優しさと残酷さとあの夜の悲しさと
すみません、長くなりました。前話に過去一長いと書きましたが、更新しちまいました。2話に分けようかとも思いましたが、やっぱりなしにしました
「をっしゃー」
目の前をふさいでいたオーガの体が一刀のもとに両断される。横幅は両腕を広げた大の大人が一人でも余るくらいあるというのに、その剣士は苦にしていない。
「いやー、アルバ君の新しい魔法すごいな。オーガがまるで焼きすぎたステーキみたいに切れるぞ」
「そこはバターって言ってほしかったです」
孤児院にレオノーラとともに訪れてから1か月ほどたった。その間アルバは中級魔法の訓練と並行しつつ、強化魔法と弱体化魔法の訓練を続けた。実戦投入は今回が初となる。
結果は上々。強化魔法に関しては今の行使で核心に近づいた感覚があった。自分の訓練が無駄ではなかったことにアルバは安堵していた。
だが、弱体化に関してはまだまだ課題が残っている。しっかりと機能していれば、アルバが予想していたバターのごとく切れるという反応が返ってきたはずだ。次はせめて高級店の柔らかいステーキくらいを目指そうとアルバは決意した。
「すごいね、アルバ! その魔法いつ習得したの?」
「え、いやー、たまたま本が売ってたからさ、習得しようと思ったらいけたんだよ、意外とすんなり」
ウソである。本自体は確かに買ったものだが、それは知り合いの伝手をたどってアルバが入手するように頼んだものであった。発動する魔法のバリエーションはレオノーラに劣っても、これなら貢献が分かりやすいだろうという打算のもとの選択に、わずかに心を痛めたが、なりふりかまっていられなかった。
「おーい、そこの二人、討伐証明はぎとったら帰るぞ」
「「はーい」」
アルバの強化魔法と弱体化魔法の初陣は、こんな風に、まあまあな収穫を上げて終わった。
そこから依頼を受けるたび、アルバは強化魔法を味方に、弱体化魔法を敵にかけ続けた。初めは単体のみ対象であったが、回数をこなすにつれて複数対象相手にも効果を発揮し始めた。
これはパーティーにとって大きな一歩であった。戦いにおいて数は絶対である。しかしアルバの弱体化魔法によって弱くなった魔物であれば多少の数的不利は問題なくなっていた。これにより受けられる依頼の幅が拡大したことは言うまでもない。
これはアルバに心理的な余裕を与えた。このまま中級魔法の練習も継続すれば、レオノーラの横でも戦えるだろう、いずれ追いつくことも夢物語ではない。そう考えられるくらいには心が休まった。
そう、この時までは。
***
「朱の業火よ、我が眼前の敵を悉く燃やせ、《インフェンノアーラ》」
赤く、朱く。吹き上げる炎は視界を赤一色に染め上げる。
それは、魔術で発動した炎と言うにはあまりにも美しかった。
熱は空気を歪ませ、音すら呑み込むように、炎は世界を支配していた。
杖から放たれた炎は彼らの眼前にいた敵を全て燃やし尽くした。一片の肉片たりとも残さなかった。
「マジかよ」
パーティーの前衛であるユゼックは呆然としている。斥候であるサムエルも同様だった。
アルバも二人と同じように、ただただ驚嘆していた。
敵を倒しても周囲の警戒は怠らない、冒険者としての基本すら彼らは忘却していた。それほどまでに、行使されたその魔法――上級炎系魔法――はすさまじかった。
ただ一人だけ、呆気にとられもせず動揺もせず、ただ無邪気に喜んでいるものが一人。
「やった、できた。できたよ!!」
この魔術を行使した本人、レオノーラである。
「レオノーラ、今のは?」
恐る恐る、かすれた声でアルバが尋ねる。
知りたい、どうやっていまの魔法が発動できたのかを。知りたくない、彼女がどれほど自分から隔絶した力を身に着けてしまったのかを。
「ああ、なんかね、今日ステータス画面確認したら、職業のところが【大魔法使い】になってたの! これって魔法使いの一つ上なのかな? だから上級魔法も発動できるんじゃないかって思って、集中したらできたんだー」
大魔法使い、確か魔法使いの上位であったはずだ。トップランクの冒険者にその職業だった者がいたのをどこかで見た記憶がある。
魔法系統の上位職は【大賢者】だったはずだ。そして、【大賢者】は勇者パーティーの一員になるというのがお決まりである。
もしやレオノーラがそうなのだろうか?
