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2.王妃様の夜会

おはようございます!

こんにちは!

こんばんは!



 カリーナは伯爵家の当主として、豪勢な馬車に乗って、煌びやかに着飾って夜会に参加する。

 もともと伯爵家の当主宛の招待状が送られてきていたのだから、それに見合った支度をする必要があったのだ。


 招待状が第三騎士団団長宛てであったなら、褒賞を受ける身として軍服で参加しただろう。そうしたら騎馬での登城も出来たのに、と後ろのクッションにもたれながらカリーナは声高に文句を言う。


 それを聞くのは馬車の同乗者である。

 特に相槌を打つでもなく、姿勢正しく前の席に座る男は、伯爵家の三男である第三騎士団の副団長エヴァン・ヘクターという、大変な美丈夫だった。

 騎士らしく逞しい体をしているのだが、それ以上に整った顔立ちが人目を引く。ややくすんだ、胸元まである長い金髪を三つ編みに結って、左肩に垂らしている。

 美貌の副団長は軍服が一番似合うと彼女は思うが、そつなく礼装を着こなすその姿も十分にご令嬢方の視線を惹きつけるだろう。


 本日のカリーナのエスコートを務めるのは彼だった。同じく褒賞を受ける立場なので手っ取り早いと、カリーナは彼にエスコート兼護衛役を命じた。

 職務外だと言われることも覚悟していたが、彼はすんなりと了承した。珍しい事もあるものだ。


 実のところ、かつてエヴァンはカリーナと愛人関係にあったのだが、彼がカリーナの部下になると同時にその関係は解消した。

 今は忌憚のない意見を交わし合える同僚といったところだろうか。と言うのも、エヴァンはカリーナを上司と思っているのか疑問に思うほど小言が多い。

 たまに立場を忘れているのではないかと不満にも思うのだが、彼は仕事ができるので我慢している。


「今からこの調子では、会場入りしてからが心配だ。猫は被り続けろよ」


 やっぱり小言が飛んできた、とカリーナは思ったが、愚痴を聞いてもらいたいので、そこには触れない。


「心配は無用だ。嫌味を言われようが、噂話をされようが、耐えてみせるとも」

「やり返すだろう」

「遠回しに嫌味を返すのはいいんだ。猫を被っているうちに入るから」

「……そうだろうな」


 カリーナはエヴァンの適当な相槌を気にとめず、窓のカーテンを少しめくって外を覗き見る。

 王宮まで続く大通りでは、馬車や荷車が行き交うその脇で、商店や料理屋が軒を連ねている。

 その前を、高揚を隠しきれない人々が、ある者は客を呼び込もうと声を張り上げ、ある者は談笑しながら歩いていく。

 いつも華やかな場所だが、今日は一段と飾り立てられていて、鬱陶しいほどだ。

 なんでも王宮から、「王妃様の生誕祭の祝いに」と、各地から取り寄せられた花々が配られるらしい。つまりはこれで飾り立てて雰囲気を盛り上げろ、ということだ。

 さらには商店主らの対抗心で、いかに周りよりも目立つか、王妃様を一番祝っているのはどこの誰か、周囲に誇示するために王都中の花屋が空になるほど花を買い占め合っているらしい。

 それに、リボンやら、レースやらも付け足され、もう収拾がつかなくなっているように見えるのだが、これで本当に良いのだろうか、と毎年思う。


 そんなことを話し続けても、エヴァンは無言だ。それはとても賢明な判断だと思う。カリーナの発言は受け取りようによっては王族への不敬にあたるのだから。

 エヴァンは大変慎重な男だ。戦場でも、私生活でも。カリーナの知る限りは。


 さて、その王妃の生誕祭当日と、前後の数日間づつ、過剰に飾り立てられているナシオ王国王都の大通りだが、カリーナにとってはたいした思い入れはない。

 彼女は父親の領地である辺境伯領で育ち、王都に出てきてすぐに軍に入隊したので、こういった場所で、同年代の少女達のように買い物やお茶を楽しむといった事とは無縁だったのだ。



