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1.前世の残像

おはようございます!

こんにちは!

こんばんは!



 カリーナは開け放たれたカーテンを憎らしそうに眺めながら大きく伸びをした。

 一ヵ月半に及ぶ遠征から王都の屋敷に帰りついて三日目の事だった。


 昨日は皆が遠慮して昼過ぎまで起こしに来なかったが、さすがに今日は予定が詰まっていて、彼女自身も起きなければいけないということはわかっていた。メイドが洗面用の水を運んできて、にっこりと微笑みかけてくる。

 もうほんの少しだけ寝ていたいと、意地汚く掛け布を抱きしめたが、彼女のその行動に笑みを深めるメイドの視線が痛かった。


 とはいえ、数日前までの野営の時に比べれば、よほどゆったりとした朝の光景である。

 遠征中は特に、規律を重んじる騎士団長の仮面を被らなくてはいけない。 むしろ彼女が、飲み過ぎて寝過ごした団員たちに喝を入れて回る立場なのだ。

 「わかった、わかった」と呟きながらカリーナが起きだすと、メイド達は慌ただしく動き出したのだった。


 ベッドテーブルに用意された朝食をとりながら、今日の予定を読み上げる執事の声に耳を傾ける。

 遠征中に溜まりに溜まった書類の決裁に、明日の夜会用のドレスの仕上げに、もろもろの来客が何件もあり、ほんのわずかな休憩を除いて体が空く暇はないらしい。

 なるほど、わかった、と彼女は内心辟易しながら、表面上は鷹揚に頷いた。



 明日はもともと王妃の生誕祭の夜会が開かれる予定であった。

 まさかカリーナ率いる第三騎士団が、このように早く決着をつけ、王都に凱旋するなどとは誰も思っていなかったはずだ。

 これは偶然が重なっただけのことであり、カリーナが意識してしたことではない。

 だから、王妃のみを主役とする華々しい一日が、第三騎士団が褒賞を賜る武骨な場にもなってしまうのはカリーナが望んだことではない。


 カリーナとしては褒賞の授与など、謁見室の一つでひっそりと行って欲しいくらいだったが、国王が「王妃の誕生日に花を添えてくれ」とのたま……言い出したものだから、カリーナは遠征疲れを理由に夜会を欠席することも出来なくなってしまった。


 とはいえ、もともとは王妃が、カリーナが遠征前の最終報告に行った際、それはそれは美しい微笑みを貼り付けながら、まず間違いなく嫌味で、「私の生誕祭にご参加いただけないのは残念だわ」などと言ったのがそもそもいけなかったのだ。


 カリーナはきちんと気を使うつもりだった。生誕祭が終わるまでは、近隣の都市に寄り道し、王都の外で待機すべく指示を出していたのだ。

 ところが、当然の義務として、紛争終結の報を国王宛に送らざるを得ないのだが、といっても単独で行動する騎士団がおかしな真似をしないように付けられたお目付け役の監査官が勝手に送っていたのだが、その報に接した国王が「少しでも早く帰ってこい」と言ってきた。


 王妃が残念がっていると本気で思っていなかったら、国王もわざわざそんな事は言ってこなかっただろう。だから、これは全て王妃のせいだ。

 とはいえ、命令には逆らえない。

 カリーナは仕方なく、全部隊に王都への帰還命令を出したのだった。



 それらの無責任な言葉のおかげで、カリーナはこの日の午前中を執務室で過ごすと、昼食もそこそこに、明日の夜会で着るドレスを注文した服飾店の主人であり職人である、馴染みの男たちをサロンで迎える羽目になっている。

