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入学式。
真新しい制服に身を包み、壇上で代表として挨拶をするルクシス殿下を、舞台袖で眺める。
どうして他の生徒と違ってこんなところにいるのかといえば、
「リディシアは身体が強くないんだから、無理はさせられない。それに可能な限りずっと側にいると約束しただろう?」
ということらしい。
確かに周囲を見知らぬ人で囲まれるのは怖いけれど、流石に舞台袖は……と思った。だけど殿下だけでなく教師にまで、未来の国母が云々、と言われてしまえば黙るしかない。
しかし、それはスノウの役目で……と、思いながらも視線をそっと同じ新入生達へと向けてみる。ああ、殿下にはやっぱり女生徒の熱い視線が集まるのだなあと感心しつつ、違和感に気づく。
桃色の髪の少女なんて、そこにはいないのだ。
しかし、庶民からひとり、非凡な聖属性の魔法を使う者が入学してくるという話はあった。つまり私の見間違いか―――
バターン!
厳かな空気を引き裂くように、後方の大きな扉が開かれる。
そして、
「すみませんっ! 寝坊しましたぁっ!!」
現れたのは、桃色の髪を二つに結わえた少女。
間違いない。彼女がスノウだ。
そう思う私と、彼女を一瞥するなりマイクに入らないように舌打ちする殿下と、スライディング土下座を実行するスノウと、俄かにざわめきだす生徒たち。
慌ててスノウの元へ駆け寄る教師によってそれは正され、スノウは自身が座るはずだった特待生専用の座席へ案内されてゆく。
夢よりも、魅力的に見えた。
目を奪われる。万物を惹きつけるその容姿。纏うオーラが違う、聖女だと言われても信じられる圧倒的な存在感。愛らしい顔立ちに相応しい声音。天真爛漫な、まるで物語の主人公のような人。
何も知らなければ、きっと友達になりたいと思っただろう。だけど彼女は、ルクシス殿下の運命だ。だから私は関わるべきじゃない。私が、何かをしてもしなくても、断罪されてしまうかもしれないけれど。
それでも、できればルクシス殿下の邪魔をしないように、そしてスノウを恨んだりせずに済むように。受け入れてしまえるようにと。
話し終えたルクシス殿下が、こちらへ向かってくる。彼はそのつくりものめいた笑みを消し。私の隣りへ来るなり、抱きしめてくる。
「っ……殿下?」
「……」
何も言わず。まるでここにいることを確かめるように、強く抱き締められて、困惑しながらも。彼の背に手を回し、撫でる。
「……お、おつかれさまです」
「うん」
短い返事の後、彼は黙ってしまった。
本来は王族用の席というものがある。しかし殿下はそこへ向かうことすらなく、暫くそうしていたかと思えば、私を抱き上げて先に教室へ向かい始めた。お姫様抱っこで王子様に連れられてく公爵令嬢ってどうなのだろう。
この行為については、学園長先生が平然と許可を出していたので、問題はないらしい。
教室に着けば、黒板に席順が書かれた用紙が置かれていた。漸く下ろしてもらえたので殿下と一緒になって見てみて、絶句する。
殿下の隣りで、一番後ろの席なのは構わない。けれど、これは……。
「どうして、私とスノウさんが隣り同士なのでしょうか……」
「偶然だとは思うけれど、どうする? 僕が代わってもいいけれど」
「……いいえ、このままでいいです」
どうしよう。どうして、スノウとルクシス殿下に挟まれるような事態に。
それから暫く、ふたりきりで特別な会話もなく、席に腰かけて他の生徒たちが戻るまでの束の間の休息を得る。
殿下は複雑そうに顔を歪めていたけれど、やがてぽつりとこぼした。
「まさか実在するとはね。それに、正直目を奪われた。アレは確かに危険だ」
「そんなにですか……やっぱり殿下はスノウに運命を」
「感じてない。けれど、君がいなければ気にはなっただろうね。特待生が遅刻してくるなんて前代未聞だ。いじめのひとつやふたつは避けられないな」
「……ああ、確かにそうですね」
ルクシス殿下に好意を晒して目線を送っていた女生徒たちの中には、酷く怒っている人もいたもの。どう考えても変な恨みは買っただろう。
それを言うなら私なんて、婚約者……なのだけれど。きっと、ただでは済まないだろうな。怖い。でも夢の中の彼が一番恐ろしいから、大丈夫だろう。何が大丈夫なのか知らないけれど。
カタリ、と扉が開く。
「わ、もういらっしゃったんですね! ルクシス殿下、リディシア様」
スノウだった。
この子が一番最初にここを訪れるのか。そういえば入場時も王族、特待生は即時だった。この子は遅刻していたけれど。
「リディシア様、リディシア様っ! あたしと隣りの席なんですね、うれしいですっ!」
「え、ええ。そう、みたいで」
あれ? あれ?
