主人公なんだからピンチで大逆転くらいさせてください
「爺さん、頼むっ! 4時の方向だ」
「あいわかった」
星芒纏装の使用がきついと判断したケルファーが後ろに下がり、代わりに盾を持った爺さんが前に出る。腕にはせめてもの抵抗として俺が治癒ポーションをかけてある。
ただいま突進を二回ほど耐え、攻撃を加えた状態だ。
「しんどいな」
「まったくその通りじゃ」
ボヤキが出るのも当然だ。はっきり言ってやっていることは正気の沙汰ではない。死んだら自業自得と言われること請け合いの分の悪い賭けだ。
だがやると決めてしまったものは仕方がない。今すべきはゴルベフさんが言う興奮状態とやらが終わるまで耐えるのみ。終わりが確実に来るというのは唯一の救いだ。
ゴルベフさんの指示の意図はおそらく、攻撃を加えることで、血の気が減れば少しでも早く終わりが訪れるのではという期待だろう。そして傷の分だけ攻撃が鈍るのではという俺の希望的観測もある。攻撃を入れた分よりキレているのではという考えが頭をよぎったが、ただ耐えるだけでは大した防御手段を持たない俺に役割がなくなってしまうので、ある種の妥協案といったところだ。
だがワイバーンにつけた傷は深いとは言えない。人間は体重の13分の1を占める血液のうち3分の1を失うと死ぬという。
だが果たしてドラゴンにそれが通用するか、それは未知数だ。ドラゴン討伐は時折依頼で目にするから誰かデータを取ってくれればいいのに。
「くううぅ」
爺さんが構えた盾とワイバーンが激突する。ASMRなら間違いなく鼓膜を破壊するであろう音が再び響き、ワイバーンの動きが止まる。盾を破壊できないと悟ったのか、バッと羽を動かして奴は五メートルほど後方に着地した。
構えられた盾にはへこみ一つすらない。
…。うん、こんなキツイ戦闘じゃデータ採取なんて無理だわな。そう考えるとバトル系のデータキャラって結構すごいことやってるんじゃなかろうか。
なんて馬鹿な考えを振り払い、珍しく接地しているワイバーンに目掛けて突っ込んで行く。俺の足を狙って振るわれた尻尾を低く這って回避し、起き上がる勢いでさらに加速して曲がった付け根の部分に向けてひた走る。
が、そこで俺の背中を怖気が走った。
咄嗟に右手の剣を逆手に変え、地面に突き刺して強引に方向を変える。
それは半ば反射的な回避だった。少しだけ手首が痛むのを感じる。
ちらとワイバーンの方を見て、俺は二つのことに気がついた。
一つは俺の右手首だ。多少痛むが戦闘の続行は問題ない。
もう一つはワイバーンの目線の先だ。
俺を見ていない。
ドン、と音がして、ワイバーンが左足を踏みしめる。
尾で薙ぎ払う気か。
方向転換した勢いのまま、バックステップで回避を選択する。
ふと、奴の行動に違和感を抱いた。
妙だな、ここまでで尻尾には2回ほど攻撃を当てたから、かなりのダメージが入っているはず。
だというのに、わざわざ負担の大きい攻撃を繰り出すのか?
だが、その疑問は眼前を通り過ぎる尻尾の勢いによって氷解した。
クソがっっっ。
今の攻撃、狙いは俺じゃない。狙ったのはケルファーとゴルベフさんの方だ。
そのための左足の踏みしめ。薙ぎ払いの威力を上げるための予備動作。それゆえの怖気。
「よけろぉぉ!」
ケルファーの方へと尾が向かっていく。
あの勢いだ。ゴルベフさんは間違いなく生きられない。
ちくしょう、ここからじゃあ絶対に間に合わない。鉄杭を投げても大したダメージにはならないから意味ないだろう。しかも星芒纏装はおそらく使用が困難。
手詰まりか。
やっぱワイバーンに挑むってのがそもそもの間違いだったか。大人しくこの状況をスルーすればよかったというのか。
ふざけんな。
そんなん断じて認めねえ。そうなったら、苦い思いが後を引くに決まってんだろ。
苦い感情といえば一旦は聞こえが良くなるが、結局のところうまく消化できない限りそれは心に残る。そこに新しく抱いた感情が殻のようにかぶさってくれば風化すら容受されない。
楽しい旅がしたいんだよ、こっちは。
苦い思い出がいらないとは言わんが、これじゃ苦いどころではない。
こんな序盤にバットエンドを迎えるなんて、
「認めてたまるかぁぁあ!」
打開のために、俺の脳みそがフル回転する。いや違うな。どっちかといえばこれは反射だ。自身にとれる行動の中から無意識に最善を選択し、体が勝手に動いていた。
右手に握った剣を眼前に放る。ちょうど柄の先端が俺に向くように。
目の前で落下する剣。それがやけに遅く見える。まだだ、すこしはやい。だいじなのはタイミング。
ここだ。
柄尻に向かって打ち込むは、利き手である左に握ったもう一方の剣。
眼前で落下するだけだったはずの剣は、作用によってその移動ベクトルを強引に変えられた。
すなわち、落下中に剣先が向いていた方向に存在する、ワイバーンの尻尾の方へ。
「ギィァアアア」
ワイバーンの尾から血が流れる。
しかし、剣は尾には刺さっていない。どうやら表面を断っただけのようだ。
命中した、と言い切れたら良かったのだが、どうやら世界の物理法則はそこまで俺に優しくなかったらしい。
だが関係ない。出血量はそれなりにある。今までで一番ワイバーンが怯んだ。つまり最も無防備な状態をさらしているということだ。
右足で地面を踏みしめる。ドッという音がするくらい踏み込んで、ワイバーンの羽の付け根に向けて突っ込む。
こんな目立つ傷をつけてしまった以上、もうワイバーンの興奮状態とやらが終わるのを待つのは無理かもしれない。
だったら。
気絶するくらいのダメージを与えるまでだ。
ワイバーンの半径1メートルくらいまで接近して足に力を入れる。案の定、俺にめがけて右の翼にある鉤爪を振り下ろしてきたので、ターンをしてかわし、そのまま翼の付け根まで接近する。
ワイバーンから見て後ろ。下ろした右翼で俺は死角になっている。
いける。
左手に握った剣を縦に振り下ろす。傷は浅いがかなり力を込めた分、その衝撃も大きいだろう。
案の定、彼奴の体は大きく揺らいだ。
もう一押し。
振り下ろした剣をその勢いのまま本来の目標である翼の付け根に向けて切り上げる。
いける。
そう思ったのがダメだったのだろうか。あるいはフラグを踏んでしまったのか。
翼が遠ざかっていく。剣の軌道が空中に取り残される。
避けられた。おそらく翼をうまく前に丸めて。
それを認識したときにはもう遅かった。
丸めた翼が勢いよく広げられる。
それは強さの誇示。
それは強者の意地。
それは力関係の再定義。
風圧に巻き込まれた俺は、ただ剣を前に構えて耐えることしかできない。
相当強く広げたのだろう。気づけば俺はわずかに宙に浮いていた。
目の前に浮かぶは憎たらしいほど青い空。
詰みだ。攻撃を避けられない。
「駄目か」
そんな言葉が口から漏れた。
「いいや、上出来だ」
その声につられて首をわずかに下に向ければ、剣を上段に構えてワイバーンに切りかかるケルファーがいた。
「オラァァ!」
掛け声とともに、剣がワイバーンの眉間に向かって振り下ろされる。
それが決定打となった。
ワイバーンは二秒ほど動きを止めたのち、うなだれるようにして地面に倒れこんだのである。