 出征前に注文していたドレスの一つを、帰ったその日に試着し、それを最終調整したものをこの日彼らは持参したのだ。

 ドレスに問題がないことを確認し、メイドたちも交えた宝石選びも一段落すると、彼女は再び執務室へ戻って執務をこなし、来客をさばきにさばいたのだった。



 ✳︎ ✳︎ ✳︎



 カリーナは女だてらに伯爵家の当主であり、軍人である。この国の社交界では、立派な変わり者だった。

 なぜ彼女がそんな人生を歩むことを決めたのか、彼女を溺愛する父親にも理解出来ないことだっただろう。

 しかし、それはカリーナにとっても同じことで、幼い頃に芽生えた数々の思いがどこから来るのか、しばらくは彼女にも分からなかった。


 それを知ったのは、「女に跡は継がせられん」とカリーナが敬愛してやまない父から、はっきりと告げられた時だった。


 カリーナが受けていた教育は、「貴族たるもの家長の決定に異議を唱えるな」だの、「淑女たるもの夫をたてろ」だのという、カリーナからすれば前時代的なものだった。

 彼女は幼い頃から、それらの「常識」に違和感を覚えていたものの、なぜそれが彼女にとって違和感に繋がるのか、言語化をすることは出来なかった。

 そして、何かに突き動かされるように、カリーナは自分が男だったら、父親が望んだであろう事を片っ端からやりたがった。

 剣を習い、弓を引く事を覚えたが、それはあくまでも子供の遊びと思われていただろう。彼女が本気で父親のようになろうと努力しているとは、誰も想像していなかったかも知れない。

 カリーナ自身も、いずれ、そう遠くない未来に、それらを取り上げられてしまうのではないかと思っていた。


 彼女は剣や弓を覚えると同時に、貴族の子女として十分な教育を受けていた。

 どの家に嫁いでもうまくやっていけると、早くに亡くなった母の代わりに、彼女に淑女教育を施してくれた叔母たちにもよく言われていた。単純なところのあるカリーナを褒めて伸ばそうとしていただけだろうけれども。


 しかし、カリーナは絶対に、このまま活発な令嬢として、よく知りもしない誰かに嫁ぐのは嫌だった。

 出来る事ならば、カリーナならば大丈夫だと、父の跡を継ぐのに相応しく成長したと、皆に認められる日が来ることを願っていた。


 だから、女であるカリーナには跡を継がせないという父の言葉は、まだ夢見がちな年頃の少女の希望を打ち砕いた。


 分かっていたのに、納得は出来ない。ずっと、いつか報われる日が来ると、その思いで頑張ってきたのだから。

 父の前で、彼女は下を向いて体を震わせた。

 自分で選んだのではない理由で、人生全てが決まってしまう。その理不尽に対する怒りが身体中から湧き上がってきて、彼女は父の前で拳を握りしめながら、感情を爆発させるのを耐えた。


 昔も今も変わらない。人生は理不尽な事ばかり。どのように生きるべきか決めるのは自分自身だが、それが報われるとは限らない。

 こんな人生はまっぴらだ。


 そんなことを思ったのもつかの間、カリーナは、はっと我に返った。

 今何を思ったのだろう、と。


 その時、彼女は十二歳になったばかりだった。



 ✳︎ ✳︎ ✳︎



 このナシオ王国では精霊王ナシオラを信仰の中心に据える。


 十分に価値ある人生を歩んだ人間は、死後に精霊となってナシオラのもとに行くことができる。そこは楽園であり、全ての苦痛から解放されるという。

 しかし、何かやり残したことがある人間は、ナシオラのもとには行けない。精霊になることもない。また苦痛に満ちた世に生まれ落ちる。

 皆、ナシオラの統べる楽園を目指し、精一杯生きていくのが当然だと、物心つく前から教え込まれる。


 だから、まだ十二歳であり、単純な物の見方をしがちだったカリーナは、先ほど息を吹き返したかに思えた感情を、前世で自分が満足のいかない死を迎えた時に覚えたものに違いないと思った。


