いくつになっても包丁を向けられたら怖い
前話のサブタイですが、ウェルダンの調理場にそういう物体が転がってたんだと思っといてください。ちなみに私は角上魚類への取材番組で存在を知りました。
誠に遺憾と言っていいのかわからないが、俺はキッチンでの言い争いというのがどうしても苦手だ。
多分家庭科室で言い合いになった結果、クラスメイトが包丁を振りかざすのを目の前で見てしまったからだろう。キッチンというのはめちゃくちゃ危ない場所なのだ。逆上したらすぐに人を殺せる物体がそこら中にある。危険がアブないのである。
まあ異世界にきて戦闘に強くなった今、そんなビビることあるんか?と聞かれたらそれまでだが、こういうのは自分が強くなったからどうこうって話ではない。マフィアの十代目に指名されたどこかの中学二年生が結局最後まで十代目になる決意を固められなかったように、基本的な性格はそうそう変わらない。三つ子の魂百までというやつである。
「そうだな、お前の言うとおりだ」
お、意外にもウェルダンが同意してくれたぞ。よしよし、このままどこかに場所を移して…
「多分俺は怖いんだ」
あ、そっちに同意したのね。
「師匠に教わって味見をしてもらってたときは全然そんなことなかったんだけどな。一人でもできるっていわれて初めて人に出したとき、どうしようもなくビビっちまった。果たして俺の料理は本当に上手いんだろうかってね」
どこか弱さを感じる声でウェルダンは語った。
ああ、そういうパターンね。わかる。いざ実践となるとビビるのはみんな一緒だってよくわからん慰めをくらったが、そうではなく俺としてはミスしてもいいんだぜ的なセリフが欲しかったんだ。
「師匠は扱いに困ったのか、三か月ほど俺一人で修行をするよう言ったんだ。それ以来こうさ」
なるほど、トラウマもちか。
それはそうと、この二人キッチンから動く気配がないんだが。
「修行ってのは、このブイヤベースを作るってことでいいのか」
「いや、実をいうと、今日なんかのパーティーが開かれるらしくてな。三か月たったし、仕込みとかなら参加してもいいだろってことで、師匠に呼ばれたんだ。これはその練習だ」
あれ、今日開かれるパーティーってもしかして…
「仕込みを任されるってことはよ」
今気づいたけど、香草パン粉焼き一口とちょっとしか残ってねえじゃねえか。コイツ、いつの間に!
「お前の腕、師匠は信頼してんじゃあねえの?」
再び、キッチンに沈黙が訪れた。
だが、先ほどのヒリついた緊張によるものではない。
どこか落ち着いた、ともすれば喫茶店に差し込む日差しのような、どこか温かみを感じるものであった。
「そうかもな」
ウェルダンは、どこか憑き物が取れた表情をしている。
「俺、もっかいやってみるわ」
「おう、そうしな。きっとそれがいい」
どうやらいい感じに話が着地したらしい。キッチンで大バトルとかいう俺の心配は杞憂だったようだ。なんなら後半俺空気だったまである。
いや別に話に入れなくて寂しいとか全然思ってないから! 思ってないからな!
