第一章 第四話
「ここんとこ晴れてたのに……」
桃花が空を見上げる。
「晴れてる日が続いてたから天雨なんだろうけどね」
「てんう?」
「雨の異名。降るべき時に降る雨の事そう言うんだって」
「さすが紘ちゃん! よく知ってるね。紘ちゃんの行ってる高校、進学校だもんね」
「そんな事ないよ」
「いや、スゲーよ。あそこ、都立の上位校じゃん。俺なんか名前書けば入れるとこだったぜ」
「蒼ちゃんは部活で活躍して大学推薦で入れたんだろ。そっちの方がすごいよ。俺は入試に合格しないと入れないんだから」
紘一の高校は確かに偏差値は高いが行きたいところは無かったから一番近いところを選んだだけだ。
校門から自宅まで大回りする必要があるから歩いて五分は掛かるが直線距離なら数十メートル程度である。
蒼治の方はサッカーに力を入れているからと言う真面目な理由で入った高校で、名前を書けば入れたというのも勉強よりスポーツを重視している学校だからだ。
「日本って季節の言葉が沢山あるんでしょ」
「四季を重視してるから多いんだろ」
「それは別に日本に限ったことじゃないらしいよ」
紘一が言った。
「そうなの?」
「うん」
他言語学習者は「雨」「雪」などで事足りる言葉の異名まで学んだりしない。
外国語で異名を見る機会があるのはそこで暮らしていたり、その国の文学作品などを読む者くらいだ。
母国語(日本人なら日本語)は日常的に目に入る機会が多いから沢山あるように思えるだけだ。
どこの国のどんなものであれ、そこに良くあるものなら異名はいくつもある。
紘一は二人が「さすが」という表情を浮かべているのを見て、
「紘彬の受け売りだけどね」
と付け加えた。
「久し振りの雨だから木や花は喜んでるんだろうけど、湿度が高いのは困るんだよね」
桃花が公園内の植え込みを見ながら言った。
確かにヴァイオリンは高価だからかなり気を使うだろう。
以前、桃花が自分が使っているのは安物だから、と言っていたから軽い気持ちで金額を聞いて驚いた。
「その値段で安物なの?」
と訊ねたら、
「高いのだと都内の家が一軒買えるくらい」
と言う答えが返ってきて愕然としたのを覚えている。
「蒼ちゃん、彼女とは上手くいってるの?」
紘一が蒼治に訊ねた。
蒼治は高校一年の時、同じクラスの子と付き合い始めた。
ずっと片想いしていて、果敢なアプローチの末ようやく両想いになれたらしい。
交際し始めると更に彼女に夢中になった上に、サッカーの練習にも励んでいたのでここ二、三年ほどはほとんど顔を合わせる機会がなかった。
「うん、近いうちに親に会わせてくれるって」
「えーっ! 蒼治君、その人と結婚するの!?」
桃花が興味津々という表情で身を乗り出す。
「親に会うだけだよ」
蒼治が苦笑して答えた。
三人は家に向かって歩きながら近況を報告しあった。
夕方、紘彬と如月が聞き込みから帰ると刑事部屋には誰もいなかった。
「桜井、如月、病院へ行ってくれ」
課長がオフィスから出てきて二人に高田馬場駅前の店舗に強盗が入ったと話し、病院の名前を伝えた。
「刺された被害者が意識を取り戻したらしいから話を聞いてきてくれ。医師にも事件の手懸かりになりそうな事に気付かなかったか確認してくれ」
「了解」
二人は休む間もなく部屋を後にした。
翌日の朝、紘彬達は刑事部屋で捜査会議をしていて前日の高田馬場駅前の話になった。
「犯人は取り逃がしたんだが、逃げていく男が防犯カメラに写っていた」
団藤がそう言ってモニターに防犯カメラの映像を映した。
走ってきた男の左手が一瞬画面外に出たと思うと、男はすぐに胸元に手を引き寄せ顔をそちらに向けた。
男はそのまま右手で左手を押さえるようにしながら画面外へと出ていった。
「なぁ、こいつ、ここで左手にケガしたんじゃないか? この辺りに血痕があるかもしれないぞ」
紘彬が言った。
「夕辺は雨が降ったから残っているかどうか……」
「ケガの度合いにもよるけど、切った場所によっては結構出血するし、血ってこういう風に振ると結構飛ぶんだよ。もしかしたら雨の当たってない場所に残ってるかもしれないぞ」
紘彬の言葉に皆が顔を見合わせた。
「よし、このカメラの近くを重点的に捜索させよう」
団藤が言った。
「あと昨日、警視庁から逮捕された男のスマホに新宿区内の住所があったから念のため警戒しておくようにと言う連絡があった」
「住所ってなんの?」
紘彬が訊ねた。
「闇サイト強盗のターゲット……ですよね?」
如月が確認するように言うと団藤が頷いた。
「闇サイト?」
「ネット上で闇バイトを募集して、集めた人間を使って強盗とかをするんですよ」
如月が紘彬に説明した。
「いきなり知らない人間同士が集まって上手くやれるものなのか?」
「指示役が細かい指示をするんですよ。実行犯は言われたとおりにするだけなんです」
「ま、指示があっても連携取れなくて失敗することが多いけどな」
団藤が言った。
実行犯が捕まるのはこのパターンが多い。
素人だと手際が悪くて予定より時間が掛かったり想定外のことに対処できなかったりするのだ。
「闇サイト強盗は何人も犠牲者が出てるんですよ」
「広域強盗は警視庁の担当だが、ここの管轄も住宅地が多いから十分警戒するよう通達が来てる」
団藤の言葉に紘彬が更に詳しく話を聞こうとした時、課長がオフィスから出てきた。
「昨日の被害者の身元が分かった」