 王都は当然ながら、ナシオ王国の中では、比較的進んだ技術が取り入れられた都市の一つである。

一部に限った話だが、上水や下水の設備も整えられつつある。


 実のところ、カリーナの故郷や、現在の彼女の領地の方がよほど進んだ技術を取り入れている。

 これは、彼女の卓越した言語能力により、他国の書物から最新の技術の情報を収集し、また、他国から金に糸目をつけず高度な知識を持った技術者を呼び寄せているからだ。


 カリーナが幼い頃は辺境伯領にはまだ上下水道がなかった。そのため用を足す時は、()()()にしなければならなかったのだ。

 皆は当然の事として受け入れていたが、物心がついたカリーナには、とてもではないが耐えられなかった。だから心の中で文句を言いながら、自分で処理していたものだった。

 本当は使用人が全部やってくれるのだが、それは恥ずかしすぎた。使用人の仕事をとるものではないとたしなめられても、頑なにやめなかった。とにかく恥ずかしかったのだから仕方がない。


 もっと近代的な世界に生まれたかったと思っては、自分は何を考えているのかと首をひねったこともあった。


 前世の、曖昧ではあるが、妙にはっきりとした生活様式を思い出しはじめてからは、カリーナは少しでも領地での自分自身や、領民の衛生環境、ひいては生活を向上させようと余念がない。



 この世界、カリーナが暮らすこの大陸の中で、乱立する小国やそれらを統合しつつ領土を広げてきたディレイガ帝国のほど近くに、このナシオ王国は存在している。

 その地政学的な価値は、大陸の要衝であるいくつかの都市と内海とを繋ぐ交易路を要することで、いやが上にも高まる。

 版図を広げてきたディレイガ帝国の、次の標的となってもおかしくはないと不安視する者も国内には一定数存在するが、今はごく少数派だ。

 帝国貴族と自国貴族の婚姻によるディレイガ帝国との関係の強化、また、これまでに蓄えた潤沢な資金によって支えられている軍隊の存在が、この国に安定をもたらしている。今のところは。


 つまり、このナシオ王国は、中規模国家ながら、強大な帝国とも良好な関係にある比較的安定した国であるといえた。

 周辺国との国境をめぐる紛争や、各領地での農民による反乱が無いわけではない。

 とはいえ、結局は王都はその輝きを誇示し続けるだけの富を集め続ける。領主の手腕にもよるが豊かな土地が多いからだ。

 このような国の安定した状況が、カリーナの生活便利化計画を可能にしている。


 カリーナは何がなんでも、上下水道などの設備を広げようと、裏で各地の職人たちとも手を組んでいたりする。

 戦いに巻き込まれ、荒廃した街を再建する時に、カリーナは自身の私財を投げ打って、そういった衛生的な設備を押し付けたりもしている。

 いつか、国中に普及しますように、保養に行った先でトイレ問題に頭を悩ませ、全く保養にならないなどという事がなくなりますように、とカリーナは願ってやまない。



 つらつらと考えを巡らせているうちに、ようやく王宮の一番外側の門に辿り着く。

 馬車の紋章を確認した門番らは無言で馬車を通してくれる。

 彼らはこの後も立ち続けで、数多の貴族達を確認し続けるわけだ。彼らの苦労を思うと、夜会での嫌味の数々くらい聞き流そうという気にもなるカリーナだった。


 いくつもの門を潜り抜けている途中、王宮を正面に見て左側に大神殿があり、右側には迎賓館や王立図書館やその他の王家が所有する文化施設がある。

 通常ここまでは、身分のはっきりした者ならば平民でも入ることができる。このような、大規模な催しが行われる場合を除いては。


 しかし、大門と呼ばれる一際豪華な門から先は、招待客しか入ることはできない。もちろん、王宮内で暮らす者や働く者には通行証が発行されるので、通用門から出入り可能だ。

 かつて、王宮の広大な敷地の一角にある寮で騎士見習いの時期を過ごしたカリーナは、その辺りの事情をよく知っていた。


 大門をくぐるのにも、馬車が列をなしていて時間をとられる。

 それに文句を言うカリーナに、エヴァンは「これでも優遇されているだろう。小さな戦さとはいえ、功労者だからな」と分かりきったことを言った。それでも長いと思うから文句を言っているのだ。

 だいたい、エヴァンにこの苦しみが分かってたまるか。コルセットで締められた胸は潰れて苦しいわ、髪が崩れてもいけないから頭をクッションにもたれかけるわけにもいかないわ。

