していた。
彼は「母は昔から私に関心が無い人で。たいした会話をした事も無いのです。私の事は人に任せきりで。第三皇妃殿下の件に関して知っていることはあると思っていましたが……。まさか師匠たちを襲わせるなどとは」と、まだ気持ちの整理がつかないようだった。
ロイの母上の件に関しては、時間が出来たらカリーナ自身も調査に参加するつもりでいる。
カリーナはロイに手を握られ、我に返った。
「私の伴侶はそなただけだ。
今後の私の人生は、帝国の形を、歪な所から変革していく、ただそれを地道に繰り返していくだけの人生となるだろう。だが、そなたがいれば退屈はしないと思う」
「私は貴方の退屈凌ぎとして存在するだけで良いと?」
「その言い方はあんまりだな。愛するそなたが側にいれば、退屈のしようがないと言ったのだ」
ロイはカリーナを引き寄せて深く口づけた。
しかし、わざとらしくお茶を入れ直す音がして、カリーナに肩を叩かれると彼は渋々といった顔で体を離した。
「……そなたの言う通りだった。二人きりの方が邪魔が入らなくていい」
彼がちらりと侍女らを見やり、おもむろにそう言ったのに、カリーナは思わず吹き出した。
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戴冠式は、皇宮内で最も格式が高いとされる大広間で開かれた。
よく晴れた日で、窓から差し込む陽の光が広間の奥まで差し込んでいた。
そこには、新皇帝の元からの支持者だけでなく、かつて派閥として対立していた貴族の中でも、新皇帝への支持を表明し、領地の一部を差し出すなどの行動が認められた者は参加を許されている。
ただし、広間の一角に集められた彼らの周りに、目立たぬように、しかし厳重に兵が配置されたのは言うまでも無い。
広間の前方に堂々と居並ぶ功労者達の中央にいるのはリンデルク公爵だ。爵位を侯爵から公爵に上げ、帝国議会の議長の席も彼が占めることになった。これは現在の帝国議会の総意で決められたことだった。
その末席近くには、つい最近支持者となったクリスナー侯爵がいた。その隣に彼の妻の姿はない。
彼女は、自分の立場の悪さを夫に諭されてからは、大人しく彼らに協力している。
第八皇妃が、前皇帝の弑虐をはかったとして処罰されるか否か、彼女の証言も加味されて決められる事となるだろう。
だが、それはまだ先の話である。
新皇帝の母が死んだ経緯も、調べられる予定ではある。しかし、時間が経っている事もあり、もうここを去っている者も多く、それは時間をかけて行われる事になるだろう。
前皇帝も、その皇妃達も皇宮にとどめ置かれる事となった。
一人一人から話を聞くことになるだろうし、証拠も調べられる。すでに手元にある証拠と照らし合わせれば、全容がほぼ解明されると思われた。
だがそれは公にされる事は無い。
今回の皇帝の即位に関しては、それがごく自然なものだったと帝国の臣民に印象付ける必要がある。
多くの貴族の立場が変わった。市井でもその噂は瞬く間に広がるだろう。
しかし、新皇帝が清廉潔白な人物であると、彼らの暮らしを今よりもはるかに良いものとする人物であると信じさせる事が何よりも重要だ。
そのために、前皇帝も、息子の戴冠を見守るために体調不良を押して参加しているという体で、着飾らせられ、色の悪い顔を広間中に晒している。
ここにいるほとんどの者が真実を知っていたとしても構わない。
この戴冠式には、その様を書き残し、さらには臣民に語り聞かせるために高名な文学者や詩人が幾人も招かれている。彼らの目にどう映るか、その先にいる臣民にどう語り継がれるかに重きが置かれているのだった。
新皇帝及び皇后の入場が、高らかに叫ばれた。
皇帝は黒い軍服に似た形の衣装に、赤いマントを閃かせている。隣に並ぶ皇后は、髪色と同じ濃い赤い色のドレスに黒と金の刺繍で華やかさと落ち着きを加えている。
互いの色を取り入れた衣装は、人々に二人の仲睦まじさを感じさせた。
そして、玉座とその隣に置かれた皇后の椅子に置かれた、豪華な花々で彩られた冠をそれぞれが手に取る。
先にそれを頭に乗せられたカリーナが、軽く腰を屈めたロイトラートにそれを被せると、支持者たちからは遂にこの時が来たことに安堵するようなため息が漏れた。
二人が手を取り合い正面に向き直った瞬間、大きな歓声と拍手がその場を飲み込む。
皇帝ロイトラートと皇后カリーナの治世は、そうして始まったのだった。
もう少しだけ、つづく……
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