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探偵の通う喫茶店

作者: 唐揚げ

 京都市北区には、一軒の喫茶店がある。

 その喫茶店は、大通りの北大路通に面しており、車や人が行き交うのがよく見える窓際の席があった。毎朝の十時くらいまで、卵をたっぷり使ったエッグサンドイッチを提供してくれる上に、値段も手ごろなものであるので、その先生はよくその喫茶店に通っていた。


「先生、どうでしょうか」

「そうだね。今日も卵サンドは美味しいよ」


 窓際の席ではなく、店の奥の方の壁際の席に座り、店員の湖畔君から感想を求められた先生は応えた。

 先生の名前は鹿取金糸雀と言った。老齢の男であり、顔には苦労の証としてほうれい線と、生命線がくっきりと刻まれている。であるのに、顔には若々しさがあった。老眼鏡を必要としない視力は、年寄りからしてみれば若さの証であるし、コロナ予防接種やインフルエンザ予防接種の接種当日に副反応が出るのも、若さの証であった。


「先生、どうでしょうか。事件の解決は」

「ふむ。実は最近、面白い事件を解決したんだよ。湖畔くん」

「どんな事件だったんですか」


 コーヒーのお代わりを注ぎながら湖畔は聞いた。


「世にも珍しい事件でね。湖畔くんは、吉田カニバリズムという人物を知っているかい?」

「吉田カニバリズムですか?」

「あぁ、そうとも。吉田カニバリズムというのはね、民名書房で販売されている自伝、蟻の一生を書いた作家なんだがね。彼が書いた自伝小説、墨汁の一滴の原稿が盗まれたというのが事件としてあるんだ」

「それは、大変ですね」

「そうとも。この事件は密室事件でね。吉田カニバリズムは、トイレに原稿を持ち込んだんだが、用を足した後になんと原稿が無くなっていたという」


 と、鹿取がそこまで話し始めたとき、からんからん、と来客を告げる鐘が鳴った。

 湖畔くんは鹿取の相手を斬り上げてその来客へと対応をする。


「一人だけど、いいかな」


 喫茶店に入ってきた客は、黒いコートを着た中年の女性だった。髪を長くそろえて、小さなサングラスをかけている。落ち着いた雰囲気を持ち、少し疲れたような表情をしていたが、目は鋭く、落ち着いた声が店内に響いた。手には本を持ち、そのタイトルは手で隠されて伺えない。


「構いませんよ、カウンター席ですか、それとも、窓際の席でしょうか」

「窓際の席にしてください」


 女はそう言って、席に座った。


「失礼ながら」


 女の様子を見ていた鹿取に、隣の席に座っていた別の客が声をかけてきた。そちらを見れば、随分と時代錯誤なカイゼル髭を貯えた男である。英国風のスーツをぱしっと決めたいかにも探偵に見える男である。


「あなたは、先ほど、先生と呼ばれていましたね」

「えぇ、そうです」

「私は武という私立探偵でしてね。どうでしょうか。あの女性が何を目的としているか勝負いたしませんか」

「いいでしょう。正解したらば何が貰えるのでしょうか」

「私は、このスーツの割引券を」


 武と名乗った男は、スーツの内ポケットからすっと封筒を取り出した。そこにはスーツ屋の優待券として割引券が何枚か入っている。


「では、私は食事券を」


 鹿取もまた、鞄から食事券の入った封筒をテーブルの上に置いた。


「合意とみてよろしいですね」

「では、私から」


 武は、じっと窓際の席に座る女性を見た。


「彼女はこの店にリラックスをしに来ているのです。彼女の左手の薬指を見てください。指輪がハマっています。つまり、既婚者という事。年齢からみるに子供がいてもおかしくはないでしょう。時間から見るに今頃、幼稚園や保育園に届けて、その後にゆっくりと過ごすことにしているのですよ」

「私の見立てとは違いますね」

「なんだとぉ?」

「彼女の態度を見てください。彼女はじっと本を手に取っています。しかし、その視線はサングラスで伺えません。いいですか。サングラスをかけているのは、視線を読ませないため、そして、窓際の席に座っているのは、この店の売りでもあります。そうです、彼女はミシュランの調査員なのです」

「ふむ。なかなか鋭い推理ですな」

「そちらこそ」


 鹿取と武は、コーヒーを互いに飲んだ。

 互いによく喋ったので、コーヒーのカップは空になり、湖畔くんを呼んだ。


「お二人とも、仲がいいのですね」

「いやいや、彼と推理対決をしていましてね。あの窓辺の女性が何故、この店に来たのかを推理していたのですよ」


 湖畔がコーヒーのお代わりを注ぐ間、鹿取がそう言った。


「あの」


 女性が鹿取と武の方へと顔を向けて、声をかけてきた。


「失礼ながら、静かにしてもらえます? そして、お二人とも推理が的外れですよ」

「なんですと?」

「私は探偵です。窓際の席に座っているのは、外にいる監視対象を見張るためですよ」


 そう言うと女はコーヒーを飲み干してお代わりを要求し、じっとまた、本へと目線を映した。


「やれやれ、これはお互いに探偵としては失格ですな。おや、どうして笑っているのですか」


 武は鹿取にそう声をかけた。しかし、鹿取は満足そうにニヤニヤと笑っており、不思議に思い、そう問うた。


「何、実を言うと、私は探偵ではないのですよ。ただのフィクション作家なのですよ。私は適当にでっち上げた話を口にしていただけに過ぎないのです。それに見事にあなたは騙された。それが面白くて仕方ないのです。実質の所をいうと、最初から私が勝っていたんですよ」


 鹿取は自慢げにそう言った。

 憤慨した武の顔が赤くなったその時である。湖畔くんがとととっと現れた。


「先生、お言葉ですが、本当に勝ったのは私ですよ」

「おや、湖畔くん、どうしてですか?」


 湖畔くんは、それぞれ、鹿取、武、窓辺の女のコーヒーカップを指さした。


「お代わりは無料じゃあないんですから」

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