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「ルクシス殿下に……」

「ええ。食材とか、お茶っ葉とか、全部預かってます。めちゃくちゃ過保護ですよねぇ」

「……そうね」


 ああ。そんなことまでしていたんだ、と。

 つまりは、この紅茶も。彼女との思い出の品だったり、するのだろうか。

 彼は紅茶を淹れるのも上手だった。王子様なのに、そんなことまで出来るのだから。それももしかすると、この子と培ったものなのかもしれない。

 軋む胸に、だけど目の前の少女は気づかず。気づかぬままに、一層深く抉るような言葉を続けていく。


「食べるもの、ちゃんと管理させてほしいって言われまして。どうもあたし、あの日のコーラとらーめんで一気に信用失ったみたいなんですよね。あれ美味しいのに」

「そう」

「あ、でも一番の理由はですね。リディシア様、あの日、ユリウスの手作りのお菓子食べたでしょう」

「マカロンは、食べたわね」


 それがどうかしたのだろうか。そう思いながらも答えれば、


「あれですよ、原因。他の人の作ったものなんて、何が入っているかわからないから。食べてほしくないんですって。ルクシス殿下、お料理はほぼ初心者のはずですから。自分の作ったものをへらへら食べさせたユリウスへの一種の劣等感というか、なんというか。とどのつまりはやきもちです」


 スノウの言いたいことを要約すると。

 ルクシス殿下は、私がユリウス様の作ったスイーツを食べたのを目の当たりにしたことで、スノウが誰かの手製の料理を食べることを懸念した、ということだろうか。

 だけど、ユリウス様が作ったものに「何が入っているかわからない」なんてことは言わないだろう。

 つまりは誰かを危険視しているのではないか。

 そしてそれは、多分私なんじゃなかろうか、と。そう思う。

 もしかすると、私が彼女に、毒でも盛ると思っているのかもしれない。

 だけど、やきもち。やきもちという言葉だけ、今の彼女の発言からは辻褄が合わないように感じた。

 スノウが私の食べかけを食べたりしたからだろうか。それとも、たとえば。私に彼女の姿を重ねて見て、スノウが誰かの手作りを食べることを想像した、なんてこともあるかもしれない。

 それこそ、これまでだって。ユリウス様がスノウにマカロンだったりを振舞ったこともあるのかもしれなかった。スノウは彼とも仲が良い。そして彼女は、フットワークが軽いので、貰ったものはあっさり口にしてしまいそうに見える。

 確かに、危なっかしいとは思う。

 しかし彼女の食生活に彼が口を出す理由は、スノウを気に掛けているからのはず。

 それがどうして、私がユリウス様のスイーツを食べたことが『原因』になるのだろう。

 戸惑っている私を置いていくように、スノウは話を続ける。


「それで、食材まで全部、ここに届けてくるんですから。やっぱりすっごく過保護ですし、何だったら過保護を通り越して、束縛的っていうか、んーっと」


 くちにするものすべてを管理したいだなんて言うならば。それは確かに、とても過保護だと思う。その上、食材まで手配するだなんて。束縛的とも言えるのかもしれない。

 恐らく、普通はしないこと。だけど彼女は、現在進行形で危害を加えられかねない身だ。

 ある種、当然のことなのかもしれない。大切で、守りたい人に対してならば。


「愛されていますね」

「……」


 悪意はないのだろう。

 優しい声音で、そう口にするスノウに。引き攣った笑みを返すことしかできなかった。

 自慢のつもり? と、嫌味のひとつでも言えたなら。少しは気が楽になったんだろうか。いや、きっともっと苦しくなるだけだ。

 そんな自問自答をしながらも、考えを逸らせていく。

 過保護。彼が過保護だとは、常々思っていたけれど。スノウには、私に対してよりもずっと、そうだったらしい。

 それはそうだろう。当たり前のことのように思えた。私は彼女の代わりにされているのだろうか。それとも、彼女のことを好いている反面、私にも何かしら思うところがあるのか。

