17.ディレイガ帝国議会②
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議場の中は、混沌に満ちていた。
ある者は、開会に間に合わなかった者は出て行けと声を上げ、ある者は、そんな法はない、と言い返す。
内政派の貴族たちは、権力争いに負ける事を悟って逃げ出したと嘲笑されていた。
だがその裏で勢力の拡大に努めていた。領土拡大派の圧力に屈し、議会に出向く事を諦めていた投票権者らをも説得して、引き連れてやって来たのだ。
彼らは、カリーナとロイがしたように、小門から身分を明かさずに、こっそりと帝都に入り込んだ。
ほとんどの者はリンデルク侯爵の手引きで、侯爵の持ち物であるいくつかの邸宅で、ある者は数日、ある者は数刻ほどを過ごした。
そして、領土拡大派の面々が入場し終わった所で、議場に雪崩れ込んだのだ。
近衛には彼らを止める事は出来なかった。彼らは正統な議会の構成員たちだったからだ。
やがて、駆け寄った近衛から事情を聞いたらしい議長が、やや鼻白みながらも、再び投票の開始を宣言した。
少なくとも、彼らは、投票には間に合ったのだから、排除するわけにはいかなかった。
カリーナはちらりと皇帝や皇族たちを見やった。皇帝は、先ほどと同じ、興味もなさそうな表情で下を見下ろしている。
皇族たちは、ほとんどが怪訝な表情を浮かべ、第三皇子などは従者らしき男を呼びつけて、何事か話をしていた。
そんな中で、皇太子妃だけが、静かな、そして知性を感じさせる瞳で、興味深そうに議場の様子を見守っていた。
立候補者の名前が読み上げられる。現在、議員席に座っている者のほとんどと、投票権者の席に着いている立候補者の名前もある。
その名前に各自が一票づつ、挙手にて投票をする。そして、その得票数の多い者から順に当選者となる。
皇族も、他の貴族と同じく、一人一票である。
皇太子と、第二、第三皇子が領地拡大派に投票した。
第四皇子の代理である妃も領地拡大派に投票していた。
彼らはいずれも、主に実家や後ろ盾となってくれている貴族が属する派閥の立候補者達に投票したのだ。
ちなみに、皇帝には投票権はない。
子の代理権を有する場合を除いて、皇帝の妃にも投票権はない。
皇帝の孫、皇帝の子の妻、現在で言えば皇太子妃であるが、それらにも投票権はない。
ロイは、皇族らの席ではなく、カリーナの隣で内政派の面々の名が呼ばれるたびに挙手をしていた。
カリーナは、特に表情を変えるでもなく、淡々と投票を続けるロイを見ていた。
彼女はもちろん投票権を持たないので、静かにその様子を見守るだけである。
投票が終わってしばらく待たされた後、結果が声高らかに読み上げられる。それをする議長の顔は苦虫を噛み潰したようであった。
領土拡大派は十六議席、中立派は五席、そして内政派は十四議席となった。
この議会は、基本的に多数決である。
領土拡大派に多数を取られたように見えるが、中立派の動向によっては内政派にも自分たちの主張を政策に反映することが可能となる、絶妙な数だった。
「この選挙は、公平に行われたことを確認した」
皇帝が覇気のない声で言った言葉を、侍従が会場中に響き渡る声で伝える。
それを契機として、休憩が宣言され、各自が席を移動する。
派閥ごとに、その中では貴族としての格の順に、各々が譲り合いながら、全員が新たな席に着くのに、そう時間はかからなかった。
議長が、表情を取り繕い、新たな議会の開会を宣言する。
そして、議長はこの日、最初で最後の議題を持ち出した。
第五皇子である、ヨアヒム・ロイトラート・ディレイガと、ナシオ王国の前第三騎士団長であり、フォイラー伯爵家の当主である、カリーナ・ウェイリン・フォイラーとの婚姻を認めるか否か、議員たちに決を採ると宣言した。
カリーナの肩書きが読み上げられた時に、議場か一瞬ざわついたのは、ロイも言っていた、例のカリーナに関する良くない噂を社交界で聞いた者たちがこの議場にも一定数いることを物語っていた。