 そのようなことを愚痴っていると、エヴァンは片眉をわずかに上げて、カリーナを上から下まで見下ろした。


「私には分からなくても、他のご婦人方も同じでは? しかも、そなたは踵の高い靴も履いていない」

「当たり前だ。私はただでさえ男並みの身長があるんだから」


 カリーナは大男の父親に似たのか、一般的な女性よりもはるかに背が高い。人の輪の中に紛れていても悪目立ちするのは、きっとそのせいだ。

 だが騎士としては欠点ではないので全くもってかまわない。

 ちなみに、エヴァンはカリーナよりも少しばかり背が高い。


「では少なくとも、他のご婦人方よりも苦痛は一つ少ないな。しかもスカートの下には例の色気のない、特注のズボンを履いているのだろう? 歩きやすさで言えば文句を言う資格はないな」


 カリーナは黙った。確かにそうだ。靴も履き慣れたものと同じ形の、ただ装飾が多いだけの物を履いているから、歩行に困難はない。

 色気がないという言葉は余計だが、足捌きも比較的しやすい。あの古めかしい下着を履いているだけの状態よりは。

 だが何か言い返さないわけにはいかない。ような気がする。


「それは、いざ事が起こった時、スカートでは戦えないからだ。スカートを引きちぎらなければならない時に問題がないようにしているだけだと、お前もよく知っているくせに。あ、そうだ。スカートは鬱陶しいぞ。普通に歩きにくいからな、お前より!」


 エヴァンは大きなため息をついて、首を振った。話は終わり、の合図だ。

 カリーナは何の罪もない部下を睨みつけたが口は閉じた。気が立っている今、このまま話し続けたら、「お前のほうが一つ年下のくせに!」などという低次元な言葉を発する未来が見えた。

 カリーナはため息をつくと、髪の毛にだけ気をつけながら、だらしなくクッションにもたれかかる。

 ああ、分かってるよ、エヴァン。お前は姿勢すら崩せないものな。ざまあみろ。カリーナは大人気なく、ふふんっと彼に不敵に笑いかけた。

 いつもの無表情が返ってきて、普通にイラッとした。


 序列に従って長時間の馬車内での待機を経て、ようやく王宮の中に足を踏み入れたカリーナだったが、入り口ですぐに声を掛けられ、別室へ通される。

 もちろん、エスコートと護衛を兼ねたエヴァンも一緒だ。

 褒賞を受けるため、会場への入場が、他の貴族はもちろん、王族よりも遅いのだと説明を受ける。国王や王妃のお言葉の後に呼び込まれると聞いて天井を仰ぎ見た。天井の金の装飾が眩しい。

 それならば、会場内にいても同じだろうに、わざわざ別室で待機させるとは。出来るだけカリーナを目にしたくない人物の仕業だろう。

 見方によっては優遇されているようにも思えるが、確実に違う。


 広々とした部屋には従僕が控えており、すぐに温かいお茶を淹れてくれる。

 品があるとは思えないながら、値は張るだろうソファに腰掛け、お茶にほんの少しだけ口をつける。これは、万が一毒などが盛られていた時のための用心である。

 本来はどのような夜会でも、基本的に物を口にすることはない。

 だが、王妃様が特別にご用意された茶葉だと説明を受ければ、味の確認くらいはせざるを得ない。

 そして、従僕のその言葉から、やはりカリーナを出来るだけ遠ざけておきたい方の正体が判明する。

 わざわざ、本当かどうかは知らないが、茶葉まで用意して下さってありがたい限りだ。


 それにしても、とカリーナはため息をつきながら部屋を見まわした。

 従僕からは、豪華な内装に感嘆の声を漏らしたように見えただろうか。


 実のところ、カリーナは何度もこういった王宮内の控えの間に足を運んでいるが、このギラギラとした装飾にはまだ慣れない。

 質実剛健を旨とする辺境伯領では、このような無駄な装飾はほとんど見られないからだ。


 エヴァンは無表情のまま、腰掛けすらせずにカリーナの背後に控えているし、当然従僕の目がある中で愚痴を言うこともできない。早く呼ばれないかと、ひたすら耐えるカリーナだった。