いやそんなことより。
引き離された。必死に頑張ったのに、また離される。
こちらが必死に一歩進む間に、彼女は軽やかに十歩前へ進む、進んでしまう。
「あ、魔術のスキルランクがAになってる、やったー!」
レオノーラが喜んで何か言っているが、アルバの耳には届いていなかった。
「お、いかんいかん、おい二人とも、周囲の警戒だ。この様子じゃ討伐部位はもって帰れそうにないから、早いところギルドに戻って報告しよう」
パーティーリーダーであるユゼックが指示を出したが、やはり動揺しているアルバには届いていない。
なんで、どうして、まだ自分の魔術のランクはCなのに、街に着いてすぐに上がってから変わっていないのに。
頭の中を意味のない思考が渦を巻く。レオノーラを直視できない。今まで照れて目をそらすことはあったがそれとは違う。これは、この感情は。
「おい」
パン、と目の前で柏手を打たれ、アルバははっと気づいた。
見れば、他の三人が心配そうな目で彼の目を覗きこんでいる。
「大丈夫か?」
あまりしゃべらないサムエルが、心配そうな目でこちらを見ている。その隣でユゼックも同じような目をしている。
アルバは、自分がレオノーラに対して抱く感情をこの二人にも話していない。当然、彼らに内心を推し量ることなどできるはずがない。
「え、ええ。大丈夫ですよ。ちょっとめまいがしただけです」
かろうじて彼の理性がはたらき、動揺をさらけ出すことは避けられた。
「ふーむ、おそらく上級魔法の発動後の魔素にあてられたんだろうな。とりあえず、戻ろうか」
ユゼックの号令を合図に、四人は街へ向けて歩を進める。
前を歩くサムエルとユゼックの二人は何かを話し合っている。おそらく依頼達成の報告をどうするかを話し合っているのだろう、とアルバは推測した。時々二人にも任せてくれるが、こういった不測の事態には冒険者としての経験値が高い二人が対応することが多かった。
「アルバ、どうだった? 私の魔法?」
隣を歩くレオノーラが、首をかしげて問う。
「う、うん、すごかったよ。やっぱりレオノーラはすごいな」
「でも、発動後の影響がちょっと大きすぎるかな、狙ったところからもわりかしずれちゃったし。まあ広範囲にわたる呪文だからそんなに影響なかったんだけどねー?」
上級魔法を発動できたんだからそんなことどうだっていいだろ、と言いかけたのを、アルバはぐっとこらえた。
同時に、そんな言葉をレオノーラに向けようとしていた自分に気づき、背筋が冷たくなる。
普段なら彼女との会話は楽しく、喜んで話し相手になった。だが、今はとても会話できる心境ではない。
「僕のことはいいからさ、ユゼックさんに話してきたらどうだ? ほら、上級魔法を撃ったあとの感覚とか、今後はパーティーの切り札になるわけだからさ」
どうにか絞り出したその一言とともに、アルバはふいっと顔を背けた。
「え、う、うん」
そんな彼の様子にかすかな違和感を覚えたレオノーラだが、特にその違和感について思考することもなく、アドバイス通りにユゼックの方へと進んでいく。
その後ろ姿を見ているアルバの脳裏によぎったのは、ひと月前にレオノーラが発した言葉だった。
―アルバは変わらないな、って思える。あの頃と一緒だなって―
なんたる皮肉か。
もちろん、レオノーラにそのような意図はない。だがだからこそ、アルバはより一層自分がみじめに思えた。
レオノーラに追いつけない自分。
レオノーラの隣に立ちたいと願う自分。
レオノーラを妬む自分。
レオノーラを好きだと叫ぶ自分。
あらゆる感情が混ざり合ってぐちゃぐちゃになる。
どうして自分の魔法のスキルが上達しないのだろう?
どうしてレオノーラの魔法のスキルはみるみる上がっていくのだろう?
どうしてこうも才能というものは残酷なのだろう?
今まで頑張ってきたのはなんだったのだろう?
