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食卓を囲む。家族団欒。なんて言葉が、頭を過る。
昔のことは、あまり思い出せない。未だに、断片的なまま。
思い出すのは、彼のことばかり。
たった数ヶ月が、随分と濃密に感じられるのは。過去をしっかり掴めていないからなのか。それとも、彼の存在が大きすぎるのだろうか。
学園に入るより前の私は一体、どんな生活を送ってきたのだろう。何を思って、何を考えて生きてきたのだろう。その過去の割合に、どの程度あの人の影が刻まれているのかさえ、到底解らない。
思い出せないだけなのか、そもそも中身のない日々を送ってきたのか。
何もかもを余すことなく思い出したとして、そこには何が残るのだろう。
取り戻せば苦しむだけの、昔の記憶は何度も蘇りそうになるのに。蓋をするから、駄目なのかもしれない。だけど、それでもやっぱり。
「上の空ですね」
「え。あ、ごめんなさい」
「いえいえ。大丈夫ですよ! 何だか、らしいなぁって思っちゃっただけですから」
「らしい?」
鼻腔をふわふわと擽る、美味しそうな香りに。不思議なくらい食欲をそそられる。
目の前に並べられていく色とりどりの料理。こんなに沢山のものを、小さなその手をてきぱきと動かし、すんなり作ってしまうだなんて。やっぱりスノウは凄いなと感じながらも訊ねれば、
「あたしの昔の友達も、そうだったんですよ」
「スノウのご友人」
「はい。大事なお友達です」
にっこり笑いながら、トレイから最後のお皿をテーブルにことんと置く。
気立てのいい、エプロン姿の似合う、可憐な女の子。
眩しいなあ、と思う。落とすと危ないからとトレイさえ持たせてもらえない私とは大違いだ。
「さて、これでぜんぶです! お手伝いしてくださって、ありがとうございました!」
「殆ど全部、スノウがしていたじゃない」
「いいんです、いいんです。じゅうぶん助かりました! そもそもお嬢様がお料理なんて、普通しませんよ」
「そうかもしれないわね」
しかし、だ。
「この量を、私たちだけで食べられるかしら」
「え? あ、うーん。休み明けのお弁当の分は除けたけれど、それにしたって多いですね。……ふむ」
顎に手を当てて考え込むスノウは、はっとした様子で机をばん! と叩き、宣言する。
しっかりと配膳されたはずの食器類がカシャンと軽い音を立てたことには、気にした素振りもない。
「誰かにお裾分けしましょう!」
「お裾分け?」
「ですです! でも、こういう料理を好き好んで食べそうな人って、ディードとクラウスを除くとユリウスくらいしか。あたし、お貴族様の間ではまるで顔広くないですし。まずお貴族様はこういったもの食べそうにないですけど。ルクシス殿下は……らーめん食べて、すっごい嫌そうな顔してましたし。ワンチャンなさそうですよね」
頬を掻きながら、困ったように苦笑する。
確かにそうだった。彼は、こういったものに慣れていないのかもしれない。逆を返せば、今のスノウの発言を鑑みれば。彼女はまだ、彼に手料理を振舞ったことすら。
ああ。また余計なことを考えている。そうじゃなくて、今はこのお料理を喜んでくれそうな人の心当たりを。
追い払う。心の中に強く残る存在を、強引に追い払って、目を向ける。
ほかほかと白い湯気を立てる、煮物や揚げ物に。不意に、ある人の顔が浮かんだ。
「それなら、私もひとり、心当たりの方が」
「え? 誰ですか?」
スノウのつくった料理。その名前は、幾つかはある人から聞いたものだった。
彼の名前を口にすると。
「ああ! そういえば差し入れイベントみたいなの、漫画でもありましたね」
「ええと、今、何て……?」
「ひとりごとですっ」
聞き慣れない言葉だった。時々、スノウは不可思議なことを口にする。
ルクシス殿下なら、その意味を知っているのだろうか。
「じゃあ、ちょちょいっとこっちのお皿に取り分けて、よいしょっと」
白色の空のお皿に、慣れた動作で取り分けていくスノウは、家庭的という言葉の象徴のようにも感じられた。
「こんなものかな? リディシア様も、もし気に入ったのがあれば遠慮なくたっくさん持って帰ってくださいね! 煮物とか、一日二日置いた方が美味しいんですよ」
「そうなのね。ええ、ぜひ」
えへへ、と笑ったスノウは、件のカトラリーを手に取る。
細い棒状のカトラリーを器用にぱちぱちと使いこなしつつ「食べましょう!」と言うなり、挽肉をこねて玉葱などと混ぜた肉の塊をはぐはぐと、嬉しそうに口に運び、食した。
「やっぱり、ハンバーグって美味しいな~。フライドポテトも食べたいけれど、そっちは殿下の許可が下りなくて」
「そう」
食事の管理をされるくらい、大事にされているのだと。きっと無意識だけれども、聞かされて作り笑う他なく。
気にしないようにしながら、用意された可愛い花柄の小さなお皿に、サラダを取り分ける。
「大皿から取り分けるタイプの食事なんて、初めてだわ」
「えっ。え? あの、つかのことをお伺いしますが、パーティーとか夜会とかって、確か立食形式では……?」
本気で困惑した様子のスノウ。
「経験が、ないはずだから」
「あ、ああ……そう、でしたね。リディシア様は、ずっと」
気まずい空気が流れてしまう。
殆どずっと、ベッドの上にいたから。社交界に出たことだってなくて、まともな食事を取っていたかどうかだって怪しくて。当時食べたものの味さえ、記憶にない。料理人に申し訳なくなるくらいに。
そして同時に、思い出すら覚束ない両親への罪悪感。
「家族と食事を囲んだこと、あったはずなのに。覚えていないのね」
「……家族」
ぽつりとスノウのこぼした言葉に、はっとする。
彼女は孤児だ。孤児院の人々を大切に、家族のように思っていたとしても。その心の奥に、しこりがないとは限らない。
「違いますよ」
しかし、スノウは小さく首を振った。
「リディシア様、あたしの出自のこと思い出して、言っちゃいけないこと言ったかもって思ったでしょう? でも、それは違いますよ。あの家は、白の家は、とてもいいところでした。今世の自分の出生には、寧ろ感謝しています」
白の家。恐らく、彼女のいた孤児院の名前。あの写真に写っていた、彼ら。
「違うんですよ。違うんです、そうじゃなくて、ねえ、リディシア様」
「何、かしら」
さっきまでが嘘のように。泣きそうな顔をしたスノウは、溢れそうなくらいの涙で綺麗な瞳を潤ませながら、こちらを上目遣いに見上げ、弱々しく呟いた。
「家族って、何なんですかね……?」
 