 やがて案内された会場へ続く扉、これは普通の招待客が使うものとは別の、玉座に近い場所に通じる扉である。

 カリーナはその扉を前にして、ふぅとため息をつく。


 「カリーナ・ウェイリン・フォイラー伯爵!」


 高らかに呼び込まれると、自然と背筋も伸びて、幼い頃から叩き込まれた角度で顎を引く。

 扉が開くと同時に進み出ると、一斉に視線がこちらを向いていた。

 カリーナよりも身分の低い者は、腰を屈めて礼の姿勢をとっているが、頭を礼儀から外れないギリギリの高さまで上げている。

 何かと話題の女伯爵をじろじろと見つめるのは、どうやら止めてくれないようだ。


 カリーナは辟易しながらも慣れたもので、そんな彼らを無視して先導されるまま玉座に近づくと、上段におられる国王と王妃に深々と礼をとる。もちろん、淑女のそれである。

 騎士の礼の方が楽なのにと思いながら、声がかかるのを待つ。

 ちなみにエヴァンは、カリーナよりだいぶ後方で、やはり深く礼をしているはずである。副団長として。貴族として。


「此度の勝利見事であった。フォイラー伯爵」


 国王から名前を呼ばれたカリーナは、一度さらに深く礼をすると上体をやや起こし、視線を合わせないように注意しながら上段の二人を見た。

 一体どれだけの金糸、銀糸、色とりどりの宝石を使っているのか分からない、とにかく豪華な衣装を観察しながら、「国王陛下の恩寵のおかげです。私はあなたの手足です」といった内容の決まり文句を、古めかしい言い回しで発する。

 はっきり言って、たまに自分が何を言っているのか分からなくなるくらい面倒で古臭い言い回しである。


 国王の侍従が、国王の手から受け取った巻き紙をカリーナのところまで運んできて、うやうやしく差し出してきた。もちろんカリーナも国王の方を向きながら、それを頭上にいただく。

 この巻き紙には、与えられた褒賞の具体的内容が、金貨がどれくらいだとか、珍しい布が何反だとか書かれていて、最後にありがたい国王陛下のお名前と玉璽が押されているわけだ。


 王妃からも何か一言あるかと思ったが、カリーナを主役とする時間は国王の手の一振りで終わりを告げた。

 入場時と同じように案内に促され、御前を辞する。

 不敬に当たるので、王妃の顔を直接見ることは出来ないが、彼女は感情の読み取れない微笑みを浮かべておいでだろう。それ以外の顔は想像が出来ない。


 あとは、席も用意されていない伯爵家の当主として、人波に紛れるだけである。



 会場のなるべく目立たないところへ移動していたカリーナとエヴァンに、横から声がかかった。

 第一騎士団長だ。

 第一騎士団は王都の守りを担う騎士団である。近衛部隊員も第一騎士団から選抜された者が任命されるので、王宮内を含めた王都全体の治安を守る重責を担っている。

 つまりはこの会場の警備の責任者も、突き詰めればこの男になるはずなのだが、気楽そうに彼女をニヤニヤと見つめてくる。

 外国からの要人も来ているはずだが、こんな所にいていいのだろうか。


「伯爵。今回の戦闘でも、随分と楽をしたようだな。騎士とは名ばかりにならぬよう、気を引き締めてはどうか」


 楽はしてないですよ。相手がろくに統率も取れていない烏合の衆だっただけです。その代わり、全員捕えるのには難儀しました。

 あなたはお腹を引き締めてください。服が悲鳴をあげています。


 という本音を言って面倒を招きたいわけもなく、「アマーナの寵愛に感謝を」と当たり障りなく答える。

 アマーナというのは、生を司る精霊の名である。戦場から生きて戻った時に使う文句には、アマーナの名がまず間違いなく入る。カリーナが使ったのも、よくある言い回しである。


「敵の捕虜を上手く懐柔したとか。伯爵の語学力にはいつも舌を巻きますよ。まあ、あなたには語学以外の武器もおありだから。その捕虜もさぞいい思いをしたのでしょうな」


 ああ、第二騎士団長もいましたか。なんであなたはいつもセクハラ発言をしてくるんですか。

 第二騎士団、南の方、ちゃんと守れてます? 海の防衛ちゃんとしてます? たまにきな臭い噂が聞こえてきますけど。

 と、これもまた心の中だけでつぶやく。表情は淑女らしく、たおやかな微笑みを浮かべている。はずだ。


「まったく、女だてらに騎士などと名乗るから、率いられる第三騎士団がそんな軟弱なことになるのだ。ああ、エヴァン・ヘクター、第一騎士団に戻ってきたくなったらいつでも話を聞くぞ」


 そう。エヴァンは第一騎士団で騎士の叙任を受けている。彼の美貌から、おそらく近衛部隊への配置も考えられていただろう。近衛は、身分があることに加え、見目の良い者しか任命されないらしい。