先ほどまで、カリーナに向けられるのは、単なる好奇の視線だった。しかし、今ではあからさまに侮蔑やあざけるような色が混じった視線を感じる気がした。
そんな事を考えていた彼女は、ロイに手を握られて我に返った。
そうだった。ここで二人は議場の中央で、皇帝と、そして議員たちにそれぞれ礼の姿勢を取らなければならない。
二人で進み出て、決められた作法に則って礼をする。結果が分かるまで、二人はその場にいることになる。
ロイがカリーナの腰を引き寄せ、彼らしくない穏やかな微笑みで彼女を見ていた。そうしている彼は、実に無害そうだ。
実際にはそうでないことは、ここにいる一部の者はよく知っている。
決が取られると、二人の婚姻は全会一致で認められた。
少し驚くカリーナに、ロイは一瞬だけいつものように口の端を引き上げてにやりと笑った。
ロイは自信満々で、この婚姻は認められると言い続けていた。その彼が語っていたことを思い出す。
領土拡大派は、内政派の有力者と第五皇子が結びつくよりは、他国の男をたぶらかすしか脳のない女が彼と婚姻する事を望んだ。
社交界での噂のおかげだ。
また、皇子を推す内政派の面々の中には、娘を彼に、と推す者もいたようだが、第五皇子が誰にも色良い返事をしないため、牽制しあっている状態であった。その状況で、この急な婚姻の話が持ち込まれた。
他の内政派の貴族の娘との縁を結ばれるよりは、まだ他国の人間を妃にさせた方が、利害関係がない分まだましだ、と彼らは考えた。
どうせ、彼がその地位にまで登りつめたその後に、第二妃としてでも娘を嫁がせれば良いのだから。
ロイはカリーナとの婚姻を決めた後、部下を帝国中に散らした。主に、内政派の議員らに密書を持たせたわけだが、その内容から、彼らが二人の婚姻は自分たちに害はもたらさない、と思わせた。
当然、皇帝や議会に対しても同様の措置をとった。こちらには正式な使者を立てて。
カリーナとナシオ王国へ行き、そして帰って来るまでの間に、ロイはこの結果がもたらされるように、出来るだけの手を打っていたという事である。
議長は決議の結果に対し、法に則って皇帝の意見を確認した。皇帝も反対しなかった。と言うより、異議を挟まなかった。
それを確認した議長が、ロイとカリーナのディレイガ帝国での婚姻が許可された事を、高らかに宣言した。
結局、皇帝は最後まで何を考えているのか分からない表情で座っているだけだった。カリーナと目が合うことは一度もなかった。
議会は閉幕した。
始まる前とは、全く異なる雰囲気の中で。
二人には滞在中、皇宮内に部屋が与えられていた。護衛や従者や侍女のための部屋も必要な分、確保されていた。
翌日に開かれる夜会のため、王宮へ泊まることになるからだ。
晩餐会でもあるのではないかと思っていたカリーナだったが、ロイはそう言った集まりには出ないのだと言う。
与えられた客間で、離宮から持参した携行食を食べる。
その用心深すぎる様子に、カリーナもさすがにやり過ぎではないかと思った。だが、護衛の二人も何も言わないところを見ると、それが必要な立場に、第五皇子という存在が置かれ続けて来た結果なのだろう。
皇宮内を見て回りたかったカリーナは、いつか聞いた文書館に行きたいと、彼に許可を求めた。
持ち込んだ書類を処理していたロイは、護衛にクリストフを連れて行くことを条件に、彼女を送り出してくれた。
一度腕の中に彼女を閉じ込めて、額に口づけを落とした後に。
人前ではやめて欲しい。恥ずかしいから。
クリストフに案内してもらいながら、天井の高い廊下を、天井画を見上げながら歩き、別の建物である文書館に続く渡り廊下に出る扉を、そこを守っていた近衛に開けてもらう。
腰よりも高い位置に手すりがあるその渡り廊下は、見事な彫刻が彫られた柱に支えられていた。
昼間にここを通れば、皇宮の庭なりなんなりが見渡せるのかもしれない。
この時間では、夜の匂いを含んだ外気と、月明かりのない夜の暗さを感じるだけである。