 纏まらない思考に溺れかけていたとき。


「やっぱり、嫌ですか?」


 不意に、そう訊ねられる。

 俯いていた顔をあげると、スノウは随分と真剣な表情で、真っ直ぐにこちらを見ていた。

 射貫くような目線は、こちらの感情を探っているようにも思えて。

 こんな風に私を見るくらい、彼のことを好きなのかと。そして私に可否を問うくらい、誠実であろうとしているのか、と。

 そんなことを考えながらも、揺れる心に蓋をして、強がりを返す。


「嫌、では、ないけれど」

「本当ですか!?」


 ぱあっと、晴れやかに。曇り空が晴れ渡るように、満面の笑みを浮かべたスノウは、


「それってつまり、これくらいなら見逃せる程度には、脈ありってことですか? あの過保護潔癖症神経質な束縛王子に事細かに食生活を管理されるのは平気ってことですか!」

「え、え? どうして私に、それを訊くの?」

「??????」


 頭の上にいっぱいの疑問符を浮かべたような顔をした彼女は、


「あ、元からそうだったってことですか! あー。なるほど。ですよね、あのルクシス殿下なら、そうですよねぇ。えへへ」


 よくわからないまま納得し、ふにゃりとにやけながら。こくこくとお茶を飲み干し、続けてティーポットを持ち。まるで急須から湯呑に煎茶を注ぐように、蓋を抑えながらたぱたぱと乱雑に淹れ、もう一度。ハンドルにしっかりと指を通す。


「あの、スノウ」

「はい?」


 耐えかねて、声が漏れる。

 ルクシス殿下は、こんな細かな部分に口を出したりはしていないのだろう。何ならスノウが作法を学んでいないところにさえ、愛着を持っているのかもしれない。

 もしかしなくても、これは余計な事に違いない。

 そう思っても、耐えられなかった。気になって仕方なかったのだ。

 だから、私は。


「貴方、ティーカップの持ち方、間違っているわ」


 小姑みたいに、お小言を。言ってしまった。


 そうして、数分後。


「むり。むりむりむりむり! 無理ですってば! 指三本でこんなちっちゃな取っ手、摘まめません! 指が折れます! っていうか重い! こぼれます!」

「そもそも、紅茶を注ぐのはカップの八分目までに留めた方がいいわ。この桜の花の柄の辺りまでよ。持ち方なら、慣れるまでは下の指で支えてもいいし」

「いーやーでーすー! ああもう、こんなことしなきゃだめなら、金輪際紅茶なんて飲みません! いいじゃないですか、指を入れる穴があるんだから入れたって! 細かい! 細かいです!」

「駄目よ。それじゃあ将来の貴方が困ってしまうわ」

「じゃああたし、将来は山奥の山荘でひとりでひっそり引きこもって暮らします! それならいいですよね!」

「駄目よ。貴方の才能を国が野放しにするわけないじゃない。否が応でも本土にいることになるわ」

「なんでですか! あたしの人生なんですから放っといてくださいよ! 国の分際で民衆の人権侵害はおかしいですっ! ああ、じゃあもういいです! あたし、今から国外逃亡します!」

「本当に捕まるし、そうなってしまえば監視の目も厳しくなるし、外にも出られなくなりかねないの。やめたほうがいいわよ……」


 駄々をこねる彼女に、どうにかカップの持ち方を教えようと試みながらも。その小さなくちびるからこぼれおちる危険な言葉に、冷や汗が伝う。

 以前、ルクシス殿下が言っていた通りならば、きっと。スノウを自由にすることは不可能で、国から出すことはほぼほぼ叶わない。旅行でも監視が付き纏ってくるだろう。他国に嫁ぐことだって、許されない。