 ただ、エヴァンの父親が、現在の第一騎士団の副団長と出世争いをした仲で、父親が爵位を継いで軍を退いた後に入団した息子のエヴァンは、しっかりその副団長から目をつけられてしまったらしい。

 ある意味閑職の、第三騎士団の出征時の監視役として彼がカリーナのもとにやってきたのが二人の出会いであり、彼が第三騎士団に移籍してくるきっかけとなったのだが、それはまた別の話。


 カリーナはとりあえず微笑みを崩さないように注意しながら、この男たちからどうやって逃れようかと考えを巡らせていた。


 そんな時、天使が現れた。

 正確にいうと、天使のように愛らしいご令嬢、いや、今は侯爵夫人だった。

 嫌われることが多いカリーナだが、中には物好きもいるもので、特に年若いご令嬢の中には、カリーナを慕ってくれる方が幾人かいる。彼女も結婚前はそんなご令嬢の一人だった。

 彼女は二人の騎士団長に淑女の礼をとり、きちんと礼儀に則って、カリーナをその場から連れ出してくれた。


「助かりました。デフリン侯爵夫人。あそこからどう抜け出そうか、途方に暮れていたのですよ」


 カリーナはルディス・デフリン侯爵夫人に、眉尻を下げながら微笑みかけた。

 ルディスは名門のデフリン侯爵家の一人娘である。カリーナとは違い、婿をとって侯爵家を継いだ。

 その夫になった男は公爵家の庶子であり、遊び人と噂の男だった。さらには彼女よりも十歳年上なのだ。


 二年ほど前のこと、その男に心底惚れ込んだ彼女が、カリーナのもとに、どうしたら男性の心を掴めるのかと、教えを乞いにやってきたのが二人の出会いである。

 ルディスとは互いに名前で呼び合う仲だが、公式の場ではそうはいかない。

 ルディスは深い色の緑の瞳を輝かせながら、にっこりと笑い返し、「あちらで皆がまっていますよ」とカリーナの手を引く。

 彼女は、ふわふわと踊るように煌めく金の髪を少しだけ垂らし、残りの髪は後ろで上品にまとめ上げていた。まだ結婚して一年も経たない、十八歳の若妻らしく、落ち着いていながらも華やかな装いだ。

 小ぶりで色とりどりな宝石を、小ぶりと言っても一つ一つが小指の先ほどもあるのだが、それをいくつも、程よく垂らした金の鎖で繋ぎ合わせたように見える、非常に繊細な造りのネックレスで首元を飾っている。

 当然、ドレスは言わずもがな。

 カリーナはよく知らないが、おそらく王都でも一、二を争う服飾職人の工房で作られたのであろう。

 人妻らしく色味は抑えてられているが、袖やスカートの裾にいくにしたがって、少しづつ細かくなっていく刺繍が、恐ろしく美しい。


「皆で、フォイラー伯爵夫人が行かれる先で集まろうと打ち合わせておりましたの。邪魔が入ったようでしたので、お助けしに参りました」


 無邪気にクスクスと笑う彼女は、歩きながらもカリーナをねぎらってひたすら褒め讃えてくれる。今日のドレスも素敵だとか、戦場での勇姿を見てみたかっただとか。

 全く悪い気はしないので、こちらも彼女の美点を褒めているうちに、他のご令嬢たちの元に辿り着き、さらには第三騎士団の爵位持ちの部下たちが集まってきて、エヴァン共々話に花を咲かせる。


 この場に集ったご令嬢の中には、厳格で知られる子爵家の子女もいて、そのご令嬢は、一年ほど前に思い詰めた表情でカリーナのもとを訪ねてきた。

 本来であれば、家も通さずに、初対面の、しかも格上の家の当主を、約束もなく訪ねてくるなどあり得ない、と追い返す場面である。それほど無礼な行為だった。

 しかし、どうしても騎士になりたいのだと言った十代半ばの彼女をカリーナは無下に出来なかった。

 カリーナは、騎士となるためにはどれほどの鍛錬が必要であるかを丁寧に説明した。それでも、やり遂げてみせると言う彼女に、カリーナは自らのタコだらけの手と、腕についた傷痕を見せた。

 令嬢の柔らかな手を取り、本当に騎士になりたいのかと問うた。彼女は騎士になりたいというよりは、決められた道に抗いたがっているように見えたから。そして、もしそうならば、方法は別にもあると諭した。それに納得した彼女は、礼を言って帰って行った。