乱れた思考は正常な判断にならず、いくら自問自答を繰り返しても、浮かぶのはとりとめもないことばかり。
「おーい、アルバ君。どうした?」
どうやらいつの間にか足を止めていたらしい。遠くでパーティーの面々が彼を呼んでいた。
そういえば、前にもこんなことがあったななどと思いつつ、返事をする。
「今行きます」
頭の中から妄念を追い払おうと、首を振ってから前へと進む。
なぜだか、三人までの距離がとても遠く感じた。
***
一週間後、ユゼックたちのパーティーは名実ともにフラムバルドトップになっていた。理由は明白。レオノーラが上級魔法を発動できるようになって、パーティーの依頼の受け方が大きく変わったのである。
これまでは護衛、素材採取、危険地域の巡回などを幅広くこなしてきた。だが今は違う。レオノーラの強大な魔法を武器に、遠方の街に赴いて高難度の魔獣討伐に挑み、群れをなす魔獣の発生にも積極的に対処するようになった。
それ自体に異論はない。そもそもアルバはパーティーのリーダーでもないし、リーダーたるユゼックは尊敬に値する先輩冒険者である。討伐は魔法の研鑽にもってこいだし、実入りも良かった。貯金額は増え、強化魔法と弱体化魔法のスキルランクはBまで上昇していた。
しかし、パーティーの中核となるのは必然的に彼女の上級魔法である。ユゼックやサムエル、そしてアルバも貢献はしたが、火力で言えばやはり上級魔法には遠く及ばない。いわば常に力の差を見せつけられる状態だ。
自分はこのパーティーに必要なのだろうか、とアルバが思ったのは、それから一週間が経過したころだった。
ここのところ、強化魔法はユゼックとサムエルにしか掛けていない。自分にかけるほどの場面は随分減少した。レオノーラに至ってはそもそも掛ける必要がない。たいていは自分の魔法で処理できる。
昨日眺めたステータス欄を思い出す。強化魔法と弱体化魔法がランクBなのに対して普通の魔法は依然としてCのまま。
モチベーションを保てという方が酷な話ではあった。
「どうしたんだい、アルバ君?」
物思いにふけっていた頭は、その一言で現実に戻った。
ここはフラムバルドの路地の奥にある酒場。今日のウインターサイクロプスの討伐の祝勝会のために、アルバが下見を行い見つけた場所だ。ギルド併設の酒場では、街一番のパーティーゆえに話しかけてくる輩も多い。静かな所がいいとサムエルが要求した結果、ここで開くことになった。
「いえ、特に何も」
こういうところでしか貢献できない自分への嫌悪感を隠しつつ、返事をする。
「そうか、じゃあ後で少し時間をもらえるかな?」
「この会が終わった後ですか?」
何か内密の話なのだろうかと、小さな声で会話しながらアルバは勘ぐる。
「そうだ、多分レオノーラを君たちの泊っているところへと送った後になる。多少遅くなるけど、明日は休日になっているし問題はあるまい」
「分かりました、場所は?」
「行きつけのバーがある。三番通りの一番大きな交差点で待っていてほしい」
夜遅くまでやっているバーなど、アルバは初めてだ。少し緊張しながらも、ユゼックは信頼できると判断したアルバは肯定の意を示した。
「アルバー、どうしたのー?」
「何でもない」
「じゃあ、そういうことで頼んだぞ」
そう言うと、ユゼックは何事もなかったかのようにエールを飲み始めた。
***
「おお、来てくれたか」
レオノーラを送った後、宿屋を抜け出してアルバは待ち合わせの場所に到着し、サムエルとともに目当てのバーへと向かっていた。
「その言い方、もしかして僕が来ないと思っていました?」
言葉の裏にあった意図を感じ取り、アルバはやや不満げに尋ねる。
「いや、そういうわけじゃなくてさ。急に来たくなくなるんじゃないかって」
「来たくないという一時の感情でリーダーの要請を無視するほど、僕は子供じゃありませんよ」
「あっはっは、違いない」
かすかに笑いながら、二人は夜の街を歩く。わずか一分足らずで、目当てのバーにたどり着いた。
「マスター、マティーニとカルーアミルクを頼む」
こくりと頷いた店主は、すぐに用意を始めた。どうやら知り合いのようだと、二人の会話の様子を見ながらアルバは思った。
「とりあえず、座りなよ」
カウンターの椅子を引いたユゼックに目礼し、アルバは座った。
