日々の食事に毒が入っている可能性を考慮しなくてもいいのがバンピーのいいところだよね
え、なにこれ?なんかアローザさんめっちゃ叫んでんだけど。
「絵面やばくね」
「いや絵面以外もやばいだろ」
流石に見ただけで状況を完璧に把握できるほど優れた脳を持っているとうぬぼれてはないが、この状況が人道的によろしくないのはわかる。人を罵倒しながら殴るなんて最悪の所業だ。
「アローザさーん、何があったんですか」
マジかよコイツ。この状況に割って入るとか勇気ありすぎだろ。
「なんだい君は。これは私と部下の問題だ。口を挟むのはよしてくれたまえ」
「そうは言っても、この状況で我関せずというのは無理な話でございましょう。せっかくアローザさまのご厚意で客人としてここに滞在させていただいているのですから、アローザ様の機嫌が悪いと、私たちとしても不安になってしまうものです。事情を知りたいと思うのも自然なことでございます」
ドアから歩み出て子爵にそう語りかけるケルファー。というかあいつがあんなへりくだって話すの初めてだな。
ドアから出るかその場にいないふりをするか一瞬悩んだが、特段隠れてもメリットがないような気がしたので、そっちへと走り寄る。
「ふん、こいつは昨日お前たちが助けに来るまで馬車の御者を務めていた私の部下だ。盗賊に襲われた瞬間に逃げ出したかと思えば、今朝がた屋敷の前にいるのを見かけたからな。こうして罰を与えてやっているところだ」
いや明らかに罰の内容おかしいやろがい!
と面と向かって啖呵を切れるならかっこよかったのだが、残念ながら俺はヘタレなので、ただ呆気になって固まるばかりだった。
「そうですか、いやー、アローザ様は優しいですね。敵前逃亡して職務を果たさなかった部下に対してこも寛大な処置をなさるとは」
おい、ケルファー?? なに言ってんのお前?
「ですが、このような心身に負担がかかる行為を朝からするのは御身の健康に良くないでしょう。それに我々が駆けつけたのですから貴公は無事ですんでいるのです。そうだというのに彼をこれ以上罰するのは我々としても心が痛い。そうですよね、ミラー?」
「え、あ、ああ。そうですね。彼も反省しているようですし」
やばい、急に振られたせいで中途半端な返事しか出来なかった。
ケルファーのやつ、どういうつもりだ?
「ですから、どうか彼を許してやってください。この通りです」
そういうと、ケルファーは深く頭を下げた。俺もやや遅れて同じ角度で頭を下げる。流石にこれくらいの判断はできる。
「ふん、取りあえず、客人の顔を立てて、今回は許してやる。おいヘンリー、こいつを地下牢に連れていけ」
「かしこまりました」
アローザ子爵は部下と思しき執事に命じて、御者さんを縛って地下牢へと連れて行かせた。
もしかして、昨日地下牢で埃の痕が少なく感じたのは、こういう風に子爵が彼の部下を罰として閉じ込めていたりするからなのかもしれない。さっきの鞭さばきも、はっきり言って使い慣れているとしか思えないくらいにはこなれていた。
もしかして、アローザはモラハラ貴族なのでは?
一度生まれた疑惑というのは、余程のことがない限り消えはしない。
ふと空を見ると、昨日とは打って変わって灰色一色に染まっていることに、俺はその時気づいた。
屋敷に戻った俺たちは、憂鬱な気分になっていた。あんな光景を見せつけられて気分が上がるやつがいるのだとしたら、そいつは間違いなく精神異常者か度を越したサディストであろう。
そして、差し迫った問題が一つあった。
三十分ほど前、屋敷の使用人の一人が、アローザは用事ができたので朝食はこちらに持参してきましたとか言ってきたので、この部屋で朝ごはんと相成ったのだが。
「なんか味おかしくね」
ことの始まりは、まず初めにポタージュをすすったケルファーが発したその一言であった。
その時点では、俺はパンを一口かじっただけなので、口に合わなかったのかなと思い、同じようにポタージュを一口飲んでみた。
「確かに」
色合いからしておそらくビーツのポタージュであろうが、なぜか謎の苦みがあった。
「まさかとは思うが」
しばらく目線を空中に泳がせていたケルファーは、はたと何かに気づいたように椅子から立ち上がり、自身のリュックの方へと近づいてなにやらガサゴソしだした。
俺はといえば、まさか続けて何か口に入れるのも憚られるので、リュックをあさるケルファーの背中を見ながら、忘れ物がないか確認する息子を見守る父親のロールプレイを脳内で行うことにした。
イメージとしてはこうだ。
「おい、おまえまた忘れ物か」
「うるせえな、用意するもん多いんだよ。あれ、おかしいな昨日入れたはずなんだけどな」
「もっとよく探せー」