 そして今は、父親や母親を説得し、領地経営を学ぶという建前のもと、語学や国際関係の授業も受けているという。

 ご両親は、娘がより良い結婚相手を得るために、外見だけではなく、内面も磨いているのだと大変お喜びらしい。

 実際に彼女が目指すのは、王宮に勤める文官になることだった。文官にも女性は少ないが、軍人よりは随分と現実的な選択である。


 そして今カリーナは、そういった、自ら変わり者に教えを乞うてきた若いご令嬢や夫人たちに囲まれている、というわけである。

 ほんの少しだけでも好いてくれる相手がいると言うのは本当に嬉しいもので、カリーナはときおり困りながらも彼女たちとの関係を保っていた。


「なんと品のない大声でしょう」


 そんな楽しい空気を一瞬で凍らせた声の主たちがカリーナたちに近づいてきた。残念なことに王妃の取り巻きである。もちろん彼女らの中心には王妃がいる。

 カリーナを筆頭に、その場にいる全員が一斉に礼の姿勢を取る。


「よい歳をして、落ち着こうともされない伯爵夫人のもとに、未来ある令嬢方が集っているのは嘆かわしいことだと思いますわ」

「本当に。皆さま、お手本にされるべき方は他に大勢おられましてよ」


 さざ波のように貴婦人たちが声を上げて笑う。

 王妃からの声掛けがないため、誰一人顔もあげられない中、カリーナはわずかに顔をもたげて、皆を背後にかばうような姿勢で進み出た。


 「ナシオラの栄光を」


 カリーナがそう言葉を発すると、致し方なくだろうが、祝いの言葉をかけられた王妃から、顔を上げるようにと声がかかる。

 ようやく許されたカリーナは、さらなる祝いと王妃の美しさを褒め称える言葉をこれでもかと投げかけた。


「この素晴らしき日に、皆様にご不快な思いをさせ、申し訳ない限りにございます」


 カリーナのその言葉に、なぜかまた嘲笑の細波が起こる。なんだ、何もおかしなことは言っていないぞ。

 王妃の取り巻きたちは、「それがお分かりならば始めから出しゃばらなければいいものを」とか、「せっかくの王妃様のありがたいお言葉の後に、あのように目立つ行動をなさるなど、もっての外ではなくて?」などと、明らかに褒賞の件で非難してくる。

 あれはカリーナのせいではない。嫌味を言った王妃と、それを真正直に捉えた国王のせいだ。


 楽しそうに人を見下す笑顔の取り巻きたちの中心で、王妃は無言で艶やかに微笑み続けている。

 カリーナと王妃の確執を知らない者はいないので、あちらこちらが興味本位な視線が投げかけられる。


 さて、どうこの場を収束させようかとカリーナが思考を巡らせていた時、呑気な声と共に、王妃の母国であるオルテガ王国の特使殿が気軽に王妃に近づいてきた。


「おお、こちらにおられましたか、叔母上。そちらの淑女方だけではなく、私にも個人的にお祝いを述べる機会をお与えください」


 まったく周囲の異様な雰囲気に気づいていないようで、特使殿はご満悦な表情だ。

 おそらくかなり酔いが回っているのだろう。ときおりオルテガの言葉を混ぜながら、王妃を賛美している。

 こちらは天使とは形容したくないが、またもや救いの手が差し伸べられた。

 王妃とその取り巻きは、特使のお相手をするために去って行った。

 取り巻きの夫人たちのうちの数人が去り際に険を含んだ視線をカリーナに投げかけたのは、当然と言えば当然か。


「ここまで嫌われると、むしろやりやすいものなのですね」


 カリーナが王妃に疎まれる原因となった出来事を知っているらしいデフリン侯爵夫人が小声で言う。その声には笑いすら含まれていて、カリーナも苦笑するしかなかった。 

 彼女らの年齢では、当時のことは聞き齧った程度だろうが、まったく、今笑い話になっているのが良いのか悪いのか。


 皆はこのまま話したがったが、はっきりと目立ってしまったカリーナは休憩がてら一旦この場を離れる事をエヴァンに告げた。

 エヴァンも賛成したので彼を伴って、「今度、お茶会をいたしましょうね」と口ぐちに言う令嬢方を置いて歩き出す。


 後ろを振り返った時、ほんの一瞬だけ、大勢に囲まれた王妃と視線が交わった気がした。



つづく……


ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

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