この辺りには近衛の姿が見えるだけで、彼女らの他に人の姿はなかった。ほとんどの貴族は、帝都の自邸などに戻っている時刻だからだ。
手すりに手を置いて、下を見下ろすと、建物から漏れる光に照らされる回廊の一部が見えるだけだった。
文書館に着くと、カリーナは早速目録を見ながら興味のある本を集めて回り、大量の本を持って閲覧席に向かう。「持ちましょうか」と聞いてくるクリストフには、否と答える。
これは自分で運ぶから楽しいのだ。
「まあ」
と言う、女性の驚きの声が聞こえ、カリーナは書架の陰にいた、小柄な貴婦人に気づいた。
皇太子妃だった。
カリーナは慌てて手近な台に本を置き、格上の彼女に礼をする。
だが、皇太子妃は、特におごった様子もなく、ただただ、カリーナが運んでいた本の山を見つめ、驚いている。
「力がおありなのね。そうだわ、騎士でいらしたのですものね」
カリーナは一瞬迷った後に、「騎士団長の職は返上致しましたが、今でも騎士です」と言い、騎士の礼をとった。よく考えたら帝国式のやり方は知らないし、ドレス姿では、あまり決まらなかったかもしれない。
だが、皇太子妃は、面白そうに微笑んだ。
「まあ、それは失礼を。騎士様」
彼女はそう言ってクスクスと笑う。
皇太子妃には十四になる息子がいる。おそらく、彼女の年齢はカリーナより少なくとも四つか五つは上のはずだ。しかし、微笑むその顔は、少女のように可憐だ。
彼女をもっと笑わせたくなって、「戦場では、負傷した部下二人を担いで逃げる事もあります。夫も抱え上げられるかと」と軽口を叩くと、彼女は「まあ」と驚いて、そしてまたクスクスと可愛らしく笑う。
カリーナがロイを抱えている様を想像してしまったらしい。
カリーナも想像してしまい、小さく笑ってしまった。
だが、ここは文書館、お喋りをする場所ではない。
彼女は「またお会いしましょう。夜会でお目にかかれるわね」と言って、カリーナが入ってきたのとは別の扉から、一冊の本を大事そうに抱えながら去って行った。扉の側で控えていた近衛が彼女を守るように付き従い、一緒に出て行った。
その後ろ姿を見送ると、カリーナは再び本の山を移動させ始めた。
しばらく本をめくっていると、クリストフから、「そろそろ戻られた方がよろしいかと」と声がかかる。文書館が閉まる時間なのかと思ったが、ここは夜中でも開いているのだという。
「そろそろお戻りにならないと、殿下が心配されます」
それならば仕方ない。あれだけ用心しているのだから、余計な心配はかけない方がいいだろう。
本はそのまま置いておけば、文書館の司書が片付けてくれると言う。
カリーナは名残惜しかったが、そこを後にした。
先ほどとは違う扉から文書館を出ると、階段を降りた。先程の渡り廊下からはよく見えなかった下の様子が知りたかったのだ。部屋へ帰る経路を変えてもクリストフは特に反対はしなかった。
庭園が見え、そこを通り抜けることにする。
別の道を通って帰ろうと思ったのは、文書館に来た目的の一つが、この宮の構造を見て回ることだったからでもあるし、少し外気にあたりたかったと言うこともある。
「そう言えば、そなた、殿下とはいつ頃からの付き合いになる?」
クリストフは、「子どもの頃からです」と答えた。
ロイの母親の実家から着いて来た、メイドの子どもが彼であり、幼い皇子の遊び相手として皇宮で暮らすようになったのだと言う。
「そうだったのか」
それから何があったのかは想像に頑くない。
ロイの母親がいなくなり、軍隊に放り込まれたというロイと共に、そこに身を投じたのだろう。
本当は聞きたいことが山ほどあったが、歩くたびに出会う近衛の姿に、ここではそれも難しそうだと思う。
例えば、この皇宮から、いくら外部からの助けがあったとしても、皇帝の妃であり、跡継ぎとなり得る男子をもうけたほどの女性が、何の痕跡もなく抜け出す事は可能なのだろうか、とか……。
カリーナが部屋に戻ると、心配していたらしいロイに抱きつかれた。
やめて欲しい。本当に。恥ずかしいから。
つづく……
ここまでお読みくださり、ありがとうございます!