「それで、要件は何ですか?」
「おっと、バーは初めてなんだろう? もう少し話してから本題に入ってもいいじゃないか? 真面目だなあ」
くつくつと笑いながら、ユゼックはカウンターに頬杖をつく。
アルバはわずかに眉間にしわを寄せた。ユゼックは尊敬できる先輩だが、時々こうしてアルバをからかうことがあった。
「いえ、こういう性格なだけです」
「まあ、そう言われるとどうしようもない。しかし覚えておくことだ、人の価値観や物事の受容は時によって変わる。君のそのひたむきな性格もいずれ変わってしまうことがあるだろう。だがどうかそれを悲しまないでほしい」
「分かりました」
「うん、自分で言うのもなんだがいまかなり名言っぽいことを言った気がするんだが、まあいいか」
思った反応が得られなかったのか、ユゼックがボソッと呟いたが、アルバは聞いていなかった。
そこへマスターが二人のグラスを置く。
「飲みな、今日は私が奢ろう。遅くに呼び出したお詫びってことで」
「いえ、それには」
「私が奢ろう」
「……、分かりました」
アルバは諦めた。前にユゼックにおごってもらったことがあるのだが、その時もこうして奢る奢らないの言い合いになったのだ。早いところ本題に入りたかった彼は折れることにした。
カルーアミルクの入ったグラスに口をつける。初めて飲む味だったが、素直に美味だと感じた。
「最近、魔法の調子はどうかな?」
「どうですかね、スキルランクはBになりましたよ。対複数への強化魔法も安定してきましたし。後は強化の幅と、重ね掛けができればって感じですね」
「うむ、そうか」
グラスをカウンターに置きながら、ユゼックは相槌を打つ。
「私が聞いたのは、普通の攻撃魔法のことなんだけどね」
思わぬ一言にアルバは驚き、傾けていたコップを地面と平行に戻した。
「え、いや。なんで? 攻撃魔法はレオノーラが一手に引き受けているじゃないですか」
「だとしても、魔法使いが完全に役割分担する必要はないだろう。君も攻撃魔法が使える。だのに全く打たないというのは変な話じゃあないかい?」
まごうことなき正論であった。確かにレオノーラの魔法の威力はすさまじいが、だとしてもアルバが普通の魔法を打つ必要が完全に消えるわけではない。あくまで消えたのはその機会に過ぎない。
「いや、でも僕の魔法は威力がそこまであるわけじゃないし。とりあえずは強化魔法と弱体化魔法でやっていこうかなって」
「あんなに練習していたのに?」
アルバは再び驚いて目を見開いた。
「知ってたんですか?」
「いやあ、偶然森に入る君が目に入っちゃってね」
やや申し訳なさそうにしながらユゼックは頬を搔いた。
「それで、もう攻撃用の魔法はいいのかい?」
アルバは答えなかった。というよりも答えられなかった。
「アルバ君、君は攻撃魔法の上達という点ではレオノーラ君に及ばないのかもしれない。だけどもそれは君自身に価値がないことにはならないよ。レオノーラ君はレオノーラ君、君は君だ。追いつけなくとも、君自身と君がやってきたことは決して無意味ではないよ」
三度、アルバは驚いた。レオノーラへの憧憬と己の劣等感にこのリーダーは気づいていたのだ。
同時に情けなくなった。徹頭徹尾自分の問題なのに、パーティーリーダーにまで心配されているのだ。
いたたたまれないことこの上なかった。
「あ、ありがとうございます」
不甲斐なさのせいか、ユゼックの顔を見られず、アルバはカルーアミルクをぐっと胃に流し込んだ。
「実を言うと、今日話したかったことはもう一個あるんだ」
コトリとカウンターにコップを置いて少し経つと、ユゼックは少し間を置き、会話を続けた。
「レオノーラのこと、どう思ってる?」
再び、アルバは硬直した。
「どう、とは?」
動揺したせいか、無意識にグラスを握る手に力が入っていることにアルバは気づいた。
「私たちのパーティーは有名になった。そうすると、いるんだよ。言い寄ろうとする奴らが。特に彼女は美人だ」
ゆらゆらと、マティーニを入れたグラスを回しながら彼は語る。その口調からは若干の怒りが感じ取れる。
「別に、ただの幼馴染ですよ」
「そうかい? 私は、君がそれ以上の感情を持っているように見えたんだがね」
淡々と、マティーニを飲みながらユゼックはそう話す。
