11.将軍改め、第五皇子殿下の急な訪問
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彼らは、極秘裏に動くため、少人数で王都へと入った。
皇子一行、とはいえ、皇子とそのお付き兼護衛であろう二人、そしてカリーナと彼女の部下の騎士一人だけである。短時間で移動するため人数を絞らざるを得なかったのだ。
その一行はカリーナが同行していたため、検問でも特に止められることはない。
「随分と無防備なことだ」
フォイラー伯爵邸の敷地に入ってから、彼がよく通る低い声で呆れたように言った。
カリーナも同感だったが、それには答えずに彼を屋敷の中へと導く。
「ご主人様。ご無事のお帰り、誠によろしゅうございました」
夜も遅い時間。事情を知る執事と、数名の従僕とメイドに迎えられた。
彼らは、カリーナの後ろで物珍しそうに周囲を見ている外国からの高貴なお客人に対して、深く礼の姿勢をとっている。
「こちらの方々に、それぞれ部屋を。湯浴みと着替えと……」
カリーナは皇子とその部下二人に食事は湯浴みの後でいいか確認し、それを執事に伝える。
執事らも帝国公用語を多少は理解しているが、相手が相手なので直接話をすることはまずないだろう。
護衛の二人は好きにすればいいけれども。
「殿下。ご案内します。まず湯浴みの用意をさせておりますので、そちらで」
「主人自らが案内とは光栄なことだ。湯浴みもそなたが手伝ってくれるのか?」
「ご冗談を」
カリーナはオルテガ王国から、このナシオ王国王都まで、騎士団の大部分と歩兵部隊には無理をしないで帰ってこいと厳命し、少人数で馬を飛ばしに飛ばしたこの五日間で、すでに彼の軽口にはやや辟易していた。
皇子が婚約者として振る舞おうとしているのは分かるが、彼の言葉はカリーナの心臓に悪いことが多々ある。
このままでは寿命が縮まってしまう。
しつこく、「一緒に入るか?」と言ってくる皇子を従僕に託して浴室に押し込んでから、執事からの報告を受ける。
「ご指示通り、ウェイリン邸からお父上様の礼装をいくつかお借りして参りました。流行に左右されない物を。服飾職人もじきに到着いたします。殿下の湯浴みが終わる頃には支度ができておりましょう」
「無理を言ったな。だが、あれだけの体格だ。既成のものではどうにもならないから」
「さよう。まさかご主人様がご結婚なさるとは。さらには、そのお相手があのように高貴な方だとは。知った者は皆、腰を抜かしておりました」
お前もか? と聞こうとしてやめた。そんな時間はない。
皇子が出したナシオ王国国王宛の書簡と共に、諸々の指示を書いた手紙をファイラー伯爵邸へ届けてもらったのだが、彼の部下である急使はかなり無理をしてくれたらしい。
けして遅くはなかったカリーナたちの、さらに二日ほど前にはこの王都に到着したのだと言うから大したものだ。
その彼は必要最低限の会話だけ交わすと、すぐにまた去って行ったという。
カリーナが思っていたよりも皇子と共に砦に立て籠っていた人数はだいぶ少なそうだったから、他の用事でもこき使われているのかも知れない。
さて、その届けてもらった手紙の中でカリーナは、皇子用の服の手配、ナシオ王国で婚姻の儀を執り行ってしまおうと言い出した皇子の言葉を叶えるための神殿の手配、それに付随するカリーナの衣装の用意、その他執事が必要と判断したことをするように指示を出していた。
もちろん、その際に辺境伯領への使いも忘れない。こちらは鷹を使うので、人が手紙を届けるよりも早く知らせを届ける事が出来る。
「で、父上はお越しになれそうか?」
「はい。今は情勢も安定しているようで、すぐにお発ちになったそうです。ですので、早ければ明日には」
「そうか、良かった」
と、そこで服飾職人がやってきたと報告を受け、「殿下が湯浴みを終えたらサロンにお連れするように」とその場にいた従僕の一人に指示して、執事と共にサロンへ向かう。
前日に連絡した上に、こんなに夜遅くに呼び出してしまった職人にまず詫びて、父の服をいくつか広げ彼と話し込む。
派手にする必要は無いが、仮にも国王と王妃辺りには会うことになるのだから、それなりの格好をさせなければならない。
簡単に事情を伝えると、長い付き合いの職人は目をむいてしばらく放心し、それから思い出したように婚約の祝いを口にした。
「では、伯爵夫人は明日はどのようなお召し物を? よろしければ、一緒に手直しを致しましょうか」
明後日の儀式で使うドレスの微調整は、明日の謁見後にしてもらうように執事がすでに彼に頼んでくれていた。
明日の謁見に関しては騎士の礼装を出してくるだけだから、それはいいと断っていたところに、軽装にガウンを羽織った皇子が案内されてきた。