…誰に向けて弁明してんだ俺は。
「で、こっからどうする?」
「そうだな」
その後十分ほど話し合いが続いた。よかった、今度は話に入れそうだ。
***
あのあと、手分けしてケルファーはウェルダンと一緒に師匠のもとへ、俺はガキどもがパーティーに参加するように、ウェルダンから大体の場所を聞いたガキどもの家に行って今夜のパーティーについて連絡した。
宴会場につくと、すでに準備が始まっていて、いくつかの料理はすでに卓に並んでいた。
見るからに旨そうだが、飛びつくわけにはいかない。
あたりを見回すと、隅っこの柱でケルファーがカベタリアンしていた。ちなみにカベタリアンっていうのは、こういう場所で端っこの方の壁に寄りかかっている奴らのことを指す単語だ。多分辞書には載っていない。ちなみに地面に座り込むやつらはジベタリアンと(俺が)呼ぶ。
「段取りはどうだ」
あ、なんか今のセリフすごくできる人っぽい。
「ああ、土下座で師匠に頼み込んだらすんなり許可してもらえた。今ちょうど厨房で頑張ってる。俺らはお役御免だな」
「そっか」
万事解決、というわけだ。そりゃここでカベタリアンしたくなるわな。
「見た感じ設営でまだ人手がいりそうだから、手伝おうぜ。どうせ暇だろ」
暇つぶしを兼ねてそんな提案をすると、なぜかこいつは目をしばたかせた。
「おまえ、スタンピードの祝勝会の時も似たようなこと言ってなかった?」
「え、んな事あったっけ」
「あった。祝勝会の準備を手伝おうとしたら、働きすぎだって言われたろ」
「…」
あったわ。
「いや流石に今回と前回とではわけが違うだろ」
このままでは魚を釣ってきただけになってしまう。俺たちが釣った魚で宴が開かれるのだから、準備にもしっかりと参加するのが筋だろう。
「わーったよ。しっかしお前変わってるな。普通こういうのはおいしいとこだけかっさらいたいと思うもんだろ」
「じゃあ俺が普通じゃなかったってことだな」
はい論破ァ。いいじゃないか少しくらい人と変わったところがあったって。
「まあ、俺もこの旅のために騎士団やめたからお前のこと言えねえか」
確かに。なんなら一般基準ならそっちの方が変人だぜ。
「変わった者同士だな、俺ら」
「まったくだ」
顔を合わせて、俺たちは笑った。
存外、二人旅も悪くないな。
十分ほど準備を手伝った後、パーティーが始まった。
「皆のもの、存分に楽しむのじゃ」
「ウォぉぉぉ」
町長の言葉を合図に、集まっていた住人は一斉にハジけた。もちろん精神的にだ。
俺等といえば、町長からネガルパッチェを釣った客人として紹介され、何人かと会話した後に、目玉であるネガルパッチェを使った料理を味わっていた。
「マジに町長だったとはな」
「それな」
俺のボヤキにケルファーが同意する。
いやだってあんなところで町長が釣りしてるとか思わないだろJK。
「しかしネガルパッチェうまいな」
「それな」
「さすが俺が釣っただけあるわ」
「そこはウェルダンの腕がいいっていうところだろ」
ちょっとは謙遜しろ。
俺たちが今食べているのはブイヤベース。煮込んだ魚のうまみがスープにしっかりと溶け出していて味に深みがある。煮込み時間もいい具合で、魚はしっとりしており全くぱさぱさしていない。
馬鹿舌な俺でもわかる。めちゃくちゃうまい。そしてこれがウェルダンの作った料理、のはずだ。多分。いや調理場を目撃したわけじゃないからわからないけど。
考えてみれば、ウェルダンは魚の香草パン粉焼き、ブイヤベースと、魚を使った料理を作っていた。この町はあそこの釣り場で魚が取れるのだから、多分昔から魚料理が好きだったのだろう。仕込みを任されたとは言っていたが、むしろ魚料理にかかわらせようとしていたのではないだろうか。
いや、考えるだけ無駄か。どのみち師匠さんはウェルダンが調理場に立つことを受け入れてくれたのだ。ウェルダンは客に料理を出す恐怖に負けなかった。師匠はウェルダンの面倒を見るのを投げ出さなかった。ウェルダンは厨房から逃げなかった。師匠はウェルダンを信じ抜いた。結局のところそれが一番大事なことだ。
「そういえば」
「そういえば、なんだ」
「まだガキどもにネタばらししてないぞ」
あ。
い、いや覚えていたぞ。別に忘れてたとかじゃないから。
「まあこの美味しさなら文句は言うまい」
「だな」
問題はガキどもが来ているかだ。来ていなかったらある意味俺らの不戦敗である。
「来てるよな」
「ちょっと遅れてから来るんじゃねえの」
こういうのは最初の長ったらしい偉い人のしゃべりがあるから最初は子供はいないんだよな。だから卒業式は早く卒業証書授与式という本来の目的にのっとって偉い人からの祝辞を読み上げるのをやめなさい。
「こっそり会場回るふりして確認するか」
「だな」
そうは言うものの、俺たちは動かなかった。
理由はもちろん、ブイヤベースがおいしかったからだ。
え、とっとと見に行けって? まあ待て。いまよそった分を食べたら行くから。