本当ならここでぶちまけてしまいたかった。自分の中にある憧れ、妬み、好意、全てここで吐き出せればよかったのだろう。
だがそうはしなかった。なけなしのアルバの理性が、尊敬できる先輩の前でそんな無様な真似はできないと必死に感情を押しとどめていた。
ゆえに選んだのは沈黙。それが肯定ととられることはアルバも理解していた。
「実を言うと、私は君たち二人がそういう関係になることには賛成なんだよ。レオノーラにそういう相手ができたとなればちょっかいもおさまるだろうしね」
「そううまくいきますかね?」
「まあより過激になるという可能性もあるけど」
「それ、僕の方が狙われません?」
やや非難めいた視線をアルバはリーダーに向ける。
「なんだあ、惚れた女を守って見せるくらいの気概はないのかね」
「対象が僕より強いんですけど」
護衛対象が護衛より強いというケースは、かなり稀である。もしそうであれば、護衛依頼を中心にしている冒険者は転職待ったなしだ。
「あっはっは。まあでもさっき言った通り、君は君のやり方で一歩ずつ目標へと近づけばいいのさ。だから、今まで通り、じゃダメなのか。だから、まあ何、一緒に頑張っていこう」
そう言って、ユゼックはアルバの方を向いて優しく笑った。
その笑顔が、どうにも直視できなかった。
***
それから幾ばくかの会話を経て、今日は解散だとユゼックが宣言したので、店の前でユゼックと分かれ、アルバは宿への道を速足で歩いていた。
歩きながら考える。
レオノーラへのこのアンビバレントな感情を抱えたままやっていくのは、かなり難しい。パーティーを抜けるという選択が頭に浮かんだのもそのためである。
しかしユゼックとの懇談で、それは選択肢としては選びづらくなってしまった。
「あの人がもっと僕に対して冷淡であればよかったのに」
お前はもううちには必要ない、そう一言言ってくれれば簡単に抜けることができた。
だというのに、現実は逆だった。レオノーラに魔法の腕が届かなくて腐りかけている自分を、まだ見捨てないどころか、その迷いを指摘されて激励をもらうことになろうとは。
つくづく、いいリーダーに恵まれたなと思う。
だが、いやだからこそか。
これ以上迷惑は掛けられない。このままパーティーに居座り続けるのは辛くなるだけだ。
「どうすればいいんだ……」
悩みながら歩けば視線は自然と下を向く。しからば前方への警戒はおろそかになる。ましてや今は速足だ。
「おいテメエ、なにぶつかってきてんだ?」
ドンッっと衝撃がして、気が付けば目の前にガタイのいい男が二人立っていた。
一人は両手斧を背中に背負っている。もう片方はその陰で見えないがおそらく前衛だろう。
冒険者だな、とアルバは判断した。
咄嗟に、自分に強化魔法を掛ける。うつむきながら声を控えめに出したので、相手には怯えている声だととられたらしく、妨害はされなかった。
「おい、聞いてんのか?」
「こちとらアイアンランクの冒険者だぞ? おめえみてえな雑魚でもわかるだろ?」
脅しが有効な相手だと見たのか、相手はかなり強気だ。
「なんだと? こっちはフラムバルド一番のパーティーの〈朱き運命の掌握者〉だ。そんじょそこらの冒険者と一緒にするな!」
急いで帰らねばと焦って気が立っていたせいか、アルバはかなり強い口調で相手に対して威圧感を出した。
「ひええ」
「お、おまえ。あの〈朱き運命の掌握者〉のメンバーだっていうのか!?」
「アニキ、こいつ魔法使いですぜ」
「なに、じゃあまさかあの上級魔法をバンバカ撃つっていう」
「俺たち、とんでもないやつにメンチ切っちまいましたよぉ」
「くそ、こうなったら仕方ない、逃げるぞ」
だが、どうやら逆にこれが奏功したようで、彼らは捨て台詞をはいた後、一目散に路地の向こうへと逃げてしまった。
それを見て、アルバは肩の力がどっと抜ける感覚に襲われた。
はっきり言って、先ほどの状況はアルバに圧倒的不利であった。いくら強化魔法と弱体化魔法で差を縮めても、本職の前衛二人を相手にあの間合いでは勝ち目はゼロに等しい。
無事に宿に戻れそうなことに、安堵感を抱く。
続けて湧き上がってきたのは、怒りだった。
男の片割れは、上級魔法をバンバカ撃つとか言っていた。間違いなくレオノーラのことだろう。つまるところ、アルバは冒険者の間で噂にすらならない存在なのだ。
