43.母の居場所
おはようございます!
こんにちは!
こんばんは!
そこは、皇帝に妾として囲われた名もなき女たちが暮らしていた場所だった。今ではここで暮らす者はいないはずである。
その館の一つに護衛たちが先に入り、安全を確認する。それを率いるのはクリストフだった。
二階まであがり戻ってきたクリストフの顔は、ひどく歪んでいた。
安全が確認された事を聞くと、ロイトラートは皇帝を車椅子から立ち上がらせた。
老人のように足下のおぼつかない皇帝を半ば引きずるように引っ立たせ、さほど広くはないが人が三人は一緒に上がれる程度の幅はある階段を上がる。
そして、ロイトラートは片手で父親である皇帝を人形か何かのように掴み引きずったまま、クリストフが指し示すその部屋に足を踏み入れた。
そこは埃の積もった、薄暗い一室だった。カーテンは閉められ、薄明かりだけが頼りだ。
クリストフに命じ、カーテンを開けさせる。埃が舞い散る様を差し込む光が浮かび上がらせる。
そしてそこには、棺が横たわっていた。
たった一つだけ。
一度中を確かめたはずのクリストフが、本当に開けるのか確認してくる。その様子で覚悟が決まる。
ロイトラートは皇帝を放り投げ、部下に押さえつけておくように指示を出し、一呼吸置いてからクリストフに言った。
「開けてくれ」
彼は顔は背けなかった。心は拒否していても、これは自分自身に納得させなければならない事だったからだ。
そこに横たわる人物の顔は見る影もなかった。
しかし、ゆるく三つ編みに結われて肩に乗った髪の色とそれが波打つ様。
そして何よりも、最後に会った時に母が着ていた濃い紫のドレスに見覚えがあった。
あの時はそれが最後になるとは思わずに、義務的に母の居間に就寝前の挨拶に行ったのだ。
あのすぐ後だったのだ。
彼が眠る前か、後かは分からないけれど。確かに同じ館の中に居たのに、救うどころか気づきもしなかった。
ロイトラートは、母と共にいなくなったとされた母の元婚約者についても気になっていた。
「棺はこれだけか? 他にも犠牲者がいたはずだ」
皇帝は、知らないと言った。
ロイトラートは呟いた。
「せめて、好いた相手といるものと思ったが……」
リンデルク侯爵が棺の蓋を閉めさせた。彼の心遣いだったのだろう。しかし、その音が図らずも引き金になってしまった。
ロイトラートの、やり場を失った感情が最も憎む存在に向かったのは当然のことだったかもしれない。
彼は大股で父親近寄ると、誰が止めるのも間に合わないほど速く皇帝を宙に浮かせるほど持ち上げた。
襟首を掴まれた皇帝は息が出来ず、舌を出して呻く。
「よくもこのような場所に一人で打ち捨てたな! 相手はどうした!」
埋葬されていたのなら、いやこの場所に打ち捨てられていようとも、好いた相手も共にいたのなら、ここまで怒りは湧かなかったかもしれない。
口をきかせたくても出来ないほど、その首が閉まるように襟を持って手首を捻る。
皇帝は情けなくも命乞いでもしているようだ。
知ったことか。もうこの男に用はない。
「ロイトラート様、おやめください!」
クリストフが部下と共にロイトラートと皇帝を引き離した。
ロイトラートの腕から逃れ、床に座り込んだ皇帝は、首をさすり、周りを一度見回してから掠れきった声で言った。
「……裏切っていたのだ。私を愛さなかった。愛人として元婚約者を招き入れていると聞いた」
「……は? あんたは大勢の皇妃を抱えていたはずだ。母上の館など滅多に訪れなかった。
それに、母上は元婚約者と会えるような環境にはいなかった。裏切ってなどいなかっただろう。あんたを愛さなかったのは事実だろうがな!」
「そんな事はどうでもいい。そのような噂がたちかかっていたのが問題だった。それを広められたら、私の面子は丸潰れだ!」
面子? そんなもののために母は死なねばならなかったのか。
「噂がどこから出たものだったか答えよ」
皇帝は酷薄に笑った。
「そこらじゅうからだ」
「答えになっていないな……。実行の命令を出したのは貴様か」
「まさか。なぜ余がそのような事をする必要がある? てぐすねを引いて待ち構えてあるもの達がいた。噂を流し
、その時を待つ者が」
ロイトラートが予想していた内容だったため、それはその通りかもしれない。
「真実を明らかにするつもりは無かったのだな? 犯人を隠匿し、面子を保てればそれで良かったのか」
その問いに対して、皇帝は一見関係のない事を答えたかと思った。
「……皇帝になろうとしているな、そなた。ではじきに分かるだろう。多数派の支持無くしては、玉座に留まることもままならん。窮屈な見えない檻に囚われて。目をつぶるしかないことが数多ある事が」
ただの言い訳に聞こえた。
この男は何を言っているのだろう。自らその地位に固執して、飽きてどうでも良くなった女を見殺しにしただけだろうに。
自分はそうはならない。カリーナがいる。彼女が隣にいてくれれば……。
「恩知らずめが。余が生かしておけと言ってやったから、生き残れたのだ! 軍人に身をやつし、こそこそと泥棒のように玉座を……ぐあぁあ!」
ロイトラートの腕が、再びこの小賢しい老人のように老けこんだ男の喉を潰そうとする。
やはり、もうこの男とは話す必要はない。こいつから聞き出せることはない。
「殿下!」
「お鎮まりを!」
止めに入ろうとする部下達すら払い除ける。今度は彼は本気だった。
ところが、その時不思議なことが起こった。階段を登ってくる軽やかな足音に、ロイの思考がそれる。どこか聞き覚えがあったからだ。
この館の周りは彼の部下で固められているはずなのに、誰何の声も、静止する声も聞こえなかった。
そして、戸口に姿を現したのは……。
光に照らされて煌めく濃い赤色の髪。男装に帯剣をした姿であっても、いやだからこそ美しい彼の妻。
「……ロイ、やめてください」
カリーナの姿が目の前にあり、声が聞こえた。幻でも見ているのかと思った。
しかし、彼女はそこにいた。ツカツカと音高く歩いて来る。
「カリーナ……」
ロイトラートは手から力を抜いた。こんな男に触れていたくない。これが生きていようが、そうでなかろうが、どうでもいい。
それを放り投げると、彼は自らも駆け出して彼女を腕の中に閉じ込めた。
つづく……
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