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91*

「お前は、料理も人並み以上に出来るんだな」

「まあね」


 並べられた食事。いつもの夕食とはまた違う、どちらかといえば酒に合うだろうそれらは、どれも最初からここにあったもので、キッチンにいたあの短時間で作ったらしい。

「簡単なものだよ」とユリウスは続けたが、あっさりと簡単なものを作るには、経験や器用さ、加えてセンスも必要になる。

 さっき言っていたのは、強ち間違いではなかったのだろう。ユリウスは、案外何だって出来るのだ。

 それが管理者特有の知識故か、それとも決して恵まれてはいなかっただろう家庭環境故かは分からず。聞くつもりもなく。

 特別食欲があるわけでもないまま。適当に口にしながらも、いつもよりずっと崩れたかたちで、会話半分に話をする。

 そんな中。ふとジークの言葉を思い出し、訊ねた。


「あの人は寮の管理人を任されている身だろう。こう何ヶ月も顔を合わせないだなんて、不可能じゃないのか」


 まさか休憩中を見計らって帰寮していた訳でもないはずだ。そう思いながら訊ねれば、からからと笑い声を上げながらもユリウスは答える。


「そうでもないよ。ねぇルクシス、窓って知ってる?」

「知らないと思うか?」

「はは。知らないはずないよね。まさか、壁だけに四方を囲まれた部屋に閉じ込められたまま、この歳まで生きてきたわけでもあるまいし」


 相も変わらず、話すことさえ億劫になる言動に辟易としていたところ、窓を指差しながら続けた。


「顔を合わせたくない奴がいたとき、魔法を使わぬ最善手は幾つかあるけれど、俺にとって一番手っ取り早いのがこれだ。窓から入れば、誰にも会わずに済むって算段さ」

「窓」


 またか。

 またこの男は、常識外れの行動をとっていたということか。

 魔法学園の学園生徒に、窓から寮室に出入りするような者はほぼ皆無だ。やりかねないのはユリウスと、精々スノウくらい。

 リディシアは絶対にしない。

 だけど、


「リディシア」

「何、急に。やっぱり淋しいの? そんなに気になるなら、スノウの部屋に行ってさっさと連れ戻す?」


 リディシアは、幼い頃に一度、窓から身を乗り出して、死に損なっている。

 金輪際、何があっても窓に近づくな。しつこいほどにそう言い聞かせて、今では触れることもしなくなった。それでも、窓を見るたびに思い出す。思い出して恐怖に駆られる。

 いっそ、窓なんてない、目の届く密室に閉じ込めてしまえば、安堵できるだろうか。と、また自分本位な願望が頭を過る。


「ルクシス? どうしたの、顔色悪いよ」

「お前も聞いているだろう。リディシアのこと」

「ああ。あれね、あれはどう考えても階層の強制力だから、ルクシスが助けなければ確実に死んでいたよ。おめでとうルクシス。お手柄だ」


 ぞわりと血の気が引く。


「つまり、リディシアの意思すら世界に捻じ曲げられていたとでもいうのか」


 寄生虫が宿主の意思を捻じ曲げて、死に近づけるという現象はままあるという。

 小さく中身の然程ない生き物でさえ、他の生物の言動や行動に干渉できるのだ。

 世界そのものが干渉すれば、人間の思考も意思も意のままなのではないか。ひとはそれを神と呼ぶ。神の描く筋書き。運命。そんなものが本当に存在しているのか。

 懸念を示したところ、しかしユリウスの答えは懐疑的なものだった。


「どうかなぁ。あの子の精神バランスが酷く不安定なのは、結局のところ融和していないのが原因だ。ほら、夏に一度おかしくなりかけたとき。あのときね、可能性としてはあり得たんだよ。あの子の人格が、本来あるはずだったリディシアに強く引っ張られる可能性がね」


 次から次へと、知らなかった事実が発せられて、思考が揺らぐ。

 リディシアが記憶を失わないように、失っても取り戻せるように。あんなことまでした。

 だけどあのときはまだ、そんなこと考える余地もなかったはずだ。

 手遅れも手遅れ。彼女を別のかたちで失っていたかもしれない。


「だけど多分、その心配はもうないと思う」


 確信がある様子で話すユリウスに、僅かに安堵を覚えた。

 僕は、今のリディシアを愛している。

 我儘で、利己的な想いであれど、彼女には彼女のままでいてほしい。ほかの誰にも、何にもなってほしくない。

 今の彼女が本来のリディシアという存在とはかけ離れているとしても。僕にとっては、彼女だけがリディシアなのだ。

 胸を撫で下ろすような心地の僕とは対照的に、ユリウスの表情は曇る。

 そうして罪悪感を滲ませた様子で、どこか懺悔にも似た響きで、言葉を続けた。


「俺は所詮『階層』の管理者だから。階層の意に反する行動は取れないし、強制力の感知もできない。あくまでも客観的な、いや、傍観者的視点からの意見になる。俺は結局、そっち側にしかなれない」

「それでもお前は、リディシアに加護の魔法を掛けただろう」

「そうだね。だけどあんなもの、気休めにしかならない。出来る範囲の干渉でしかないから、最終的な結果は何も変わらない」

「だとしても、助かるよ」


 本心だった。

 ユリウスは身を挺して、リディシアを守ろうとしている。それはよく知っている。

 あれは対価が必須の魔法だ。安易に使えるものじゃない。


「お前の為じゃないからさ。そんなに畏まらなくていいって。……ああ、ルクシスには一応、これも話しておいた方が、いいか」


 少しばかり、酔いが回ってきたのか。管理者が酔うのか否かは知らないが。ほんのり赤みを帯びた頬と、いつもよりも和らいだ表情。先程まではあったはずのそれらを一層陰らせるようにして、グラスを置いたユリウスは物憂げに言う。


「正確には、高城有紗が原因なんだ」

「……どういう意味だ」


 掴めないまま問い返す。


「高城有紗が観測してしまった『リディシアの死』が原因で、階層がそれを成そうとしている。転生者が一切いないこの階層のこの時代であれば、リディシアの死は確定していない。とどのつまり、彼女自身が根本的な要因だ」


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