19.社交界で釣りをする
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「この、無礼者が!」
皇族達が会場に入るまでに待機する、豪華な調度で飾られたその部屋に、その落ち着いた雰囲気には似つかわしくない大声が響き渡った。
その声を発したのは第三皇子である。親切にも、彼の本当の実力を教えて差し上げていたカリーナに、彼は掴み掛かろうとしていた。
しかし、彼がカリーナに伸ばした手は、素早く立ち上がったロイに難なく捕まれ、両手とも頭の上で拘束された。
そして、ロイは侍従を呼び、弟にお茶でも入れるように命じている。優しいことだ。
カリーナは自分で対応するつもりだったが、ロイがそうしてくれて良かったのだろう。彼女だったら、足を蹴飛ばして床に転がすくらいはしていただろうから。
第三皇子の夜会用の豪華な衣装が台無しになってしまっていたかもしれない。
侍従たちに囲まれた第三皇子が何やら叫んでいたが、ロイは何事も無かったかのように彼女に手を差し出した。
もちろんカリーナはその手を取って立ち上がる。
「カリーナ。格が下の者からの入場となるから、私たちが一番先だ。そろそろ行こうか。その衣装を皆に見せるのが楽しみだ」
多少顔色の悪い侍従が近づいてきて、うやうやしくお辞儀をする。その者の案内のもと、ロイの腕に手をかけて、会場に向かう。
名前が呼び上げられ、会場に足を踏み入れる。これは慣れたことだ。
しかし、会場中の貴族たちの全員が自分に対して頭を下げているのは初めて見る光景だった。
趣味の良い飾りに彩られた広間に、色とりどりのドレスをまとった貴婦人たちが、華やかさを添えている。
二人の次に、第三皇子、その場で合流した第二皇子、最後に皇太子夫妻が入場する。
第三皇子はなんとか落ち着きを取り戻したらしい。多少目元に赤みはあるようだったが。
そして、声高く皇帝の入場が叫ばれると、皇族も含めた全員が視線を下に下げて待つ。合図と共に、皆がゆっくりと顔を上げる。
皇帝が、第四皇子の母である妃と共に玉座に着いていた。
皇太子、第二皇子、第三皇子それぞれの母である妃は、いずれも存命のはずである。皇帝が夜会などに伴う妃は一人だけなのかもしれない。
一通り、皇帝からのお言葉を頂戴し、各貴族たちが皇族の前に長い列を作って挨拶を終えると、やがて歓談にうつった。
ロイとカリーナは、内政派の議員である貴族とその夫人らの挨拶を受けることになった。
このように一方的に挨拶を受け続ける経験はないカリーナだったが、なんとか微笑みをたたえ続け、ドレスや宝石を褒められれば、それにそつなく返答する。
ひと段落すると、ロイの仲間であり、最大の支援者である、リンデルク侯爵たちが輪になってロイを取り囲んだ。
大変機嫌の良い顔の貴族たちに囲まれたロイは、周りより頭一つ分ほど身長が高い。だから、ロイが彼らに気を取られた隙をついて、その腕の中から逃れ、少し離れた所に立ったカリーナからもその穏やかそうな微笑が見える。
これは本来の彼の顔ではない。もっと不遜で偉そうで、もっとずっと魅力的なあの顔は、すっかり形を潜めている。
彼は、ずっと、少なくとも外では、あの微笑で過ごしてきたのだろう。
それを悲しく思ってしまうのは、何故だろうか。
その時、ほんの一瞬、カリーナの方を見て心配げな表情を彼は浮かべた。
心配しすぎだ。カリーナを物理的に害せる者など、この場にはロイ以外には居そうもないのに。
カリーナは過保護な夫に微笑みを返し、会場の中を歩き出した。
釘を刺すと決めた相手がいるので、その相手を釣りに行くのだ。餌が一人で無ければ、彼女は近づいては来ないだろう。
皇族となったカリーナが胸を逸らして優雅に進むと、目の前には道が出来る。
その場にいた貴族たちが、礼の姿勢をとりながら避けてくれるからだ。
相手の出方次第では、少し場を乱してしまうかも知れないことをカリーナは心の中で詫びた。だが、滑稽な女同士の諍いと、皆は、楽しく見るのかも知れないと思う。
その時。
「あら、懐かしい形のドレスをお見かけしたと思ったら、騎士団長様ではございませんか」
