油断したらバターとチーズを間違えるのが人間だし、気を抜いたら月もチーズに見えなくもない
出会いと別れと
「ここが保管庫です」
まず案内されたのはチーズを保管する倉庫のようなところだ。さっきまで話していた場所からすぐのところに建てられているやや大きめの建物に、ティテュスさんから借りた服を着てお邪魔する。
「すげえ」
隣に立っているケルファーがそうつぶやくのが聞こえた。
一言で言うなら、圧巻だった。木で作られた互い違いのような棚に、平べったい円柱形のチーズが紙らしき何かに包まれて置かれている。具体的な数はわからないが百はあるだろうか。辺りにはチーズの濃い匂いが立ち込めていて、まるで自分がチーズフォンデュされているのではと錯覚しそうである。
「こいつはすげえや」
前世では牧場ではチーズづくりとかやってなかったからな。唯一覚えているのは牛乳を死ぬ気でシェイクしてバターを作ったことくらいだ。そのせいで左腕がしばらく動かなかったこともはっきり覚えている。
ん、バターといえば。
「ここってチーズしか作ってないんですか」
飼育している家畜から察するに、ここは酪農が主体なのだろう。だがだとしたらチーズしか作らないというのはいささか妙に思える。
「ああ、五年前まではバターも作っていたんですが、売上を考えるとチーズに特化した方がいいかなって。まあ自分で食べるバターは、自分で作ってますよ」
「へーそうだったんですか」
一点突破の姿勢、嫌いじゃないぜ。ぜひともそのまま天も次元も突破して己の道をつかんでほしい。
「売上ってのはあれですか、どこかと取引を」
ふと、チーズを眺めていたケルファーがそう尋ねる。
「そうですね、ここから近いところにキッシングって町があるんです。そこにおろしてます」
よし、次はキッシングってとこに行こう、そうしよう。
俺が図らずとも次の行き先を決定できたことに喜んでいると、ティテュスさんはこんなことをいった。
「そうだ、せっかくだしチーズ作り体験していきません?」
***
二時間後。俺とケルファーは疲労困憊だった。
「ミラー、俺チーズ作りなめてたわ」
「正直俺も」
まさかこんなに精神力と体力を使うとは思わなかった。ここを一人で切り盛りしているティテュスさんはもしかしたら人間をやめているのかもしれない。
「ちょっと遅くなりましたけど、昼ごはんにしましょうか」
そう言って、ティテュスさんが料理をもってこちらにやってきた。どうやら俺たちが休んでいる間に、ここの隣にある自宅で料理を作ってくれたらしい。感謝感激雨嵐。いや今は活動休止中だっけ。
メニューは、たっぷりと粉チーズのかかったパスタに、グラタン、そしてカプレーゼ。おそらく俺史上最もチーズを使った献立だろう。チーズ尽くしの一言に尽きる。
「すでにおいしそうです」
なんだかケルファーが実況を始めそうな感じだったので、早めに食べることにする。
「いただきます」
まずはグラタンから食べる。うまい。ホワイトソースと中のベーコンや野菜、そしてチーズが絡んで絶妙なハーモニーを生み出している。そして何よりチーズのコクがすごい。
「うまい、うますぎる」
「ティテュスさんこれお店出せますよ」
ケルファーは俺以上に興奮していた。舌が肥えているとはとても言えない俺だが、それでもこの品々が、素材の良さとテイテュスさんの腕前によるものだということはわかる。
「いやー、そんな。これは素材がいいからですよ」
「いいえ、いい素材を入手してもそれを完全に生かすのは技術がいる。これは間違いなくあんた自身の力だ」
おいしい料理を前にしてテンションが高くなったのか、なんかケルファーが力説を始めたぞ。しかも決め顔で。
俺がどっかの人形だったら、僕はキメ顔でそういったって言っちゃいそうだ。
「ミラー、お前もそう思うだろ」
そしてなぜか俺に飛び火してきた。
「ああ、そうだな」
こういう時はおとなしく同意しとけってばあちゃんが言ってた。俺ばあちゃんいないけど。
