第十章 第三話
「化学メーカーなら化学薬品を手に入れられるだろ。タリウムとか」
不意に紘彬が話を変えた。
「一体なんの話を……」
「峰ヶ崎の葬儀の後、峰ヶ崎の戦友がタリウム中毒で死亡した」
「私がやったとでも言いたいのか」
「峰ヶ崎優司と鈴木啓太、沢井四郎、桜井紘信はあんたの父親、田中健次と同じ部隊にいた」
田中健次という名字はありふれてるから確信が持てなかったのだが、峰ヶ崎を『死んだ父の戦友』と言ったのを聞いてようやく確証を得た。
鈴木啓太という名前を聞いた瞬間、如月は紘彬の祖父が言っていた『一人は鈴木さんの父上だ』と言う言葉を思い出して思わず声を上げそうになった。
不祥事のとばっちりを受けた紘彬が警察官になれるように手を回してくれたのは、紘彬の曾祖父の戦友の息子。
そしてその戦友の息子の息子(戦友の孫)で今の警視総監の名字は鈴木。
この前、警視総監に電話したのはこのことを聞くためだったのだ。
桜井紘信という名前を聞いた途端、陽平がハッとした表情で紘彬を見た。
「確か、あんたの名前は……」
「桜井紘彬。田中健次の戦友、桜井紘信の曾孫だよ」
「じゃあ、峰ヶ崎の菓子が好きだった曾祖母っていうのは……」
「桜井紘信の妻。曾祖父が結婚した時、峰ヶ崎氏の奥さんがお祝いに菓子を贈ってくれて、それが切っ掛けで上野に行ったとき店に立ち寄るようになったんだ」
陽平はこんな巡り合わせがあるのかという表情で紘彬を見た。
「なんで二十年も経ってからだったのかが分からないんだが教えてくれるか? あんたの息子と同じで〝あんたじゃない誰か〟の話としてでもいいぞ」
紘彬の言葉に陽平は俯いて拳を握り締めた。
それから顔を上げ、覚悟を決めた表情で紘彬を見た。
「儂の父は戦友達に殺された。家族を殺された恨みを晴らすために殺したんだから、その家族に仕返しされるのは仕方ない。だから〝誰か〟ではなく儂自身として話す」
陽平は紘彬の目を正面から見詰めて言った。
「その四人は無事に帰ってきたのに父は引き揚げ船の中で死んだ。きっと何かで揉めて四人が父を殺したんだ。食い物の分配とか、何かそんな事だろう」
「知らせを受けた頃はまだ二歳くらいだったろ。勝手な思い込みで……」
「思い込みじゃない! 母がいつも言ってたんだ! 父は引き揚げ船の中で殺されたって」
終戦まで生きていて引き揚げ船にも乗ったと聞いていたのに死亡通知が届いた。
引き揚げ船の中は劣悪な状態だったから食い物の取り合いとか、そんなようなことで戦友達に殺されたんだ、と。
母は事あるごとに戦友達に対する恨み言を言っていた。
陽平はそれを聞いて育ってきた。
「母は一人で儂を育てるのが精一杯で旅行なんて行ったことないまま早死にする羽目になったのに、峰ヶ崎は妻とパリ旅行だなんて……許せなかった」
「おい、出張中だったのは事実だろ。宿泊先だけじゃなく取引先の裏も取ってあったぞ。お前が出張に出てから決まったパリの話は内緒で戻ってくる理由にはならないだろ」
「戻ってきたのは仕事のためだ。取引先から出された条件を承諾する権限は私には無かったが、次の日までに決めないと契約はしないと言われたんだ」
宿には電話が無かったから判断を仰ぐのには戻ってくるしかなかった。
厳しい条件を出してきたのは断る為の口実だと分かったが、契約を取り付けられれば会社にとって大きな利益になる。
紘彬が言ったように都市部でようやく公衆電話が普及し始めた頃だから他の地域はもっと少なかった。
それで大急ぎで帰ってきて会社に向かっていると帰宅途中の峰ヶ崎と出会した。
その場で取引の話をすると、峰ヶ崎は浮かれていて無理な条件をあっさり承諾するという。
そして勝手にパリの話をし始めたのを聞き、亡くなった母を思い出してカッとなった。
思わず、なぜ自分の父を殺したんだと詰め寄ると、峰ヶ崎はそんな事はしていないと白を切った。
それで更に頭に血が上って口論になり、つい突き飛ばしてしまったら工事車両に頭をぶつけて倒れ、動かなくなった。
慌てて周囲を見回したが他の人間の姿は見当たらない。
目撃者がいないなら出張先にいたことにすればバレないかもしれない。
暗くて目撃者の姿が見えないだけかもしれないが、それなら人違いで通せるだろう。
当時は東京の都市部でも街灯が少なくて夜道は暗かった。
暗がりで自分と似ている人間と勘違いしたんだ、自分は遠くの出張先にいたんだから自分ではない、と主張出来るはずだ。
そう思って急いで列車に飛び乗り宿に戻った。
東京へ戻ってくると刑事が話を聞きに来たが出張に行っていたと答えるとそれ以上追及されず、しばらくしてから事故として処理された。
疑われないように葬儀の手配をする峰ヶ崎の妻に親身をなって手伝い、峰ヶ崎を慕っていたかのように振る舞った。
その葬儀に他の戦友達――鈴木啓太と沢井四郎、桜井紘信が弔問に来て記帳していったので住所が分かった。
父を殺した理由を聞き出したかったが峰ヶ崎のように惚けられたらお終いだ。
腕力に自信はないし、言葉巧みに話を引き出すなどという芸当も出来ない。
そんな事が出来るくらいなら口論になったりしていない。
恨んでいる事を知られたら警戒されて殺す事も出来なくなるだろう。
葬式に来た戦友達が甘い物は苦手だというと峰ヶ崎の妻が甘くない菓子を出していた。
戦友達はそれを食べて旨いと言っていた。
そこで理由を知るのは諦めて復讐をすることにした。
峰ヶ崎の妻に菓子会社なのだから香典の礼も菓子にしようと提案した。
葬儀には甘い物が苦手な人がいたから甘みのない物との詰め合わせにして来てくれた人達全員が食べてくれるようにしよう、とも。
そして戦友達への香典の礼として贈る菓子の甘くない方だけに会社で手に入れたタリウムを混入した上で葬儀のときに出した甘くない菓子も入れておいたから峰ヶ崎の思い出として是非食べて欲しいという手紙を添えた。