横からかかった声は、やや抑揚に違和感のある帝国公用語だった。鼻にかかる声は聞き取りづらいが、これはナシオ王国の社交界で耳にしていたものと同じだから、この人物にかかれば言語の壁を越えて、こういう話し方になるのだろう。
獲物がかかった、と思いながらカリーナが立ち止まると、彼女は勝手に話し出した。
「まさか、こんな場所でお会いできる日が来るとは思ってもおりませんでしたわ。
お着きになって間のないとお聞きしました。おかわいそうに。ドレスの仕立てが間に合わなかったのね。でも、そのドレスもお似合いよ。ここでは、とても珍しくて、ちょっと人目を引いておしまいになるけれど」
カリーナが視界に映る範囲を確認したところ、カリーナを見て嘲笑の笑みを浮かべている者もわずかにいるが、ほとんどの者は心配気に、第五皇子妃に対して不躾に捲し立てる彼女を見ていた。
「それにしても、第五皇子殿下をお射止めになるなんて、さすがですわねぇ。経験が物を言うのでしょうね。ナシオ王国でも、男性方をさんざん……」
「先ほどから誰と話をしている?」
カリーナはそこで初めて彼女に対して口を開いた。
「は? それは、もちろんカリーナ様と」
「私は一度でも、私に話しかける許可を、あなたに出しただろうか」
「なっ」
「あなたは、どちらかの侯爵夫人となられたとお聞きした。帝国の社交界では一貴族夫人が、皇族にその赦しも得ずに話しかけるのは無礼とはされていないのか」
「あ、そ、それは……」
視界に入れないようにしているので、彼女の顔は見えない。ただ、その鼻にかかった声が鬱陶しい。
「そなた、以前から私の噂話を広めてくださっていたそうな。根も歯もない噂を信じる者は居なかろうが、その口先、禍を呼ぶものと心得よ」
カリーナは初めて、ちらりと横目で彼女の顔を見た。彼女は顔を赤くして俯いている。何か呪詛でも呟きそうな様相だ。
そこに、慌てた様子で、壮年の高位貴族と思われる男性がやって来て、深々と頭を下げた。
彼女の父親と言ってもおかしくない年齢の男性だが、彼女の夫であり、領土拡大派の議員である、クリスナー侯爵だった。
侯爵は妻と跡継ぎを相次いで亡くした後、彼女を後添えとして得た。そして、彼女はすでにクリスナー侯爵の子を、男女一人づつ産んでいる。
侯爵は、内心はともかく、カリーナに妻の言動の全てに対し、丁寧に謝罪した。
カリーナも、侯爵にはきちんと対応し、悔しげな顔で立ち尽くす侯爵夫人はそのままに、その場を立ち去った。
姦しい同郷のご夫人に釘を刺すという、一応の目的は達成したので、カリーナはロイの元に帰ろうとしていた。
なんならもう部屋に戻りたいくらいだった。故国でも苦手で、ここでもやはり苦手だった女性との再会に疲れていた。
そんな時、貴婦人らの集団がカリーナの前で淑女の礼をとって立ち塞がった。道を塞がれている為、仕方なく「顔をお上げください」と言うしかなかった。ため息を堪えながら。
中心にいた夫人には見覚えがあった。その他の女性たちにも。
ロイと志を共にする貴族当主の奥方たちだった。夫たちがロイのところにいるので、夫人方は夫人方で一緒にいるのだろうか。
彼女らは礼儀に則り、次々に挨拶をしてくれる。カリーナは、その一人一人に、帝国式の返礼をした。
「妃殿下におかれましては、先ほど不愉快な思いをされたことと存じます。どうか、これに懲りずに、社交界にもお出ましくださいませ」
「お茶会にお誘いしてもよろしいでしょうか。もちろん、帝都にご滞在の時にお招き致します」
カリーナは口ぐちに様々な会や催しに誘われるのを、曖昧な返事でやり過ごした。ロイに確認してからではないと答えられないし、何よりも、それらの中にカリーナの興味を引くものはなかったのだ。
カリーナはそれらをかわしながら、逃げ道を探して、目の前のご婦人方を見回すふりをしながら辺りを見ていた。
そしてふと、その人が目に入った。
夫である皇太子もいなくなった、玉座の近くの席に、皇太子妃がたった一人で座っていた。
文書館で見たあの笑顔は、やはり鳴りを潜めたままだった。
つづく……
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