第六章 第二話
その日も紘彬と如月は桜井家で飲むことになった。
坂を下りきって住宅街の入口に差し掛かった時、紘一の姿が見えた。
「あ、兄ちゃん、如月さん」
紘一が二人に声を掛けてきた。
「蒼ちゃん、面会出来るようになったって言うからお見舞いに行こうと思って」
「そうか、気を付け……」
「一緒に来てくれる?」
「分かった」
「じゃあ、自分は帰……」
「待って、如月さんにも来てほしいから待ってたんだ」
紘一が引き止める。
「見ず知らずの俺が行ってもいいの?」
「如月さん、励ますの上手いから。兄ちゃんは空気読めないし」
「おい」
紘彬がむっとした表情になった。
如月が苦笑する。
「役に立てるか分からないけど、それでも良いなら」
三人が病室に入っていった時、蒼治は上体を起こしてスマホを見ていた。
「蒼ちゃん、大丈夫」
「紘一、紘兄……えっと」
最後に入ってきた如月に気付いた蒼治が訊ねるように紘彬と紘一に視線を向けた。
紘一が如月を紹介し、互いに挨拶を交わす。
「紘兄の同僚ってことは事件の話を聞くため?」
「あ、そうじゃなくて……」
「たまたま紘一と会ったから随いてきただけだ」
紘彬はそう言って蒼治のカルテを手に取った。
「そっか」
「蒼ちゃん、具合は? 傷は痛む?」
「痛みなんか……。真美のことを思えば……」
蒼治の悔しさが滲む声で答える。
「もし、あのとき紘一がいてくれれば真美も助かったかもしれないのに……」
蒼治の言葉に紘一が目を伏せた。
「ごめん、八つ当たりだよな」
蒼治がすぐに謝る。
「気にしなくていいよ。辛いのは蒼ちゃんなんだし」
紘一が慰めるように言った。
「……もっと戦えば良かった。せめてケガさせることが出来れば血痕で身元が分かったかもしれないのに……あの時、なんとかして犯人に立ち向かってれば……」
「事件の時、どこにいた? 何をしていた? 何があった?」
紘彬が立て続けに質問した。
「ちょ、兄ちゃ……!」
咎めようとした紘一を如月が片手を上げて止める。
紘一が口を噤んだ。
紘彬が蒼治に答えを促す。
蒼治は真美の両親に紹介された後、リビングで真美の父――政夫と話をしていた。
緊張していて何を言ったかはよく覚えてない。
真美の母は台所にいた。
その時、チャイムが鳴り真美が玄関へ向かった。
玄関を開ける音が聞こえてきたかと思うとしばらくして複数の足音が聞こえてきて男達がリビングに乗り込んできた。
最後に入ってきた男が真美の腕を掴んでいた。
真美は縛られ、ダクトテープで口を塞がれていた。
「真美!?」
「なんだ、お前達は!」
蒼治と政夫が叫んだ。
蒼治は思わずソファから立ち上がり掛けたが頭に棍棒のような物が振り下ろされた。
咄嗟に腕で頭を庇ったが防ぎきれず肩を強打された。
衝撃で蒼治はその場に倒れた。
床に転がるのと同時に肩が酷く痛み出した。
フローリングの床に何かが落ちる音がして、そちらに目を向けるとキーホルダーが転がっていた。
男がキーホルダーを素早く拾い上げる。
よその部屋から重い物がぶつかる音と短い悲鳴が聞こえ、次いで床に重い物が倒れる音が聞こえた。
「話が違うじゃねぇか。一人多いぞ」
男の一人がそう言いながら政夫を縛り上げてダクトテープを貼った。
「金庫も無いぞ!」
廊下から入ってきた別の男が言った。
家の中を見て回ってきたらしい。
男は政夫の口からダクトテープを剥がすと、
「金庫はどこだ!」
と怒鳴った。
「うちにそんなものは無い!」
政夫が答えると、
「娘がどうなっても良いのか!」
男が大声で言った。
真美の側にいた男が棍棒を振り上げた。
「やめろ!」
蒼治は痛みを堪えながらなんとか身体を起こそうとした。
しかし別の男に思い切り蹴飛ばされた。
胸に強い衝撃を受け、骨が折れる音がしたかと思うとテーブルの角に頭を強かに打ち付けられ、一瞬意識が飛んだ。
倒れたまま動いてないのに視界が激しく揺れ動いていた。
男が真美に棍棒を振り下ろす。
真美の頭から鈍い音が聞こえ、彼女はそのまま動かなくなった。
「真美!」
政夫が叫んだ。
「金庫の場所を言え!」
男が再度真美に向けて棍棒を振り上げた。
真美……!
助けなければ、そう思って焦るが強烈な痛みと眩暈で身体が動かない。
徐々に視界が霞んでいく。
「ホントに無いんだ! うちはそんな金持ちじゃない!」
「嘘吐くな! 高級外車が止まってるじゃないか!」
「あの車は……」
政夫の言葉の途中で蒼治は意識を失った。
「殺されるかもしれないって思ったら怖かった。それで動けずにいたら、そのまま気を失っちゃって……」
蒼治がベッドの上に下ろした手の中のスマホ画面には蒼治と真美の写真が写っていた。
俯いた顔の下のシーツに水滴が落ちて染みが出来る。
紘彬が再度カルテに視線を落とした。
「無理に動いてたら折れた肋骨が肺に刺さってたら死んでたかもしれない。酷い脳震盪を起こしてたから、もう一度殴られていても死んでた」
脳震盪を起こした直後に再度衝撃を受けると致命傷になることがある。
「そんな状態じゃ、腕に覚えがあったって素手で出血するようなケガをさせるのは無理だ。本気で逮捕して欲しいなら重傷で立ち向かって無駄死にするより、生きて証言する方がずっと役に立つ」
紘彬が淡々と言った。
蒼治は黙って肩を震わせていた。