髪は布で拭いただけなのでまだ湿ってしるが、そんな格好をしていても堂々としていて、一瞬でその場を支配してしまうような威圧感がある。
濡れた髪を後ろに流しているのがまたいい……と、カリーナは見惚れかけたが、それどころではない。
深く頭を下げ続ける職人に、時間がないからと作業を急がせる。
「これは何事だ?」
皇子に聞かれて、明日の謁見のための服を何とかしようとしていると言うと、先ほどまで着ていた着古した軍服で良いと言い出した。
「もちろん、それもよくお似合いですが、戦争をしに来たのではないのですから、一般的な礼装がよろしいでしょう」
ただでさえ威圧感がとんでもないのだから、それを多少でも抑えないとあの小心な国王は泡を吹きかねない。
文句を言われながらもそれをいなし、精緻な刺繍が施された黒を基調とした一着を選び出し皇子に着てもらう。
「さすがに映えますな。元がよろしいと」
彼に自分の言葉が直接伝わらないことを知った職人は、非常に率直に感嘆の声を上げた。
同感だ。
「胴回りはほとんど問題無いかと。あとは手と足が長くていらっしゃるので、その調節を致しましょう。
あとは何か飾りを……こちらか、こちらはいかがでしょう。この辺りに垂れるように縫い付けますと、より格調高く見えるかと」
職人が持参していた中から、帝国風の金の飾り帯を選び、それを上手く使ってもらうことにした。
よく持ってきていたな。どこの誰が着るかは言っていなかったのに。
「帝国風のものは、好まれますからな。特に洒落者のお若い貴公子に」
あ、そうなのか。知らなかった。
「ですが、そのような方々はこのようにはお使いになりませんので、けして軽薄には映りませんな。ご本人に威厳がおありですから、それによるところも大きいでしょうが」
カリーナは「人形扱いするな」とご立腹中の皇子に当たり障りのない部分だけを訳して聞かせる。
とても素敵です。よくお似合いです。怒ることないでしょう。はいはい。もう脱いでいいですから。これにするって決めましたから。
服飾職人は「明日の朝には仕上げてお待ちします」と深々と頭を下げて帰って行った。もちろん口止めは忘れない。
いつもの三倍払うので足りるか、いや、寝る時間も削ってもらうのだから五倍にしよう。
そんな指示を執事に出していると皇子に後ろから羽交締めにされた。
「あのような堅苦しい服を着るのも、そなたのためだ。分かっていような」
はい。ありがとうございます。でも放してください。忙しいので。
「どうぞ今夜は我が家でゆっくりとお休み下さい。お食事もすでにお部屋にご用意出来ているようです」
「そなたは? 一緒に食べないのか?」
「申し訳ありません。まだ雑務が残っておりますので」
「今日は許してやるが、覚悟しておけよ」
皇子様は、よく分からない捨て台詞と共に部屋に戻られた。
「殿下のお付きの騎士のお二人はすでにお食事を済まされて、殿下のお部屋でお待ちです。
そのお二人のご衣装は、乾きそうなものはすでに洗わせております。下着類も新しい物をお出しいたしました。何か問題はございますでしょうか」
「ああ、あの二人はそれでいいだろう。護衛だからな」
さて、カリーナにはやることが山ほどある。
急な帝国の第五皇子の訪問で、王宮もてんやわんやだろう。
だが、こちらも大概だ。なにせ、ナシオ王国へ行くと言い出した当人が、滞在期間は今日を入れて四日しかないとおっしゃるからだ。
執事と細かな打ち合わせをしつつ、執務室へ急ぐカリーナだった。
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翌朝はよく晴れていた。
ほとんど眠っていないカリーナは、メイドたちに驚かれるほどすぐに目を覚まし、朝からまた執務室へ籠っていた。食事も簡単につまめる物を用意させている。
カリーナの父親であるウェイリン辺境伯は、フォイラー伯爵家どころか、自邸にも寄らず王宮へ直接向かうことになったそうだ。
それだけが少し残念なカリーナだった。
国王と王妃との謁見は、王宮の中でも一番格式の高い謁見室で行われるとのことで、その部屋に通される。
案内された部屋にはまだ誰もいなかった。国王たちはすぐにやって来ると侍従に言われ、そのまま待つ。
国王や宰相は、先に待ち構えていて挨拶をするのか、後から入るのか、さぞかし頭を悩ませた事だろう。
通常、他国の王子よりも一国の王位につく者が、国の大小に関わらず格は上なのだが、ディレイガ帝国となると話は別だ。
帝国の大貴族は一国の王と同等の権威を持つ。かつては一国の王か、それに準ずる者であった家系が大部分だからだ。
そして、それらの頂点に立つ皇族となると……。