「わーってるよ、今まさにあんたの目の前で探してんだろーが」
「言っておくが俺は手伝わないからな」
「ふん、ぬしの手など借りずとも己で探し出してみせるわ」
しまった、最後にキャラが崩壊しちまった。というか何やってんだろ俺。完全に頭のおかしいやつのふるまいじゃねえか。
いや待て、さっきアローザのあの行いを見て俺は気分が上がっていない、なんなら気分も食欲も下がっている。逆に言えば俺の精神は正常だと言える。
「そう、つまり正常なんだ」
「いや、俺の見立てだと異常事態だぞ」
「え」
どうやら俺のひとりごとはまた奇跡的に噛み合ってしまったらしい。こんなところで運を使うんだったら、アローザさんが実はいい人だったという部分に運を使ってほしかったぜ…。
「みろ、色が変わってる。どういう意味かわかるだろ」
その言葉の意を汲み取ると、確かに目の前に置かれた銀の棒が黒ずんでいる。
「毒か」
「ああ、ポタージュでしか試してないが、他にも入ってるかもしれない」
うそでしょ。
「どうしよう俺パン食っちゃったんだけど…」
「いや、多分パンは屋敷全体の分を焼いてるし、毒も入れづらいはずだから大丈夫だ」
「お、おうそうか」
まあ確かにもう一口食ってしまったしな。
それから俺たちは話し合って、まず運ばれてきた料理の一部をぐしゃぐしゃに潰して下水に流した。毒が入ってることに勘づいたことに気づかれると面倒だと判断したからだ。その次に、リュックに入っている予備の食料を少しかじって空腹をごまかした。もちろん解毒のポーションもしっかり飲んでおいた。効果があるかはわからんが。
「これ、子爵が犯人だと思うか?」
「どうだろう、屋敷の中の誰かの独断って可能性もありうる」
というかそうであってほしい。流石にあの勢いのまま俺たちに殺意を向けてくるとか正気の沙汰じゃない。逆切れにもほどがある。
「わざわざ毒殺を初手で使ってくるあたり、兵士の武力で俺らを葬るつもりはないのかもしれないな」
「殺したあとの始末が面倒だから、何かの任務に充てている、俺たちを倒せる兵士がいない、そもそも兵士がいないってところか」
個人的には最後だと嬉しい。
「いずれにせよ、ここにいるのは危険だな」
今日の夜までいるって約束したんだから、それより前に出るって言えば、俺らが逃げ出そうって自白してるようなもんだ。犯人が知ったら強硬手段に訴えてくる可能性だってある。
「どうにかして抜け出す必要があるってことか」
割とピンチな状況である。しかもピンチはチャンスとかほざいてる余裕などみじんもないマジのピンチである。相手は貴族で権力がこちらより上であるし、ここは敵陣ど真ん中だから、支配権と地の利の二つに挟まれているという点でもpinchである。
「ミラー、俺は思った」
「なんだ、言ってみろ」
「大人しく夜になるのを待って抜け出した方がいいんじゃないかと。楽だし」
確かに。
一刻も早く・・・ここから抜け出すことにとらわれすぎて、どう抜け出すかという部分をほっぽり出して即・脱走ということしか考えていなかった。視野が狭くなってる。
とはいえ、ここにいる時間が長ければ長いほど損をするのはこちら側だ。
「失礼します、お食事の回収に参りました」
こんこんというノックの音がドアの方から響いたかと思うと、同時にこんなセリフが聞こえた。
「本当か?ドア開けたら兵士がいるとかじゃないよな」
「多分さっき朝食を届けに来たメイドさんだ。声が同じだから。それに足音的にも一人だ。問題ないと思う」
「お前よくわかったな」
「耳には自信があるからな」
もちろん形じゃなくて能力の方だ。
「でも、なんかあったら困るからお前が出てくれ」
「わかった」
そういうと、はーいと返事をして、ケルファーはドアを開けに行った。
果たして、ドアの向こうに立っていたのは朝食を届けに来たメイドさんだった。
「失礼いたします。朝食の回収をしに伺いました」
「ああ、これはどうも」
いかにもザ・メイドといった服装をまとったその女性は、部屋の中に入ると先ほど部屋に届けてきた朝食の食器をテキパキと回収しだした。表情一つ動かさずに。
「あ、そういえば、今アローザさんは何をしているのですか?」
チャンスだ、取りあえずこのメイドさんが俺たちに敵意を持っていないか確かめる。あえてアローザへの敬語を外したこの質問にしたことでどれほどアローザさんに忠誠心を持っているかも炙りだせるって寸法よ。
「旦那様でしたら、今客人と面談中であります」
「客人?」
「ええ、なんでも大事な商売相手だとか」
ふむ、商談中だからこちらに手は出せないということか。はたまた別の理由があるのか。
「では、私めはこれで。失礼いたします」