そして、自分を間接的に助けたのはレオノーラの実力と名声。
普段なら笑って受け流せた。だが今はだめだ。どう考えても悪い方向へと思考がねじ曲がってしまう。
やはり、このままではいけない。この感情は依頼の遂行には確実に障害になる。何とかしなくてはならない。
「あ」
ふと、アルバの脳裏にあるアイデアがよぎった。
はっきり言って、愚かにもほどがあるアイデアだ。だが。
「これしかない、か」
独りごちて、空を見上げる。どうやら新月の夜だったらしく、空には光一つ見えなかった。
***
「だーかーら、こっちは町一番のパーティーなんだっつってんの。わかったら早くもってこいよ」
「い、いえしかし。うちはお客様みな平等というのがモットーでございまして」
「うるせえ、とっとと物持ってこい!!」
「は、はいぃ。ただいま」
ここは街の道具屋。アルバは明後日の依頼の際に必要なものを補給するために立ち寄っていた。
そこで店主がもたついて、商品の提供が遅れた。後に訪れた客は、冒険者としての地位をかさに着て、商品を持ってきてもらう順番を変えろと店主にごねる。
少なくとも、今のアルバは周囲にそういう客として見えているはずだ。
「ったくおせえんだよ」
そう捨て台詞を吐いたのち、商品を購入するのに必要な額よりやや多い銀貨をたたきつけて、足早に店を去る。
街の雑踏に紛れ、赤いローブで顔を隠しながら通りを歩く。やや離れた角を曲がって裏路地に入り、壁にもたれかかって空を見上げる。
「きついなあ」
アルバの計画はこうだ。
まず街一番のパーティーの名をかたって悪事をはたらく何者かの存在をアピールする。もちろんアルバのことだ。
そしてそれをパーティー内で問題視されるまで続ける。
ユゼックはやや軽薄な部分もあるが、パーティーの評判という今後の活動に大きな影響を与える要素への悪影響を無視するなどという愚は犯さない。そして個人で解決に奔走するよりもまずは信頼できる相手に相談するタイプだ。
間違いなくパーティーの総力を挙げて犯人探しが行われるだろう。そして程なく自分のこともバレるはずだ。
そうなったら追放間違いなしだ。あとはそのまま遠い町へ行けばいい。
いささか穴がある計画だが、パーティーを確実に離脱する方法を考えると、これしか思いつかなかった。
すでに計画を実行に移してから四日が経過している。先日は出店を開いている店主が噂をしているのを耳にした。ユゼックの耳に入るのも時間の問題だろう。
壁から背をはなし、宿に向かって歩く。この後パーティーメンバーと合流するので、服装を変える必要があった。
宿屋のドアを開けるときに、ほんのわずかに右手がしびれたように感じた。
***
「アルバ、最近街中で話題になっている、僕らのパーティー名を肩って悪事をはたらく奴というのは、君なのか」
二日後、ギルドの一室に呼ばれたアルバに、ユゼックは無表情でそう告げた。
「ええ、そうですよ」
それがなんだ、と言わんばかりの様子で投げやりな返事をアルバはする。
「そうか」
ユゼックはうつむく。果たしてその台詞に込めたのは侮蔑か、悔恨か。
「アルバ、どうして、何でこんなことを!?」
「別に、理由なんてないよ。ただ最近色々むしゃくしゃしてたんだ。ただの憂さ晴らしだよ」
そう言って。薄ら笑いをレオノーラに向ける。
レオノーラの顔がクシャりと歪んだ。
「何をしたのか分かっているのか?」
「ええ、分かっていますとも」
低い、威圧感のある声でサムエルが尋ねる。めったに感情を表に出さない彼だが、怒りを抱いていることは一目瞭然であった。
「パーティーの信用にかかわる問題だ。このまま処分を与えないというのは示しがつかない」
ゆっくりと、厳かな口調でユゼックは語る。声にはリーダーとしての覚悟の響きが込められている。
「アルバ、君をパーティーから――」
「待ってください!!」
甲高い声が、ユゼックの言葉を断ち切った。
その場にいた全員の視線が一斉に声の主へ向く。
「アルバは、ちょっと疲れてるだけなんです、ほら、最近の依頼きついのばっかだったし、受注とかこまごまとしたこともアルバがやってくれてましたし」
決意を宿した表情のレオノーラが、ぽつりぽつりと意見を述べる。
「残念ながら、それは彼の行いを見逃してもいいということにはならないよ。私たちには立場というものが――」