それにしても、優美な礼装に身を包み、髪を整えて後ろに流した皇子はとてつもなく格好がいい。
ついつい目を奪われてしまうカリーナに、おもむろに彼が顔を近づけて言った。
「先ほど待機していた部屋もそうだが、この部屋はかなり居心地が悪いな」
カリーナもまったくの同感だったが、侍従らの前でナシオ王国の人間である彼女が本音を漏らすわけにはいかない。
「この王宮では、その部屋の格式が高くなれば高くなるほど、煌びやかに飾られるのが常でございます」
カリーナは遠回しに、これがこの王宮の通常の状態であることを伝える。
本当に、廊下から何から金色が眩しくて目が痛くなる。
やがて国王と王妃と宰相が入室してきた。
通常は段上の玉座にふんぞり返っている国王も、今回ばかりは段を降りた所に立ち、すぐに第五皇子殿下に深々と頭を下げる。もちろん他の二人も同様だ。
カリーナは三人が入ってきた時に、そちらに向かって先に騎士の礼をとっていたため、この部屋の中で直立不動で立っているのは皇子だけということになった。
なんとも言えない数瞬が経った後、皇子様のお声がけにより、皆が頭を上げた。
カリーナはさらに何秒か待ってから姿勢を戻した。
目の前の三人はどこか顔色が悪い。
一応、カリーナからの、オルテガ王国における問題は解決したという旨の報告も兼ねた場であるため、皇子の許しを得てそちらの報告を先にする。
もちろん、王族や宰相がディレイガ帝国の公用語を理解しないはずはないから、彼女は帝国公用語を使っている。
そうでなくては、ナシオ王国の言葉を解しない皇子が蚊帳の外になってしまうからだ。
通常エヴァンが側にいて補佐してくれるのだが、彼にはオルテガ王国への報告やら、後から戻ってくる第三軍の指揮やら、全てを丸投げして来てしまったため、まだここにはいない。
仕方がないので、カリーナは自分で持ち込んだ書類、もちろん近衛によって点検済みである、を国王の近侍へと手渡し王に渡してもらう。
昨日の晩に仕上げた、オルテガ王国での事の顛末の簡単な報告書だ。正式なものはまたエヴァンに丸投げする事になってしまいそうだった。
もちろん、皇子との間で行われた摩訶不思議な政略結婚の交渉には言及していない。
「ご苦労であった。フォイラー伯爵」
国王からの声にカリーナは頭を下げると、二歩ほど下がった。
ここからは皇子様の出番だ。
「ディレイガ帝国第五皇子殿下。我がナシオ王国へようこそ。歓迎いたします」
「この度は急な訪問にもかかわらず、快くこのような場を設けていただき感謝に堪えません」
「いや、まさか我が国の第三騎士団長が殿下のお目に留まるとは。すでに婚約も成立しているとのこと、お喜び申し上げる」
カリーナは伯爵家の当主であり、自身の婚姻に関する決定権を持つ。
通常、貴族の婚約や婚姻には国の許可が必要だ。しかし、今回は他国の、しかも大陸の覇者たるディレイガ帝国の皇族からの申し込みである。
当然国の許可の対象外であるため国王にも口出しは出来ない。
皇子は目礼し、「戦場の恋とでも申しましょうか。フォイラー伯爵ほど我が妻に相応しい方とはお会いした事がなかったのです」などと歯の浮くような事を言ってくださる。
そもそも、出会ったのは戦場ではない。交渉の場だ。
「式は明日、さらに出立は明後日とお聞きしたが、是非それまでの間、第五皇子殿下には王宮に滞在していただきたいものです。いかがでしょうか。出来る限りのおもてなしをさせていただきたいが」
国王は本当はそんなことは思っていない。万が一王宮内で第五皇子に何かあれば確実に国際問題となるからだ。
カリーナは、やや強張った顔で下を向く王妃に「何も言ってくれるな」と思ってその顔を見ていた。
王妃が変な事を言うと、それを真に受けた国王がまた必要のない行動をしでかしかねない。
だが王妃は何も言葉を発することはなかった。
皇子の「婚約者と共に居たいので」という、笑みを添えた一言で国王の顔色が少し良くなった。
そして、一通りの挨拶が済むとこの会談は終わった。実に表面的なものだった。
後から聞いた所によると、皇子様は「もうあのけばけばしい場所には居たくなかった」との事だった。
退出したカリーナと皇子は護衛の二人と合流し王宮内を歩いていた。
皇子をそう人目に晒すわけにもいかず、粗相をする者があっても問題になる、ということで、カリーナらが通る道には案内の侍従の他に人影はない。
そのはずだったのだが、向かう先に人影が見え、カリーナはついつい喜びの声をあげた。
「お父様」
カリーナの父であるウェイリン辺境伯がこちらに気づくと、深く騎士の礼とり、そのままの姿勢でこちらの到着を待っていた。
つづく……
ここまでお読みくださり、ありがとうございました!