 国外逃亡なんてしてしまえば、下手をすれば命を奪われる。この国はそれくらい、魔法の素養に対して厳格だ。

 だけど、そう。そうだった。

 私は同じことを考えていた。彼女がこぼした言葉を繋ぎ合わせて、心の内を暴かれたような気すらした。だから今、焦ったのだ。

 この国を敵に回して、逃げられるとは思えない。そんなことをすれば、両親にも迷惑がかかる。

 これからどうなるのかなんて、わかりはしないけれど。逃げるというのはあまりにも、非現実的だった。


「……んぐぐ」


 文句に文句を続けていたスノウは、しかし段々と慣れ始めた様子で。中指を薬指で支えながらも、カップを摘み持つことに成功した。


「そう、上手。そのまま、背筋を伸ばして、カップを口元に運んで飲めば、恐らく誰かにとやかく言われることは……」

「ひゃっ!?」


 どうして私は、こんなにも彼女にくどくど言ってしまったのだろうか。

 嫉妬? それとも、自覚がないだけで随分と、神経質な性格だったのかもしれない。

 スパルタで教えすぎたのだと、スノウが手を滑らせたところでようやく自覚し。だけどカップはそのまま、転げ落ちる。


「うあー……っ! べ、べしゃべしゃです」


 ばしゃ、と音を立てて、液体が散った。

 胸元からスカートまで濡らしたスノウが、へにゃあと顔を歪ませながらも項垂れる。

 幸いなことに、ティーカップは絨毯の上に落ちたからか、衝撃が吸収されたらしく割れず。その代わり、僅かに残った紅茶がこぼれ染みをつくっていた。


「ごめんなさい! ど、どうすれば」

「へ? え、リディシア様は悪くないですよ? あ、でも。もしできれば、タオル。持ってきてくださると助かります」

「勿論、取りに行くわ。どこにあるの?」

「そこの扉から廊下に出て、右手がリビングじゃないですか。逆、左手の方に浴室がありまして、浴室前の洗面所の棚にあります! すみません!」


 待っていて、と言い残して、部屋を出る。

 そのまま、左手に向かったつもりだった。だけどがちゃりと扉を開いた先は、


「リビング?」


 困惑する。こちらが左側だと思っていたのに。

 右側、左側。どっちがどっちだったっけ。


『有紗さ、右と左、よく間違えるよね』

『地図見てても逆走するしさ。まともに歩けるのなんて、この街くらいじゃない?』

『確かに東京駅はダンジョンチックだけどさー? もう何度も使ったのに毎度間違えてるじゃん。そういうの、方向音痴っていうんだよ』


 ふわり。遠い何処かから、見知らぬ、だけど見知った声が聞こえたような気がして、周囲を見渡す。

 だけど、当然ながら誰もいない。


「空耳、かしら」


 ああ、だけど確か、私はずっと前から。彼女の言うように。方向音痴だったような気がする。

 いつもいつも、正しいと思った道は逆方向。右と左を勘違いすることさえあった。

 だからあの日も、迷子になって。

 そんなときに、助けてくれた男の子がいた。


「……」


 思い出してはいけない。

 思い出しては、いけない。


「こっちよね」


 こちら側が間違いだったのだから、真逆だ。そう思い、リビングの扉を閉め、思い出も閉ざす。

 あの子が誰かなんて、思い出さなくていい。

 そうして、左程広くない彼女の部屋で一度は彷徨ったものの。無事に浴室の前、洗面所にたどり着き、収納棚に置かれていた白色のタオルを数枚、手に取る。

 ぱたぱたと布越しの足音を響かせながらも、彼女の元へと急ぐ。

 ノックをするよりも先に、ドアノブに手を掛け、


「スノウ、お待たせ―――」


 言いながらも、開いた。その先で、


「あ、ありがとうございます!」

「っ~~~」


 彼女は、ランジェリーしか身に着けていない状態で、しかしその服装に似つかわしくないくらいの落ち着いた調子で、返してくれた。


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