「でも、私たち仲間ですよ。リーダーだって――」
ユゼックとレオノーラの言い合いが始まる。
サムエルも視線を落とし、事態の収拾を模索している。
その言論の応酬を聞きながらアルバは気づいた、気づいてしまった。
自分がこの言い合いを見て安堵を感じていることに。
それはすなわち。
(ぼくは、ただ自分を見てほしかっただけなのか)
そのことに気づいたとき、アルバは心底情けなくなった。絶望した。
これほどまでに自分を嫌いになったことはない。
名案を思いついたなどとうそぶいておきながら、その実自分が必要とされていることを確認したかっただけ。
そのためだけに仲間を巻き込み、街に悪評をばら撒いた。
気づいたときには、頬が熱く、耳鳴りがしていた。
(馬鹿か……僕は……)
「もういいですよ、二人とも。僕みたいな弱い人間はこのパーティーにはいちゃいけなかったんだ」
「何言ってるのアルバ、アルバは弱くないよ。それに、弱くたっていいでしょ。同じパーティーのメンバーじゃん」
「おい、レオノーラ、やめろ」
「レオノーラ君、それ以上は」
ユゼックとサムエルがその先を言わせまいとするが、もう遅かった。
「それに今実力が足りなくても、アルバが強くなるまで、私が守ってあげるから!!」
その言葉にアルバの心は今度こそ折れた。
(守られる、僕が、レオノーラに?)
それはアルバにとって他の誰が言おうとかまわなかったが、レオノーラだけは言ってはいけない台詞だった。
「ふざけるな!!」
必死にせき止めていた思いがどっと噴き出した。
「僕がいままでどんな思いをして、君の隣に立って戦えるようになるために頑張ってきたと思ってるんだ!? それを、強くなるまで守ってあげる? 人を舐めるのも大概にしろ。どうせ裏では見下してたんだろ! 幼馴染のくせに上級魔法も使えないダメな奴だって。ああ確かに君はすごいよ。僕が歯を食いしばってできるようになったこともあっさりとこなしてみせる。直近の依頼だって君の魔法あってこそだ。うらやましいよ。その才能が憎たらしいほどにうらやましかったよ。だけどなんとか追いつこうと思って、なのに」
そこから先は言葉にならなかった。気がつけば、両目から涙が流れ出ていた。
「ア、アルバ、わたし」
「もういいよ」
アルバは、立ち上がってメンバーに背を向ける。
そのまま逃げるようにギルドの一室を後にした。
外はみぞれが降っていた。アルバは急に飛び出したので傘なんて持っていない。宿屋につくころにはびしょびしょになっていたが、今の彼にはそんなことは些事でしかなかった。
「オーナーさん、この時間に出発する馬車ってあります?」
「え、どうだろう? 俺は知らねえな」
「そうですか、わかりました」
そう言うと、アルバは自分の泊っている部屋にそそくさと戻り、必要な荷物だけをさっさとまとめた。
元々抜けるつもりだったので、さほど時間はかからない。
片づけている最中にふと、鏡に映った自分の顔が見えた。
「……、ひどい顔だな」
笑わせる。悪いのは自分だというのに。
感傷を振り切って荷物を背負い、部屋の扉をくぐる。
そのまま受付まで向かうと、オーナーにこう告げた。
「今までお世話になりました。今日でここを出ます、これ鍵と代金です」
そう言うと、返事も待たずに宿屋を飛び出して、馬車の乗り合い所まで再び走る。
先ほどから降っているみぞれはやむ気配がない。
五分ほど走って、乗り合い所についた。
「すみません、銀貨二枚でできるだけ遠くまで行ける馬車ってありますか?」
「ああ、それならあの奥の青い旗のところにつけてある馬車に乗りな」
「どうも」
銀貨二枚を強く置いて指示された方向へと急ぐ。
何から逃げているのだろう? 元パーティーメンバーか、それともこの街で迷惑をかけた人たちか、はたまた別の何かか。
青い旗は存外すぐに見つかった。そのまま泊っている馬車に乗り込む。
どうやら定時に出発するタイプらしい、アルバが乗り込んで数分経つと、御者は周りを確認してそのまま馬を走らせた。
馬車は石畳の上を通って、街の門へと向かっていく。
過ぎ去る景色を見ながら、アルバは一息つく。
これで、ようやく。
気が抜けたのか、馬車の壁にもたれかかるように体が滑り、そのまま意識も闇の中へと落ちていった。