私の手を握ってきゃっきゃと騒ぐスノウは、無邪気そのもの。それに何だか、まるでお友達のような距離感だ。
「ねえ、彼女は公爵令嬢で、次期王妃なわけだけど。流石に馴れ馴れしくないかな、君」
「はっ……すみません」
「ルクシス殿下!?」
明らかに怒気を含んだ声音に驚く。スノウはといえばしょんぼりしつつも、とりあえず自分の席に座った。
「えへへ、怒られちゃいました」
あっけからんと笑う彼女は、どうも気にしていないらしい。
人懐こい笑顔を浮かべながら「よろしくお願いします、リディシア様!」と言うスノウに、私もまた「よろしくね」と返す。
そっと、右隣りの席のルクシス殿下に目を向ければ、スノウを睨んでいた。
「ええ……」
何なの、この空気。
それから、間もなくして。他の生徒たちも教室に集まった。教室内の空気はそれによって正常化して、ルクシス殿下はいつもの作り笑いを、スノウもニコニコ笑顔を、そして私だけは多分暗い顔をしている。
居心地が、悪い。
「スノウ・ガーランドです! 特待生枠の庶民です! よろしくお願いしまーす!」
ああ、この子本当に元気だなあ。
入学式に遅刻という大ポカをやらかした彼女はしかし、鋼の精神だった。元気にそう自己紹介をして座席に座りなおす。そう、これは自己紹介の時間だ。
左側から右側に流れていくため、右端の列でかつ一番後ろの席のルクシス殿下が最後になる。明らかに仕組まれていた。
スノウの自己紹介の後、少しだけざわついた教室はだけど、私と同じ列の一番前の席に座っている制服の上から白衣を羽織った青年が自己紹介をしている内に掻き消された。青い髪なんて珍しいなと周囲を見渡せば、ちょっと髪色が風変わりな人が多い。スノウ、青い人、そして銀色の人と赤色の人もいる。凄い、お花畑みたい。
そうして気を紛らわせているうちに、自分の番になり……。
「リディシア・フォン・クラヴゼアです。よろしくお願いします」
機械的な挨拶。ルクシス殿下と出会ってからというもの、引き籠り令嬢と化していた私には、公爵家出身でも知っている人などひとりもいない。
ああ、この子がそうなのかとでも言わんばかりの反応を浴びる。知っていたけれど。自分が明らかに目立つ境遇なのは明白だったもの。
それでもどうにかこなして席に座れたのだから偉い。胃がキリキリする……。
「リディシア様、お疲れ様です」
こっそりと、他の人に聞こえないように気を付けながらも、スノウが励ましてくれた。うれしくなり「ありがとう」と笑いかければ、彼女は頬を赤らめながらえへへと笑う。
癒されながらも、この子のためなら諦められるかもしれない、と思ったとき。
ルクシス殿下が立ち上がる。
「こんにちは。知っての通り、僕はこの国の第一王子のルクシスだ。これから君たちと共に学園生活を送れることを嬉しく思う」
威厳を感じさせるその話し方に、思わず見入りそうになった。
「ところで、彼女は僕の婚約者だ。リディシアを目にしたことがある者はほぼ皆無だろう。というのも、社交界に出すのをこれまでずっと僕が断ってきたからだ。彼女は少し身体が弱くてね。無理をさせたくはない」
……凄い虚言が混じっている。
何を言うつもりなのかと。慌てて止めようとしたとき、見計らったように私の手を引いて、あろうことか。
黄色い悲鳴があがる。うん、そうなるよね。うん。
あろうことか、その腕の中に閉じ込めたのである。ぎゅっとされた。こんなところで!
