28.皇太子殿下の駆け落ち
おはようございます!
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彼が物心ついた時、彼はすでに大帝国の皇太子の息子だった。
手に入らないものはなく、侍女たちは彼を将来の皇帝陛下と呼んだ。
母親である第一皇妃は彼に完璧である事を求めた。彼女の常に彼に当たり散らす事しか考えていないような言動にはうんざりしていた。
だからこそ、彼は母親の前では自分を取り繕い、いい顔をする術を身につけた。そうすれば小言の数は減った。
父親が皇帝になったとき、彼は皇太子にはならなかった。弟の存在が、彼をその地位に着けるのを阻んだのだ。
だがその弟も、その母親である第三皇妃の駆け落ち騒動によって、帝位争いから消えていった。
その時にはすでに妃を迎え、息子も生まれていた彼は、さらに息苦しさを感じるようになっていた。
だが、第三皇妃のような方法で自由になる道があるのかという驚きと期待のようなものが、一瞬頭をよぎった。
今思えば彼は、この頃には既に、決まりきった道しか残されていない人生に嫌気がさしていたのだ。
だが、彼はやがて、当然のこととして皇太子となった。
より退屈な日々が始まったのだった。
そんな中で出来た遊び仲間達は、彼を皇宮から連れ出し、楽しみを与えてくれた。それに浸っている間は自由でいられた。
だが、妻の顔を見ると、その顔に浮かぶ憐憫に、息が苦しくなる。もうその妻も昔のように苦言を呈することも無くなっていた。
彼は誰からも期待されない皇太子になっていた。
いつか、今の皇帝である父親のように、大貴族やそれらが牛耳る議会の言いなりになるしかなくなるのだろう。
もう、うんざりだった。
そんな時、彼は彼女に出会った。
出会った場所は、もうどこかは忘れたが、貴族の屋敷で開かれた夜会でのことだった。
初めは、若すぎず、美しく、一時の慰めには使える女だ、などと思ったものだった。
だが、彼女は違った。
堅苦しく、義務感を露わに接してくる妻とも、彼が持つ皇太子という肩書きに群がってくる女たちとも違った。
時に叱り、慰め、癒してくれる。
彼女といれば、第五皇子へと位を落としながらも、また帝位争いに名乗り出たかのような弟の事も、そのせいで騒がしくなっている皇宮の事も全て忘れられる。
そんな日々に溺れていた。
妃として迎えたかった。しかし、彼女の生家は子爵家に過ぎず、政治的な工作が必要だった。
だが、それくらいしてもいいと思っていた。
自分が皇帝になれば、誰にも何も言わせることなく彼女を妃として迎え、皇后の地位に着けるのだ。
彼はそうすれば、彼女はずっと自分と居てくれると信じていた。
しかし、それは彼女に拒まれる。
そのような大それた事は考えたことがないし、将来の皇帝の妃など自分には務まらないと言って。
そして、その時が来てしまった。
「殿下。私の皇太子様。私の結婚が決まりました。もうお会いする事は叶いません」
世界が崩れ去ったかのように、足元が覚束なくなる。彼は近くの椅子に座り込んだ。
愛しい女は涙を拭きながら、別れの言葉を紡ぐ。
だめだ。彼女が消えたら、彼は生きてはいけない……!
彼がそう言うと、彼女は首を横に振る。
「殿下でなければ、他の殿方であれば、共に立場を捨てて逃げることも出来たかも知れません。でも、あなた様はご一緒には来られない。皇太子殿下という立場にお有りですもの。
身分違いの恋から、私が身を引くべきだということですわ。その時がようやく来ただけです……」
いや、だめだ。身を引かせなどしない。
そうだ。かつていたではないか。尊い立場を捨て去り、愛する者と逃げた皇妃が!
殺されたのではないかとの憶測も聞かれたが、きっと違う。
彼のように、本当に愛する相手と共に生きていく事を決めたのだ!
彼が、皇帝の地位などより、彼女が大切なのだと言うと、彼女は彼に縋りついて泣いた。
離れなくて良いのならば、こんなに嬉しい事はない、と。
彼は嵩張らないが換金しやすい、小さめな宝石類を、あるだけ持ち出した。
彼の妻が、宝飾品を作るために買い求めていたそれらが手元にあったのは幸運だった。
彼は、愛しい女が用意した馬車に乗り込んで、帝都の暗闇へと消えて行った……。
✳︎ ✳︎ ✳︎
皇太子が姿を消してから、二ヶ月が経った。
帝国各地に散った捜索の手は、どれも空振りだった。
皇室は、皇太子が財産を持ち出し、駆け落ちをしたと発表した。
それと共に、議会において廃嫡が決定された。
つづく……
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