国王と聖女
1429年7月。
ランスのノートルダム大聖堂でシャルル王太子の戴冠式が執り行われた。
ジャンヌはそのことに狂喜乱舞していたが、オレは大して興味なかった。
とはいえ、やる気がなくニートみたいだった王太子も、これで目を覚ますかもしれない。
そうなれば周囲の人間の意識も変わる。そういう意味では、意義のある儀式だった。
今後のことは、王太子改めシャルル七世陛下の外交能力に期待しよう。
正式に国王となったのだから、聖女様頼みも改めるだろう。
とにかくこれで、オルレアンの解放もランスでの戴冠式も達成された。
ジャンヌが神から託されたという使命は果たされたはずだったが、彼女はパリへのさらなる進軍を主張した。
セフー!(イカれてる!)
馬鹿な上に戦闘狂な娘である。
もういいだろーが! シャルル七世たちも、和平条約を締結しようとしてるみたいなんだし。
「ジャンヌ、そろそろ田舎に帰ろう。いい加減死ぬぞ」
オレは左手の二本欠けた指を見せる。
聖女として隠していたが、ジャンヌも全身傷だらけだった。だが、
「フランスからすべてのイングランド軍を駆逐するまで、あたしの戦いは終わらない!」
とジャンヌはいきり立った。
いつだよそれ?
オレはげんなりした。
困った聖女様だ。
だいたい、イングランドにもカトリック教徒はいると思うのだが。彼らは神の恩寵を受けられないのか?
しかし、ジャンヌにそれを言ったら怒るだろうから言わなかった。
頭が痛くなってくる。
狂信的なカトリック教徒は説得不可能だ。
やはり、馬鹿は死なねば治らないようだった。
その翌々月。
オレは負傷して寝ていたジャンヌを簀巻きにして、馬車に乗せることに成功した。
以前から企んでいたことを、オレは遂に実行した!
後は馬車をドンレミ村まで走らせるだけだ。
この時ジャンヌの周囲の人間は反対するどころか、むしろ手助けさえしてくれた。
ジャンヌの言っていた使命はすでに果たされている上に、何と言っても彼女はまだ十九歳の少女だ。
戦場から遠ざけたいという心情の者も少なくなかったのだろう。
「ジャンヌを泣かせたら殺すぞ」
戦友である傭兵隊長からそう言われた。
彼は癇癪持ちで憤怒とあだ名され略奪もしたが、なぜかジャンヌとオレには優しかった。
「けどまあ、達者でな」
無骨な彼らしくなく、照れたように言った。
これにはちょっとうるっときた。
オレは感謝の言葉を述べ、馬車に飛び乗った。
その後戦争がどうなったかは知らない。
傭兵隊長たちは今でも、戦い続けているのだろうか。
シャルル七世がジャンヌのそっくりさんを聖女にでっち上げたとかいう話も耳にしたが、真偽のほどは定かでない。
兎にも角にもジャンヌの大冒険は終わった。
あのまま怪進撃を続けていたら、馬鹿娘はいつか魔女とか言われて火炙りにでもされていたかもしれない。
そう考えれば、これで良かったのだ。
『何がこれで良かったよ! このバカ! アホ!』
ジャンヌは村に連れ帰った当初こそ文句を言いまくってうるさかったが、最近はなぜか大人しい。
おそらく思春期にありがちな、頭が冷えて熱病が治まったということだろう。
そもそもが、殺したり殺されたりという世界に似つかわしくない娘だったのだ。
「ちょっとネル、手を動かしなさいよ。全然進んでないじゃない」
畑仕事する手が止まっていたので、怒られた。
「すぐやるよ、ジャネット」
急ぐ必要は全然なさそうだったが、そう言うと怒りそうなのでオレは適当に返事した。
ちなみに、ジャネットはジャンヌの愛称だ。
ドンレミはフランス東部の辺鄙な小村。
もう戦うこともなく、今日も明日もこんな穏やかな日が続いていくのだろう。
戦争は王族や貴族が互いに死ぬまで勝手にやっていればいいし、馬鹿でもジャネットみたいないい女が死ななくていい。
オレは神も王も教会も信じていない。生き様も死に様も自分で決める。
ただ、神に一つだけ願うとするなら、ジャネットにはオレの側でずっと笑っていてほしい。
それだけで充分で、富や名声に興味はなかった。
憤怒が予定外に大活躍。