「僕は彼女を愛している、彼女を害する者に容赦はしない。国家反逆罪などという大罪を犯す愚か者はいないと信じているが、彼女への接し方には気を付けてほしい。特に、スノウ」
「うーん、バカップルだったんですね。わかりました!」
「ちがっ」
「ああ、照れないでリディシア。大丈夫だから」
照れてるんじゃなくて! 誤解を解いてほしいだけです!
と言いたいけれど、言える空気じゃなくなってしまう。誰かが拍手を始めたせいで皆それに乗っかりだして、本当にバカップル騒ぎみたいに、あああ……。
「座ろうか」
「はい……」
顔が熱くて死にそうになりながらも、彼の言葉に従う。落ち着くまでずっと俯いていたけれど。
先生の話に耳を傾け始めて間もなく、軽い学園の説明が終わり、今日はここで解散ということになり……。
ルクシス殿下が、女生徒に囲まれた。
うん、知ってた。知ってたよ。絶対そうなるだろうなって思ってた。
私はいっそひとりで帰ろうかな、と思っていたのだけれど、何故だろう。
「本当に存在したんだね、王太子殿下が囲ってるお姫様! いやあこんなに可愛い子だなんて、マジで羨まけしからねーわ」
「え、え……?」
「っていうかスノウ、その王子様に凄い釘刺されてたね」
「へっへ、やっちゃいましたー! いやでもリディシア様本当に可愛くてお近づきになりたくて、その王子様は女の子に囲まれてますけれどいいんですか、リディシア様」
「それは別に構わないけれど……」
「酷すぎて笑えるんだけど。泣くぞあいつ」
「え、どうしてですか?」
「素なんだね、それ……」
絡まれていた。
青い髪の白衣の小柄な青年は落ち着いた人で。逆に赤い髪の大柄な彼はちょっと粗暴で。だけど凄く優しそうだった。ふたりとも、スノウの友人らしい。
スノウは貴族に友人がいたのだ。普通庶民に貴族の友人なんていない。驚きながらも、その輪に入れてもらう。初対面の私にも親しげな彼らに、もしかして友人になれたりするのだろうかと、期待を抱きつつ。
「そういえば、ねえリディシア様」
「はい」
「その、ブラウスを着ててもね、首元のそれ見えちゃってるんだけれど、いいの?」
「はい?」
何の話だろう。わけがわからずにいたところ、後ろからそっと抱き寄せられる。ああ、ルクシス殿下だ、やっと解放されたのかな、と思っていたところ、
「昨晩は楽しかったね、リディシア」
「……?」
「キスマークですよねやっぱり! きゃあ! 早い、手が早いですルクシス殿下ぁっ!」
キスマーク……?
話についていけない私に、青色の彼がそっと鏡を差し出してくれる。その顔が真っ赤になっているのが凄く嫌な予感を煽るのだけれども、怯えながらも映してみると……。
「ええっと、これは虫刺されでは……?」
「キスマークですよ、それ」
「リディシアは気づいてなかったんだね、可愛いな」
唖然とする。え、これってそうなの、虫刺されだと思っていて気にもせずに登校しちゃったけれど、この赤い痕は何だかあちこちにあったような気がする。痒くないからいいかと思っていたのに。それに、これがそうということは。
「ルクシス殿下、あの、昨晩何を」
「沢山愛し合ったよね。忘れちゃったの?」
「そんなことしてなっ」
「不純異性交遊だー! センセー!」
「呼ばないで! スノウ、やめてぇっ!」
スノウの口を抑えてどうにか閉じさせるけれど、彼女は満面の笑みだった。そして青い人は更に真っ赤に、赤い人は苦笑いしつつ頬にほんのり朱が差し、殿下を囲んでいた女生徒たちはやはり黄色い声をあげ……何故か一部は拍手している。
「何この空気……」
「これくらい言っておけば十分だろうね。初日で片が付くだなんて、そこの馬鹿に感謝だな」
スノウを一瞥しつつぼそりとこぼす殿下は、どこか楽しそうだった。
嵌められたことに漸く思い至り、身体から力が抜ける。
「えへへ、リディシア様くたーんってしてますねえ、可愛いです」
「僕のリディシアに気安く触らないでくれるかな」
「はーいっ!」
ルクシス殿下に返還され、慣れた動きで抱き上げられる。ああ、これもうデフォルトなんだなあ。考えないといけないことも、怒らないといけないことも、解かないといけない誤解もあるけれど、気力がない。
学園生活初日は、凄く疲れた。