 いつからか覚えていなかったが、ときおり頭をよぎっていく、見たこともない便利な生活だとか、今の世では良しとされない価値観だとか、彼女を魅了して離さないものたち。

 魅力的だが、今の世ではほとんど見聞きしたことのないものたちを、前世の自分にゆかりのあったものだと理解した。


 ナシオラへの信仰のおかげで、混乱状態に陥ることはなかった。これは、まだ幼い彼女にとって、とても幸いなことだった。

 そして、カリーナがそれらに気づいた年齢も良かった。

 ナシオラへの信仰も理解し、周囲の人間は前世の記憶など持っていないことも彼女はすでに知っていたから。

 もっと幼ければ、自分の前世がどうのと無邪気に周囲の人間に言ってまわり、気のふれた子供扱いされていたかもしれない。


 何はともあれ、父が娘に淑女として自覚ある人生を歩ませようとして発したであろう言葉は、父の想いとは裏腹に、カリーナに前世を意識させ、父の背中を追って立派な軍人になるのだという思いを強めさせてしまった。

 なぜなら、ナシオラへの信仰を元に考えれば、前世の自分が無念な想いを抱えたまま死んだのなら、今世ではそれを果たさなければならないと考えるのが当然だったからだ。

 それは今も変わらず、カリーナを突き動かし続けている。


 彼女は父にうんざりされるまで、家を継ぐのは自分だと言い張り、平民の兵士たちに混じって鍛錬を続けた。

 そして、誰にも文句は言わせないと、訓練と並行して、貴族の子女としての教養を学び、ダンスを習い、肉体的にも精神的にも厳しい日々を過ごした。


 カリーナの預かり知らぬ事だったが、彼女が多くの事をこなしつつ、自分たちと同じように毎日辛い訓練をこなすのを見た兵士たちは、彼女を心配するとともに、畏敬の念を抱くようになる。

 そしてそれは、父であるウェイリン辺境伯の耳にも届いた。


 そして、そんな日々が続くこと五年ほど、父はようやく娘が軍人としての道を歩むことを認めた。


 その頃の彼女は社交界デビューも済ませ、立派な淑女として社交もこなしていた。

 後に聞いた話では、いくつもの縁談が舞い込んでいたそうだ。


 しかし、彼女は頑固にも父の跡を継ぐという考えを変える事はなく、父親も決断せざるを得なかったのだろう。もとより溺愛する娘に、望まぬ人生を歩ませるような父親ではなかった。