「そうだ、このチーズをプファルツにもおろしましょう。きっと売れます。ブーム間違いなしです」
とうとう、乗りに乗ったケルファーはそんなことを提案しだした。姿勢がやや前のめりになっている。
「いや、ケルファー、それは無理だろ。ここからプファルツまで二時間ぐらいかかるぞ」
「それは歩きだろ。馬車ならもっと短く行ける」
「チーズはどうするんだ。結構低い温度で保存しなきゃだろ」
「馬車に魔道具を載せればいい」
「その馬車の調達はどうやるんだ」
「それは」
「ああ、それなら今ちょうど計画してるんですけど」
「「マジですか」」
同時にティテュスさんの方を振り向く。あ、またハモった。
「ええ、まあ。ただちょっと初期費用がかかるので躊躇してたんですが、お二人の言葉で決心がつきました。やります」
そう言い切ったティテュスさんの顔は、とても晴れやかだった。
「え、いいんですか。そんなあっさり決めて」
いっちゃあなんだが、俺たちただの通りすがりだぜ。
「大丈夫です。これも何かの縁でしょう。こういうのは勢いが大事とも言います。それに」
ティテュスさんはそこで窓の外に視線を移して言葉を続けた。
「この牧場は、父から受け継いだ大事なものなんです。僕はこの牧場をもっと発展させたい。いつかこの国に名をとどろかせたい。それが僕の夢なんです」
そう言って理想を語るティテュスさんの瞳は、らんらんと輝いていた。
聞けば、ティテュスさんはここの牧場で生まれ、父の手一つで育てられたらしい。男手一つで自分を育てる父の助けになればと、小さなころから父親を手伝って、二人三脚でこの牧場で日々を暮らしていたそうだ。彼の父はここをもっといい牧場にしようとよく言っていたそうで、無論ティテュスさんも同じ夢を持っていた。しかし彼の父は七年前に流行り病にかかって帰らぬ人となってしまったらしい。
それ以来、ティテュスさんはずっと一人で頑張ってきたそうだ。
なんともいい話である。
「応援してます」
ごく自然に、励ましの言葉が出てきた。多分、そこにあるのが純粋な願いだと知ったから。親の夢を継いで頑張ることが尊いことだと思ったから。その夢に一人でひたむきに進む姿が立派に見えたから。
「ああ、あんたのチーズなら、確実に天下とれるぜ。俺たちも店で見かけたらなるたけ買うようにする」
ケルファーもそう告げた。
「ありがとうございます」
ティテュスさんは深々とお辞儀をした。
その晩、俺たちはティテュスさんに泊めさせてもらって、一夜を明かした。
***
翌朝。
俺たちは牧場の出口にいた。どうやらこちらの道を下ることで、キッシングの町に行けるらしい。
ティテュスさんが見送りに来てくれた。
「お二人が来てよかったです。自分の思いを再確認できた。これから一歩ずつ頑張っていこうと思います」
「ああ、いつかどこかであんたが作ったチーズを見かけるのを楽しみにしてるぜ」
きっと、それが一種の再開になるはずだ。そう考えるとなんだかワクワクするな。
「あ、そうだ。これあげます」
そう言って、彼は何やら箱を渡してきた。
「常温でもこいつならしばらく持つはずです。僕の作ったチーズの味を忘れないように持っていてください」
「おお、感謝」
これはシンプルに嬉しいな。
「では、これで。よき旅を」
「ああ」
そういうと、俺たちはティテュスさんに背を向けて歩き出した。
別れの言葉は必要なかった。
きっと、いつか彼は有名になっているだろう。その時になったら、またここに来よう。
「旅が終わったら、ここに来るのもありだな」
奇しくも、二人とも同じことを考えていたらしい。
「そうだな」
俺はそれに笑って同意すると、空を見上げる。
青い空だった。プファルツにこもっていたら、こんな青い空はきっと見れなかっただろうと思えるくらい。
つい感傷に浸りたくなったが、ぐっとこらえて先をいくケルファーに追いつかんと歩くスピードを上げた。
旅はまだ、始まったばかりである。
月はグリーンチーズでできている