 しかしながら、このウェイリン辺境伯家を継がせる決断は父はしなかった。父もまだまだ現役であったし、何か思うところがあったのかも知れない。

 そのため父はカリーナに、何年も前に断絶し、辺境伯の預かりとなっていたカリーナの母方の家系であるフォイラー伯爵家を継がせた。

 そして父は、長年の友人である、カリーナの前の第三騎士団長のもとに彼女を送り出し、軍人の道を歩ませたのだった。



 ✳︎ ✳︎ ✳︎



 カリーナは騎士見習い時の寮生活を経て、騎士に叙任された後はフォイラー伯爵家の王都屋敷に居を構えた。


 騎士として、また伯爵家の当主として生活しながら、カリーナは思うままに生きた。

 貴族社会の常識とはかけ離れた行動だと分かってはいたけれど、女ながらに騎士団で順当に出世し、さらには自由に恋愛を楽しんだ。


 そんなカリーナはやがて非常識な伯爵夫人として、人々の興味をかきたてることになる。

 彼女に関する、不謹慎な噂は枚挙にいとまなく、当然、本人の耳にも入る。

 しかしカリーナは気にしなかった。この生活が、彼女にとって当たり前と思えるものだったからだ。


 やがて、引退する事を決めた第三騎士団の前団長は、カリーナを次の団長にすると決める。 

 これは、彼女の実力だけの問題ではなく、政治的な思惑やら何やらが入り混じって決定されたものであった。

 騎士団長たる者、他の騎士団や王宮の各部署との駆け引きをする場面も多い。少なくとも、ある程度の爵位と後ろ盾が必要不可欠だった。

 そして、社交界での、いろいろな意味での影響力という点から見ても、カリーナ以外にその地位に相応しいものはいない、と前団長にからかうように言われたのが記憶に新しい。

 そして、一番心配していた騎士団の内部からの反発が無かったことで、カリーナは胸を撫で下ろし、快くその地位につく事を了承したのだった。

 実のところ、彼女が副団長となった二年前から、第三騎士団は彼女が率いていたようなものだったし、既定路線ではあったのだが。


 国王から正式な勅令が出て、正式に第三騎士団の長となった時、カリーナは二十三歳という若さだった。



 ✳︎ ✳︎ ✳︎



 それから数年、多忙な毎日を過ごしていた、そんなある日、夜会で偶然出会ったのが宰相の息子である。

 コールタート公爵家の嫡男であり二十歳であったサイラスは、夜会では令嬢方の熱い視線を集める存在だった。

 容貌の涼やかさはもちろん、高位貴族の子息にしては珍しく、まだ婚約者すら持っていなかったからだった。


 令嬢方から逃げていた彼と、噂話にうんざりして会場から抜け出したカリーナが、人気のないバルコニーで出会ったという事実は、恋に浮かれていた時には運命だとすら思ったものだった。

 二人は恋に落ちたが、少なくともカリーナはその関係が一時だけのものだと知っていた。

 彼女が公爵家に嫁ぐことはあり得ないし、彼が家を出るなどということもあり得ないのだから。


 互いの屋敷内での逢瀬を重ねるだけだった関係は、すぐに彼の父親である宰相の知るところとなった。

 呼び出されたカリーナは彼と別れる事を受け入れた。胸は痛んだが、予期していたものだった。

 もちろん無傷とはいかず、八つ当たりされた彼女の部下らが、連日のいつになく厳しい訓練に根を上げる事になったのだった。


 だが、それだけのこと。

 懲罰のように派遣が決まった遠征にも文句一つ言わなかった。

 だが、彼の方はまだカリーナに言いたいことがあるらしい。

 もう彼女のことは忘れて、自分の生きるべき道を歩んで欲しかった。だから、元恋人から時折り送られてくる手紙は全て開けずに送り返した。


 もういいじゃないか。お互いに都合が良かった関係が終わっただけなんだから。

 だから、もう……。



 ✳︎ ✳︎ ✳︎



 「ご主人様、とてもお美しいですよ」


 考え事をしているうちに、熟練の技を思う存分ふるっていたメイド達が鏡の中から彼女に微笑みかけてきていた。

 カリーナは突然現実に引き戻されて、目を瞬かせながら鏡の中を見た。二十代半ばの煌びやかな姿をした人物がそこにいた。

 緑の光が散る茶色の目は、神秘的に輝き、見る者を惹きつける。

 特別美人というわけではなかろうが、やや垂れ気味な目元と、厚すぎないが肉感的な唇は、女として魅力的であるのだろう。

 暗い色の赤毛は美しく結い上げられ、年齢相応の、落ち着いた青と緑の中間の色をしたドレスを身にまとっている。

 鍛えられた首筋から肩にかけてのラインが、繊細なレースで巧みに隠されていて、その体を実物よりも華奢に見せていた。


 彼女は、自分の頭の中の人物と、鏡の中の人物が重なる、いつもの不思議な感覚を経て、それが自分だと、はっきりと認識した。


 そして、つい数日前までの、荒れ放題だった自分の姿を思い出し、本当に申し訳なく思いながら、周囲で微笑むメイド達をねぎらった。


「ご苦労。肌も髪もひどい状態だったろうに、数日でここまでとは。褒美は何がいい?」

 カリーナが柔らかな微笑みで言うと、「必要ございません。ご主人様の美しさを最大限に引き出すのが私達の喜びでございます」と彼女らは口ぐちに言う。

 カリーナは少し困ったように笑うと、王都で女性らに人気のある菓子を取り寄せると彼女らに告げた。

 若いメイドは歓声を上げ、カリーナが幼い頃から支えてくれているメイドはにっこりと笑った。

 彼女らはカリーナがどんな人生を歩みたがっているか知っていて、そっと見守ってくれている。ある者は幼い頃からずっと。


 もう一度感謝の言葉をかけると、カリーナは立ち上がり、気の向かない夜会へ出席するべく、颯爽と歩きだしたのだった。



つづく……


ここまでお読みくださり、ありがとうございます!

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